top of page

遺恨

 青州知府である慕容彦達と好を通じていた商人が殺された。

 孔家村を治める孔兄弟の弟、孔亮によってである。

 彼らの父である孔太公亡き後の孔家村の土地を、慕容彦達はかねてから狙っていた。そしてこれを好機とばかりに実力行使に出た。孔家村を奪うべく軍を差し向けたのだ。

 そうはさせるものかと孔太公の忘れ形見である二人の息子、孔明と孔亮は立ち向かった。しかし二人は戦う事を選んだのではなかった。なんと孔家村全てを白虎山(びゃっこざん)に移してしまったのだ。

「毛頭星、独火星などと大層な名で呼ばれてはいても、やはりあやつらは臆病者だったな。これならば、もっと早くにこうすればよかったわ」

 などと慕容彦達は得意満面だったが、すぐにそれが間違いであったと知る。

 孔家村が栄えていたのはひとえに村人たちがいたからこそだった。無人になってしまえば、そこから上がる利は当然のごとく、あるはずもないのだ。

 孔家村さえ奪えば、と考えていた。なぜ孔家村が栄えていたのかを考えることをしなかった結果であった。

 だがそれで折れる慕容彦達ではなく、さらに実力行使に出ることになる。それは逆恨みとも言うべき行動だった。

 青州城内に住む、孔兄弟の叔父にあたる孔賓を捕らえてしまったのだ。

「返してほしくば、白虎山を明け渡せ。さもなくば孔賓の命は保証しない」

 慕容彦達は孔兄弟にそう告げた。

「助けにいこう、兄者。俺たちの責任だ」

「よく言った、亮。慕容の奴め、俺たちを甘く見た事を後悔させてやろうぞ」

 かくして孔兄弟は、孔賓を救うために軍勢を率いて青州城へ進んだ。

 しかし、白虎山の軍勢を迎えたのは、いつもの青州軍ではなかった。

 桃花山との戦いから戻った呼延灼であった。

 敗走に近い形だった青州軍であったが、白虎山には辛くも勝利を収める事になった。

「まあ、さすがは呼延灼というところか。桃花山を滅ぼせなかったが、これでひとまずは良しとしようか」

 満足げな慕容彦達の前には、囚われた孔明が引き据えられていた。

「貴様、叔父は関係ないだろう。はやく解放するんだ」

「とっとと孔家村を渡していれば、こんな事にはならずに済んだのだ。すべてはお前らの責任だ。お前らの父も草葉の陰で泣いているだろうな」

「何だと」

 孔明が噛みつきそうな勢いで立ち上がろうとする。だが兵たちに、四方から棒で押さえつけられてしまった。そこへ慕容彦達が、棒を手に近づいてゆく。

「知府どの。おやめください」

 呼延灼が半歩出て、制するように言った。

 だが慕容彦達は呼延灼をぎろりと睨みかえした。

「なんだ、賊の味方をするというのか」

「知府どの」

 呼延灼は退かない。慕容彦達も退かなかった。

「呼延灼どのは、知府さまが手を汚す相手ではないと言っているようです。それにこ奴を捕らえられたのも、呼延灼どののおかげではありませんか」

 呼延灼の副将としてついた男が、割って入った。しばしの間(ま)があり、慕容彦達は孔明に興味を失ったように、棒を床に捨てた。

「ふん、こいつを牢にぶち込んでおけ。酒だ、酒の用意をしろ」

 慕容彦達が退室し、孔明が牢へと連れられていった。

「申し訳ない。助かりました」

「いえ、お恥ずかしい話、慕容どのの機嫌を損ねさせると、呼延灼どのとはいえどうなるか分かりませんので」

「そうでしたか。そうとは知らず、わしこそ出過ぎた真似を」

 呼延灼が頭を下げようとしたところを副将が慌てて止めた。そして嬉しそうに微笑んだ。

「慕容どのにはいつも困っていたのです。呼延灼どのに言ってもらえて、私も少し胸のつかえが下りました。ここだけの話ですがね」

 言うと、副将は拱手して下がった。

 呼延灼は鼻から大きく息を吐いた。

 今日の戦で疲れた兵たちを存分に労ってやろうと決めた。

 

