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北斗

 梁世傑が生辰綱の品物選びに奔走していた頃、済州(さいしゅう)の鄆城(うんじょう)県に新しい知県が赴任した。名は時文彬(じぶんひん)。惻隠の心を持つ、この時分には珍しい男だった。

 時文彬は引継ぎの業務を終え、早速配下に命じた。

 近ごろ、この済州管轄にある梁山泊に盗賊どもが集まり略奪を繰り返しており、官軍さえも寄せ付けぬ勢力と聞く。また近隣の村里でも賊徒が横行しているとか。手間をかけるが見回りをしてきてほしい。

 それを受け二人の都頭が配下の民兵二十人ほどを連れて巡察に出た。まだ日が昇るには早い刻限であった。

「雷横(らいおう)、我らは西門からゆく。大丈夫だとは思うが気を抜くなよ」

「いらぬ世話だ。賊徒など俺一人でふん縛ってやるわ。じゃあな、朱仝(しゅどう)」

 朱仝は溜息をつく。背が高く、黒々とした長い髯(ひげ)が自慢で美髯公(びぜんこう)と呼ばれる騎兵都頭である。朱仝は髯をなでながら、では、と西門へと向かった。

 雷横はそれを見送り、民兵らと東門へ向かう。背は低めだが肩幅があり、大きな目と跳ねあがった髯と揉み上げが印象的な雷横は歩兵都頭であった。これまで鍛冶屋、米搗(つ)き、屠殺などさまざまな職についていた。

 朱仝、雷横ともに鄆城で生まれ、ここでは有名な二人であった。温厚で面倒見も良く金に淡白な朱仝と、義侠心厚いが意固地な面があり博打好きな雷横は、水と油に見えてその実お互いを補い合う好対照でもあったのだ。

 雷横は意気揚々と暗い道を歩いてゆく。あちらこちらと見回り、異常の無い事を確認する。だが東渓村(とうけいそん)に入った時である。通りかかった霊官廟の社殿の門が開いているのに気付いた。

「む、ここには廟守りもいないはずだよな」

 雷横は朴刀を手に足音を忍ばせて中へと入る。民兵たちもそれに続いた。

 前をゆく雷横が手を開き、止まれと合図する。奥の方から地鳴りのような音が聞こえてくる。

 民兵たちが幽霊だ、と騒ぎだす。雷横はそれを鎮めると、松明をかざした。

「なんだこいつは」

 廟内の供物台の上、そこに大きな男が寝そべっていた。

 男が息をするたび地鳴りが聞こえる。露わになった胸をぽりぽりと掻き、雷横たちにも気付くことなく高鼾をかいていた。

 松明を近づけ面相を確認する。赤茶けた髪と太い眉を持ち、口の中に見える牙のような歯は凶悪そうで、近隣では見た事のない顔だった。

「やれっ」

 雷横は有無を言わさず男に縄をかけさせ、取り押さえた。

「な、なんだ手前(てめえ)は」

「なんだとはこっちの台詞だ」

 目を覚ました男は縛られながらも抵抗する。ぴちぴちという音とともに縄の一部がほつれ始めた。なんという力だ。急いでありったけの縄をかけ、やっと男は動けなくなったようだ。幾重にも巻かれた縄で、もはや首から上と足しか見えていないありさまだ。

 大手柄だ、と雷横は役所へと戻ろうとしたが、ふと思い立った。この東渓村の自治責任者である保正(ほせい)を務める晁蓋(ちょうがい)にこの一件を報告しておこうと思ったのだ。

 夜明けにはもう少しかかる時刻だったが、あにはからんや晁蓋の邸宅の明かりが灯っているではないか。晁蓋は常日頃から気風(きっぷ)の良い男で、雷横も一目置いていた。何より顔を見せるたび、労をねぎらって酒をご馳走してくれるのだ。

 雷横は緩んだ口元を引き締め、晁蓋宅の門をたたいた。

 

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