108 outlaws
酔夢
三
金色の鯉が四匹。
張順が手配してくれ、琵琶亭で飲みなおす事になった。
一匹は辛みのきいた魚辣湯に、一匹は鱠(なます)にした。
やはり新鮮な魚だけって、四人は大いに舌鼓を打った。再び銘酒の玉壷春を堪能し、潯陽江を愛でる。
李俊たちや穆兄弟そして張横との騒動を宋江が話した。
命が助かり、多くの好漢とよしみを通じる事ができたのは、宋江の日ごろの行いのおかげだと張順は感心し、戴宗などは見習うように李逵に言い聞かせていた。当の李逵は生返事で酒と魚に夢中であったのだが。
楽しい時が過ぎるのは早いものだ。四人は名残を惜しみながら琵琶亭を後にした。
夕日を映す潯陽江が、事のほか見事だった。
戴宗、李逵と牢城で別れ、宋江は自室へと戻った。
土産にもらった残りの鯉を典獄に一匹分けて、残りは食べる事にした。昼間の出来事を思い出しながら鯉をつまみ酒を飲んだ。
張順が言った言葉を思い出す。命が助かったのは、日ごろの行いのおかげだ、と。そうかどうかは分らないが、天に感謝せねばなるまい。
張順は兄の張横に会いたがっていた。そう言えば宋清は元気だろうか。
するうちに瞼が重くなり、宋江は床(とこ)へと入った。
腹を刺されたかのような痛みで、宋江は目を覚ました。
丑三つ時である。
うう、と呻きながら腹をおさえるが、激痛はおさまる気配がない。腸がよじれ、腹が裂けるようだ。
どうも活きが良いからといって、鯉を食べ過ぎたようだ。
ふらふらと壁を頼りに厠へ辿りつき、朝まで籠っていた。
宋江の症状を聞きつけ、普段から世話になっている礼とばかりに、囚人たちや典獄まで宋江の看病にこぞってやってきた。そうとは知らず宋江を訪ねた張順や戴宗、李逵も驚き、回復を祈るばかりだった。
腹下しに効く六和湯(ろくわとう)を処方してもらい、休むうち少しずつだが快方に向かっているようだった。
五日ほどで、万全とは言えなかったが、体調も大方良くなり起きあがれるようにまでなった。
宋江は戴宗らに会おうと出かける事にした。
しかし会いたい時にはなかなか会えぬもので、戴宗も李逵もどこかへ行っているらしく、見つける事ができなかった。張順も、街には売り掛けに来るだけで普段は城外の村にいるのだという。
それを聞き、宋江は城外へと向かった。しばらく散歩していると、見事な川の眺めが開けた場所に一軒の料亭があった。
見上げると扁額には、潯陽楼の三文字。
詩人、書家としても高名な政治家、蘇東坡(そとうば)の字であった。
引き寄せられるように潯陽楼へと入り、二階へと上がる。川に面した小部屋で、宋江はひとり嘆息した。
見事な彫刻を施された軒が陽光に煌めき、美しく彩色した棟は晴天に映える。
遠くを眺めれば、霞みがかる山峰が見える。目を近くに転ずれば、白い花弁の水草や、紅い蓼(たで)の花が碧い水の上に揺れている。
景色にうっとりとしながら宋江は酒を飲んだ。
藍橋風月(らんきょうふうげつ)という美酒だ。
さらに野菜や季節のつまみなどの肴、羊肉や家鴨(あひる)の粕漬け、上等な牛肉が運ばれてくる。それらは料理同様に上等な器に盛られており、宋江は心を浮き立たせた。
見事な料理に、上等な器、さすが江州は噂に違わぬ富貴の土地だ。
宋江は窓の手摺りにもたれて一杯、また一杯と杯を重ねていった。
昼日中(ひるひなか)、そしてひとり酒というものは何故か酔いが早く回るものだ。
宋江は故郷の鄆城を思い出し、父や宋清、そしてここに至るまでの道程を思い返すと涙を自然と流していた。
父の反対を押し切り、胥吏となった。ひとえに人々の役に立てると思ったからだ。
義に厚く、財を疎む東渓村の保正、晁蓋を兄と慕った。そして彼は生辰綱強奪という大罪を犯し、梁山泊に身を隠す事になる。
兄と慕えばこそ、晁蓋を逃がす事に力を貸した。そしてその晁蓋はいまや梁山泊の頭領である。
妾にした閻婆惜(えんばしゃく)を失い、故郷を追われた。
済州から青州へと逃げ、旧友である花栄を頼った。しかし劉高に捕えられあわやというところで花栄に救われた。
