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新生

 朝靄の中、船が湖上を進んでいる。

 丈の高い葦が多く、ただでさえ視界が悪いのだが、迷うことなく船は進んでゆく。まるで見えない道がそこにあるかのように。

 船を操る男を阮小二は見ていた。朱貴というこの男が、梁山泊のいわゆる門番を務めているのだ。

 石碣村の目と鼻の先にありながら、ついぞこのような男の存在を知らなかった。

 横で末弟の阮小七が、船べりから手を垂らしていた。指を水の中に入れ、小さな引き波をつくっていた。

 小七がぼんやりと眺める先に大きな魚影が揺らめいた。

 鯉だ、それもかなりの大物だ。

「やっぱりここにはいるんじゃねぇか」

 朱貴を睨みつける小七だったが、小二の制するような視線に気づき、それ以上言うのをやめた。

「けっ」

 と、それを見ていた阮小五が毒づいた。

 梁山泊がこのところ勢力をつけ、阮小二など地元の漁師に付近一帯で魚を獲らせないのだ。

 阮小二とてそれは苦々しく思っている。だが、今はその梁山泊へ身を寄せようというのだ。波風を立てる時ではなかった。

 同じ船の上にいる晁蓋らも神妙な面持ちだった。

 朱貴は一同に申し訳なさそうな顔を向けると、すぐに湖面に視線を戻した。

 

 緝捕使臣の何濤をのぞいた官軍を全滅させた後、晁蓋と阮三兄弟、公孫勝は呉用、劉唐と合流を果たした。

 家族や一緒に来た漁民たちは彼らが守っていたのだ。笑顔で駆けてくる阮良(げんりょう)を抱きしめ、阮小二もやっと人心地ついた。

 李家道の先にその店があった。梁山泊の門番である朱貴の居酒屋だ。彼はそこで入山希望者の選別と情報収集を担っていた。

 晁蓋の噂は朱貴の耳にも届いており、拍子抜けするほどあっさりと梁山泊行きの手筈を整えてくれた。そして翌早朝、一同は船へと乗り込んだのだ。

 腕を組みながら晁蓋は前方を見ていた。

 いつの間にか偵察船が四艘ほど付き従っていた。

 やがて晁蓋は靄の中に黒い影を見た。そしてそれが徐々に大きくなっていくのに気付いた。

「金沙灘(きんさたん)だ。ここから上陸する」

 どこか誇らしげに朱貴が告げた。

 靄の中でも分かる梁山泊の偉容に、晁蓋はいつしか腕組みを解いていた。

 

 銅鑼や太鼓の音に迎えられ、一同は梁山泊の土を踏んだ。

 断金亭を過ぎ、三つの山門を抜けると大きな広場になっており、そこに聚義庁と呼ばれる建物があった。

 鯉の一件はどこへやら、阮小七は目に入る物すべてに目を輝かせていた。

 聚義庁に梁山泊の頭領がいた。白衣秀士こと王倫である。

 宋万、杜遷という巨漢を後ろに従えた彼は、鷹揚に語り出した。

「ようこそ晁蓋どの。あなたのご高名はこの梁山泊にも雷鳴の如く轟き渡っておりますぞ。今日はいかなる訳か、このむさくるしい寨(とりで)へようこそおいで下さいました」

「いやわしはそのような大層な者ではございません。身の程をわきまえずここへ参上したからには、一兵卒として扱いくださいますよう」

「まあ堅苦しい挨拶はここまでとして、まずは酒でも」

 王倫が晁蓋を制し、一同を案内させた。

 席につき、梁山泊の頭目たちと晁蓋一行が挨拶を交わし、奏楽と共に酒食が運ばれてきた。

 乾杯に続き、晁蓋がここに至った経緯(いきさつ)を話した。

 東渓村での劉唐の勇猛ぶりを褒め、生辰綱強奪の件で呉用の知略を讃えた。

 阮三兄弟の湖上での戦いぶりを賞し、公孫勝の道術の神妙さに感嘆した。

 そして囚われの身となっている白勝の身を案じ、救出と官兵へのさらなる復讐を誓った。

 宋万、杜遷そして朱貴は一同の八面六臂の活躍ぶりに感心し、俺たちもやってみたいものだ、と口惜しそうな表情で酒を飲む。

 頭領である王倫も始めは賞賛していたものの、官兵全滅の話になるに及び次第に上の空となり、返事も曖昧なものとなっていた。

 林冲はそれを横目で見ながら、ほとんど言葉を発することなく淡々と酒を飲んでいた。

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