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血闘

 安平寨(あんぺいさい)、と大きく書かれた額が門にかけられていた。

 孟州にある牢城である。

 武松はその門を通り、独房へと案内された。

 あれから十字坡の居酒屋で三日ほど逗留した。張青とは義兄弟の契りを結び、別れを惜しまれながら孟州へと到着した。

 番卒が去ると囚人たちが話しかけてきた。

「よう、新入り。何も知らないだろうから教えといてやるよ」

 なんだ、と武松が言うと、

「いいか、金があるなら番卒どもににぎらせるこった。そうすりゃ、ここでもいくらかましな生活ができるってもんだぜ、大将」

「忠告はありがたく受け取っておくよ。だがもし向こうが力ずくで来るようならば、俺は一銭たりともやる気はないぜ」

 そう言い放った武松に、囚人は困惑した。

 するうちに番卒頭がやってきて、恐喝するように袖の下を要求してきた。武松は泰然とした態度で、先ほどの言葉通りに金を渡すことはしなかった。

 それに腹を立てた番卒頭はおめきながら出て行き、それを見た囚人たちは大変なことになるぞ、と囁きあっていた。

 しばらくして武松は、牢城の責任者である典獄(てんごく)に呼び出された。

 吟味の間の正面に典獄が座しており、横には一人の若い男が立っていた。その男は二十代半ばくらいであろうか、整った顔立ちをしており、怪我でもしたのか首から垂らした白帛で片手を吊っている。

 さらに部屋の脇には番卒たちが四、五人控えていた。武松から賄賂を取り損ねた番卒頭が、にやにやとこちらを見ている。

 入牢の決まりである殺威棒百を与えよ、と典獄が言い、番卒たちが武松を取り押さえようと近づく。だが武松は彼らの手を振りほどき、低い声で言った。

「この武松、逃げも隠れもしません。もし呻いたり、逃げるような事があれば一から数え直していただきたい」

 さっと上着を脱ぎすてる武松。無駄な肉のない引き締まった腹筋、盛り上がった肩、分厚い胸板には三筋(みすじ)の傷跡があった。かつて景陽岡で虎と戦った際についたものである。そしてその虎を殴り殺したという太い腕が顕わになる。

 ほう、と典獄が感嘆の声をあげ、番卒たちも近付く事ができなかった。

 武松が跪き、番卒が棒を構える。

 すると片手を吊った男が典獄に近づき、なにやら囁いた。うむ、と典獄はうなずき、手を上げると棒打ちを止めさせた。

「どうも、この男は道中で病気にかかっていたようだ。病み上がりの顔色ゆえ、このたびは殺威棒は預かりとする」

 驚いたのは武松だ。孟州まで来るのに病気などにかかってはいない。柴進の邸宅にいたころの瘧(おこり)の事を言っているのか。しかし知っているはずもないし、それもずいぶん前の話ではないか。

「典獄さま、俺は病気などではありません。どんな料簡か知りませんが、ひと思いに打ってくれた方がせいせいするというものです」

「おかしな事を言う男だ。やはり治りきっていないようだ」

 典獄は取り合わず、武松を牢へと戻すよう告げた。

 武松は煮え切らない気持ちでまんじりともせず、じっと房の壁を見つめていた。

 それは悪い知らせだぜ。

 囚人たちが、そう武松に告げた。権力のある誰かから典獄に連絡があったのでは、と聞かれたがそんな知り合いは思い当たる節がない。そうでなければ、きっと殺されるかもしれない、というのだ。

 盆吊(ぼんちょう)というらしい。

 黴(かび)た米と干物を腹いっぱい食わされた後に筵(むしろ)で巻かれ、逆さに吊るし上げる方法で、半時とたたぬうちにお陀仏だという。

 だが武松は、怖じ気づきもせずに腕を組み、待ちかまえた。

 そしてその日の夜、囚人たちが言っていたように、ひとりの兵卒が盆を持って現れた。

「典獄さまからの差し入れです」

 来やがったな、と見てみると盆の上には酒の入った徳利、大盛りの肉が盛られた皿とうどんがのせられていた。

 少し話と違うようだが、どのみち西門慶と潘金蓮を殺し、兄の仇を討った時から覚悟はできている。武松は出された食事をぺろりと平らげた。

 兵卒が盆を片付け、房から出て行った。

 しばらくすると今度は兵卒が二人でやって来た。ついに来たな、と武松は思ったがどうもそうではない様子だ。兵卒の一人が持って来たたらいに湯を張り、武松に使ってくれと言う。

