top of page

血闘

 峠を越え下ると先にこんもりとした森が見えた。

 すれ違った木こりに聞くと、そこは十字坡(じゅうじは)と呼ばれているという。

 十字坡の森には大木が生い茂っており、大きいものは四、五人でも抱えきれないほどの太さを持っていた。仰ぎみれば、枯れた藤蔓(ふじかずら)がびっしりと巻きついている。勇壮な雰囲気でもあるが、どことなく不気味な感じもする。

 孟州へ向けて武松と二人の護送役人が出発し、すでに二十日あまり。

 旅は順調であった。

 役人も武松が義勇の士であると理解しており、道々何かと気をかけてくれたからでもある。

 十字坡を過ぎ、一軒の居酒屋が目の前に現れた。昼まで少しあったが喉を乾かせた三人はそこに寄ることにした。

 店先の女がこちらに気づき、声をかけてきた。髪を派手な簪(かんざし)で飾り立てており、笑みを浮かべている。

「お客さん、休んでいらっしゃいな。上酒もありますし、お腹がすいてるなら肉饅頭もありますよ」

 そのつもりだよ、と役人の一人が言い、店へと入る。

 椅子に腰をおろすと、役人は武松の首枷を外してやった。

「ここじゃ誰も見てやしないから、くつろいでくれ」

 武松は肩を回し、役人に礼を言うと注文をした。

「女将(おかみ)、肉と酒をじゃんじゃん持ってきてくれ。勘定はまとめて払うから」

 女将は燗(かん)酒と肉を盛った大皿をふたつ、卓へと持ってくる。続いて大きな肉饅頭を蒸籠(せいろ)一枚ぶん、卓に並べた。

 腹が減っていた役人はそれにかぶりついた。餡がたっぷり入っており、肉汁があふれ出した。

 武松は饅頭を二つに割り、じっと中身を見て言った。

「おい女将。この饅頭の肉は犬のかい、それとも人のかい」

 ぎょっとして女将を見る役人たち。女将は慌てる様子もなく答える。

「いやですわ、ご冗談をお客さん。この泰平のご時世にそんなものあるもんですか。うちのは代々、牛の肉と決まっておりますわ」

「へぇ、そうかい。なんだか餡の中に下(しも)の毛みたいなのが入ってたんだがな」

 気のせいか、と言って武松はぱくりと饅頭を頬張った。そして酒を飲み、女将を横目で見やる。

 ほほほ、と女将は笑っている。

 笑いながらもじっと武松を見据えていた。そして酒の準備をしながら心中で毒づいていた。

 馬鹿にしやがって、罪人野郎が。飛んで火に入るとはこの事だよ、見ていなさい。

 するとまた武松が声をかけてきた。

「女将、この酒はずいぶん水っぽいな。もっと上等なのはないのかい」

「香りの良い上酒があることにはあるんですが、濁り酒なんですのよ。お口に合うか」

「かまわん、濁ってるほど美味いのさ。持ってきてくれ」

 はいはい、と奥に消える女将はほくそ笑んでいた。

 女将が酒を三人の杯に注ぐ。役人ふたりが、ぐいっとそれをあおった。

 武松は、牛肉を追加してくれ、と頼んだ。

 女将が肉を切りに奥へと戻り、武松も杯をあおった。

「くぅ、ききやがるな、この酒は」

 その瞬間、ごろりと二人の役人が椅子から転げ落ちた。

 武松もこめかみのあたりを抑え、うむ、と唸るとそのまま地面に倒れて伏してしまった。

 女将は奥から駆け戻ってくると、その様子を見て手を叩いて喜んだ。

「ははは、あたしをこけにするからだよ。おい、お前ら」

 女の声に応じて奥から二人の男たちが出てきた。堅気の者ではないのが一見してわかる。

「こいつらを調理場に運んじまいな」

 おう、と二人が、意識を失っている武松たちに近づく。

 それを見る女は腕まくりをし、いつの間にか手にしていた出刃包丁が鈍い光を放っていた。

 

 二人の役人はすでに運ばれてしまった。

 そして女の手下たちが、倒れている武松に近づいてゆく。一人が頭側から両脇に手を入れ、もう一人は両足を持つ。掛け声とともに力を入れるが、武松の体は一寸たりとも持ち上がらない。

