108 outlaws
画戟
四
方天画戟を手にした白づくめの男が、勝負をしろ、と叫んでいる。
手下の報告を受けた呂方は興味を引かれ、その男を見に行くことにした。
紅衣の鎧を着込み、手にするのは柄(え)まで真っ赤な方天画戟。呂布さながらのいでたちをした呂方が、赤毛の馬を駆っている。
「お前が小温侯の呂方だな。俺の名は郭成、人からは賽仁貴と呼ばれている。俺と勝負しろ。どっちの画戟の腕が上か、はっきりさせようではないか」
郭成と名乗る男は白馬にまたがっていた。全身を白で固めており、手にする画戟の柄まで白い。なるほど薛仁貴勝(まさ)りという訳か。
郭盛の後ろには、百人ほどの手下が控えていた。
呂方が拱手して言う。
「郭盛とやら、お主とは何の遺恨もない。どちらの腕が上など、詮無き事。無益な戦いはよそうではないか」
郭盛はその言葉に眉を吊り上げた。
「なんだと、それじゃ駄目なんだよ。同じ得物を使う者として、どっちが上か決めなきゃならねぇんだよ」
呂方は困った顔をしている。
「わかったよ。お前の方が上で良いではないか。わざわざ勝負をする事もないだろう」
何を言い出したのだ。戦ってもいないのに、俺が上で良い、だと。
郭盛はいらいらとしてきた。
「だから、わかんねぇ奴だな」
はた、と何かに気づいた顔をする呂方。
「そうか、そう言う事か。この対影山はちょうど二峰あるから、ひとつづつ治める事にしよう。それで良いだろう、郭盛とやら」
郭盛は呆れると共に、怒りを覚えた。こんな男が画戟の使い手だと。
郭盛は話す事をあきらめ、馬を駆った。
「覚悟しやがれ、呂方」
両者の距離があっという間に縮まり、二本の方天画戟が激突した。
郭盛は張堤轄の言葉を思い出していた。
「実に見事な画戟の使い手だった」
張堤轄が嘉陵に戻る道での出来事だったという。
街道に人だかりができていた。
野次馬たちが取り巻く中に、男たちはいた。
四人の屈強な男とその前に商人風の男。そしてそれにたった一人で向かい合っている画戟を持った男。
男は赤い衣を着ており、その手に持つ画戟の柄さえ真っ赤であった。
仇討ちらしい、と野次馬の一人が囁いた。
危険を顧みず張堤轄が止めに入ろうとした時、戦いは始まってしまった。
四人の男が画戟の男に四方から襲いかかる。
誰もが画戟の男の悲惨な結末を想像した。
しかし地面に倒れたのは四人の男たちだった。
張堤轄にはかろうじて見えていた。
赤衣の男が実に鮮やかに画戟を扱い、四人の男を一蹴した技が。
男たちは死んではいないようだ。急所を突かれ、打たれ、動けなくなったのだ。
赤衣の男が商人に一歩近づいた。
ひっ、と悲鳴をあげその場から逃げようとする。
しかし、画戟を素早く伸ばし月牙の部分で商人の襟首をひっかけると、足元に引き転がした。
商人は何が起きたか分からずに悲鳴をあげている。力強さだけではない、繊細さと正確さを兼ね備えた戟捌きであった。
郭盛を思い出した。
だが、今の郭盛ではこの男には及ばないだろう。もちろん自分もだ。
赤衣の男は虚ろな目で商人を見下ろしている。
「あんたがあんな事しなきゃ、俺もこんな事しなくて良かったのに」
男は画戟を二度、振るった。
「命まではとらないよ」
商人の両手がぼとりと地面に落ちた。
響き渡る絶叫。
「その手が悪かったんだ。それで、もう人の物を盗めないだろう」
男は画戟の血を振い落すと、嘉陵とは反対の方向に歩いていった。
野次馬たちもその腕に驚き、止める事はおろか整然と道を開けることしかできなかったという。
郭盛はその話を思い出していた。賊を退治し、賽仁貴とおだてられている郭盛を戒めるための作り話だと思って聞いていた。
黄河で船が転覆し、路頭に迷った。
画戟の腕一つで、ならず者たちをまとめ上げ山賊のような事を始めた。
そんな中、風の噂で方天画戟の使い手がいると聞いた。その男は青州は対影山を根城にする呂方という名だと聞いた。
