108 outlaws
招安
二
北が騒がしい。
遼国が、宋の国境を頻繁に越えてくるようになっている。
梁世傑率いる北京大名府軍が水際で抑えているが、これは由々しき問題だ。
これには蔡京も危険な兆候だと見ている。
「金との交渉はどうなっておる、童貫。順調と言っておったが」
「は、はい。なかなか金が首を縦に振らぬようですが、直に良い返事を持って帰るかと」
「前にもそう言っていたではないか」
童貫が首を竦める。
金とは、遼国の契丹族に従属していた女真族が興した国だ。求心力のある族長の下、めきめきと力をつけている。その金と組んで、遼を挟撃しようという盟約を結ぼうとしているのだ。
「童貫どの、自ら出向いてはいかがですか。百戦錬磨の枢密を相手にすれば、蛮族の長を従えるなど造作もないことでしょう」
王黼が皮肉たっぷりに言った。童貫は答えずに、敵意をむき出しに王黼を睨んだ。
いつもの密議の部屋、この場に高俅の姿はなかった。
梁山泊に敗れ、捕らえた人質を屋敷からまんまと逃してしまった。それ以来、腑抜けたようになってしまった。かつての野心あふれる姿は見る影もなかった。
そんな高俅を蔡京は見限った。そして代わりに王黼を据えたのだ。
さらに言いたそうな王黼だったが、蔡京の視線を感じ、口を閉じた。
何故こいつを連れてきたのか。童貫は苦々しい顔をする。だが梁山泊戦の敗北が露見した今、童貫の立場は危ういものとなっている。ここは耐えるしかない。
一方の楊戩も面白くない。梁山泊を壊滅させるどころか、その存在を認めたまま招安まで決定してしまったのだ。
「まだ課題はある」
蔡京が口を開いた。
梁山泊と共に四賊とされている、残りの動向だ。
河北では田虎という猟師上がりが、威勝から昭徳、陵川を支配下に治めている。北京大名府があるからか、東ではなく西へと勢力を拡大している。陵川からすぐ南は東京開封府だ。これ以上の拡大は看過できない。
淮西の王慶は房州房山の賊だったが徐々に北上し、いまや西京河南府から南一帯を占領しつつある。王慶は昔、童貫の姪を手篭にしていた。そのため童貫は王慶をすぐにでも討伐したいと考えている。これまでは情勢が許さなかったが、遠からずその機会がやってきそうだ。
江南の方臘が、もっとも厄介である。花石綱に反対を唱え、人心を掌握して版図を拡大し続けている。またそれには喫菜時魔を利用しているとされる。太平道、五斗米道の例のように、宗教と絡んだ反乱は国を傾けるものとなりうる。
こうしている間にも彼らは大きくなってゆく。しかし今の官軍に全てを相手にできる力は無いのである。
「梁山泊を使えば良いでしょうに。せっかく招安させるのだから、使わない手はありますまい。毒を以て毒を制すというやつですよ」
王黼が、分からないのかという口調で言った。蔡京の眉間の皺が深くなる。そんな事は重々承知の上だ。
「下手に勝たれて、奴らに手柄を立てさせる事はできん。この度の招安は異例中の異例なのだ」
梁山泊に領土を認めての招安など、気が狂ったとしか言いようがない。その事を考えるだけでも、腸(はらわた)が煮えくりかえるのだ。
それでも王黼は涼しい顔をしている。
「あなた方が、いつもしていたようにすれば良いではないですか」
「何の事かな」
「できなければ、私が考えても良いのですが」
蔡京と王黼の視線がぶつかる。しばしそうしていた後、蔡京が言った。
「ならばお主の策をまとめてくるが良い。どれほどのものか見てやろう」
「それは恐悦至極にございます」
ぴりついた空気のまま、散開となった。
廊下の先の王黼を背を、楊戩が見つめていた。
あの時、蔡京の方から目を逸らした。確かにそうしたように見えた。
楊戩は目を細め、考える。
「宰相どのも、潮時か」
思わず声に出してしまったそれを、慌てて飲み込むように口を押さえ、そそくさとその場を後にした。
艮岳と呼ばれる広大な庭園に、帝と宿元景の姿があった。
太湖から艮岳造営のために運ばれた奇石を、帝が眺めている。やがて満足したのか、別な方向へ足を向けた。
帝が近づくと、周りで鳥たちが飛び立つ。奇石や珍木でできた風景と相まって、まるで仙界にでも迷い込んだようだ。
「梁山泊には面白い者どもが集っているな」
はい、と宿元景が同意する。
百八人の頭領をはじめ、梁山泊に関する事柄を宿元景がまとめた。ただの山賊ではないと帝も理解したようだ。
舞う鳥たちを眺めながら、思い出すように呟いた。
「聖手書生か。聞けば、宋江を救い出す偽手紙のために蔡宰相の文字を真似たとか。しかも、印の件がなければ息子にも見破れなかったというではないか。その印を彫ったのが、玉臂匠。この者も、本物と紛うことない印を彫る腕を持っているのだな」
ふうむ、と唸り、供の者が注いだ酒を飲む。
宿元景も相伴に預かりながら、帝の言葉を聞く。
帝の興味は、林冲、呼延灼、秦明、花栄などの元軍人よりも技術者の頭領にあるようだ。 蕭譲、金大堅、楽和、湯隆、李雲などの名の方が多く出てきた。
「これで北の脅威への対抗や、国内の賊徒鎮圧が一層容易になる事でしょう」
という宿元景の言葉にも、どこか生返事だった。
かくして宿元景が招安の勅使に任命される。
「この詔は朕自らの手によるものである。これまでのように違える事などできん」
恭しく詔勅を拝領した宿元景を、蔡京や童貫だけが面白くなさそうであった。
宿元景が旅立った後、帝は独りとある場所にいた。
宮中の奥、禁中内にある保和殿である。禁中には帝以外に女官と宦官のみ、立ち入る事が許される場所だ。
この保和殿には、帝が国中から集めさせた書画や、出土した歴代の青銅器などが収められていた。
宿元景への言葉は、自分の書に対する確固たる自信からである。
部屋には帝の手による書もあった。その文字は痩金体と呼ばれ、帝が造り出した書体である。一見、細く繊細のようだがその実、鋭い力強さを持っている。
帝位を継ぎ、政に熱意をもっていた。これまでのような官僚が作成した文書ではなく、自身が命令書を記し、帝の権威を高めようとした。それを濫用されないために真似の出来ぬような書体を創造した。それが痩金体だ。
書の上手い者を集め、習得させようとした。だが満足に会得する者は育たなかった。
やがて蔡京という男に出会う。老獪という言葉が相応しい政治家だった。陰でいろいろなことを囁く者もいた。だが政の手腕はやはり長けていた。
蔡京に任せるようになり、帝は若い頃から好んでいた芸術の道へと戻っていった。
だがここへ来て、その消えたと思われていた熱意が蘇ってきた。
梁山泊である。
李師師の店で会った燕青という若者ひとりとってみても、只者ではない。
そして宿元景への言葉を再び思い出す。
聖手書生、その者ならば、我が書体も真似できるのではないか。
手放してしまった権威を、取り戻す事ができるのではないか。
帝はもう一度、宿元景からの報告書を広げた。