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苦境

 晁蓋の言う事は分かる。

 だが、宋江という男の言う事は分からない。

 韓滔が腕を組み、壁を睨んで唸るようにして座っていた。

 晁蓋は、国と戦をしているのだという。この国は、中央の高官を始めとして腐っている。だから梁山泊は国を倒すため、戦をしているのだという。

 規模の大きさの違いはあれど、各地の山に依って賊徒となっている者たちのお題目と同じであった。それが本当であれ、建て前であれ、だ。

 だが晁蓋は本気で思っているし、実行に移す武力をも梁山泊は有している。だからこそ呼延灼をはじめ韓滔や彭玘(ほうき)が討伐に来たのである。

 だが、宋江の考えは少し違うようであった。

「この国を、そして民を救いたいのです」

 宋江は穏やかな顔で、しかしその声にはっきりとした強い意志を宿し、そう言った。

 韓滔らは、何を言われたのかしばし声を失った。

 晁蓋の言葉は分かる。だが宋江は何と言ったのだ。国を救う、と確かに言った。

 戦い、潰すのではなく、救うだと。どうやって。どうすれば国を救えるというのだ。

「それにはあなた方の力が、必要なのです」

 韓滔の考えを見越したように、宋江はそう続けた。

 梁山泊に捕らえられた時、当然のように殺されると思っていた。彭玘も、すでにそうされていると思っていた。だから仇(あだ)討ちのつもりで戦ったのだ。

「俺たちの力だと。山賊どもに協力するとでも思っているのか」

「もちろん、無理にとは言いません」

 宋江はそう言うと去って行った。

 もっと強硬な態度に出られると思っていた韓滔だったが、拍子抜けするほどだった。

 午後になり、三人は別の部屋に連れて行かれた。

 そこにはいかつい顔の男が待っていた。男は裴宣(はいせん)といった。梁山泊で論功賞罰を司(つかさど)る頭領だという。

「ついに殺されるって訳かい」

 食ってかかる韓滔に取り合わず、裴宣は真面目な表情のまま告げた。

「捕虜となっただけで処断するという法は、この梁山泊には、ない」

「本当なのか。じゃあ、どうするというのだ」

 彭玘が驚いた顔をしている。横の凌振も、声を出さないものの同じようだ。

「労役をしてもらう」

 韓滔らとともに捕らえられた兵たちも何らかの労役を課せられているのだという。なるほど罪を犯した時と同じという訳か。

 裴宣がそれぞれの役務を告げると、韓滔が吼えた。

「どうしてだよ。なんで俺がそんなところなんだよ。どうせなら、兵役でもさせてくれよ、なあ」

「意義は認めない」

 裴宣の毅然とした態度は、韓滔がたじろぐほどだった。

 

 かくして韓滔は家屋の築造修理、彭玘は馬匹の世話そして凌振は倉庫管理と決定した。

 彭玘は興味があった。先の戦で戦った者たちの馬が、官軍と比べても遜色ないほど良馬だったからだ。

 特に林冲の乗る馬には、目を見張るものがあった。

「あなたは」

 労役場である牧で、彭玘は思わず頓狂な声を出してしまった。

 彭玘が破れた相手、扈三娘だった。

 扈三娘は彭玘に目を少しだけくれると、再び馬の手入れをはじめた。

 彭玘らを連れてきた監視官が告げる。

「労役でやってきました、彭玘という者です」

「そう」

 扈三娘は短く言うだけだった。彭玘の方はおろか監視官を見る事もなかった。

「何をすれば。飼い葉をやるとか、厩舎の掃除とか」

「じゃあ、厩舎をお願い」

「わかりました」

 彭玘と数人の捕虜は監視官に促され、厩舎へと向かった。いまは扈三娘が手入れをしている馬以外は、放牧されている。いまのうちに糞などの掃除をするのだ。

 戦の時は自分で馬の世話をするので、彭玘にとっては苦ではなかった。はじめは鼻をつく匂いも、作業をするうちに慣れてきたようだ。

 掃除もひと通り終わり、彭玘は額の汗をぬぐった。戦の調練以外で、汗をかいたのは久しぶりのような気がした。労役といえど、どこか清々しい汗だった。

 すでに昼を過ぎたあたりだった。それほど一心にやっていたのか。

 監視官の示す先に、籠(かご)が置いてあった。中には饅頭と干した肉が少し入っていた。飯は支給されるようだ。

 適当な所に腰を下ろし、彭玘は肉をかじり、饅頭を頬張った。冷めてはいるが、どこかふんわりとした歯ごたえがある。肉も思ったよりも柔らかく、噛むほどに肉の味が染み出てきた。素直に美味いと思った。山賊がこれほどのものを、と彭玘は思った。

