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辺境

「しばしの間、北へ行く」 

 盧俊義が唐突に切り出した。

 晁蓋が存命だった頃、盧俊義は陰ながら梁山泊への支援をしていた。

 どういった方法を取っているかは知る由もないが、決して表には出ない金の流れであった。

 晁蓋の死をもって一時中断をしていたが、盧俊義自身が梁山泊に加わる事で、それを再び動かしていたのだ。

 そのひとつが突然、途絶えたという。

 だが宋江は難色を示す。

「あなたが行かなくてはならないのですか、盧俊義どの」

「わししか知らんのですから、仕方ありますまい」

 しかも場所は遼国の支配下にある檀州密雲県の辺りだという。そんな所にまでよくも裏の拠点を築いていたものだと感心するが、それは別だ。

「こんな事を言っては非難されるかもしれないが、ひとつくらい失ったところで問題はないのでは」

「失う事はやぶさかではない。だが、わしが知りたいのは、何が起きたかなのだ。原因次第では、梁山泊に何らかの危険が及ぶ事もあり得る。そしてそこを破棄するにしても、速やかに痕跡を消さなくてはならない」

「実はもう少ししたら、公孫勝のお師匠さまに会いに行こうと思っているのだ。その時、共に参っては」

「いや、迅速に対処しなければ」

 唸る宋江。

 この頑固さと速さで、河北一の富豪に上りつめたのだろう。宋江の言葉で折れる気配はなかった。

 現在、宋と遼との関係は、表面的には和平を保っている。梁山泊として軍を送る訳にはいかない。盟約を破棄する侵略行為と取られてしまうからだ。

 どうしたものか呉用と相談しているところへ、宿元景からの使者があった。

 なんと遼国へ贈る金品の護衛の依頼だった。王黼などから、梁山泊はただ飯を喰らうだけのお荷物ではないか、などと言われたというのだ。

 すまないが頼まれてはくれないかという文面に、宿元景の困り顔が浮かんだ。

「丁度良いところへ便りが来たものだ。わしが護衛を務めればよかろう。任務を果たし、その帰りにわしの用事を済ませればよい」

「仕方ありません」

 不承不承ではあるが、宋江は盧俊義の探査を許可することにした。宿元景の顔も立てねばならぬのだ。

 数日後、幾つもの車と馬に荷物を積んだ一団が、東京開封府から到着した。

「王文斌(おうぶんひん)である」

 酒焼けのような声で、居丈高そうなこの男が、こたびの指揮をとる将だ。会議もそこそこに、王文斌は酒宴を開けと言う。

 梁山泊の面々はもちろん文句を言い、宋江さえも苦い顔だった。

 ところがそんなものは聞こえぬとばかりに、王文斌は機嫌良さげに、聞いてもいない武勇伝を語り出す始末。

 ともかく、準備を整え一行は出発した。北の地に詳しい段景住が案内役となる。

 朱武が軍師として随行する。また、薊州出の楊雄、石秀、時遷。段景住と北の地にも赴いた周通そして李忠。護衛の要として関勝、徐寧、張清、董平が付き従う。

 驚いたのは李逵と鮑旭が、行くと言ってきた事だ。

 遠いぞとか、寒いぞとか、王文斌の命令を聞かねばならんのだぞ、などと言っても考えを変えなかった。

「戴宗、頼まれてくれるか」

「王文斌はあの通りの男ですし、手綱を握る者がいなくては、鉄牛なら殺しちまいかねないですからね」

 戴宗は両手を広げ、おどけたように笑った。

 一行は数日かけて北京大名府、滄州を経由して、いよいよ国境に迫った。

「おい、何だいそれは」

 燕青が広げていた紙を、段景住が覗き込んだ。

 地図だった。目指す檀州まで克明に描かれているようだ。

「古い友から借りたものです」

「ほう、けっこう正確なようだ。足りないところは俺が補(おぎな)うとするか」

「その言葉に、友も喜ぶと思います」

 からからと段景住は笑い、ここいらは庭のようなもんさ、と先頭に立って進んでゆく。

 一年の多くが雪に覆われた地域であるが、いまは短い草の平野が広がっている。この地も、これから春が訪れるのだ。

「何にもないな。いつになったら着くんだ」

 李逵が吼えるように言った。

 行った事のない土地に興味津津だったものの、いくら行っても見渡す限りの平野。さすがに飽きてしまったのだ。

 その勢いに背を丸めた王文斌だったが、すぐに胸を反らす。

「なんだその口の聞き方は。目的地はまだまだ先だ。黙って荷物を見張っていろ」

「見張れといっても、誰もいないじゃないか。こんなことなら梁山泊にいるんだったわい。なあ、鮑旭よ」

「李逵の旦那の言う通りだぜ。盗賊でも出りゃあ、ぶっ殺せるのによ」

「馬鹿者、無事に着くに越したことはないではないか」

