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悲愴

 寸法をとって、布を裁(た)つ。そして針に糸を通し、布に針を通す。久しぶりの針仕事に不安だったが、もともと得意な方であったし上手く縫えそうだ。

 潘金蓮は思わず笑みを浮かべていた。

「たいした腕前じゃないか。あたしゃこの七、八十年こんな腕前は見たことないよ」

「やめてください、お婆さん」

 横で見ていた王婆さんの賞賛に照れる潘金蓮。王婆さんは続ける。

「いやあ、やっぱりあんたに頼んで正解だったよ。本当に恩に着るよ」

 張り切りすぎないで一服しとくれ、と王婆さんが軽い酒食を運んできた。

 ここは王婆さんの家。卓の上には白絹や紬(つむぎ)などが積まれている。

 先日、王婆さんが訪ねてきて言った。

 実は死に装束用の布を、ある金持ちにもらっていたのだが、今まで仕立てずに仕舞っておいたのだという。自分がいつあの世へ旅立つとも知れず、ちょうど吉日ということもあり、ふと思い立って潘金蓮に頼みに来たのだという。

 仕立て屋には何だかんだと理由をつけて断られた、という婆さんの悲しそうな顔を見た潘金蓮は思わず同情をおぼえたのだ。

 それに昼間は武大も商売に出て行っており、これといってする事もない。そこで、上手くできるかどうか、と言いながらも潘金蓮は王婆さんの頼みを引き受けたのだった。そして次の日から王婆さんの家で、早速仕立てにとりかかったという訳である。

 潘金蓮は日が落ちる前にその日の作業を終え、家へと戻った。

「どこかで酒でも飲んだのかい」

 ほんのりと赤い頬を見て武大がそう聞いてきた。潘金蓮は事情を話し、武大もそれは良い事だと言ってくれた。ただ婆さんに気を使わせないように、こっちの家で仕事をするように、とも言われた。

 なるほどと思った潘金蓮は翌日、そう申し出たが王婆さんは慌てたように引き止め、丁重にもてなした。それに潘金蓮も悪い気はせず、結局その日もそこで針仕事をする事になってしまった。

 そして三日目、仕立てもほぼ終わり、最後の日となった。

 いつものように王婆さんの家へ向かい、仕事を進める。王婆さんと世間話をしながら、潘金蓮は昼近くまで針仕事を続けていた。

 家の外で声がする。誰か訪ねて来たようだった。

 婆さんが迎えに出、男を連れて戻ってきた。

「お久しぶりでございます、旦那さま。奥さま、あたしに反物をくれたってのはこの西門慶の旦那なんですよ」

 新品の着物と頭巾でめかし込んだ西門慶が歩いてくる。風に乗ってほのかに良い香りがした。

 藩金蓮は、婆さんに紹介された男の顔を見て驚いた。いつか御簾を下ろす時に竿をぶつけてしまった男ではないか。思わず顔を赤らめてしまった。

「婆さん、こちらはどちらの奥さまで」

 まるで初めて会ったかのように飄々とした風に尋ねる西門慶。

 この狸め、と心中で毒づきながら、婆さんが潘金蓮を紹介する。

 その王婆さんの目は、年老いた狐のように狡猾だった。

 

 やっと会えた。

 毎日、思い焦がれていた女が目の前にいるのだ。

 この三日間がまるで永遠のように感じた。一日千秋とはまさにこの事か。

 普段どんな女の前でも臆することのない西門慶だったが、その時ばかりは胸の高鳴りを抑えることができなかった。女を知らぬ小僧でもあるまいし、と己を鼓舞し落ち着きを取り戻しすのに懸命だった。

 誰にも邪魔されない場所で潘金蓮と会えた。

 死に装束を仕立てて欲しいという事も、婆さんの家で縫うように仕向けたのも、すべてこの日のための計画だったのだ。

 お膳立ては済んだ。あとは自分の力次第だ。

 西門慶があの日の件を笑い飛ばし、王婆さんが西門慶をことさらに褒めそやす。潘金蓮は顔を布に向けたまま、ちらちらと西門慶を見ては目をふせることを繰り返していた。

 それを見た王婆さんが合図を出し、西門慶が懐から袱紗(ふくさ)を取り出した。高価そうな生地であった。

「もう仕立ても終わるでしょう。お祝いという訳ではないですが、お二人にご馳走させてください」

 西門慶はそう言って袋の中から五両ほど取り出し、婆さんに手渡した。

「あらあら、何もかもありがとうございます旦那さま」

 と王婆さんは酒食を整えに出て行こうとする。ところが潘金蓮は慌てて、そんな困ります、と何度も言った。しかし潘金蓮は立ち上がることもなく、王婆さんはにやにやしながらとっととどこかへ行ってしまった。

 残された西門慶と潘金蓮。金蓮は相変わらずうつむいている。そのうつむく顔も美しい。

 再び高鳴る鼓動を抑え、あくまでも粋な男を装う西門慶。

 やがて王婆さんが戻り、三人は酒を飲み始めた。

 王婆さんの口からは堰を切った奔流の如く、西門慶への賛辞が流れ出る。いかに粋な男かを滔々と語り、さらに西門慶の妾の話に及ぶ。

 西門慶は、なかなか良い女性がいなくて困っており、婆さんに何とか世話してほしいなどと言っている。潘金蓮は西門慶の視線を感じつつ、うつむきながら酒を飲んでいた。

 そして酒が尽きかけ、西門慶が追加するように頼んだ。

「もう結構ですわ」

 と潘金蓮は言うものの、やはり椅子から立ち上がる様子はない。王婆さんはそそくさと外へ行ってしまい、その場には再び二人が残された。

 西門慶が残った酒を注いだ時、袖が卓の上を払い、箸を落としてしまった。

 失礼、と言い西門慶が卓の下をのぞくと箸は潘金蓮の足もとにあった。

 すらりと伸びた細い足だった。蓮の蕾(つぼみ)のような可憐な足は掌に収まってしまうほどの小ささだ。思わず西門慶は優しくその蕾を包むように握った。

 びくっと潘金蓮が反応したが、逃げ出す様子も騒ぐ様子もない。

 酒のせいか、生まれ持っての性(さが)か、潘金蓮はとろりとした瞳を西門慶に向け、妖艶な笑みを浮かべた。

「あら、いたずら好きなお方ですこと、どうなさりたいの」

 その言葉に箍(たが)が外れた西門慶は、潘金蓮を抱き上げるとそのまま王婆さんの家の二階へと駆け上がった。すでに部屋を借りる話はつけてある。

 西門慶は素早く帯を解くと、寝台の上の潘金蓮に覆いかぶさった。

 家の裏手で、王婆さんがにたにたとしながら煙草をぷかりとやっていた。

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