 扈三娘は先に食事を終えたのか、先ほどの馬に草を食(は)ませていた。

 あの戦の場でも感じたが、扈三娘は美しい女性だった。その扈三娘の刀に負けたのだ。

 彭玘は少しためらったが、扈三娘に近づいた。

 監視官が止めようとしたが、扈三娘はそれを制した。

 彭玘が言う。

「申し訳ありません。捕囚の身でありながら、お聞きしたい事があるのです」

 扈三娘は黙って彭玘の方を見ていた。彭玘は続けた。

「あの刀の技は、一体。あんな遠くから、刀を届かせられるなんて」

「教えると思っているの」

「い、いえ。申し訳ありませんでした。どうしても知りたくて」

 頭を下げていた彭玘は、咄嗟に右手を上げた。石が飛んできたが、吸い寄せられるかのようにその手に収まった。

「あなたこそ、何なのそれは。まるで飛んでくることが分かってるみたい」

「私自身にも、よく分かってはいません。戦に出ているうちに、できるようになりました。額に第三の目を持つというう二郎神君に例えられて、天目将などと呼ばれていますが」

「なるほどね」

 扈三娘はため息をひとつついた。

「もう一度、試してみましょうか」

 扈三娘は木立の枝を二本折り、その手に構えた。彭玘は思わず後ずさった。

 扈三娘との間はおよそ一丈ほどか。

 刀の届く間合いではない。しかし、届く。扈三娘が踏み込まずとも、刀が届くのが彭玘には分かった。

 彭玘はその場から動けなかった。

 誰もが向かい合う二人をみて動く事ができなかった。

 厩舎への道を二人の男が笑いながら歩いていた。王英(おうえい)と燕順(えんじゅん)であった。

 王英の表情が一変した。

「おい、手前ぇ。なに、人の女房に」

「待て」

 飛び出そうとした王英の襟を、燕順がむんずと掴んだ。

 王英が燕順を振り仰ぐ。燕順が、見ろという仕草をする。王英はごくりと唾を飲み込んだ。

 燕順に止められて助かったかもしれないと、王英は思った。

 そこにはまるで一騎打ちでもしているような気が満ちていた。

 すっ、と扈三娘の腕が下がり、張り詰めていたものが霧消した。

「あら、戻って来ていたの」

「お、おうよ。いま戻ったぜ」

 王英はそう言うのが精一杯だった。

 対峙していた彭玘も肩の力を抜き、喘ぐように天を仰いでいた。

「はは。やっぱり大したもんだな、お前の女房は」

 燕順が豪快に笑う。

 当り前だい、王英は扈三娘の側へと駆けて行った。

「こいつと何してたんだよ」

「何も」

「何もって、お前」

「何も、してないわ」

 王英と扈三娘のやり取りが聞こえている。

「なあ、あんた。彭玘と言ったかな」

「はい」

「俺は燕順という者なんだが、夜にでも飲まないか。いろいろと面白そうな話が聞けそうだ」

「飲む、って。私は捕虜なんですよ」

「そんな事はわかってるさ。あとで行くよ」

 じゃあな、と背を向け燕順は道を下って行った。

 王英と扈三娘のやりとりは、まだ続いていた。

 残された彭玘は、きょとんとするばかりであった。

「なかなか良い腕をしているじゃないか」

 青眼虎と呼ばれる李雲が、そう言った。

 渾名の通り瞳が青く、彫りの深い顔立ちをしていた。西域の血が入っているのだという。

 韓滔は褒められて満更でもない顔だったが、それに気付き、慌てて口元を引き締めた。

 韓滔が作業をしている場所は、鴨嘴灘と呼ばれている。ここにあった寨が、凌振の砲撃により破壊された。そのため新しく作り直さねばならないのだ。

 韓滔と同じく捕虜となった十数名の兵も、駆りだされていた。壊した者が直す、という訳か。ならば凌振を、と思ったものの考えても仕方がなかった。

 それに一心に重い木や石を運び、慣れない大工道具と悪戦苦闘していると、頭の中が空(から)になるのだ。

 兵役につけろと騒いだが、これはこれで面白いところがある、と韓滔は思い始めてきた。

