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宿運

 史進が、ひとりの男を少華山へ伴ってきた。年は四十を過ぎたあたりだろうか。

 史進は男に部屋をあてがうと、明らかに不機嫌な顔で床几に腰を下ろした。

「おい、あいつは誰なんだ」

 史進は酒をひと椀飲み干してから、陳達の問いに答えた。

「調練から戻る時に見つけたので、救いだしてきた」

「何事だ。史進が戻ったと聞いたが」

 朱武そして楊春が頭領の間に入ってきた。

 史進が言うにはこうだ。

 救い出したのは、北京大名府の画家である王義という男だった。王義は西嶽華山にある金天聖帝廟を訪れた。王義はこの廟の壁画を描くという願をかけており、その願解きに来たのだという。

 はるばる北京大名府からの旅という事でひとり旅ではなく、矯枝という娘を連れていた。しかしそれがまずかった。

 王義が華山に赴いたその日に、華州の賀太守もそこを訪れていた。

 賀太守は、器量の良い王矯枝をひと目見るなり気に入ってしまい、妾(にしようと目論んだ。

 だが王義は、半ば強要にも似た申し出を、頑(がん)として断った。

 それで諦める賀太守ではなかった。王矯枝を攫ってしまった。さらに王義の方も捕らえられ、刺青を入れられて流罪とされてしまったのだ。

 言うことを聞かぬからだ。わしに逆らうことは罪だと知るが良い。賀太守はそう言って笑っていたという。

「朱武」

 話終えた史進が立ちあがった。いつの間にか三尖両刃刀を手にしていた。

「もう放ってはおけんな、あの男」

「待つのだ、史進」

 賀太守は赴任当初から良くない噂があった。過去の任地でも好き放題しており、民から搾取することが生きがいのようであったという。特に若い婦女を、権力を笠に着て、自分のものにするというのだ。