「なんだ、こいつ。図体ばっかりでかくなりやがって」

 悪態をつきながら何度も挑戦するが、一向に持ち上がる気配がない。

 痺れを切らした女が手下を叱り飛ばす。

「なにやってんだい、お前ら。無駄飯ばっかり喰いやがって」

 先ほど見せていた客用の笑顔はすでになく、目を吊り上げたその顔は女夜叉(やしゃ)のようであった。

 女は腰を落とし、腕を入れると軽々と大きな武松を持ち上げてしまった。

「ふふ、良い肉付きをしてるねぇ。こいつの肉なら何人分の饅頭ができることやら」

 女が邪悪な笑みを浮かべた時である。持ち上げられた武松の目が、ぱちりと開いた。

「やっぱり、追い剝ぎ居酒屋だったのか」

 武松は反転するとそのまま体重を乗せ、女に覆いかぶさった。驚いた女はなすすべもなく仰向けに倒れ、武松に馬乗りにされてしまった。

「お前ら」

 という声に弾かれるように手下が武松に襲いかかる。

 しかし武松が放った拳で二人はふっ飛んでゆく。椅子や卓をなぎ倒しながら床に転がり、そのまま気を失ってしまったようだ。

 武松は上から女を見据え、ゆっくりと巨大な拳を構える。女は必死にもがくが動くことができない。

「お前、どうして目を覚ましてるんだい。あの酒を飲んだはずじゃ」

「ふん、なんだか怪しいと思ってな。飲んだふりをしていたのだが、案の定だったな」

 武松は思い出していた。崇山(すうざん)を出て各地を放浪している時に、この十字坡という名を聞いた事を。

 曰く、大樹そびえる十字坡は誰も通っちゃいけやせん。肥ったお方(かた)は肉饅頭、痩せたお方は川の底。

 客を薬などで盛りつぶし、強盗を働く追い剝ぎ酒屋が各地にあると噂に聞いた。そしてそれが十字坡にもあるというのだ。まさしく噂は真実だったという訳だ。

 押さえつけられながらも女は態度を崩さない。

「ふん、どうする気だい。覚悟はできてるんだよ、やるならさっさとやりな」

 武松はもう一度拳に力を入れる。

 その時だ。

「待ってくだせぇ、旦那」

 店の入り口に男が立っていた。薪(たきぎ)を背負っており、放つ鋭い眼光は市井(しせい)の者ではないと知れた。年のころは三十五、六か、先ほどの手下たちとは風格が違う。

 武松は女を抑えたまま、半身で男に向きなおった。

 しかし男はそれ以上近づくことはなく、攻撃の意思はないようだ。

「失礼ながらお名前を聞かせていただいてもよろしいですか、旦那」

「俺の名は武松。とある罪で孟州まで旅の途中の身だ」

「なんと旦那が虎殺しの武松どのでしたか」

 男は平伏すると、武松に懇願した。

「知らぬ事とはいえ失礼いたしました。どうか勘弁してくだせぇ、そいつはわしの女房なんです」

 武松が二人を見比べた。

 ふん、と女はまだ鼻息を荒くしていた。

 

 店の主人とその妻、そして武松が卓を囲んでいた。

 男は武松に何度も非礼を詫び、酒を勧めた。

 女ははじめ腕組みをしていたが、夫にたしなめられしぶしぶ頭を下げた。

「申し遅れました、わしの名は張青(ちょうせい)と申します」

 と、もう一度頭を下げ、話し始めた。

 張青は若い頃、この地にある光明寺(こうみょうじ)の野菜畑の番人をしていた。腕っ節も強く、少々気が短い所もあったが良く働いていたので、周りからは菜園子(さいえんし)と呼ばれていたという。

 ところがその気短な性格が仇となった。

 とある事から坊主と口論になり、ついかっとなり手をかけてしまったのだ。そして毒を食らわば、となんと寺に火まで付けてしまい逃亡したのだ。

 行くあてもなく流離(さすら)う張青はこの十字坡で追い剝ぎを始めた。

 そしてある日のことである。

 ひとりの老人が通りかかった。天秤棒を担いだ老人が近づいてくる。見逃そうと考えたが、ここ最近獲物にありついていなかった張青は、意を決し老人に襲いかかった。

 脅かして金目の物を剥ぎ取ろうと考えていたが、張青の方が驚く事になる。

 怯えて逃げるどころか、老人は迷うことなく刀を手に、張青に向かって切りつけてきたのだ。

 およそ非力な老人とは思えぬ太刀さばきに張青は舌を巻いた。

 たかが老人、となめていた張青も次第に額に汗を浮かべはじめる。老人の太刀筋は張青の首筋や胸のあたりを的確に狙っており、どれも必殺の手だった。

 これではどちらが追い剝ぎか分らんではないか、と張青も必死にそれをしのいだ。

 切り合いは二十合ほどにもおよび、老人は一度後ろに跳びのいた。そして置いてあった天秤棒を担ぐとそれを軽々と振り回したのだ。意表をつかれた張青は避けることもできず、頭にそれを喰らい打ちのめされてしまった。

 張青が目を覚ますと、目の前に老人の顔があった。

 そこは老人の家であった。

「なかなか見込みがある男だ、今日からここで暮らせ」

 と老人が言い、張青の新しい生活がその日から始まった。

 老人の名は孫(そん)といった。

 張青は孫老人から様々な技を習った。名のある武術などではないが、どれも実践で役に立つものばかりだった。

 飯の時などに話を聞くと、その孫老人、実は若い頃から追い剝ぎで世を渡ってきており、その筋で名を知らぬものはないという。なるほど自分などとは潜(くぐ)った修羅場の数が違うのだ、敵うはずもなかったのだ。

