top of page

愛憎

 公孫勝が見つからない。城内城外あわせて聞いて回ったのだが、誰ひとり公孫勝の居所を知る者はいなかった。

「いったい公孫勝どのは、どこにいるというのだ」

 地元の者に尋ねても、公孫勝の名さえ知らないようだ。世間では入雲竜の名が知れ渡っているというのに、どういう訳なのか。

 戴宗(たいそう)は困り果て、楊林(ようりん)もこうなればお手上げであった。

 あまり時間をかける訳にもいかない。さて、どうしようかと相談している時である。通りの向こうからざわめきが聞こえてきた。

「病関索(びょうかんさく)さまが来たぞ」

 その声を聞いて、通りを行く人々が駆けてゆく。

 戴宗と楊林の二人も興味を惹かれ、その方向へと行って見る事にした。

 群衆の視線の先に四人の男たちがいた。

 前を歩く二人は獄卒のようで、両手にたくさんの祝儀を持っている。一番後ろの男は鬼頭の刀を捧げ持っていた。そしてひと際目を引くのがその間にいた男であった。

 男は顔がうす黄色かったのだが、見事な藍色の刺青が彫られた堂々たる上半身をむき出しにしていた。

 楊雄(ようゆう)さま、病関索さまと人々が囃し立てている。

「あれは首斬り役人だな。あの楊雄とかいう男、たいした腕前だぜ」

 楊雄の服にある劊(かい)という字を見て戴宗が楊林にそう教えた。戴宗も牢役人あがりだ、見ただけで腕前が分かるのだろう。捧げ持った刀は首斬り用の刀という訳だ。人々の口ぶりからも、楊雄がいかに慕われているかが分かった。

 楊林が感心して言った。

「関羽の息子の関索か。たいした渾名ですね」

 楊雄は職務の帰りで、知り合いなどに祝儀をもらい、道を練り歩いている所だった。

 また別の一団が、楊雄に酒をふるまっていた時のことである。

「これはこれは、今日も機嫌が良いようですなあ、押牢節級どの」

 四、五人のならず者を引き連れた、誰よりもならず者のような顔の男が皮肉たっぷりに声をかけてきた。男は踢殺羊(てきさつよう)の張保(ちょうほ)という、薊州の守備兵だった。

「これは、張保どの。良ければ酒でもどうです」

 楊雄はそれを意に介さず、張保に微笑みかける。

「へへ、酒は結構だ。それより百貫ほど貸してくれねぇかな」

「百貫とは。お主とは知らない間柄ではないが、金を貸すほど親しくもないはずだが」

 じろじろと張保が楊雄を舐めまわすように見る。

「今日は、たくさん人さまから巻き上げたみてぇじゃねえか。百貫くらいどうってことねえだろう」

「巻き上げた、とは無礼な。これは人さまがくださったご祝儀だ。お主、わしを強請(ゆす)ろうという腹づもりか」

 さすがに楊雄も怒りをあらわにした。だがその時、張保が叫んだ。その声に合わせ、仲間のごろつきどもが楊雄に襲いかかった。

「貴様、なんの真似だ」

 楊雄は二人の者に両腕を押さえられ、身動きが取れなくなってしまった。突然襲われ、祝儀の品を奪われた獄卒たちは、恐怖のあまり逃げてしまった。

 ずい、と張保が楊雄の顔を見下ろすようにした。

「へへ、よその土地の者(もん)が、でかい面するからよ。あんまり舐めた真似すると、どうなるか、今日こそ教えてやるよ」

 張保が、すらりと腰刀を抜き放った。

 ああ、と群衆が悲鳴を上げた。誰もがその後の惨状を思い浮かべた。

「なんだ踢殺羊、羊をも殺すという自慢の蹴りは使わないのか」

 楊雄が臆せずそう叫んだが、張保は構わず凶刃を閃かせた。

 楊林が飛び出そうとした矢先、それを影が追い越した。

 影の主は、逞しい青年だった。青年は張保に指を突きつけ、怒鳴る。

「貴様、一人相手に汚い真似をしやがって」

「誰だお前は。お前には関係ない事だ。命が惜しけりゃ、あっちへ行っていろ、田舎者め」

 張保の言葉と同時に青年が動いていた。刀など目に入っていないかのように、張保に近づくといきなり殴り飛ばしてしまった。

 嗚咽(おえつ)を漏らし、地面を転がる張保。鼻からは血が流れていた。

 楊雄の腕を掴むごろつきも注意が逸(そ)れてしまった。それを見逃さず楊雄は、力任せに腕を振りほどくと、その二人を殴り飛ばした。

 楊雄とその青年は次々にごろつきどもを倒してゆく。その姿に人々は喝采を送った。

「覚えていろ、貴様ら」

 負けた悪人定番の台詞を吐き捨て、張保がほうほうの体(てい)で逃げてゆく。待てい、と楊雄がそれを追って行ってしまった。

 残された青年は、残ったごろつきを追い回していた。

「いやいや、大したお方だ。好漢どの、ここは我らに免じて、ここらでおやめください」

 楊林が拱手して青年に挨拶を送った。戴宗もその後ろで微笑んでいた。

 青年がごろつきを追いやると、拱手して応える。清々(すがすが)しい顔つきだった。

「これは、好漢などと買いかぶりです。こういう事を捨て置けない性質(たち)でして」

 ごろつきたちは悲鳴を上げ、どこかへと散っていった。

 捨て台詞を吐く余裕もないようだった。

 