 最後に身を清めろという事か、といぶかしみながらも武松は湯浴みをした。その間にもう一人の兵卒が、房の中に蚊帳を吊るしたり、籐(とう)のござを敷いたりしていた。

 武松が体を拭き、いよいよかと思った矢先、兵卒たちは就寝の挨拶をして消えてしまった。

 一体どういう事なのだ。殺す気ではなかったのか。ともかく今晩は何もないようだ。

 武松は居心地の悪さをおぼえながらも、明日に備え目を閉じる事にした。

 

 翌朝も兵卒が早くから洗顔用の水や食事を持って来た。さらに独房から、床も壁もある部屋へと移され、同じように歓待を受けた。

 毒を食らわば皿まで、武松はとことんまで付き合ってみることにした。

 同じように囚人用とは思えないほどの食事と酒が運ばれ、身の回りの世話をもしてくれる。

 これが三日続いた。

 これはいつまで続き、一体何の目的があるというのか。

 朝食を終え、胸にしこりを抱えたまま武松は外へと向かった。

 六月の炎天の下、囚人たちが薪を割ったり水を汲んだりと様々な雑役に汗を流している。ところが自分は毎日美味い飯を喰らい酒を飲み、囚人の身とはいえ不自由なくしている。

 武松は悶々としたまま天王堂をぐるりと回り、青石でできた大きな円石に腰かけた。真ん中がくり抜かれており、どうやら旗竿を立てるもののようだ。目方は四、五百斤もあるだろうか。

 部屋へと戻るといつもの男がいつものように食事の用意をして待っていた。

 はじめは、忠告してくれた囚人が言ったように殺されるものと思っていた。だが来る日も来る日も、まるで客のような扱いを受け、一向に殺される様子もないようだ。理由も説明されず、武松は我慢ができなくなってしまった。

 ある朝、武松はやってきた男に聞いた。

「おい、一体何の目的で俺にこんな事をしてるんだ」

「前にも言ったように典獄さま、そしてその若様からのご指示なのです。どういう理由かは私には知らされておりません」

 男はそう言って杯に酒を注ぐ。

 よく話を聞いてみると、典獄の若様とやらの命令であるようだ。その若様から、少なくとも半年の間は武松を世話するようにと言われているという。

「一体、その若様ってどんな奴なんだい」

 という問いに男が答える。

「あなたも一度会っておりますよ。典獄さまの脇にいた、右の手を白帛で吊っておられた方です」

 そういえば、と武松は思い出した。あの腕を吊った男の事か。棒打ちも、典獄にあの男が何事か囁いて中止になったのではなかったか。

 しかし一体何故、という疑問は残る。

「なるほど、若様はなんていう名前なんだ」

 金眼彪(きんがんひょう)の施恩(しおん)、そう呼ばれていると男が言った。小さい頃から武芸を学び、かなりの腕前なのだという。

 武松は施恩を呼ぶように頼んだ。しかし男は、半年後に自ら会いに来られます、と断った。

 いいから呼んでくれ、いえ駄目です、と何度か繰り返すうち武松は苛立ちを覚えた。

 何か目的があるならば、施恩自らさっさと話に来れば良いのだ。武松はもう一度、怒気をはらんだ口調で施恩を呼ぶように言い、拳を卓にたたきつけた。

 その衝撃で、皿や杯などの食器類が一瞬、宙に浮きあがった。それを見た男はさすがに怯み、待っていてくださいと部屋を出て行った。

 しばらくして若い男がやってきた。

 腕はまだ吊ったままで、良く見ると瞳が金色みを帯びているように見えた。武芸の腕が立つと聞いた割に、年のせいか育ちが良いせいか、どこか頼りなく見えた。

 彪(ひょう)とは虎の子の意でもある。

 金眼彪とはよく言ったものだ。

 なるほど、まだ大人になりきれていない幼い虎が、そこにはいた。

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