 華州でも、やはりそうだった。

 憤った史進は手下を連れ、華州に攻め寄せた。

 負け戦となった賀太守は、見苦しいほどの命乞いをした。

 それで許してやれと、その時に朱武は言った。

「二度目は、許されんだろう。良いな、朱武」

 朱武は史進を見つめたまま、黙るしかなかった。

「行ってくる」

「おい、一人で行く気かよ」

 部屋を出て行こうとする史進を、陳達が止めた。楊春も急いで、史進の後ろに回った。

「あんな男ごとき、俺ひとりで充分ではないか」

「駄目だ。相手は城内にいるのだぞ。一人きりでどうやって乗り込むというのだ」

「思いっきり暴れてやるさ」

 ふん、と自信ありげに史進が笑った。

 頼もしい言葉だ。だがそれは過信だ。

 いくら史進の武芸が一流だとはいえ、ひとりでなど。

「分かったよ。下で待ってるぞ。早く来いよ、二人とも」

 両肩ををすくめ、史進がため息をついた。陳達と楊春も警戒を解き、表情が緩んだ。

「駄目だ、陳達、楊春」

 朱武が叫んだ。しかし史進はその一瞬をつき、飛びだして行った。

 出し抜かれた、と悟った陳達と楊春が急いで後を追った。

 相変わらずだ。朱武はため息をついた。

 もう少し頭領らしくなって欲しいと、幾度も思った。だがその反面、義に厚く、すぐに飛び出してしまう性格も、史進の持つ魅力なのだ。

 やはり陳達も楊春も、そして自分も史進を好きなのだ。

 朱武は二刀を手挟むと、部屋を後にした。

 華州城からほど近いところで陳達、楊春を見つけた。だが史進の姿はなかった。

「何かあったのか」

「すまねぇ、朱武の兄貴」

 陳達はそう言い、歯を食いしばっていた。

「史進が、捕まってしまったんだ。太守の奴め、史進が来るだろうと待ち構えていたようだ。俺たちが追いつく前に、単騎の史進は」

 楊春がそこまで言い、やはり悔しそうな顔をした。

 すでに城門は固く閉ざされていた。

 道に兵の死体がいくつか転がっていた。もちろん史進は抵抗したのだろう。どれも三尖両刃刀の傷を負っていた。

「史進を取り返そう、朱武。すぐ、あいつらに戦の支度をさせよう」

 意気込む陳達だったが、朱武は難しい顔をしていた。

「どうしたんだよ」

「できないとは言わない。だが、こちらは史進を人質に取られているのだ。史進に何かあっては」

「だからって助け出さねぇのか」

「行こう、朱武の兄貴」

 積極的な方ではない楊春も、今回は陳達に賛成だった。

 二人が朱武の返答を待つ。

 朱武は、二人に処刑から救い出された時のことを鮮明に思い出していた。命の危険を顧みず、朱武を救ってくれたのだ。

 そして史進の事も。

 史家村で兵たちに囲まれた時、史進は全てを捨てて朱武たちを逃がしてくれたのだ。

 自分は救われてばかりではないか。

 陳達や楊春の言うように、いますぐ駆けだしたいのだ。しかし、だからこそ、絶対に失敗はできないのだ。

 作戦は頼んだぜ、軍師どの。

 史進の言葉が甦る。

「分かっている。必ず助け出そう。だが頼む。二人とも、決して逸らないでほしい」

 朱武の肩が震えているのを、楊春は見た。だが、朱武に先に答えたのは陳達だった。

「わかったよ。兄貴がそこまで言うなら、一旦戻ろう。そうだよな。俺たちはどうなっても、史進に何かあっちゃ、あいつの親父さんに顔向けできんからな」

「すまぬ、二人とも」

 馬を飛ばし、三人は少華山へと戻った。

「ちょっと、待ってくれ」

 楊春が二人を制した。山の方が何か騒がしい。

 すでに華州軍に先回りされたか。いや、それは考えにくい。

 馬を並足にして、陰から様子を見る。山門のあたりで何か揉めているようだった。

 何者かと、門番たちが押し問答をしていた。官兵などではないようだ。

「何事だ」

「朱武さま。この者たちが、史進さまに会わせろと、無理矢理に入ってこようとするのです」

 異形の二人だった。

 肥ってはいるが、筋肉質の大きな体躯の僧と、拳が岩のような、拳法家と見紛(みまご)うような行者だった。二人とも、その立ち姿だけで只者ではないと知れた。

 僧形の男が、こちらに近づいてきた。

「おお、お主が朱武か。わしは魯智深と申す。こっちは武松だ。実は史進には、むかし赤松林の瓦罐寺で助けられてのう。あれ以来になってしまったが、今日は話があってきたのだ」

 思い出した。王進に会う旅の最中で、魯智深という僧と出会ったという話を。

 まさに史進が語った魯智深の姿がそこにあった。

「あなたが魯智深どのでしたか。お会いしたいと思っておりました」

 朱武に続き陳達、楊春も拱手をする。

 魯智深は、にっこりと人好きのする笑顔を見せた。

 堂々たる、賀太守の行進だった。

 それを、州城手前の橋のたもとで魯智深がじっと見ていた。

 史進が捕まったと聞き、少華山をひとりで飛び出した。道を尋ねると折良く、賀太守がやってきた。

 まったく良いところに現れたものだ。これも仏の思し召しだな。

 魯智深は禅杖を構えて待っていたが、賀太守一行を見て二の足を踏んでしまった。太守の乗った籠(かご)の左右に、十名ほどの虞侯がぴたりと張り付いていたのだ。どの者も屈強で、腰には武器を佩いている。

