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宿運

 今度こそ、梁山泊の件を帝のお耳に入れなければ。

 伝家の宝刀として送り出した呼延灼将軍が敗れた。

 さらに、あろうことか青州が梁山泊軍に蹂躙され、慕容彦達が殺されたのだ。

 高俅や童貫にどうするか持ちかけたが、帝に余計な心配をさせるつもりか、などとあからさまに噛みついてきた。呼延灼将軍の敗北の責任を取らされるのが怖いのだ。あくまでも隠し通そうとするのだろう。

 随分と保身にご執心のようだが、国が危機なのだ。しかも梁山泊だけではなく河北、淮西、江南と次々に賊徒どもが集まっているというではないか。事態は逼迫しているのだ。

 国が亡くなれば、その地位など蝋燭の灯火のようなものだというのに、実に呑気なことだ。

「宿太尉、宰相さまがお呼びでございます」

 蔡京の使いの者だった。何事だろうか。

「これは宰相さま、どうなされました」

「うむ、忙しいところ申し訳ないのだが、太尉どのに行ってもらいたいところがありましてな。西嶽華山の嶽廟へ、金鈴弔掛を奉納していただきたいのです」

「わしに、ですか。他の者ではいけないのでしょうか」

「聖旨なのです。帝のご指名という事ですな。名誉なことではありませんか」

「そう、ですな」

「華州の太守はわしが懇意にしている賀という者です。先触れを出して、万事取り計らっておくので、宿どのは安心して務めを果たしていただきたい

「それは、かたじけのうございます」

 釈然としないまま蔡京の元を辞し職務に戻ろうとすると、また声をかけられた。

 宦官の楊戩だった。

「宿太尉、このたびの件はたいへん喜ばしいことで」

「どうして、それを」

「ああ、これは失礼。ここだけの話ですが、宿どのを帝に推挙したのはわたしなのですよ。帝も人選に随分と迷っておられた様子。そこで謹厳実直、清廉恪勤な宿大尉どのならば間違いないと思いましてな」

「そうでしたか。かような大役、わしなどに務まるかどうか」

「何をおっしゃいます。華州はちと遠いでしょうが、物見遊山のつもりでゆっくり参られてはいかがですかな。それでは」

 楊戩のにやにやとした顔がどうも不快だった。また残る白粉の匂いが余計にそう思わせているのかもしれない。

 なるほど、そういう事か。わしを遠ざけ、帝に奏上させまいとする魂胆か。

 まったく、いつも仲違(なかたが)いしているくせに、こういう時ばかりは見事に団結してみせる。

 腐っている。やはり、この国は腐っている。

 しかし経緯はどうあれ、聖旨は聖旨だ。ないがしろにする訳にもいかない。

 翌日、まだ込み上げる苛立ちを何とか抑え、宿太尉は華山へと出立した。

 旅はさしたる問題もなく穏やかに進み、西京河南府を越えた。

 そして呆気ないほど速やかに華州へと到達した。

 あれが西嶽華山か。

 山頂を遥か雲の中に隠し、峻厳な山肌は容易に人を近づけない雰囲気だ。

 だからなのか、どこか厳かでもあり、仙人の陳希夷が住んでいたとされるのもうなずける山容だった。

 なるほど道君皇帝などと呼ばれる我が帝が、金鈴弔掛を奉納したいと思う訳だ。

「太尉さま、これより渭水を渡り、西嶽へと向かいます。川向こうの少華山には山賊が巣食っているとか。しかしここはすでに賀太守の威の及ぶところ。山賊ごときは怖れをなし、襲っても来ないでしょう。万が一の時は我らが片付けますので、どうかご安心ください」

