108 outlaws
因縁
二
日は瞬く間に落ち、月が東に上ってきた。
寂寥たる山道を武松は一人歩んでいた。
聞こえるのは微かな風の音と、それに揺れる葉の音のみ。ところが、ふと武松は人の声を耳にしたような気がした。
顔をあげ、見まわすが人の気配などない。
気のせいか、と山道を歩きだすと再びそれが聞こえた。やはり誰かがいるようだ。
目を凝らすと松林の向こうにかすかな光が見えた。どうやらその方向から声が聞こえてくるようだ。
草葺きの庵(いおり)だった。十間(じっけん)ほどだろうか。
丁度良い、今夜はあそこで宿を借りようと武松が近づいてゆく。
窓から二つの人影が見えた。ひとつは男、もうひとつは女だ。
男は道士のような服を着ており、嫌がる女の肩を抱き、酒を飲んでいた。
ふいに女が道士の手を払い、逃げ出そうとした。
だが道士は、いつの間にか手にしていた刀を女の喉元に突きつけた。刀の先端が喉を切り、血が垂れた。女はそれ以上動けず、道士はそれを見てげらげらと笑っていた。
武松は駆け出していた。首の数珠がからからと鳴っている。
門を激しく叩く武松。だが門は固く閉ざされており、反応がない。
あの道士しかいないのだろうか。武松は門を壊さんばかりに激しく叩き出した。
「こんな夜中にうるさいな。一体何の用だ」
門の横手の扉が開き、ひとりの童子が現れた。童子に似つかわしくない言葉使いと表情で武松を見ている。
次に童子が動いた瞬間である。武松も動いていた。
武松は戒刀を横に薙ぎ払っていた。
ごとりと童子の首が落ちた。
首の落ちた童子はいつの間にか、短刀を手にしていた。
その短刀が、武松の喉元を皮一枚切り裂いていた。ゆっくりと崩れ落ちる童子。
童子の血を吸った刀がひゅうひゅうと口笛のような音を立てていた。
騒がしいな、と道士は女をその場に残すと様子を見に外へ向かった。そして道士は童子の首が落ちるのを見た。道士は怒り、両手に刀を握りしめた。
「この外道が、子供を手にかけおって」
手にした二本の宝刀がきらめいた。武松は焦ることなく、それを二本の戒刀で受け止めた。武松が刀を弾き、両者が距離をとった。
「見たところ道士のようだが、こんな辺鄙な場所で女と酒盛りとは、どういう事かな」
武松が右足を一歩前に出す。
「どこで何をしていようと、貴様の知ったことではないわ。貴様こそ、その凶暴な風貌、とても僧とは思えないのだが」
道士も右足を前に出し、斜(はす)に構える。
ふたたび斬り合いが始まった。月光の下、四本の刀が寒光を迸らせる。
急峻な足場をものともせずに駆け巡る道士。つかず離れずを繰り返し、刀を振り回す。どれも決め手にはならないが、武松も間合いに入れずその刀は空(くう)を切るばかりだ。
道士の刀を避け、足を下げた。
思わず、武松は後ろを振り向いた。すぐ後ろには断崖が口を開けて待っていた。
「これで終わりだな。せめて名前だけでも聞いてやろう」
にやりと笑う道士に、武松は無表情で答えた。
「俺は一介の行者に過ぎん。名乗る名など無い」
「なるほど。ではこの王道人(おうどうじん)さまがお前の運命を占ってやろう」
じりじりと間合いを狭める王道人。武松は呼吸を整え、軽く腰を落とした。
「お前の右腕は切り落とされるだろう」
その言葉と同時に、王道人が左手の刀で刺突を送る。武松はそれを受けようとはせず、右手を開くと戒刀を放した。そしてすぐさま握りなおすと、その右拳を王道人に打ち込んだ。拳は王道人の顔面に突き刺さった。
ぶふっと歯を飛び散らせながらよろめく王道人。武松の持つ左手の戒刀が鳴き出した。
そして一閃。王道人の首が宙に舞っていた。
「すまんな、刀にはあまり慣れていなくてな」
落とした刀を拾い、鞘に収める。
武松の右腕にはかすかに刀傷が残っていた。
蜈蚣嶺(ごしょうれい)という山だという。王道人はここを根城とし、飛天蜈蚣(ひてんごしょう)と名乗っていたという。
王道人に捕らわれていた女は、この山の麓の張太公の娘であった。
娘は語る。ある日、王道人が地相見や占いの大家という触れ込みで家にやってきた。丁度、墓地のための土地を探していた太公は、王道人に頼むことにした。
娘は王道人を信じず、家から追い出そうとした。
「良い墓地を探さなければ、この家に災いが降りかかろう」
そう王道人が占った。娘ははったりだと決め込んだが、翌日、庭に大量の鳥が落ちていた。これで張太公はすっかり王道人の事を信じてしまい、娘の言葉には耳を貸さなくなってしまった。
その時、王道人は一人だったが、今思えばここにいた童子がすべて演出していたのだろう。かくして王道人は墓地探しなどする気配も見せずに主人のように振る舞い出した。
それが数カ月続き、さすがに業を煮やした張太公だったが、王道人はまたも不吉な予言をした。
「この私を邪険に扱うと、ご家族の命が危うくなるだろう」
そして占いは当たった。いや王道人と童子が占い通りに実行しただけだ。
用事で外へ出ていた娘以外が惨殺された。父も、母も、兄とその妻も。そして娘はここに連れてこられたのだという。娘は目に涙を浮かべて、言葉を詰まらせた。
武松は草庵で話を聞いていた。行者の姿は借り物である、という事は伏せておいた。すべてを失った娘へのせめてもの優しさだったのかもしれない。
娘は農家をやっている親戚を頼ると言った。肉と酒で腹を満たし、武松は王道人と童子の亡骸を庵に放り込むと火をつけた。
闇を払うかのように、音をたてて草案が炎で明るく燃えだした。あっという間に庵は燃え尽き、二人は蜈蚣嶺を下って行った。
娘は武松に礼を言うと去って行った。まだ夜は明けきらない。
歩き出した武松は、刀を抜いて眺めた。
しかし刀は、夜の闇のように静かなままだった。