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断罪

 村で盗賊を匿っている、と嫌疑をかけられた。

 襄陽(じょうよう)にほど近い村だった。すぐに官兵たちが押し寄せ仲間たちを手にかけた。捕縛に抵抗したという理由だった。しかしそれだけでは飽き足らず、兵たちは村の人々にも刃を向けた。

 鄧飛が駆けつけた時はすでに遅かった。血に濡れる友たちを、そして父母(ちちはは)を抱え鄧飛は吼えた。

 自分のせいだ。悪いのは自分のせいなのだ。

 自分の命が助かったのは、たまたまだ。たまたま、ここにいなかったからだ。

 若い頃からごろつきの真似事をしていた。時には気に入らない役人に手を出す事もあった。きっと役人もやられてばかりで堪忍袋の緒が切れたのだろう。鄧飛は、役人どもにそんな事はできまいと高(たか)をくくっていた。

「すまねぇ、俺があんな事ばっかりしてるから。すまねぇ、本当にすまねぇ」

 鄧飛は天を睨み、いつまでも吼えていた。その目は血走り、真っ赤に染まっていた。

 どれくらいそうしていたのだろうか。鄧飛はゆるりと立ち上がると、ふらふらと歩き出した。その手には鉄鏈(てつれん)と呼ばれる鉄の鎖が揺れていた。

 復讐、その言葉しか鄧飛の脳裏にはなかった。

 その夜、鄧飛は襄陽に単身乗り込み、命令を出したという役人の家を襲った。鉄鏈と着物が返り血で真っ赤に染まるまで鄧飛は止まらなかった。鄧飛は役人の体を供物台に捧げ、犠牲となった者たちの冥福を祈ると、それを喰らった。

 捕縛に駆けつけた兵たちは、鄧飛の姿を恐れて誰一人近づく事ができなかった。

 肉の欠片を咥え、口の端から血を垂らす獅子がそこにいた。

 鄧飛が赤く血走る目でぎろりと睨むと、兵たちは後ずさりし、道を開けた。そして鄧飛は悠々と襄陽を出て行ったという。

 火眼狻猊(かがんさんげい)、その渾名そのままの姿がそこにはあった。

 

 鄧飛は昔から血気盛んで、ならず者連中と徒党を組んでは暴れ回っていた。

 得物である鉄鏈を器用に使いこなし、役人たちをも怖れさせていた。

 ある時、近くを訪れていた書生風の男に請われて、気まぐれに鎖の使い方を教えていた事があった。男は物覚えが良かったが、色白で華奢だったため鉄ではなく軽めの銅鎖を使うと良い、と勧めてやった。その男は忽然と去ってしまい、行方は定かではなかった。

 そんなある日、鄧飛は一人の男と出会う。

 楊林という男だった。楊林は彰徳府から来たという。北京大名府のやや南に位置する土地だ。そこで産出する漢方薬にもなる竜骨(りゅうこつ)を各地で売り歩いていた。その代わりに各地の名産などを持ち帰り、それを北京などで売っていたのだ。そして今回は襄陽に来たという訳だ。

 楊林は明るく社交的な男で、近寄りがたい雰囲気の鄧飛にも気さくに話しかけてきた。鄧飛は何だかそれが嬉しく、いつの間にか信頼できる友となっていった。

 北京にはお得意様が多いらしく、北京の大金持ちから博徒まで顔の広い付き合いをしていると言った。また楊林は登州に赴いた時に登雲山という所の山賊に襲われたが逆に仲良くなってしまった、などと笑いながら語ってくれた。

 精悍でその風采が良い事から錦豹子と呼ばれる楊林を、まったく不思議な男だ、と鄧飛はつくづく思った。

「ぶしつけだが、その目はどうしたんだい」

 楊林はふいにそう聞いてきた。鄧飛の目の白い部分が、いつも血走ったように赤かったからだ。怒ったり、興奮するとさらにそれが赤くなった。

「さあ、俺にも分からんよ。生まれつきらしいんでな」

「へえ、すげぇな」 

 楊林はそう言って感心していた。

 面と向かってこの目に触れる者はいなかった。皆、鄧飛を恐れていたからだ。聞かれるのが嫌な訳ではなかったが、決まって腫れ物に触れるように誰もそれについて聞こうなどとしなかったのだ。だからそれが却って鄧飛を苛立たせていた。

 この目が、この赤い目が、何か悪い事のように思えていたのだ。

 だがこの楊林は違った。

 鄧飛は楊林に救われたような気がした。

 