赤い馬に乗り紅い衣をまとう姿はまさにかの豪傑呂布を彷彿とさせ、小温侯の渾名に恥じぬ好漢だというのだ。
本当にいたのか。張堤轄が話した男とはそいつに違いあるまい。
己の画戟の腕に絶対の自信があった郭盛は手下を引き連れ、青州へと北上した。
赤と白、二本の画戟が舞う。
郭盛が突き、呂方はそれを月牙で受ける。呂方が薙ぎ払えば、郭盛はそれにうまく合わせた勢いで反撃する。息もつかせぬ攻防に呂方と郭盛のみならず、二人の手下たちも息をのんでいる。
まさに時を忘れたように戦う両者。
日が西に傾き、空が赤く染まってゆく。
銅鑼が鳴らされた。お互い、馬を下がらせる。呂方と郭盛は汗を流し、肩で息をしている。両者の乗馬も同じだった。
呂方が馬の首筋を叩き、ねぎらっている。
郭盛が戟を突きつけ叫んだ。
「明日までこの勝負はお預けだ、呂方」
「わかったよ。しかし郭盛、あんた強いなぁ」
ふん、と背を向ける郭盛。
なんだか食えない男だ、とひとりごちる。
そこへ、そうだ、と呂方が言った。
「あんたら遠くから来たんだろ。だったら向こう側の山を使いなよ。一応、寨もあるから不便はしないはずだ」
敵に己の寨を使わせるとは、どんなお人好しなのだ、この呂方という男は。
しかし張堤轄の言葉は嘘ではなかった。温厚そうに見える呂方だが、その画戟の腕は一流だった。一瞬でも気を抜けば負けていただろう。
「わかった、使わせてもらおう。では明日、また来るぞ」
二人はまるで旧知の友のように手を振って、互いの寨へと戻って行った。
その姿は、明日また会う約束をした親友のようであった。
翌日も勝負はつかなかった。
その次の日も、またその次の日も。
五日、六日と勝負は続いた。
次第にそれは日課となり、本来の目的を失っているようでもあった。
呂方も郭盛もお互いの腕を認め、その勝負が始まるのを楽しみに待つようになっていたのかもしれない。
そしてこの果し合いが十何回目である。
いつものように山を下り、今日こそは、と声を掛け合い、馬を走らせる。
この数十日繰り返された、なにもかもが同じであった。
だがその日はいつもと違う事があった。
いつもと違う、たったひとつの事。
その日、対影山を宋江と花栄が通りかかったのだ。
呂方と郭盛の戟が激突した。一体何度目だったろうか。
二人は宋江らの存在に気づいていたが、どうでもよかった。いつものように、画戟の腕を恐れて逃げて行くだけだろう。今は勝負中でもある。
呂方と郭盛は三十合ほど打ちあった。郭盛は戦いの興奮で、笑みまで浮かべている。
はっ、と両者が気合を発し戟を打ちこむ。しかし穂先に付けられた房や紐が絡まってしまい、解けなくなってしまった。
ぬ、と呻く郭盛。
これは、と驚く呂方。
これまでこんな事はなかった。
互いに戟を引き、何とか外そうとするがそれも叶わない。
その時であった。見物している二人の方から何かが飛んできた。
呂方と郭盛が同時にそれを見る。
矢、だった。
その矢はまっすぐに房を貫き、絡み合ったそれを解いてしまった。
それと同時に両軍から喝采が上がった。
呂方と郭盛は馬上でのけぞったが、体勢をすぐに整え、矢が放たれた方向を見た。
涼しげな顔をした軍人が馬上で弓を構えていた。横にいる小男が、感嘆していた。
もう勝負の雰囲気ではない。呂方と郭盛は目を見合せ頷くと、二人に近づいていった。
「勝負の邪魔をして申し訳ない」
弓を下ろした男が拱手した。
「お見事な弓の腕前。ぜひお名前をお聞かせいただきたいのですが」
呂方が拱手を返し、訊ねた。
「私は元清風寨の副知寨、花栄と申す。こちらは鄆城は、及時雨の宋江と申します」
なんと、と郭盛は驚いた。この青州へ来る前から神箭将軍と名高い花栄の噂は聞いていたが、ここで会えるとは。慌てて拱手をする郭盛。
「お二人こそ、素晴らしい方天画戟の腕前をお持ちだ。しかし何故、争っておられたのか」