 そんなある日、孫老人は娘を連れてきた。兄弟順は二番目で孫二娘(そんじじょう)と呼ばれていた。

 怒った猫のような鋭い目つきだったが器量も悪くなく、張青はひと目で気に入ってしまった。

「張青よ、こいつに勝てばお前にくれてやろう。だが負ければそれまでだ」

 ある日、孫老人は突然にそう言った。

 己の娘と戦え、というのだ。

 戸惑う張青だったが、拒否する事はできず刀を握った。

 孫二娘は父である孫老人から、幼いころより技を仕込まれていた。

 まるで孫老人そのものの太刀筋に張青は舌を巻いた。しかし負けるわけにはいかない。負けはそのまま張青の死を意味するのだ。

 十字坡で孫老人に負けた日、本当は死んでいてもおかしくはなかった。だが何故か孫老人は自分を認め、技まで仕込んでくれた。生き延びるためそして恩返しのため、張青は必死に戦った。

 勝った。

 倒れる孫二娘の首元に刃を突き付ける張青。

「やるじゃないか、あんた。強い男は好きだよ」

 微笑む孫二娘から張青はさっと飛びのき、孫老人を見る。老人は黙って頷くだけだった。

 その日から孫老人は見る間に衰え始め、あっという間にこの世を去った。

 孫二娘には兄がいたが幼くして死んでしまったらしい。

 老人はもしかすると息子が欲しかったのかもしれない。

 孫老人の墓に手を合わせ、張青はそう思った。

 

 それから二人はこの十字坡に居を移し、居酒屋をはじめた。

 孫二娘は料理の腕前もなかなかで、肉料理が得意だった。

 張青も経験を活かし、畑を耕して野菜などは自給するようにした。

 もちろん普通の居酒屋ではない。武松たちに飲ませたように、しびれ薬を酒に混ぜてしまう追い剝ぎ居酒屋であった。

 裏の世界で名も知られるようになり、孫二娘は母夜叉(ぼやしゃ)と渾名されるようになった。

 その名の通り、孫二娘は時に見境なく客に手をかけようとするので、さすがに張青もそれをとがめた。それでは本当の夜叉になってしまう、と張青がある決め事をした。

 殺してはならない相手を孫二娘に言い含めたのだ。

 ひとつは諸国を行脚(あんぎゃ)している雲水(うんすい)。彼らは出家の身であり、なにより苦労をしているからだ。

 もっとも、少し前に魯智深という五台山出の僧侶を手にかけてしまうところでした、と張青が苦笑した。

「なにさ、まるまる肥っていたし、ちっとも坊主らしくなかったじゃないのさ」

 と孫二娘が禁を破りそうになったことを棚に上げ、悪びれずにそう言った。

 武松も魯智深の名は聞いていた。陽穀県の知県の使いで東京(とうけい)に出向いた時、すでにいないのにもかかわらずその名が広まっていたのだ。

 その魯智深は、張青のすすめで二竜山というところへ落ち着いたという。そこは鄧竜という山賊が治めていたのだが、青面獣の楊志という男と共にそこを奪ったらしい。

 楊志と言えば、生辰綱強奪の犯人の一人と目される男だ。かつては北京大名府軍副牌を務めるほどの手練(てだれ)だと、武松も聞き及んでいる。

 しかし、と張青は声をひそめて続ける。

 近頃、官軍が二竜山を攻め落としたのです、と言った。張青は配下の者を探りに行かせたが、魯智深と楊志の行方は杳として知れないという事であった。

 張青は話を戻した。

 もうひとつは旅の女芸人。彼女らを敵に回してしまえば、各地の舞台上で言いふらし、好漢英雄すらも下司野郎呼ばわりされてしまうからだという。

 そして最後に流刑中の罪人だと張青は言う。彼らの中には、高俅にはめられて流罪になったという林冲のように、ひとかどの人物がいるからだ、と。

「しかしこの度は、こいつめ危なく武松どのを手にかけるところでした」

 本当にすみません、と頭を下げ孫二娘にも頭を下げさせた。だが孫二娘も食い下がる。

「悪かったってば。だけど旦那が変ないちゃもんつけて来なすったんですからね」

「はは、それは俺もすまなかった。噂にも聞いていたし、俺たちの荷物に目を付けていたみたいなので、鎌をかけてみたんだ。いや、すまない」

 ところで、と武松が奥の調理場を顎でしゃくって見せる。

「あの役人ふたりを介抱してやってくれないか」

「あら、すっかり忘れていたよ」

 孫二娘が真顔でそう言い、三人は笑いあった。

 目を覚ました二人の護送役人は、何度も目を瞬(しばた)かせて、

「いやあ本当にきく酒だったなぁ、一杯で酔い潰れちまうなんて」

「そうだな、孟州からの帰りにまた寄ろうぜ」

 という二人の言葉に、武松と張青そして孫二娘は顔を見合せて笑った。

 役人ふたりだけが、きょとんとした顔をしていた。

bottom of page