108 outlaws
辺境
一
やはり消えていた。
密雲県に置いていた、拠点を担っていた者が消えていた。
「ですが、おかしいですね」
燕青の言う通りだった。
痕跡は分かりにくくなってるが、何者かに見つかった様子ではない。用意周到に、自ら消えた感じがするのだ。
密雲県には兵以外の人員を待機させるために来ていた。それと、荷駄を奪った連中がどこへ向かったのかを探るためである。
王文斌がいらいらしながら大声で叫ぶ。
「何をしておる。荷駄の行方は分からんのか」
探索に出ていた段景住と周通が戻ってきた。険しい顔をしている。
どうだ、という盧俊義の問いに、やはり深刻な声で言った。
盗賊たちは檀州へ入っている、と。
「馬鹿な」
唾を飛ばす王文斌。
間違いないと、段景住は言う。
「奴らの馬の蹄の跡を見た。真っ直ぐに城門に向かっていたんだ」
「なんだと。何故、盗賊どもを入れるのだ」
「そんな事、わからねぇよ。争った跡もないようだ」
馬鹿な、と王文斌が唸る。
真相を探るため、遼国側にも確認せねばならない。
檀州の城郭が見えてきた時である。城から数百の軍勢が押し寄せてくるのが見えた。
「敵襲に備えろ」
関勝のひと言で梁山泊の態勢が入れ替わる。王文斌はその様子に目を丸くした。そして盧俊義に連れられ、殿に配された。
遼兵だ。五百ほどだろうか。
大将らしき騎兵が突っ込んでくる。手には点鋼鎗。
「行かせてもらおう」
徐寧が馬を進める。鈎鎌鎗をひと振りし、馬腹を蹴った。
敵将が何かを叫びながら槍を繰り出してくる。
「すまんな。お前たちの言葉は分からんのだ」
徐寧の鈎鎌鎗を敵将が首を捻り、避けた。だが徐寧は慌てず槍を引いた。鈎鎌鎗の鎌のような刃が、敵将の首を刈ろうとする。
がばっと馬に伏せるように、敵将が咄嗟にそれをかわした。そして起き上がるやすぐに喚き出す。
ほう、この手が通じんとは。
敵将の腕は決して突出している訳ではなかった。だが馬上での体捌きは見事なもので、千変万化の鈎鎌鎗の攻撃を凌いでいるのだ。さすが契丹人は馬に長けている。
面白い、と徐寧も気合を入れ直した。
討ち合いが続いた。徐寧も敵将も、息が荒くなってきた。
「おい、大丈夫なのか」
王文斌が心配そうに言う。
裂帛の気合いが聞こえた。鈎鎌鎗が閃き、敵将の頬に赤い筋が走った。
おおっ、と喜ぶ王文斌を尻目に、盧俊義も董平も渋い顔である。
関勝が張清に視線を送った。
張清が馬を飛ばす。
徐寧が敵将を引き剥がすと、馬首を返した。
すれ違う張清に、すまん、とひと言。
敵将が吠える。逃げるのか、と言っているのだろう。
礫が飛ぶ。敵将の左目から血飛沫が飛んだ。
落馬した敵将を、副将が助けに駆け出す。だが李忠、周通が先に捕らえてしまう。
「貴様ら。無事に帰れると思うなよ」
副将が指を突きつけて叫ぶ。そして兵たちを率い、反転して去った。
その後、追撃を警戒していたが、何もなく過ぎた。
やがて盧俊義一行は檀州に着いた。周りを川に囲まれた堅牢な造りである。
待ち受けていたのは、城門から狙う無数の矢であった。
一人の文官が姿を見せた。契丹人のようだが、流暢な宋の言葉を使った。
「宋の者どもよ、刃で脅すことしかできぬのか。この城を襲おうというのなら、こちらも総力を尽くす。命があるうちに去るが良い」
「何の話だ。帝からの贈り物を臨潢府の国王へ運んでいる途中、盗賊どもに奪われたのだ。そいつらがこの檀州へ来ているのだ。何か知らぬか」
「その前に、先ほど捕らえた我が将を返してもらおうか。話はそれからだ」
「ふざけるな。そっちが襲ってきたんだろうが。お前は誰だ、この城の責任者を出せ。そ奴ならわしを知っておる」
「私がここを預かる、侍郎の洞仙文祥だ。前任からはあなたの事は聞いていない。盗賊は、我々とは何の関係もない。武器を持った宋軍が侵入してきたというので、兵を送ったまで。さあ、阿里奇(ありき)将軍を返してもらおう」
先ほどの将は、阿里奇というらしい。
「返すことはできん」
「どういう事だ」
「死んだのだ」
なにっ、と洞仙文祥が怒りをあらわにした。
合図とともにすべての矢が一斉に王文斌を狙った。
阿里奇は礫の傷が思ったよりも深く、檀州に着く前に死んでいた。
「仕方あるまい。突然襲われたのだ」
「問答無用」
洞仙文祥の手が振り下ろされる。そう思われた矢先、悲鳴が聞こえた。
城壁の上で、侍郎さま侍郎さま、と慌てる声が聞こえてくる。
洞仙文祥の耳たぶが、血に濡れていた。ずきずきと痺れるような痛みが走る。
「礫だ。阿里奇将軍がやられた、奴の礫だ」
阿里奇と共に出陣していた副将、楚明玉(そめいぎょく)が身を乗り出し、張清を指さした。
「退けっ」
盧俊義が叫ぶ。
雨のように矢が降り注ぐ。
辛うじて矢をかわし、充分な距離まで離れられた。
竹筒の水を浴びるように飲み、王文斌が喘いだ。
「一体、どうなってるのだ」
「それはわしらの台詞だ。何が起きているというのだ」
遥か小さくなった檀州を、盧俊義が見つめていた。
ぎりぎりと、洞仙文祥が歯嚙みをしていた。
左耳に当てている包帯が、赤く染まっている。
「くそっ、奴め絶対に許さんぞ」
叫び、飲んでいた杯を叩きつけた。
洞仙侍郎さま、と曹明済(そうめいせい)、咬児惟康(こうじいこう)が報告に現れた。阿里奇そして楚明玉を含め、檀州の主力はこの四名の将であった。
しかしいまや阿里奇はいない。それも忌々しい礫野郎のせいだ。
「どうした、曹明済」
「はっ。耶律国珍さまと国宝さまが一万の兵を率い、こちらへ向かっているとの事です」
「おお、そうか。それは良い。これで梁山泊もお終いという訳だ」
顔色を明るくした洞仙文祥が、再び杯に酒を満たした。
耶律国珍と国宝は国王の甥で、兄弟である。いずれも万夫不当の強さを誇る猛将だ。
「出迎えの準備を。失礼があってはならんぞ」
命を受け曹明済、咬児惟康が部屋を出る。
酒を啜り、洞仙文祥はにやりとした。