 李逵と王文斌が睨みあう。

 戴宗は肩をすくめた。宋江が心配した通りになってしまった。まあ李逵と行動すると、いつもなのだが。

 戴宗が間に入って止めようとした時、段景住が声を上げた。

「静かに。みんな、動くな。来るぞ」

 関勝、徐寧らが咄嗟に得物を構える。段景住が見ている方に向くが、先ほどと同じ地平線しか見えない。

 不審がる関勝たちに、周通が言った。

「段景住を信じてくれ。こいつが、このすぐ見つかっちまうような平原で、どうして馬泥棒をこなせていたと思う」

 いたずらに金毛犬と呼ばれていた訳ではないのだ。

 地平線上に何かが動いた。

 小さな影がひとつ、ふたつ見えた。そして見る間に数が増え、影が大きくなってくる。

 騎馬の集団のようだ。五百はいるだろうか。もはや軍といっていい数だ。

 李逵が二丁の斧を鳴らす。

「へへ、やっと面白くなってきたなあ」

「面白いものか。お前たち、しっかり守るのだぞ」

 王文斌は刀を構えつつも、荷物の陰に隠れるような場所にいる。威勢だけは立派だった。

 騎馬の関勝、徐寧、張清、董平が前方を守り、楊雄、石秀、李逵らが散開し、荷駄を守る。

 関勝が張清に視線を送る。届く距離になったら礫を撃て、という合図だ。

 彼我の距離が縮まる。張清の手にはすでに礫が用意されている。

「まだか」

 徐寧が敵を見据えたまま聞く。

「もう少し」

 顔が認識できるまでに迫った。

 敵が手にした刀を上げた。

 今だ。

 張清の手が動いた。先頭を駆けていた男が弾き飛ばされるように、馬から落ちた。

 戸惑う敵が二人、三人と落ちてゆく。

「かかれっ」

 関勝が偃月刀を掲げ、梁山泊軍が飛び出した。怯んではいたが敵もすぐに体勢を整えた。

 董平、徐寧の槍が舞い、襲ってきた敵を次々と屠る。しかしさらなる敵が次々と地平の彼方から現れだした。

 二騎を一撃で叩き落した董平が叫ぶ。

「おい関勝、こいつは切りがないぞ」

「そのようだな。荷駄を守るぞ」

 馬首を反転させようとしたが、その時、敵の矢が雨のように降り注いだ。関勝らが防いでいる間に別の一団に襲いかかられた。

 どうする。周りを見渡す関勝。下手に見晴らしが良いだけに隠れられる場所もない。

 荷駄を守る楊雄たちも苦戦していた。その中で李逵と鮑旭は嬉々として敵に向かって得物を振るう。

 だがやはり多勢に無勢だ、徐々に包囲網を狭められてゆく。

「王文斌どの、どうする。このままでは」

「わかっておる。しかしこの数だ、いまは耐えるしか」

 盧俊義が叫び、王文斌も同じように叫ぶ。

 ついに最後方の荷駄が敵の手に落ちた。護衛隊が斬り伏せられ、馬もろとも奪われてゆく。

 それを契機として、王文斌の気持ちが折れた。

「退け。残念だが退くのだ」

 そう命じると先頭に立って敵の懐を突破する。敵は逃げる王文斌には目もくれずに、蠅のように荷駄に群がった。

 盧俊義も退却を命じた。燕青が、血に酔う李逵と鮑旭を何とか引っ張ってくる。

 まるで何も運んではいなかったかのように、綺麗に略奪されてしまった。この世の終わりのような顔をした王文斌が嘆く。

「何という事だ。何という事だ」

「聞くが、王文斌どの。このような事は今までに」

「あるはずが無いだろう」

 盧俊義に噛みつくように答える王文斌。

 確かにそのようだ。あればさすがにもっと厳重な警備の下で運搬するはずだ。

 しかし今回はまさかの事態が起きてしまったのだ。。

「戴宗、すぐに梁山泊へ戻り、宋江どのに伝えてくれ」

「待てい。帝に知られる訳にはいかぬ。わしの首がどうなると思う。いや、お前たちもだ」

 戴宗は辟易した。官軍の体質は上から下まで変わらないらしい。高俅(こうきゅう)や童貫(どうかん)がそうだったように、王文斌もいわんやである。

 確かに盧俊義たちにも責任がない訳ではない。しかしどうするというのだ。

「おいお前、段景住といったか」

「何ですか」

「奴らがどの方向へ行ったか分かるか」

 しばし地平を眺める段景住。

「檀州の方かと」

 よし、と王文斌が立ち上がった。

「行くぞ。盗られたものを取り返す」

 呆気にとられる梁山泊勢を振り返り、もう一度怒鳴った。

「何をぼさっとしている。手遅れにならん内に行くぞ」

 盧俊義と関勝の目が合った。二人とも困惑の表情だった。

 仕方なく王文斌を追う、梁山泊一行。

 しかし、檀州だと。盧俊義が向かおうとしていた密雲県のある所だ。

 嫌な胸騒ぎを、盧俊義は抑えられないでいた。

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