 そこで監督である李雲に褒められたのだ。素直に嬉しかった。

 ふと韓滔は、呼延灼を思い出した。呼延灼は上手く逃げたと聞いていた。自分も彭玘も凌振も、ここで無事に生きている、と伝えたかった。

 昼食を終え、午後からの作業に戻ろうとした。

 だが数人が固まり、なにやら話をしていた。

「おい、時間だ。戻るぞ」

「わかってますよ」

 その中のひとりがそう言い、彼らは散って行った。

 見覚えがある顔があった。隊にいた者たちのようだ。

 一刻ほど経った頃、韓滔らの監視官が倒れた。誰かが担いでいた木材にぶつかったのだという。何事か、と人が集まりだす。

 騒ぎの中、誰かが叫んだ。韓滔が見ると、先ほど固まっていた男たちであった。

 彼らのうち一人が監視官を羽交い絞めにし、大工道具を首に突きつけていた。

 残りの四人はそれを背に囲むように、道具を武器として構えていた。

 さきほどはこの事を計画していたのか。木材をぶつけて騒ぎを起こしたのも、おそらくわざとだ。

 韓滔は駆けだしていた。

「やめろ、お前ら。何をしている」

 中のまとめ役がちらりと韓滔を見やった。

「何を、って見りゃ分かるでしょう、韓滔どの。ここから逃げるんですよ」

「やめろと言っているのだ。人質を取るような真似など」

 まとめ役の男が韓滔を少し蔑んだ目で見た。

 言葉遣いが変わった。

「許さないってのか。まだ隊長のつもりでいるのかよ、韓滔さんよ。ここは軍じゃないんだ。もう、あんたの言う事は聞く必要ないんだよ」

 な、と韓滔は言葉を詰まらせ、足を止めた。

 その横を李雲が通り過ぎ、男たちに近づいてゆく。李雲は素手だった。

「来るな。俺たちをここから出しやがれ。こいつがどうなってもいいのか」

「その者も梁山泊のはしくれ。もとより覚悟はできている」

 李雲の青い瞳が男を見据える。李雲の足は止まらない。

 人質に取られた監視官は騒ぎもせず、じっと李雲を見ている。

 それと反対に、韓滔の隊だった男は、近づいてくる李雲に気圧(けお)されたように、汗を滲ませていた。

 囲んでいた四人の男たちが李雲に襲いかかった。手にしているのは鋸や鎚などだが、慣れた動きだった。捕囚とはいえ軍人なのだ。

 はじめの男が鋸を斬りつけてきた。李雲は慌てることなく、素早く男の手首を捕らえた。

 その手を捻ると男が嗚咽を漏らし、鋸を落とした。李雲はさらに腕を捻り、男を地に転がした。

 片膝をついた格好になった李雲に、今度は鎚が襲いかかる。李雲は立ちあがると同時に、男の腹を殴りつけた。さらに前屈みになった男の手首をつかみ、背負うようにして放り投げた。鎚が地面に落ちた。

 振り返った李雲に、残りの二人がたじろいだ。

「相手は大工ひとりだぞ、情けねぇ。早く片付けちまえ」

 その言葉に弾かれたように二人が駆けた。

 李雲は両腕を前で交差させ、少し前屈みになって駆けた。三人がぶつかる。二人の男たちは李雲の体当たりを受け、地面に転がった。

 李雲の両腕から血が滴っていた。鋸で斬られたのだ。

「李雲、道具を拾うんだ」

 韓滔が叫んだが、李雲は落ちている鋸を一瞥しただけで、そのまま駆けた。

「来るんじゃねえって言ったろうが」

 監視官の首に当てられていた鋸が引かれた。

 だが李雲はたどり着いた。

 鋸は監視官の首を傷つけてはいたが、すんでのところで李雲に止められた。人質をとった男は、李雲に手首をしっかりと掴まれ、動かせないでいた。

 李雲がその手に力を入れた。ぐあ、と呻いて男が鋸を落とした。この隙に、監視官は男の元から脱した。

「この、山賊が」

 李雲に抗(あらが)おうとするが、男はできなかった。

「捕囚となっただけでは処断はしない、そう聞いているだろう。好きで戦っている訳ではない者もいるからだ。戦が終わってから、余計な血は流したくはないという考えからだ。だが中には、お前たちのような者もいる」