しかしそれが青州一帯を騒がす大事になってしまい、清風山そして官軍である秦明、黄信の運命まで変えてしまった。
すべて自分の行動が発端になっているのだ。
晁蓋の誘いを断り、罪に服することにした。
閻婆惜は自分が死なせたようなものだ。それに露見してはいないが、晁蓋に密告した件がある。また青州での騒動を引き起こした、せめてもの償いのためでもあった。
宋江はまた杯を空けた。
ふう、とため息をついた。
鄆城から出て、さまざまな者たちと出会った。
丹書鉄券を持つ柴進、虎殺しの武松。白虎山の孔兄弟、清風山の三人と青州の軍人たち。双頭山の画戟使い。宋清からの手紙を携えた博徒。
さらに梁山泊の頭目たち、そしてこの潯陽江一帯を縄張りとする李俊や童兄弟、穆兄弟、張横と不思議な縁を結び、ここ江州で戴宗、李逵、張順と出会った。
李俊の言葉が心から離れなかった。
本物の、及時雨になれ。
良くも悪くも、及時雨の名に救われてきた。
ならば本物の、及時雨になってやろう。なるしかないのだ。
さらに宋江は杯を呷った。
すっくと立ち上がり見ると、壁に何やら文字が書かれているのが分かった。
それは詩だった。これまでにここを訪れた人々が、蘇東坡よろしくしたためたのだろう。
興に乗った宋江も詩を残そうと、給仕を呼んだ。
筆にたっぷりと墨を含ませ、白壁に向かう。
突然、その壁に朱仝の顔が浮かんだ。
朱仝はじっと宋江を見つめ口を動かしていたが、何と言っているのかはわからなかった。
宋江は構わず壁に筆を落とした。
それから先の記憶がなかった。
気がつけば、牢城の書記室で朝を迎えていた。
頭が痛く、喉がやたら渇く。二日酔いになるまで、飲んだようだ。
手に渇いた墨が残っていた。潯陽楼で、自分は何をしていたのだろうか。
覚えていなかった。
ただ、悲しそうな朱仝の顔だけを、覚えていた
無為軍(むいぐん)に一人の通判(つうはん)がいた。
今は退職して、その江州から少し離れたその田舎町に住んでいた。
名は黄文炳(こうぶんへい)、学を修めていたのだが、自分より劣る者を馬鹿にし上の者を妬み、常に陥れようと画策している心の狭い男。陰では蜂のひと刺し、黄蜂刺(こうほうし)と呼ばれていた。
この黄文炳、年老いた身だがもう一度官職に返り咲き、美味い汁を吸おうと策を練っていた。
折りしも江州知府は蔡得章(さいとくしょう)という男。権力の頂点、宰相を務める蔡京の息子であった。
江州は租税の入りも良く、人口も多く物産も豊かな土地ゆえ彼をこの地の知府に任じたのであった。蔡京の第九子であることから蔡九知府とも呼ばれる彼も、多くの高官と違わず金と権力を好む者であった。
蔡得章に同じ匂いを感じている黄文炳は、今日も彼に取り入るため季節の贈り物を買い整え、江州へとやってきた。
しかし折悪しく知府は連日、公の宴会の最中で、黄文炳はこの日も仕方なく自家用の舟へと戻った。
舟は潯陽楼のほとりにつないだままであった。その日は蒸し暑く、酒でも飲もうと黄文炳は潯陽楼へと足を向けた。何度か来たが、やはり壮麗な眺めだ、と酒を飲む黄文炳。早い時間だからか、他に客がいなかった。
黄文炳は杯を手にすると、まるで自分の家のように歩きだした。
壁に書かれた詩を見やる。どうやら新しいものが増えているようだ。
ひとつひとつそれを見ては、鼻でせせら笑う黄文炳。
まったく出来の悪い詩ばかりだ。知性のかけらも感じられぬ、と思いながら次の詩に目を移す。
そしてその詩に、黄文炳は釘付けとなった。
詩の出来に目を止めたのではない。
詩の内容が目を疑うものだったのだ。
「これは謀反の詩ではないか」
黄文炳は急いで給仕に紙と筆をもらい、それを書き写した。
給仕に、この詩を消さないように言いつけ、黄文炳はその場を去った。
酔った勢いで多少筆は乱れていたが、その詩の終わりには作者の名が記されていた。
そこにははっきりと、鄆城宋江作、という五文字が大書されていた。
ううむ、と蔡得章がうなった。