「あなた方が噂に名高い神行太保どのと錦豹子どのでしたか」

 と立ち上がり再度、拱手の礼をとった。

「俺の名まで知ってくれてるとは、嬉しいね。とにかく、まあ座りなよ」

 楊林は笑って、酒を勧めた。あれから、三人は近くの居酒屋へと河岸(かし)を変えていた。

 青年は石秀(せきしゅう)と名乗った。生まれは建康府で肉屋をしていたが、父を亡くし店を閉めた。その後、叔父と共に馬や羊の商いをしていたのだが、これも伯父を亡くして元手をすってしまい帰るに帰れず、今は薪(たきぎ)売りをして口に糊しているのだという。

 話は必然、先ほどの大立ち回りの件になる。石秀は、だから拚命三郎(へんめいさんろう)などと呼ばれているのですよ、と恥ずかしそうに笑った。

「命知らずの三男坊か、そりゃあ的を射てるなぁ」

 楊林が嬉しそうに酒を飲む。

 戴宗が杯を持ち、目を細めた。

「あんたほどの男がここで果てるのを見るのは気が重い。良ければ、の話だが梁山泊へ来る気はないかい、石秀」

 石秀は、腰を浮かしかけたが、何とかそれを抑えた。

「梁山泊、ですって。そいつは」

 願ったりだ、と石秀の目が輝いた。

 石秀も梁山泊の噂は嫌というほど聞いていた。この国の有りようを憂い、民のために戦うべく集まった義に厚い好漢たちがひしめいていると聞いていた。

 また梁山泊が官軍を追い払った。その噂を聞くたびに、石秀の心も打ち震えたものだ。その梁山泊の誘いが、まさか自分にあろうとは。

 戴宗も、公孫勝が見つからぬ以上もう戻らねばならなかった。しかし、会えませんでした、ではさすがに顔が立たない。そこで、先の飲馬川や楊林と合わせて、ぜひとも石秀も手土産に、と考えたのだ。

 だが石秀が言葉を継ぐ前に、団体が店に入ってきた。

 それは、先ほど通りで大立ち回りをやらかした、楊雄という男と取り巻きたちだった。

 楊雄は石秀の方を見て、ここにおりましたか、と豪快に言った。どうやら石秀を探していたようだ。

 戴宗は楊林に目配せをし、席を立つと石秀に告げた。

「俺たちは、お上(かみ)とは反りが合わないんでこの場は隠れさせてもらうよ。もし梁山泊へ来る気があるなら、飲馬川へ来てくれ。少しの間、俺たちはそこにいるから」

 石秀が返事をする間もなく、戴宗と楊林は店の裏へと消えた。向こうからは楊雄が近づいてくる、追う訳にはいかなかった。

 飲馬川か、と戴宗の言葉を心に留め、石秀は楊雄に向きなおる。

「先ほどは差し出がましい真似をいたしました」

「何をおっしゃる。こちらこそお恥ずかしい所をお見せしました」

 楊雄はちらりと卓を見た。石秀のとは別に、杯が二人分置いてある。誰かいたようだったが。

「ああ、二人とも急用があるとかで、出て行かれました」

「そうか、それは残念だ。して御仁、あなたのお名前をぜひお聞きしたいのですが」

 石秀が畏(かしこ)まって名を告げ、薊州に来た経緯(いきさつ)を話した。楊雄は、それではぜひ義兄弟の契りを結ぼうと言ってくれた。

 楊雄は二十九、石秀はひとつ下。年の順で楊雄が義兄となり、石秀が四拝の礼をとった。

「たかが一年の違いだ。上下の区別なく、他人行儀なことは無しにしよう」

 楊雄が柔らかな笑みを浮かべた。

 父を亡くし故郷を出、さらに叔父まで亡くし、遠い地で天涯孤独の身だったのだ。はからずも戴宗と楊林という梁山泊の豪傑たちに出会う事ができた。

 さらに楊雄を助けたことで、義兄(あに)までできてしまうとは。

 石秀は嬉しそうに笑った。

 いつも飲んでいた酒が、ことさら美味(うま)く感じた。

bottom of page