 虞候のひとりがそう言って微笑んできた。

 なるほど山賊か。こちらは百ほどの虞候がついてはいるが、本当に大丈夫なのだろうか。

 どうしても梁山泊を思い出してしまう。

 奴らは我らを目の仇のように考えている。ここの山賊たちもそうなのではないか。

 しかし華州からの出迎えが、まだ来ないではないか。先触れを出したと言っていたが、どうなっているのだ。

 船が用意されていた。

 こうなれば早く奉納を終わらせ、帰るに限る。

 華山の入り江に着いた時、なにやら船首が騒がしくなった。

 何事だ。怒鳴り声も聞こえてくる。先ほどの虞候の声だ。

「何者だ貴様ら。我らは聖旨を奉じて、西嶽へ参詣に参るのだ。それを知っての狼藉か。ならば容赦はしないぞ」

「はい、重々に承知しております。我らは大尉どのにお話があって参ったのでございます」

 わしに話だと。話ぶりから華州の者ではなさそうだ。とすればやはり山賊か。しかし山賊が、自分に何の話があるというのだ。

「ええい、そこをどけい山賊どもめ」

 虞候たちが刀を抜き放つ音と喚声が聞こえた。だが、すぐにそれは悲鳴に変わった。

「ひいいっ」

「うわあっ」

 続いて、どぼんどぼんという水しぶきが二つ。

「何をする」

「これ以上、手荒なことはしたくありません。どうか頼みを聞き入れていただきたい」

 船上が静かになった。

 ぴりぴりとした緊張が伝わってくる。

 少しあって虞候が船中に現れた。

「何が起きているのだ」

「太尉どの、申し訳ございません。まずは話を聞いてやってくれませぬか」

 虞候の顔は蒼白だった。

 こうなっては仕方あるまい。国のために命をかける覚悟はできている。山賊ごときに邪魔される覚えはない。

「わしがこたびの件をあずかる者だ。貴様、一体何用だ」

 目の前にいたのは、山賊と呼ぶにはあまりに似つかわしくない小男だった。鎧なども着こんでおらず、まるで文官のような格好だった。

 だがその小男の後ろ、そして船の周りには見たところ五百近い、いかにも山賊という顔をした者たちが武器を手にして、自分たちを取り囲んでいたのだ。

「太尉どの、大変お騒がせしてしまい、申し訳ございません。私は梁山泊から参りました、宋江と申す者にございます」

 梁山泊、その言葉に手足がしびれたように、動かなくなった。

 結局、梁山泊の連中に、少華山へと連れて行かれた。

 しかし宋江といえば梁山泊で、晁蓋の次席にあたる頭領のはずだ。その男が直々に出張って来ているとは、どういう事だ。

 賊になる前は鄆城県で胥吏を務めており、及時雨という渾名でたいそう慕われていたと聞く。開封府でもその渾名と噂は耳にした事はあった。 

 確かに目の前の宋江は、小役人然とした格好だった。

「故あって私どもの仲間が華州に捕らわれてしまいました。つきましては太尉のお力をお借りするために、ご無礼をいたした次第なのです」

 丁重な語り口だが、だからと言って山賊に従う事はない。しかも相手は梁山泊なのだ。何を考えているか知れたものではない。

「そなたらは賊だ。捕らえられて当り前であろう。わしの力を貸せだと。この宿元景、脅されても殺されても、賊の言いなりにはならんわ」

 後ろに控えている強面の手下たちが武器を鳴らし、詰め寄るように半歩前に出た。

 だが宋江がそれを制した。統制はよく取れているようだ。

 宋江は居住まいを正し、こちらの目をじっと見た。

「太尉どの、いまのこの国をどう思われますか」

「国を、だと。どういうことだ」

「国が、いや国を動かしている役人の多くが、腐っているとは思いませんか」

 思わず声を漏らしそうになった。

 まさか、山賊の親玉ごときが己と同じ事を考えているというのか。いや偶然にすぎぬ。

 面白い、話を聞いてやるとしよう。

「己の私腹を肥やす事ばかりを考える役人たちが、国という大樹を徐々に蝕(み、枝も幹も相当に腐ってしまっております」

「ならばどうする。切り倒し、新しい木を植えるのか」

「それでは、この木に寄り添うものたちが生きていけません。そして、木に益をもたらす、あなたのような人までも失うことになります」

「ふん、よく言ったものだ。ならば、どうするというのだ」

「根はまだ死んでおりません。根がある限り、木は倒れません。だから取り除くのです」

「何を取り除く」

「虫を。木の事など考えることなく、その全て吸いつくそうとする、丸々と肥え太った虫たちを取り除くのです」

「奸臣という名の虫を、か」

「はい」

「そのような事ができるというのか。お前たちにできるのならば、わしらがとっくにやっておるわ」

「では方法が間違っていたのでは」

「貴様」

「申し訳ございません。口が過ぎました」

 思わず立ち上がってしまった。いつの間にか熱くなっていたようだ。

 この宋江、腰が低いようで、なかなか痛いところをつく。

「なるほどその例え、面白い。だがどうやってそれを実行する。一匹ずつ潰してゆくというのか。その間にも、新しい虫は次々と生まれてくるぞ」

「その虫たちの大元を断つのが、宜しいかと」

「大それたことをぬかす男だ」

 何も言わず、宋江の目がじっとこちらを向いている。

 どこかで見たことのある目だ。

 そうか、あの者たちか。いつも蔡京や童貫などを批判している右正言の陳瓘や、武学諭である羅戩らと同じ目だ。

 どうやら梁山泊の連中は、こちらに害をなす気はないらしい。

 捕らえられているという仲間をどうやって取り戻そうというのか、少し興味が出てきた。

「まずは、お主らの策とやらを聞かせてもらおうか。わしの考えも変わるかもしれんぞ」

 では、と宋江が話し始めた。

 思わず、笑ってしまった。

 そんな手で救い出すというのか。

 しかし、少し落ち着いて考えると、無理だとは言い切れない。

 単純なようだが、それだけに通用するのではないか。

 友であった、聞煥章を思い出した。軍師として溢れる才能を持ちながら野に下ってしまった男だ。

 お前ならどうする。この策を、どう考える。

 聞煥章の顔が脳裏に浮かんだ。

 あの頃と同じ、気難しそうな顔だった。

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