108 outlaws
慕情
二
二騎が並んで駆けていた。馬を駆るのは共に、精悍な若者だった。
二十年ほど前の、晁蓋と盧俊義であった。
呉用もまだ東渓村におらず、宋江は青州にいた頃の事である。
晁蓋が笑顔で問いかける。
「なあ、あとどれくらい、ここにいるんだ」
「さあな、分からん。飽きるまでいるかもな」
「そうか、飽きるまでか」
この土地にか、それとも晁蓋という人間にか、それは聞かずにおくことにした。
はっ、と馬に鞭をくれ、盧俊義が速度を上げた。晁蓋はその背中を眩しそうに見つめていた。
盧俊義が東渓村へ来て、何日経っただろう。
北京大名府の商家の息子で、商売を勉強するため東京開封府にしばらく滞在していた。
その帰りの事である。
北から賊が東渓村へやってきた。騎馬と歩兵あわせて二十ほどだろうか。
だが村の入り口に一人の男が立ちはだかっていた。
それが晁蓋であった。晁蓋は朴刀を手に、笑みさえ浮かべていた。
「来たか、賊ども。村に入りたくば、この俺を倒してゆけ」
はじめはへらへら笑っていた山賊も、五人ほどが倒され、やっと尋常ではない事態に気付いた。
そこに行き会った盧俊義が加勢に入った。手には鉄の棒。
商人の家だったが盧俊義は武芸にも興味があり、しかも才能があった。
「余計なお世話だったかな」
「いいや。旅の人、感謝する。もし無事で済んだなら、酒でも奢(おご)らせてくれ」
「それでは、首を落されんようにしなければならんな」
ははは、面白い男だ、と晁蓋が飛び込んだ。盧俊義も続いて棒を回転させた。
やがて剣戟の音が止み、賊の骸が道に転がった。
晁蓋と盧俊義は背中合わせに、地面に腰を下ろしていた。ふたりとも息が荒かった。
盧俊義が喘ぎつつも言った。
「喉が、乾いたな」
「約束通り奢るさ。あいにく肴がないのが残念だ」
「肴なら、ちょうど俺が持っている。商売用だがな」
二人は笑い合った。
うららかな陽射しが心地よい午後だった。
「役人どもは民を、俺たちを守ってはくれん。だから自分たちの手でやるしかないのだ」
ぐいっと杯を空け、晁蓋が胸を叩いた。
盧俊義も杯を空けた。確かに晁蓋の言う通りだと思った。
晁蓋は東渓村の保正の家に生まれた。父を尊敬はしているが、役人たちの態度には思うところがあるようだ。
ひとりで賊を迎え討とうとしたのもその表れだった。盧俊義も父の跡を継ぐ身であり、役人に対しては同じ考えを持っていた。
盧俊義は晁蓋という男が気に入った。帰りの日を伸ばし、東渓村にしばらくいることを決めた。
二人が親しくなるのに時間はかからなかった。
「何か大きな事をしでかしたいものだな。役人たちにひと泡吹かせるような、でかい事だ」
「あまり声高に言うものではないぞ。壁に耳ありだ」
「お前はそう思わんのか」
「思うさ。役人どもは好きなだけ税を絞りとりやがる。父がどれだけ苦労しているか、目の前で見てきたのだ。だから俺は役人どもにおもねる事のない、大商人になってみせる」
「なるほど。成った暁には、美味い酒でも馳走してもらうとしよう」
「酒だけで良いのか。お前が成った暁には、この俺が支援をしてやるよ。ただし俺がすごいと認めた時だ」
「何をすれば、認めてくれるのだ。たとえば」
「たとえば」
二人はそれ以上言わず顔を見合せ、にたりと笑うだけだった。
ある日、盧俊義が遠乗りから戻った時である。
東渓村へ向かう道で賊を目撃した。その賊たちは旅芸人の一団に目をつけたらしい。見るとあの時の賊のようだった。
「懲りない連中め」
あいにく晁蓋は留守だった。盧俊義は棒を構え、馬を駆けさせた。
賊の怒号が聞こえる。旅芸人たちに車から降りろと命じているようだ。
一人の青年が降り立った。華奢で端正な顔立ちだった。
賊のひとりが青年の腕を掴んだ。次の瞬間、その賊が地面に叩きつけられていた。青年は何事もなかったような、涼しい顔をしていた。
賊たちも、盧俊義も何が起きたか分からなかった。
正気に戻った賊たちが一斉に斬りかかった。青年は、徒手にもかかわらず、焦ることなく軽やかに動いた。
ほんの少し、腕を振る。ほんの少し、体を捻る。それだけの動きで、次々に賊たちが転がった。
盧俊義は目を見張った。もはや加勢は邪魔なだけだと思った。
まるで演武のようになめらかで美しい動きだった。盧俊義はその動きに見蕩れてしまっていた事に気付いた。