卓には、黄文炳が恭しい態度で座している。
「謀反、か」
黄文炳に渡された紙に、もう一度目を通し、蔡得章はもう一度うなった。
黄文炳は出された茶をすすっていた。
先日の事だ、父である蔡京から便りが来ていた。その中にも、謀反をたくらむ輩が現れるかもしれないので治下の警備を厳しくするように、と書かれていた。
なんでも、天文や暦などを司る太史院(たいしいん)の司天監(してんかん)が星を読んだ結果だというのだ。
天罡(てんこう)星が呉楚(ごそ)の地に照らし臨む、という。呉楚の地とは、この江州を含む江南地方の事だ。
さらに便りには続きがあった。
町で子供たちが唄っている流行り唄が書かれてあった。
国をつぶすは家と木で
戦(いくさ)するのは水と工
暴れまわるよ三十六
騒ぎの元は山東に
黄文炳は湯呑みを置き、神妙な面持ちになる。
「閣下、やはり偶然ではございせん」
謀反の疑いありです、と蔡得章に見せた詩を示した。
それは昨日、潯陽楼の壁にあったのを黄文炳が見つけたものだった。大まかには以下のような内容であった。
幼いころより学問を修め、猛虎が丘に伏せるように爪を隠していたが、不幸にも罪人の身となり江州に流された、冤罪をすすぐことができたら潯陽江を血で染めよう、心は山東にあり身は江南にある、もし凌雲の志を遂げる事ができたなら、黄巣(こうそう)など大した男ではないと笑ってやろう、と。
黄文炳は特に後半の部分を強調した。
黄巣とは、唐の末期に大反乱を起こした男だ。この詩を書いた人物は、この黄巣の乱を凌いでやると宣言している。しかも潯陽江を血で染めてやろうというのだから、穏やかではない。明らかにこの詩を記した宋江という者には謀反の心がある、と黄文炳は言う。
「しかし、一体何者だ。この宋江という者は」
「はい、この詩にもありますように流罪人でございましょう」
「ふん、たかが罪人に何ができるというのだ」
「お言葉ですが、閣下。さきほどの、子供の流行り唄ともぴたりと符合してくるのでございます」
「なんだと」
訝しむ蔡得章に、黄文炳が説明をする。
国をつぶすは家と木とは、宀(うかんむり)に木で宋の字。戦(いくさ)するのは水に工は、水を現す氵(さんずい)に工で江となる。まさしく宋江の名が浮かび上がるのである。
三十六とは天罡星の数と一致し、そして宋江は鄆城県の出身だと書いてある。鄆城県はすなわち山東地方にあるのだ。さらにその宋江が今は江南に流されてきている。
これで、流行り唄と司天監の予見が見事に一致するのだ。
解説しながらも、あまりの整合性に黄文炳自身も、いささか興奮してしまったくらいだ。
蔡得章は急いで、牢城の帳簿を調べさせた。そしてすぐに、宋江の名が見つかった。
「猶予を与えてはいけません。ほかの仲間どもに漏れぬ内にこやつを捕らえませ。牢に入れてからでも、話はできましょう」
うむ、と蔡得章は牢城へと部下たちを向かわせた。
「これは大手柄だぞ、黄文炳よ」
畏(かしこ)まる黄文炳は、約束された栄達を夢見てほくそ笑んでいた。
それは虎の威を借る、狡猾な老狐の顔であった。
部屋の外が騒がしい。
今は何時(なんどき)だろうか。
まだ頭が痛い。寝返りをうつのも億劫だ。
ばたばたという物音が頭蓋に響く。やめてくれないか。
ひときわ大きな音をたて、扉が押し開かれた。
部屋に大勢が入ってきた。
宋江は驚き、痛む頭を何とか持ち上げた。
押し入ってきた者たちは棒を手にしており、それを宋江に向けている。
有無を言わさず縛りあげられ、引きずられてゆく。
何事だ、私が一体何をしたというのだ。
二日酔いと、目の前で起きている事に頭を混乱させながら、宋江はどこかへと引き立てられてゆく。
ふいに、朱仝の顔が浮かんだ。
朱仝が何か言っているようだ。
「大酒には注意した方が良いですぞ、宋江どの。人助けばかりしているから、いろいろ溜まっているものを吐き出してしまう事もある」
朱仝がそう言うのを宋江は思い出していた。
朱仝の顔は、少し悲しそうに見えた。