 李雲の青い目が、男を見据えていた。男は少しだけ目を逸(そ)らすようにした。

 李雲の拳が男の顔面に打ち込まれた。男の顔が拳の形に窪んだ。男はそのまま血を噴き出し、背から地面に倒れた。

 韓滔が駆け寄ると、男はぴくぴくと痙攣していた。おそらく助かるまい。

 他の男たちも、駆けつけてきた梁山泊の兵たちに取り押さえられた。彼らも、処断されるのだろう。

 韓滔は口を半開きにして、李雲を見た。

 迷う事のないあの動き。ただの大工ではなかったのか。李雲は沂州沂水県で都頭をしていたのだと、韓滔は後に知った。

「もと首斬り役人だった男がいるのだが」

 見つめる韓滔に言うでもなく、李雲がぽつりぽつりと話しだした。

「その男はここに来る前にいろいろあったらしくてな。あまり手を汚させたくはないのだ」

 李雲は連行されてゆく男たちを見つめていた。

「申し訳ない。あれは、俺の隊にいた連中なのだ。俺が止めなくてはならなかった。あんたに怪我までさせてしまった」

「私の心配より、自分の心配をした方がいいぞ。明日からお前の仕事が増える事になる。ただでさえ、人手が足りないのだ」

 李雲が落ちている大工道具を拾い始めた。

 大工道具は武器ではない。

 語らずとも、李雲の背がそう言っていた。

 韓滔は梁山泊というところに、梁山泊にいる者たちに、興味を持ち始めていた。

 うず高く積まれた物資を、凌振は見上げていた。

 開封府にも引けを取らない、山賊の蔵とは思えないほどだった。

「おい、さっさと終わらせるぞ」

 梁山泊の物資の管理、出納の一切を取り仕切る蔣敬という男だった。凌振に隠れてしまうほどの体格だった。宋江と同じくらいだろうか。

 文官の出かと訊ねたら、無駄口を叩くなと叱られた。

 だが凌振が思ったのもあながち間違いではなく、科挙を受けるほどの秀才なのだという。

「凌振、だったな。お前も開封府で物資の管理に係わっていたんだろう」

「甲仗庫ですが」

「武器だろうとなんだろうと、要領は同じだ。ここは俺が来るまでまともに管理する者がいなかったし、いまでも人が足りんのだ」

 凌振は何と答えたら良いのかわからなかった。

 自分は捕囚の身で、労役を課せられてきているだけなのだ。

 そして凌振は思う。いつまで捕囚の身でいるのだろうか。開封府には年老いた母と、妻を残しているのだ。

 蔣敬の元へ、部下たちが次々と報告に来る。凌振も割り当てられた棚を数え終わり、蔣敬へ報告する。

 蔣敬は数を聞くとそれを帳面に書きつけ、一拍おいてまた何かを書きつけていた。

「次へ行くぞ」

 移動の際に聞くと、凌振は驚いた。

 なんと今ある物資を数えただけで、これから必要になるであろう量を書きこんでいたのだという。それも大まかな数ではなく実に正確に、である。

 蔣敬の部下が囁いた。蔣敬は神算子と呼ばれており、何千、何万という位の計算を頭の中で、あっという間にする事ができるのだという。

「何を無駄口叩いている。早く終わらせると言っているだろう。何度言わせるのだ」

 叱られた部下と共に頭を下げ、凌振は駆け足になった。

 武器庫だった。

「おい、はじめるぞ」

「これは」

 蔣敬が微笑んだ。

「ふん、どうだ。素晴らしいと思わないか」

 素晴らしいと思った。数が、ではない。その質に、である。

 凌振は無言で、並べられた武具を見つめていた。

 凌振も職務で毎日のように見ていたのだ。梁山泊の武具は、禁軍が用いる武具よりも良いものかもしれないと感じた。

 どうしてこのような物を揃えられるのだ。その凌振の気持ちを見透かした訳ではないが、蔣敬が言った。

「湯隆(とうりゅう)という良い鍛冶職人がいてな」

 視線を戻した時、今度は蔣敬の後ろにあった物に釘付けになった。それに気付き、蔣敬が振り向いた。

 そこには砲があった。凌振が梁山泊討伐のために持ってきた砲だった。

「こいつには驚かされたな。湯隆も、その砲には興味があるらしくてな。ひとつ貸してくれと持っていっているよ」

 どくりと心臓が高鳴った気がした。

 開封府の軍ではお荷物扱いされていた。だが呼延灼が砲に関心を示してくれた。

 そしてこれほどの腕を持つ鍛冶職人も、興味を持ったのだという。

 湯隆という鍛冶屋に会いたい。

 やはり凌振の胸は高鳴っていた。

 

