108 outlaws
慕情
一
「おいらにやらせてください」
白勝が頭を下げていた。その前には宋江と呉用。
「危険な任務なのですよ」
呉用の目は、どこか冷ややかだった。
白勝の目の前で晁蓋が射られた。自分が代わりに当たっていれば、と漏らしていたという。だがそんな自暴自棄な考えでは、仲間を危険にさらしてしまうことになる。
だが、それを見返す白勝の目には、確固たる決意があった。
呉用は宋江を窺った。宋江は静かに頷いた。
「良いでしょう、白勝。わたしにも何が出てくるのか、どうなるか分かりません。無理ならば、構わずにやめてください。分かりましたね」
「へへ、ありがとうございます。しかし、呉用どのの言葉とは思えませんね。無理ならやめろなんて」
「白勝」
「へへ、すんません。分かってますよ、呉用どの」
呉用は呆れたように笑い、矢を白勝に手渡した。
史文恭とは何者なのか、それを探る任務である。
史文恭は明らかに晁蓋だけを狙った。晁蓋に当たった矢にのみ、毒が塗られていたからだ。
梁山泊に勝つためならば、全てが毒矢でもおかしくはない。
なにか晁蓋に恨みを持っていたのだろうか。だから射たのは史文恭だと示すため、名を刻んだのか。
もしくは高俅や蔡京などが放った刺客だとも考えた。しかしそれでは曾頭市にいる理由が分からない。祝家荘(しゅくかそう)からの刺客のように、梁山泊に直接入りこむのが一番早いからだ。
史文恭を探る一歩として、呉用は東京開封府を選んだ。
呉用も宋江も、晁蓋の過去を深くは知らなかった。
しかし先日、呉用が北京大名府へ赴き、盧俊義という豪商と晁蓋との繋がりが確実となった。そして易者となった呉用の言葉に導かれ梁山泊へと足を向けるだろう盧俊義が、聞いて答えてくれるはずがないことも分かっていた。
そこで目をつけたのが、東京開封府の支店である。その支店は盧俊義の親類が経営を任されているという。そこから何か情報を探ろうというのだ。
しかし開封府には高俅をはじめ、梁山泊を良しとしない者たちの目が光っている。白勝だけでは危険だと言えた。そこでもう一人、選ぶことにした。
楊志や魯智深、林冲などは開封府に詳しいのだが、いかんせん追われる身であり、面も割れている。
そこで楊志がある男を推挙した。
操刀鬼の曹正である。
「わしが、ですか」
と当人は困惑気味だった。だが曹正はかつて開封府に住んでいた。それに面も割れてはおらず、市井に紛れこむにはもってこいの肉屋でもある。
楊志が言うには、二竜山を奪取した時のような機知も持っており、林冲の弟子だったという腕っぷしも持ち合わせていた。
「おいおい、おいらなんかいらないんじゃないですかい」
などと白勝が本気で心配するほどだった。
曹正は、開封府に来た商人。白勝はその下男ということになった。
普段着ないような少し派手めの衣装を着た曹正は、その恰幅の良さも手伝って、見事な大旦那になった。白勝は行李と包みを背負った。その中には絹織物や銀細工、玉の工芸品などが納められている。
数日後、ふたりは開封府にいた。
城内に流れる汴河に架けられた天漢橋を渡る。大相国寺を過ぎ、馬行街へ向かう途中、道の先が騒がしいのに気付いた。
騒ぎの中心に派手な着物の若い男がいた。その前にいる女性になにやら言い寄っている様子だった。それを手下のちんぴらのような者どもが囲み、通行人を睨みつけては近寄らせないようにしていた。
白勝と曹正は側へと行った。若い男の声が聞こえた。
「なあ、良いだろう。ちょっと遊ぼうぜ」
「やめてください。恥知らずな人ですね。わたしには夫がいるのですよ」
「旦那が何だってんだ。ちょっと遊びに行くくらい、どうってことはないだろう」
若い男がにやけ顔で女性に近づいてゆく。周りの手下どもも下卑た声で囃し立てる。女性の悲鳴が大きくなる。
曹正と白勝は同時に駆けていた。
「おい」
なんだ、と振り向いた手下は、それを言うことなく吹っ飛んだ。
曹正が拳を握っていた。その太い腕が、次々に手下たちを殴り飛ばしてゆく。
「なんだ、全然張り合いのない奴らだな」
勢い込んでいた曹正がそう言う頃、白勝は若い男の前にいた。
「な、な、なんだお前らは。邪魔をするな、お前らは俺を、誰だと思って」
若い男はうろたえつつも虚勢を張った。そして白勝を見た途端、見下したような目になった。
「ふん。お前が俺の相手をしようってのか」
「悪かったな、おいらが相手で」
言うが早いか白勝の拳が鳩尾に食い込んだ。
おげえ、と悲鳴とも嗚咽ともとれる音を吐き、若い男は腹を押さえひっくり返った。
「青っ白い若造相手にゃ、これを使うまでもねぇ」
白勝はそういって腰に佩いた刀を叩いた。
曹正が、同じく転がっている手下たちに、とっとと消えろ、と命じる。
若い男は悶えながらも助け起こされれ、手下とともに消え去った。去り際に恨みがましい視線を二人へ送っていた。
「ありがとうございます。ですが」
女性は助けてくれたことよりも、曹正と白勝の事を心配なようだった。理由を聞くと、二人は笑いだした。
「なるほど、あいつが花花太歳って訳かい」
「ふふ、林冲に申し訳ないことをしたのう」
女性は意味が分からずに、きょとんとしていた。