「俺と関わると、お前まで捕まっちまうぜ、楊林」

 襄陽から逃げてきた鄧飛は、保護してくれた楊林にそう言った。

 楊林に迷惑はかけたくなかった。だから突き放すような事を言ったのだ。

「仕方ねぇなあ。じゃあ、盗賊にでもなるとするか」

 楊林が何を言っているのか理解できなかった。

 盗賊になる、と言ったのか。

 まるで、明日から飯屋でもやるか、ぐらいの感じだった。

 楊林を巻き込む訳にはいかない。俺が勝手に復讐したのだ。

「駄目だ、お前は関係ない。俺が勝手にやった事だ」

 鄧飛は思いを口に出した。しかし楊林はいつもの飄々とした笑顔のまま、

「放っておけるかよ。お前は友達なんだから」

 と諭すように言った。

 泣いた。

 声を上げ、泣いた。

「なんだ、怖い顔してるくせに泣くんだな」

 楊林が驚いた顔をしていた。

「うるせぇ、怖い顔は余計なお世話だ」

 鄧飛は笑った。

 しかし涙はまだ止まらなかった。

 

 焚火で濡れた衣服を乾かした。

 火の側では魚が炙られて、良い匂いがしていた。さっき川で獲ったものだった。

「なるほど、その鉄面孔目とやらに、とりあえずは救われたという訳だな」

「そうです、楊林どの」

 孟康は着物を正すように立ち上がると、楊林に言った。

 孟康は鄧飛に助けられた後、この岸辺へと渡った。そこへこの楊林が合流してきたのだ。

 二人は手分けして、昼飯のための魚を獲っていたのだという。その時、孟康が襲われている所へ、鄧飛が行きあった形となったのだ。

「そいつは災難だったな。しかし朱勔(しゅべん)に目を付けられるとは、お前もついていないな」

 鄧飛が魚に喰らいつきながら言った。

 二人はこれから知り合いのいる登州まで行くところなのだと語った。

 行く当てのない、どこへ行けばよいのか分からない孟康に、誘いを断る理由はなかった。

「お二人は命の恩人です。この身を賭しても」

 孟康の言葉の途中で、魚が飛んできた。慌てて受け取る孟康。

「堅苦しい事は良いじゃねぇか。美味いぜ、この魚」

 楊林の笑顔につられて、孟康も笑った。

 焦げた感じが実に美味そうだった。

 孟康がかぶりついたと同時に腹の虫が鳴いた。

 川辺に三人の笑い声が響いていた。

 

 楊林、鄧飛そして孟康の三人は北へ向かった。

 楊林の故郷である彰徳府を越え、北京大名府で宿をとった。

 その夜、鄧飛と孟康は酒を飲んでいた。

 楊林は竜骨の商売で世話になっていたという、ある金持ちの大旦那に挨拶に行った後、登雲山へと渡りをつけに旅立っていた。律儀でまめな男だ、と鄧飛は思った。だからこそ顔も広く、人好きもするのだろう。

「まったく、北京というところも大した所だな」

 などと言っている所へ来客があった。

 色の白い美丈夫だった。男は件(くだん)の北京の大旦那の使いだと言った。線が細く見えるが、身のこなし、立ち居振る舞いから只者ではない事が知れた。

「旦那様から、お二人に伝えよとの事です」

 男が孟康の顔をじっと見つめた。

 鉄面孔目、裴宣が罪を着せられ、沙門(さもん)島(とう)に流されて来る、というのだ。

 がたり、と孟康が立ち上がった。鄧飛と男とを順に見た。

「あの人が流罪に、どうして」

「どうしても、こうしてもあるかい。どうすんのか、だぜ、孟康」

 もちろん救い出したい、孟康は力強くそう言った。

「ふふ、そうこなくっちゃな」

 鄧飛が舌なめずりをした。

「でも、楊林は先に行っちまってるし」

 孟康が椅子に腰をおろした。

「仕方あるまい。俺たちだけでやるんだ。その鉄面孔目を救い出してから、楊林に追い付けば良いさ。丁度良い手土産だ」

 鄧飛が杯の酒を飲み干した。

「必要な物があれば、なんなりとおっしゃってください」

 横から男が待っていたように言った。

 孟康も杯の酒を飲み干し、拳を握ると決心を固めた。

 大旦那の使いは少し嬉しそうな顔をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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