宋江が呂方と郭盛、ふたりの顔を見比べて聞いた。
呂方と郭盛は二人に名乗り、それぞれ対影山に至った経緯(いきさつ)を語った。
呂方は店の資金を持ち逃げした番頭を追い、彼の腕を落とした後、山賊まがいの事をしながら各地を放浪していたという。そしてこの対影山を根城としていたのである。
「今日も引き分けだな。明日こそ、決着をつけよう」
郭盛はそう言って立ち去ろうとした。
「お待ちください」
宋江がそれを引きとめた。
「話によると、お二人の勝負はすでに十何日を数えているとか。お二人の力量は互角。ならばこのまま続けていても、いつ終わるとも知れません」
呂方がそれに同意した。
「まこと宋江どののおっしゃる通り。今日こうして花栄どのの矢が無ければ、永劫に終わらぬ勝負を続けていたかもしれません」
しかし決着を、という郭盛に呂方は言った。
「お前が上だよ、郭盛。俺の噂を聞いてわざわざここまでやって来て勝負を挑もうなんて。その熱情だけで俺は負けていたんだよ」
郭盛は、何かを言おうとして、やめた。
実のところ、お互い決着を望んではいなかったのだ。
呂方は郭盛と、郭盛は呂方と毎日技を競い合う事が楽しみになっていたのかもしれない。同じ方天画戟を使う者同士の、果し合いで芽生えた、奇妙な友情にも似た感情だった。
そして二人は気付いていた。この戦いを終わらせたくないのだと。
もはやどちらかが勝利することではなく、この戦いを続けることこそが喜びとなっていたのだ。
この戦いを止めたのは呂方でも郭盛でもなかった。
この方法でしか止める事は出来なかったのであろう。
呂方が郭盛を褒めたたえる。
これで終わったのだ。
二人の戦いは、これで終わったのだ。
郭盛は深く息を吸い込み、ゆっくりと吐きだした。
「ありがとう、呂方」
さわやかな笑顔で郭盛が笑った。
ふと師である張都頭の顔が浮かんだ。
師の顔が昔のように、優しげに微笑んでいるような気がした。
後続の部隊が到着し、対影山で宴会が開かれた。
宋江は、呂方と郭盛を一同に引き合わせ、その戦いの様子を目を輝かせて語った。秦明や黄信などが特に興味を持ち武芸談議に花を咲かせていた。
宴もたけなわの頃、呂方と郭盛が宋江の側にやってきた。
「ぶしつけなお願いなのですが、俺たちも梁山泊へ連れていってはもらえませんか」
「呂方と相談したのです。俺たちは二人で争っていましたが、花栄どのや秦明どののような豪傑が世の中にいる事を知りました。もっと広い世界を見てみたいのです、宋江どの」
うむ、と宋江が杯に口をつける。
「花栄も秦明も黄信も、やむにやまれず落草するのです。梁山泊とて山賊には変わりないのですよ」
呂方と郭盛は、宋江の言葉を待っている。宋江は少し間(ま)を開けてから続けた。
「今は、という意味です。晁蓋どのはひとかどの人物だ、梁山泊をただの山賊で終わらせないと信じているのです。あなた方もきっと受け入れてくれるでしょう」
では、と呂方と郭盛が声をそろえた。
「ええ、共に参りましょう」
喜び合う呂方と郭盛。宋江に何度も礼を言い、手下たちの元へと戻って行った。
「どうした、浮かない顔だな」
花栄が杯を手にやってきた。
そんな事はないよ、と杯を開け笑みを浮かべる宋江。
広い世界を見たいのは宋江も同じだった。ここまでの間に少しだが、ものの見方が変わったような気がする。鄆城で押司だった頃も、民からの不満を聞いていた。しかし、ひょんな事から故郷を追われ、その身をもって体験した事は、少しずつ宋江の心に刻み込まれていった。
困っている者がいると放っておけないのが宋江であった。
これまでは自分の力でそれにあたってきた。しかし今、多くの者が悲鳴をあげているのを知った。それらに手を差しのべるには、己ひとりではあまりにも非力だった。
梁山泊、そして晁蓋たちならば、と目を閉じた。
宋江はその想いを酒とともに飲み込んだ。