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慈雨

 役所で宋江(そうこう)は書類に目を通していた。

 だが集中できずに、窓の外に目をやった。そこに見える空には灰色の雲が垂れこめていた。

 それを見た宋江は、思わず溜息をもらしてしまった。

「どうされたのです」

 部下の張文遠(ちょうぶんえん)が尋ねてきた。何でもないと、宋江は微笑みを返す。

 上手く逃げられたのだろうか。

 宋江は、再び溜息をつきそうになるが懸命にそれを堪え、頭を振って意識を書類に戻した。

 

 鄆城県の宋家村に生まれた宋江は家業を父と弟の宋清(そうせい)に任せ、胥吏(しょり)となった。

 胥吏とは庶民にとって知県や府尹へ訴え出るための窓口であった。胥吏は官職ではなかったが庶民から手数料を取る事が許されており、その事がまた往々にして賄賂の元になるのであった。

 そんな胥吏を束ねる押司(おうし)にまでなった宋江は、それでも清廉潔白なままでいた。

 困っている者がいれば手を差しのべ、頼ってくる者がいればそれを拒まない。金に執心せず、貧しい者にとってはまさに天の助けだった。

 宋江はいつしか、恵みの雨という意味の及時雨(きゅうじう)と呼ばれるようになっていた。

 だが宋江本人が言うには、周りにそういう者がいるのが落ち着かない性分なだけで、そんな大層な渾名をつけられてむず痒い思いをしているという。

 

 ある日、昼食もとらずに公務をしていると、緝捕使臣(しゅうほししん)の何濤という男に声をかけられた。

 済州府から来たという何濤は、この鄆城県の知県である時文彬に目通りしたいと言ってきた。何濤が渡そうとしている公文書の内容を聞き、宋江は内心息を飲んだ。

 先の六月に起きた生辰綱強奪事件、その下手人の一人が東渓村の保正である晁蓋だと聞いたからだ。

 宋江と晁蓋は顔馴染みだった。同じく貧しい者の味方である晁蓋を、宋江は兄貴と呼んで慕っていたのだ。

 そんな馬鹿なと思ったが、同時にあの晁蓋ならばやりかねない、とも思った。

 晁蓋は常々、国の高官たちに対して批判めいた事を言っていたのだ。

 自分もその意見にはある程度同意していたが、晁蓋はより苛烈で、それを行動に移しかねないところがあった。それを宋江が何とかなだめすかしていたと言っても良い。

 そしてついに行動に移してしまったのだ。

 貧しい民から集めた税の塊である生辰綱、それを奪うのに何の否があるのか。彼ならばそう言うだろう。

 まずは事の真相を確かめなくてはならない。折よく、知県や他の役人は昼休みの最中だった。

 何濤を待たせると宋江は馬に乗り、東渓村へと急いだ。

 

「ちょっと一休みしようか。張文遠、一服してきて良いぞ」

「はい、それでは」

 宋江は張文遠を見送ると、再び大きな溜息をついた。

 晁蓋はやはり生辰綱強奪の犯人だった。

 宋江が駆けつけた時、晁蓋たちは酒盛りをしていた。強奪の話で盛り上がっていたようだ。

 中庭に村塾の教師をしている呉用がいた。他に道士風の男と、赤茶けた髪の凶暴そうな男がいたようだが知らない顔だった。彼らと共に強奪をしたのだろう。

 晁蓋が犯人だと露見した事を告げ、宋江は足早に役所へと戻った。何とか先手は打った。

 宋江は時間をかけて戻ると、何濤を時文彬に引き合わせた。

 彼が済州府に帰ると、さらに宋江は時文彬に進言した。

 確実な捕縛のため、捕り手を差し向けるのは夜の方が良い、と。もちろん時間稼ぎのためである。

 その間に晁蓋たちがうまく逃げてくれる事を祈るのだが、宋江は気が気ではなかった。

 結果、晁蓋は屋敷に火を放ち、夜陰に乗じて逃亡した。

 捕縛に向かったのは都頭である朱仝と雷横と聞いた。この二人も晁蓋とは懇意にしていた。

 二人が、いやおそらく朱仝がうまく逃したのだろう。

「しかし大それた事をしたものだ」

 自分にはそこまでする覚悟があるのか。

 いや決して、できまい。

 宋江は窓の外を見た。

 しとしとと雨が降り始めたようだった。

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