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断罪

 流刑を言い渡されても、裴宣は表情を変える事はなかった。

「ふん、こんな時まで鉄面孔目か」

 そう言って府尹は鼻で笑った。後ろ手に縛られた裴宣の視線が府尹を貫いていた。

 う、と少したじろいだ府尹だったが、

「ええい、早く連れて行け」

 と蠅を払うかのように手を振った。

 裴宣が視界から消えて、ようやく府尹が安堵した。

 江州へ送った孟康を暗殺しろと命じた。しかし護送役人が戻って来ず、江州からは未だ到着していないという通達が来た。

 失敗したのだ。府尹も官の怖ろしさは重々承知していた。

 失敗の責を取らされる。左遷はまだ良い方で、島流しあるいは命さえ危うくなってくる。

 府尹は苦悩した。そこで裴宣に泥をかぶってもらう事を思いついたのだ。この京兆府で死罪にしていれば問題はなかったのだ。それを、法がどうのと小うるさい事を言うから、こんな面倒事になってしまったのだ。

 裴宣は江州までの移管を提案。しかしそれは途中で護送役人たちを殺し、罪人である孟康を救出するためであった。役人を殺したのは裴宣と共謀した盗賊の類(である。

 罪なき役人二名を死に至らしめ、罰するべき罪人を救助した裴宣を沙門島へ流罪とする。

 府尹は自らが考えた筋書きを思い出し、にんまりとした。

 これで少しは府尹への追及も和らぐだろう。あの鉄面孔目も追い払えて、一石二鳥という訳だ。

 なんだか疲れてしまった。今日はもう飲みたい気分だった。

「後は任せたぞ」

 府尹はゆっくりと立ち上がると、部屋から出て行った。

 汗で貼りついた、背中の着物が気持ち悪かった。

 

 裴宣の救出はあっさりと成功した。

 それもそのはずだ、護送役人が二人ついていただけなのだから。

 しかし、鉄鏈を構えた鄧飛に向かって、裴宣は決然と言い放った。

「その二人に罪はありません。命を奪う事は許しません」

 鄧飛は血走る目を見開いた。孟康も同じだった。

 許さない、だと。こっちが救い出してやろうとしているのに、こちらに命令するというのか。裴宣は枷をかけられながらも、堂々と背筋を伸ばし、立っていた。

 ひい、と悲鳴を上げる護送役人がその裴宣の陰に隠れる始末だ。

 はは、と思わず鄧飛は笑った。

「わかったよ。噂に違わぬ鉄面孔目ぶりだな、あんた」

 鄧飛が構えを解き、呆れたように両手を広げた。

 そして、孟康が体を折りたたむように頭を下げる。

「差し出がましい事とは思いましたが、あなたに恩を返したくて」

「む、お主はあの船大工。孟康と言ったか」

 孟康は裴宣の枷を外してやりながら、ここに到る経緯(いきさつ)を語った。

「あのまま江州に行っても、どのみち命は無かったでしょう。お二人には感謝の言葉しかありません」

 そのためだけに自分を助けたというのか。ただ己は法に忠実であれ、と行動したにすぎない。しかし、その法は裴宣を守ってはくれなかった。府尹は自分可愛さに、法を捻じ曲げ悪用したのだ。

 法が大事なのではない。法を扱う人間が大事なのだ。

 裴宣は、鉄面孔目と呼ばれる固い表情を、少しだけ緩めた。

「こちらこそ礼を言う。ありがとう孟康、それと」

「鄧飛だ」

 裴宣と目があった鄧飛がそう言って片手を上げた。

 護送役人には金を握らせ、裴宣は山賊に襲われて死んだ、という報告をさせる事にした。府尹も、裴宣を救い出そうとしている者の事など知る由は無かったし、護送役人も命が助かるなら、と約束してくれた。あとは彼らを信じるしかないだろう。

「お見事でした」

 登雲山へと向かおうとした三人の前に、あの北京の大旦那の使いが現れた。

「おう、ありがとうな。旦那さまにもよろしく伝えてくれや」

「皆さまには、一度大名府へ戻っていただきます」

「ん、楊林が戻ってきてるのか」

「いえ、楊林どのはおりません。しばらく会えなくなると思います」

 あん、と鄧飛が男を睨んだ。裴宣を救出した今、あとは楊林が待っているだろう登雲山へと行くだけだ。

 一体、何の用があるというのだ。

「良いでしょう。私が救われたのも、その方のおかげとも言えます。どこへ行っても同じです」

 裴宣がそう言うならば、と孟康もそれに同意した。

「お手数おかけします」

 と微笑む男の背を、鄧飛はずっと睨んでいた。

 断る事などできなかったのだ。裴宣と孟康が気付いているか分からないが、自分も含めて、この場にいる誰よりもあの男は強い。それも圧倒的な強さを秘めているのを、鄧飛はびりびりと肌で感じていた。

 会えるのか。この男さえも従える旦那さまとやらに。もし会えるのならば、一体どんな人物なのか確かめてやろう。

 その前に、確かめたい事がもう一つ。

 鄧飛は鉄鏈を揺らし、半歩足を動かした。

 突如、男が振り返り、鄧飛を見た。

 ぴくりと、鉄鏈を掴む鄧飛の手が止まる。

「さ、鄧飛どのもこちらへ」

 男がにこりと微笑んだ。

 やはり、強い。

 さりげなく攻撃を仕掛けようとしたが、すべて読まれていた。

「わかったよ。地獄でも何でも行こうじゃねぇか」

 諦めたように鄧飛が大きく息を吐いた。

 

「結局その旦那の顔を見ることはできなかったのだが、ここ飲馬川に寨を構えるように言われたのだ」

「なるほど、いくら待っても来ない訳だ」

 裴宣の説明に、楊林は怒るでもなく笑った。

「すまなかったな、楊林。話すも何も、連絡のしようが無くってな。それにお前も知っているような口ぶりで、あの男が言ってったんでな」

「謝る事はないさ。お互い無事だったんだ、それで良いじゃないか」

 鄧飛が詫び、楊林が笑って杯を干す。

 戴宗も杯に口をつけると、少し居住まいを正した。

「で、裴宣どの、梁山泊を待っていた、というのは一体」

「うむ、あまり詳しくは言えぬのだが、梁山泊の力になるために我らはここで力を蓄えていたという事だ」

 ふむ、それもその旦那さまとやらが絡んでいるのだろう。しかし詳しく言えないという事を掘り下げる事もあるまい。

「なるほど、そいつはありがたい事だ。晁蓋の兄貴も大層喜ばれることだろう」

 いま船の建造には馬麟が就いているが本職ではない。船大工である孟康の加入は喉から手が出るほどだ。

 人が増えると問題も増える。それをまとめるのに文官であった裴宣の力も必要になるだろう。もちろん鄧飛も第一線で活躍できる豪傑だ。

 思わぬところで手土産ができたものだ、と戴宗は手を叩いて喜んだ。

 飲馬川は三百もの大所帯だった。裴宣らは準備していたとはいえ、すぐに動ける訳ではない。戴宗と楊林が公孫勝を迎えに行く間に、出立(しゅったつ)の準備をする事になった。

 戴宗と楊林は再会を約し、薊州(けいしゅう)を目指した。

 さらに遼国の領内奥へ向かう事になる。

 戴宗は気を引き締めると、荷袋から札を取り出した。

 待ってました、と楊林が笑った。

 

 

 

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