賊たちがほうほうの体で逃げだした頃、旅芸人の後続の車が追いついてきた。後ろの車から男が飛びおり、駆け寄ってくる。
「大丈夫か、小燕子(しょうえんし)。怪我はないか」
小燕子と呼ばれた青年は、たおやかに男に頷いた。
「はい、大丈夫です。賊たちはもう逃げてゆきました、大哥(たいか)」
大哥(にいさん)と呼ばれた男は、それでも心配そうな顔だった。
ふと小燕子がこちらを向き、頭を下げた。
盧俊義は、馬から降りることも忘れ、小燕子に魅入っていた。
その旅芸人の一座は、ほど近い鄆城県に逗留することになった。
晁蓋と盧俊義は早速見に行くことにした。
「楽しみだな。その小燕子とやらが」
晁蓋は満面の笑みだったが、盧俊義は、うむと仏頂面で言うのみだった。
「なんだ、そんな顔をして」
「いや、そう言う訳ではない。俺も楽しみさ」
ははは、さあ行こう。と晁蓋が盧俊義の背中を叩いた。
はじめに小唄などが披露された。その後、器楽が鳴らされ劇の幕が上がった。
内容は、謎の人物に親を殺された小燕子が、ひょんな事から出会った武芸の達人に弟子入りし、仇を求めて旅をするというものである。
小燕子とは役の名だったのだ。
盧俊義は、先日と同じようにやはり見蕩れた。
武芸の技はもちろんだが、その演技に見蕩れてしまった。迫真の演技に観客も、自分の事のように感情移入してしまっていた。
親のために小燕子が泣くと観客も涙し、仇を憎めば観客も拳を上げて声を張った。
修行が厳しく諦めかける小燕子に、観客は声援を送り、ついに仇を倒した時には、会場が一体となって歓喜の声を上げた。抱き合って泣いている者たちまでいた。
「おいおい。こいつは大したものだな」
晁蓋さえも食い入るように熱中している。
最後の場面である。小燕子が親の墓を訪れ、復讐の報告をする。そして小燕子がくるりと回り、衣装が一瞬にして変化した。
そこに現れたのは美しい少女だった。
盧俊義が目を見開き、思わず立ち上がった。
晁蓋は腕を組み、なるほどとうなずいていた。
なんと小燕子は男装をした少女だったのだ。
その日の興行が終わり、晁蓋と盧俊義は幕屋の外にいた。
「いやあ、観(み)に来てくれてたんですね。ありがとうございます」
挨拶に出てきた小燕子は姿も、喋り方も青年のものに戻っていた。
盧俊義が晁蓋を紹介する。小燕子は屈託のない笑顔で、挨拶をした。
「おい小燕子、ここにいたのか」
幕屋から出てきたのは、大哥と呼ばれていた男だ。大哥は二人を見るとあからさまに怪訝(けげん)そうな表情になった。
小燕子は盧俊義を示した。
「大哥。あの時、助けてくれた人です。覚えておりますか」
「あの時は、お前ひとりで追い払ったんだろ。この人はなにもしていない」
「いいえ。いつでも加勢に入れるようにしてくれていたんです。だから私も力が発揮できました」
大哥の言うとおりだった。盧俊義は何もしていない。助太刀どころか、小燕子に見蕩れ、それを忘れるところだったのだ。
「まあ、それでもいいさ。とにかく、明日もあるのだ。今日のところは早く休んでくれ」
大哥が急かすように言う。
分かりました。そう言って小燕子が盧俊義と晁蓋に拱手をした。
「お二人にお会いできて本当に良かった。しばらくこの街におりますので、いつでも遊びに来てくださいね」
そしてにこりと微笑むと、幕屋へと消えた。
その笑顔は、あの美しい少女のものでった。
盧俊義はその笑顔に、胸がむず痒くなるのを感じた。
「おい、お前たち」
大哥が睨むようにしている。
「小燕子はああ言ったが、もう来ないでくれ。彼女は誰にでも優しすぎてね。勘違いする輩が多いのさ。お前らも、一緒さ」
小燕子の前とはがらりと態度を変えた大哥だった。あまりの物言いに、むっとした盧俊義だったが、その袖を晁蓋が引いていた。
晁蓋が、やめろという顔をしている。
冷静になって大哥を見た。
大哥は無造作に立っているだけに見えた。だが盧俊義の足が、前に出ることを拒否していた。とてつもなく、強い。
盧俊義は大哥を睨み返すだけで精一杯だった。
「分かったな。もう来るなよ」
ふいに感じていた気配が消え、大哥も去った。
ふたりは東渓村に戻り、酒を飲んだ。
盧俊義が嬉しくなるほど、晁蓋が小燕子の芝居を手放しで褒めていた。
もう来るな、という大哥の言葉がふいに浮かんだ。
だがすぐにその言葉をかき消すように、小燕子の顔が浮かんできた。