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辺境

​四

 息子、宗雲の亡骸を抱き、耶律得重が怒りに震えていた。

 洞仙侍郎が静かに言った。

「軍令ではありませんでした」

「勝手に出陣したから仕方ないというのか」

 洞仙侍郎が口を噤む。

「息子はわしのために、梁山泊の連中と戦ったのだ。宗霖も討たれた。この恨みは奴らの血をもってのみ果たされる」

 そこへ報告が飛び込んでくる。梁山泊軍が攻めてきたと。

「そっちから死にに来るとはな。宝密聖、天山勇、すぐに準備を。奴らを丁重にもてなしてやれ」

 城外三十里のあたりに梁山泊が陣を敷いていた。

 洞仙侍郎は胸騒ぎがした。

「皇弟さま、奴らの数が増えております。援軍が来たのではないかと」

「だからどうした。虫けらが少し増えたところで、心配をする事はあるまい」

 怒りで冷静さを欠いているようだ。だが洞仙侍郎はそれ以上、言う事はできなかった。

 軍鼓が鳴り響き、遼軍を率いる大将、宝密聖と、副将の天山勇が進み出た。

 梁山泊からは徐寧と、そして林冲である。ともに禁軍師範であった二人だ。馬を並べ、進むだけで遼軍にどよめきが起きた。

 敵を見据え、徐寧が囁く。

「副将は張清の仇だ、俺がやらせてもらう。しかし林冲、お主と馬を並べるのは、久かたぶりだな。そうだ」

「何だ」

「奴ら、馬に長けている。油断するな」

「そうか、分かった」

「では行くか」

 まるで遠乗りにでも行くような言いぶりだ。

 四騎が同時に駆けた。

 おおお、と林冲が吠える。獣の目を輝かせ、蛇矛を横たえる。

 対する宝密聖も雄叫びをあげ、槊を掲げる。

 林冲と宝密聖が交差した。

 宝密聖の首が飛んだ。

 徐寧が鈎鎌槍を閃かせる。

 天山勇は槍で防ぎきれなくなり始めた。

 徐寧の槍が止まる。

「まともに戦うのは苦手か」

「なめるな」

 天山勇が腰の弩を素早く取り出した。一点油をつがえ、徐寧めがけて射った。

 鈎鎌鎗が回転し、矢が両断された。

 天山勇が愕然とした。この近距離で、槍で矢を。

「鈎鎌鎗法、撥の一手」

 天山勇が突進してきた。

 また鈎鎌鎗が回った。

 天山勇の首が飛んだ。

 慄いた遼軍が、雪崩を打つように退却して行った。

 徐寧が林冲に馬を寄せる。

「お主、強すぎるぞ」

「助言があったからさ」

「敵わんな」

 呆れたように徐寧が長い息を吐いた。

 

 軍鼓が鳴り、梁山泊が薊州に向けて進軍した。

 耶律得重は怒りを抑えきれない。

 洞仙侍郎を呼びつける。

「檀州で敗れたお前たちを匿ってやった恩を返してもらおう」

 唇を噛む洞仙侍郎。

 行かない訳にはいかない。曹明済らも了承せざるを得なかった。

 薊州に梁山泊軍が迫る。

 門から三騎が兵を率い、出陣した。

 梁山泊軍からは索超が飛び出す。それに咬児惟康が相対する。両者は名乗りもせずに、ぶつかった。

 唸りを上げる金蘸斧に怖れをなし、咬児惟康が背を向け、逃げの姿勢となる。だが索超の斧は容赦なく、その頭をかち割ってしまった。

 梁山泊軍から喚声が上がる。

「次は任せてもらうぜ、朱武」

 史進が嬉々とした表情で馬を駆る。

 楚明玉と曹明済が史進を迎え討つ。

 二対一にも関わらず、史進は逃げない。

 裂帛の気合を込め、三尖両刃刀を振り下ろす。先を駆ける楚明玉が、一刀の元に斬り伏せられた。

 一瞬たじろいだ曹明済は、それが命取りとなった。防御も間に合わず、三尖両刃刀の餌食となった。

 ここで史進は止まる事をしなかった。雄叫びをあげ、敵陣に向けて速度を上げた。

「宋江どの」

 朱武が叫ぶ。宋江が号令を発し、全軍を駆けさせた。

 しかし遼軍は一目散に城内へと逃げ込んでしまう。あと一歩のところで、吊り橋を上げられてしまった。

「奴らを近づけるな」 

 耶律得重が檄を飛ばす。城壁から石や木を落とさせる。

 やむなく梁山泊軍はやや下がり、薊州を包囲した。

 配下を討ち取られた洞仙侍郎は、悔しさに震えていた。

 張清にやられた耳が、じんじんと痛んだ。

 