 その夜、燕順が本当にやって来た。

 手下に大きな酒甕を運ばせてきた。

 酒造を担当する朱富が作った酒だという。そんな担当までいるのか。

「私たちは囚われの身だ、酒など」

 と言う彭玘に燕順は、許可は取ってあるから安心しろと笑った。

 解珍と解宝という兄弟も伴ってきた。登州から来た兄弟で、もとは猟師だという。

 登州で地元の金持ちに無実の罪を着せられ、牢獄へと入った。だがそれを知った彼らの親類たちが協力して牢から脱出せしめ、その金持ちに復讐を果たした。

 それからひょんな経緯で梁山泊に協力する事となり、そのまま入山したのだという。

 呼延灼との戦の話になり、当然話題は連環馬となった。

 連環馬を使い、梁山泊に大きな犠牲をもたらした。韓滔はどこか後ろめたい気持ちだったが、燕順や解珍、解宝は少し違うようだった。

「確かに前線で連環馬に当たった林冲や花栄なんかは相当に苦しい思いをしただろう。中には捕らえられたあんた達を殺してしまえ、という奴らもいるしな」

 彭玘は連環馬戦には加わっていないが、その惨状は想像に難くなかった。

 しかし燕順はこう続けた。

「あんた達にとっても、それは同じ事だろう。あんた達も、それぞれの理由で戦をしているんだ。勝つか負けるか、生きるか死ぬか、なんて戦が終わってみなきゃ分からねぇ事さ」

 韓滔も彭玘も凌振も、酒を飲む手を止めていた。

 国のため、民のためと思い、戦ってきた。

 賊は国を乱すものとして、倒すべきものとして常に見てきた。

 目の前にいる燕順も、元は普通の民だったのだ。解珍も解宝も、である。

 そして梁山泊には官軍に属していた者も多くいる。林冲しかり、燕順とは敵同士であった花栄や秦明(しんめい)、黄信(こうしん)といった者たちもそうだった。

「まあ良(い)い、あんまり湿っぽい話は好きじゃないんだ。ところでどうだい、美味いだろう、朱富の酒は」

 韓滔たちは手を止めていた事に気付き、酒を飲んだ。確かに、美味い酒だった。

「おい、燕順の旦那。もう甕がひとつしかないぜ」

「お前が飲み過ぎたんだろ、宝」

「何言ってんだい。兄貴の方こそさっきから飲んでばっかりじゃねえか」

「待て待て。持って来させればよかろう」

「いいや、そういう問題じゃないんですよ、なあ兄貴」

「よく言えたもんだな、宝」

「やるかい」

「やるのか」

「待てと言ってるだろうが」

 解珍と解宝が喧嘩を始めそうな気配だった。

 だが、それを見て韓滔は笑みをこぼしていた。

 喧嘩ではない。仲の良い兄弟の、いつものやりとりだと分かったのだ。

 ひとしきり飲み、燕順らが帰って行った。

「何だかおかしな所だな、ここは」

 彭玘がため息をつきながらそう言って笑っていた。凌振も肩をすくめてみせたが、どこか残念そうな表情だった。

「なんだ凌振、飲み足りないのか」

「そういう訳では。でも、この酒は美味いなあ」

「そうだな。しかし、いま俺たちは捕囚の身だという事を忘れてはいかん」

「うむ」

 凌振と彭玘が頷いた。だがそういう韓滔こそ、名残惜しそうな顔だった。

 しばらくし、見張りに付き添われ厠から戻った韓滔が、開口一番言った。

 梁山泊に帰順する。

 彭玘は耳を疑った。酔っているのか、と凌振は思った。

 しかし韓滔の目は、言葉は、真剣そのものだった。 

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