「ああ、すまねぇ。こっちの話でして。しかし、あいつが高衙内なら余計なことをしちまったかね。あんたに、とばっちりがあるかもしれねぇ」
だが女性は気丈に笑う。
「いいえ、助かりました。本当にしつこくって。このままなら、私が殴り飛ばしていました」
その言葉に曹正と白勝は弾けるように笑った。
女性はお礼がしたいと、二人を家に連れてきた。夫は店をやっているのだという。
馬行街の中にその店はあった。少し見ている間だけでも、何人もの出入りがあった。繁盛しているようだ。
下男が出てきて、待っていた二人を奥へと通す。すぐに夫が出てきて深く頭を下げた。
「このたびは妻を助けていただき、本当にありがとうございます」
誠実そうな顔で、目尻がやや下がっており、人の良さが滲み出ていた。
「わしは曹という者。開封府に商売にやってきたところ、その場面に出くわしましてな。義を見てせざるは何とやら。思わず体が動いてしまった次第で」
と曹正が頭をかいて笑う。
「商売をなさっているとは、これも何かのご縁。ぜひともお話を伺いたい。ああ、申し遅れました、私は盧成と申します」
「これは盧成どの。こちらこそよろしくお願い申し上げます」
「ここは、北京大名府にある店の支店なのです。本店の親類から任されているのですが、まだまだ大きくしたいと思っているのです」
「ご親戚ですと。もしや北京の盧と言えば」
「やはりご存知でしたか。親類とは、玉麒麟とも呼ばれる盧俊義どのなのです」
曹正は思わず白勝と顔を見合わせた。
「いやはや、知っているも何も、私はあなたに会いに来たのですから。この出会いも、太歳(たいさい)転じて福となすという奴ですな」
「まったくです」
盧成が屈託なく笑った。
高衙内が怪我をして寝込んでいるという。
林冲の一件で、人妻はすっかり懲りたと思ったのだが、喉もと過ぎればと言う奴だ。
「何とかしてくれよ。あいつらをぶっ潰してくれよ。そうしないと俺は死んじまうよ」
高衙内が泣きついてきたが、高俅とてそれほど暇ではなかった。梁山泊の他にも賊が次々と現れ、国境の外では遼に続き、金が勢力を増してきている。
こっちの方が胃が痛くなるわい。もう手に負えない、と高俅は放っておく事にした。
だが、
「そうだ、きっとあいつらは梁山泊の一味なんだ。林冲の手下か何かで、俺を殺しに来たんだ。そうに違いない」
という言葉に眉を上げた。
まさか。そんなはずはあるまい。わざわざ高衙内を殺すために、開封府にまで危険を冒して忍び込むとは考えられまい。
いや、まさか。高衙内ではなくて、自分の命を狙っているとしたら。
林冲に槍を突きつけられる夢を思い出し、高俅の胃がきりきりと痛んだ。
「自分の事くらい、自分で始末をつけんか。もういい歳だろうに」
高俅は、高衙内を突き放すことにした。
ただ念のために、身辺の警備だけは強めておこうと決めた。
盧成が、盧俊義からの手紙を読んでいた。本人ではない、蕭譲の手によるものである。
この曹という商人はなかなか信頼できる者だから云々、ということが書かれている。
「なるほど。分かりました。あなた方は、梁山泊の方々という訳ですね」
盧成が手紙を畳みながら微笑んだ。
白勝の笑顔が消えた。曹正はあくまでも微笑んでいた。
「なにを、唐突に。私たちがどうして、梁山泊などと」
三人の間に静寂が流れる。蝉の声がかすかに聞こえる。
「盧俊義どのに、何かありましたね」
盧成が静かに言った。曹正の笑みがここで消えた。
盧俊義は常々言い聞かせていたという。どんなことがあろうと、手紙を見ず知らずの誰かに託すことはないと。何か連絡があるのならば燕青を使いに出す、とも決められていたという。
そしてその燕青が、先日やってきた。盧俊義の手紙を携えていた。
これより先、知らぬ者が訪ねてきたならば役人か、もしくは梁山泊のものと思え、と。
「花花太歳を殴ったと聞き、梁山泊に違いないと思った次第です」
「なるほどねぇ。一手先を読まれていたって訳ですかい」
白勝がにやりとし、もう下男の態度をやめていた。
「さすがは盧俊義どのと言いたいところだが、わしらもここで帰る訳にはいかんのだよ」
「そうでしょうね。開封府にまで名を轟かせる梁山泊です。私もただで終わるとは思っておりませんよ」
曹正は唸った。なるほど人の良いだけの男かと思ったが、なかなか肝が据わっている。
もっともそうでなければこの開封府で店を任されたりはしないか。
「いいでしょう。わしらも腹を割って話をしたい」
「何なりと」
「その盧俊義どのなのだが。梁山泊が頭領、晁蓋どのとかつて関わりがあったというのだが」
「亡くなったと聞きましたが」
「その通りだ。我らはその仇を討たねばならぬ。だがそのために、二人のつながりを知る必要があるのだ」
「なるほど。実は私も盧俊義どのが梁山泊に支援していた事を、燕青から聞かされたばかりなのです」
盧成は腕を組み、天井を仰ぎ見た。目を瞑り、眉間に皺を深く刻むとゆっくり息を吐いた。
「私も、盧俊義どのと一緒にいた時期がありました。ですが、全てを知っている訳ではありません。手掛かりになるかどうかも分かりません。ですが妻を助けてくれた礼もあります。少しだけお話しいたしましょう。」
盧成は当時を懐かしむように語りだした。