 宝厳寺の梁で、時遷が顔を上げた。外が騒がしい。

 戦闘が起きているようだ。

 梁山泊だ、という声が聞こえた。

「思ったより早かったな」

 音もなく立ち上がり、窓から顔を出した。

 すぐに石秀が駆けて来た。石秀は時遷に合図を送り、そのまま行ってしまった。

 時遷は塔内に戻り、火打石を擦り、導火線を確認すると素早く脱出した。

 宝塔のあちこちに仕掛けた火薬や火筒に次々と引火してゆく。そしてものすごい爆発音とともに、炎の柱が天を突くように燃え上がった。

 その炎の柱は城外からもはっきりと見えた。

 楊雄がそれを見上げ、拳を握った。

 耶律得重の元へ、報告が次々と寄せられる。宝塔だけではなかった。城内のあちこちから火が起こり、住民も兵も消火に大わらわだというのだ。

 門に向かって石秀が駆けている。手には朴刀を握っている。

「どけどけぇ、死にたくない奴はそこをどけぇ」

 その言葉通り、止めようとする兵たちを斬ってゆく。

 門番のひとりが、相方に喚く。

「おい、お前も早く止めに行けよ」

「やなこった」

 その門番は張保だった。すらりと刀を抜き、相方の門番を斬った。

 石秀が門に辿りつく。

「へへ、遅ぇじゃねぇか、石秀の旦那」

「仕方あるまい。さあ、とっとと門を開けるぞ」

 二人が吊り橋を下ろし、閂を外した。

 開門と共に梁山泊軍がなだれ込んできた。

 遼兵は戦意を失っており、すぐに薊州は陥ちた。

「よくやってくれました。石秀も、時遷も」

「宋江どのが来てくれたおかげです」

「でもよ、敵の親玉は逃げちまったみたいだぜ」

 耶律得重と洞仙侍郎は、家族を連れ北門から逃げた。

 薊州から西へ向かい、幽州へ入る。そして国王のいる燕京へと至った。

 国王の前で耶律得重がひれ伏した。

「蛮族ごときに遅れをとり、申し開きのしようもありません。死をもって償うのみです」

「まあ待つのだ、弟よ。たまたま奴らの奇策が功を奏しただけの事ではないか」

 対する国王は、意外にもそう言った。

「しかしどうして宋の連中が攻めてきたのだ。盟約を結んでいたはずではないか。まさか臨潢府の連中が我らの事を討つために寄越したのではあるまいな」

「いえ、そうではないと存じます」

「お主は、確か」

「はい。檀州を預かっておりました侍郎の洞仙文祥です。十一陽の大将が一人、文栄は我が弟でございます」

「して、何が原因だと」

 洞仙侍郎は絞り出すように答えた。

 梁山泊軍は宋朝からの贈り物の護衛についていた。だが臨潢府に着く前に檀州軍が奪っている事を知ったため、交戦となった。そしておそらく密雲県の知県あたりから、我らの内情が露見しているだろうと。

「我らは蛮人に媚びへつらい、女真族に怯えるような連中を見限り、契丹の真の強国を造るために立ち上がったのだ。望むところではないか」

 だが耶律得重も、梁山泊の強さを侮ってはならないと戒めるように言う。

 そこへ脇から静かに声があった。

「臆病な宋の連中は、梁山泊の援護には来ません。梁山泊はこの遼の地で孤立しているという訳です」

「ならばどうする。お主の知謀を見込んで右丞相に取り立ててやったのだ。何か策があるのであろうな」

「はい、国王さま。私は彼らを良く知っておりますから」

 右丞相の褚堅が、すっと目を細めた。

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