 さすがの魯智深でも正面突破は無理と思ったのだ。

 するうちに目の前を通り過ぎてゆき、やがて城内へと消えた。

「くそう。用心深い奴め」

 魯智深が酒を呷っていると、一人の男が声をかけてきた。

 先ほど見た虞侯のひとりのようだ。

 とても丁寧な口調で、

「賀太守がお坊さまにお斎をさしあげたいと申しておりますので、ぜひおいでくださいませんか」

 という。

 しめた、向こうから声をかけてくれるとは。やはり奴はわしにぶちのめされる運命にあったらしい、とほくそえむ魯智深。

「おお、それはありがたい。では、参ろうか」

 役所へと入ろうとする魯智深に、虞侯が声をかけてきた禅杖を預かるというのだ。

「お坊さま、ここは役所なのです。誰だろうと、武器の持ち込みは許されないのですよ」

 ふん、まあよい。拳が二つもあれば充分だろうて。魯智深が虞候に禅杖を放り投げた。

 うわ、という声と共に虞候は、禅杖を支えきれず下敷きになってしまった。

 魯智深がにやりと笑った。

「ああ、その禅杖は六十二斤あるから、気をつけた方がよいですぞ」

 禅杖の下で苦しそうにもがいている虞候をそのままに、魯智深は役所へと足を向けた。

 奥の間の正面に、賀太守が腰を下ろしていた。部屋に入ってくる魯智深を確かめるように見ていた。

 魯智深が一応、挨拶をしようとした時だ。賀太守が、さっと右手を上げた。

「その坊主を捕えろ」

 声と同時に四十人ほどの捕り手たちが現れ、一斉に魯智深に襲いかかった。

 魯智深が拳を振るい、何人かがふっ飛んだ。それに若干怯(ひる)んだものの、捕り手たちは数を頼みに覆いかぶさり、魯智深を押さえつけてしまった。

 賀太守は座ったままだ。

「危ない危ない。とんだ暴力坊主だったな、やはり」

「貴様、謀りおったな」

「橋のたもとでお前を見かけてな。今にも飛び出したいのを我慢していたので、おかしいと思ったのだ。まんまと引っ掛かりおって、坊主め」

「ぐう、離せ。いますぐぶん殴ってやる」

「何という坊主だ。一体誰に頼まれて来たのだ。白状せい」

「誰にも頼まれてなどおらんわい」

 もがく魯智深の僧衣がはだけ、胸と肩の牡丹が露わになった。

「な、刺青だと。こ奴、やはりただの坊主ではないな。そうか、少華山の九紋竜を助けに来た山賊の仲間だな」

「ふん、その通りだ。わしは梁山泊、花和尚の魯智深だ。分かったら、とっとと史進を返してもらおうか。返せば命まで取ろうとは言わん。仏の情けだ」

「はは、捕らわれの身で何を言っておる。おい、この坊主を打ち据えて、牢へ放り込んでおけ」

 魯智深の口に猿轡がされ、さらに棒打ち役人がわらわらと現れた。

 終わったら呼びに来い。賀太守はそう言うと、奥へと姿を消した。

 魯智深を打つ、乾いた音が響き渡った。

 だが魯智深は、呻き声さえも漏らしはしなかった。

 

 宋江はやはり魯智深が心配で、すぐに戴宗に後を追わせた。

 戴宗が少華山に着くと、すでに魯智深は捕えられていた。戴宗の報告を聞き、宋江は合計七千もの一団を率いて少華山へとやってきた。

「私が止めきれなかったのです。申し開きのしようもありません、宋江の兄貴」

 武松が開口一番、そう言った。

「お前が悪い訳ではない。魯の兄貴はとても義に厚く、正しいと思ったらすぐに行動に移すのだ。私も、命を奪われそうなところをそれで助けられた」

 宋江が大きく頷く。

「確かに林冲(りんちゅう)の言う通りだ。そして魯智深がそうまでして助け出そうとした史進という男も、それほどの者だという事だな」

「当り前です、宋江どの。九紋竜の史進と言やあ、陝西では知らぬ者はいないほどですぜ。今回捕まっちまったのも、王義の娘を助けようとした義侠心からなんで」

「陳達」

 朱武が陳達を制した。陳達がしゅんとなった。

 朱武は見定めるように目を細めていた。

 呉用はそれに気にとめない風で、いつものように羽扇をくゆらせていた。

 梁山泊の軍師だという。あの梁山泊軍を、この男が動かしているのか。

 見た目で決めつけるのは間違いだと、朱武も分かってはいる。また同じ軍師を名乗る者として、負けまいとする気持ちもあったのかもしれない。

 朱武は、目の前の呉用を、まだ信用しきれていなかった。

「華州城は規模が大きく濠(ほり)も深い。とても外からだけでは攻めきれません。いかがされますか、呉用どの」

「なるほど、さらに今は二頭の凶暴な虎を捕らえています。いつにもまして、厳重な警戒を敷いていることでしょう」

 宋江が呉用の次の言葉を待っている。

「とりあえず今夜、何人かで偵察に行くことにしましょう」

 そうして月明かりの中、宋江と呉用は、花栄、秦明、朱仝を伴い、華州城へと向かった。

 月に照らされた華州城を見やれば、朱武の言った通りの堅牢な城である事が分かった。

「手堅いですな、宋江どの。さてどうやって攻めたら良いものか」

 朱仝が髯を撫でながら思案している。呉用も、じっと華州城を見つめ、無言のままだ。

 ふうむ、と月を見上げた宋江は、巨大な山影を見た。

 五嶽のひとつに数えられる西嶽華山だ。北斗の七つ星を貫くように勇壮にそびえている。

 宋江は、敵地であるにもかかわらず、思わず嘆息してしまうほどであった。

「物見遊山ではないのだぞ、宋江」

「おお、これはすまぬ。しかし、いつかゆっくりと訪れてみたいものだな、花栄」

「宋江どの、花栄、あれを」

 秦明が示す先に、何かが動いているのが見えた。華州の守備兵かもしれない。

 戻るぞ、と宋江は一同に指示を送り、馬を走らせ華山と並び称される、少華山へと駆け戻った。山寨へ戻っても、呉用は難しい顔をしたままだった。

 ともかく何か策を見つけるために、華州はもちろん少華山から四方へと、手下たちを走らせた。

 しかし、さしたる成果もないまま二日が過ぎた。

 解珍(かいちん)や解宝(かいほう)など暴れたくてうずうずしているものを抑えるのも難しくなってきた頃合いだ。手下のひとりが息を切らして少華山に帰ってきた。

「よし、でかしたぞ。宋江どの、朱武どの、これで二人を救いだすことができます」

 呉用が沈黙を破り、不敵な笑みを浮かべた。

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