 青州を見下ろす軍勢がいた。

 桃花山、李忠と周通が率いる三百。

 二竜山の楊志、魯智深、武松の四百、そして施恩と曹正が二百を率いている。

 さらに白虎山から孔亮が率いる四百であった。

 呼延灼との戦いの翌日、孔亮が二竜山を訪ねてきた。

 孔亮は流れる血にかまう事なく、楊志たちの前に駆け寄るとひれ伏した。

 兄が、孔明が捕らわれたという。 

「頭を上げてくれ、孔亮。すぐに助けに行こう」

「楊志どの」

「ようし、腕が鳴るのう。こないだは戦えなかったから、あの将軍とは一戦交えてみたかったのだ」

「おっと、あいつは俺の獲物だぜ、魯の兄貴」

「何を言う、武松。お前には慕容彦達をくれてやる」

「そいつも悪くないな」

「よし魯智深、武松。明日の朝、出陣する。ぬかりなく準備してくれ。それと施恩、曹正を呼んで、戦の準備を告げてくれ。桃花山にも使者を送るのだ」

 おお、と魯智深、武松が応え、兵たちも散って行った。

 まったく呼延灼と慕容彦達を獲物などと、物騒な事を平然と言ってのける二人だ。本当に、頼もしい。

「孔亮、お主は手当てをして、休んでいてくれ。心配はない。孔明と孔賓どのは必ず」

「かたじけない」

 拱手した孔亮の目からは涙が滴っていたようだ。

 魯智深や武松ではないが、また呼延灼と戦える。

 そう思うと、楊志の顔には自然と笑みが浮かんでいた。

 

 桃花山軍が先鋒となり、青州城に揺さぶりをかけた。

 それを打ち払おうと青州軍が五百騎ほど出てきた。桃花山軍は少し交戦すると、負けたように駆けだした。青州軍はそれを追撃する。

 五百騎を引き離した隙に、白虎山軍が反対方向から城壁へ押し寄せた。喚声を上げ、城門を打ち破ろうとするが、矢を射かけられ、仕方なく距離をおいた。だがそこに先ほどの青州軍が戻り、追い払われてしまう。

 城攻めなのだ。やはり、小手先の戦い方ではどうにもならないようだ。

 青州城を囲む丘の上で、二竜山の旗が翻(ひるがえ)った。

「行くぞ、狙うは慕容彦達の首、ただひとつ」

 青州をどよもす喚声が上がった。

 決して駆けはせず、だが着実に二竜山軍は青州城へと進んでゆく。

 城門が開き、迎え討つように青州軍が姿を見せた。

 先頭は、やはり呼延灼。青州城前に一万五千ほどの兵たちが展開してゆき、陣が敷かれた。

 桃花山での戦いでも感じた事だが、これまで戦ってきた青州軍とはやはり違っている。将ひとりが変わるだけで、これほどまでに軍も変わるものなのだ。

 楊志の、手綱を持つ手に力が入った。

「なあに、怖れる事はない。お主こそ、二竜山の連中を、立派な兵に仕立て上げたではないか。お主の力を信じろ」

 その思いを見透かすように、魯智深が笑いながら言った。

「ほう、ずいぶん坊主らしいことを言うではないですか、魯の兄貴」

「珍しく冗談を言うではないか、武松。敵を前にして、緊張しておるのかな」 

 武松はそれに応えず、黙って馬を進めた。魯智深は、何とか言え、と冗談ぽく怒鳴りつけていた。

 お前たちのおかげだ。楊志の口元が、ほんの少しだけほころんだ。楊志の肩の力が抜けた。そして、その目は呼延灼を真っ直ぐに捕らえた。

 桃花山軍が迂回して戻り、二竜山の進軍に加わる。

 散っていた白虎山軍が集まり、それに続いた。

 軍鼓が鳴らされ、二竜山、桃花山、白虎山の連合軍が止まり、青州軍と対峙した。

 在るか無きかの静寂の後、両軍が同時に駆けた。

 四方から剣戟と喚声が聞こえてくる。

 汗が目に入りそうになり、それを土のついた手で拭う。

 目の前に青州兵がいた。ほんの少し焦ったがすぐに刀を上げ、青州兵に斬りつけた。

 青州兵が呻き、倒れた。それを騎馬が踏みつけて行った。

「おい大丈夫か、長王三」

 矮李四が駆け寄って来た。

 簡素な鎧が血に染まっていたが、その様子からすると返り血のようだ。矮李四の顔も土で汚れていた。長王三は長い息を吐いた。

「まだまだ、ここからだな、戦は」

 そう言いながら、また一人青州兵を斬り倒した。

「ああ、怪我をされた若さまの分まで、俺たちが頑張らなきゃな」

 矮李四が、長王三の背後に迫った刀を受け止めた。そして返す刀で、敵を押し倒す。地面に転がった相手に馬乗りになり、刀を突き刺した。

 この戦に、二人は白虎山軍として参加していた。

 普段は孔兄弟の周りに侍っているのだが、今回はそうはいかなかった。

 彼らの主人である孔明が捕らえられたのだ。さらにその時に孔亮も大きな怪我を負わされた。喧嘩には慣れているが、戦などした事はなかった。だが二人は迷う事なく、兵として志願したのだ。

「見ろ。やっぱりすげぇな、二竜山は」

 呼延灼率いる軍は、青州城を守るように戦っていた。そこへ楊志率いる騎馬隊が突っ込んでは、少しずつ切り崩してゆく。

 楊志の雄叫びが聞こえた。楊志の刀が振るわれるたび、いくつかの首が舞った。さらに魯智深、武松の隊も負けじと青州兵を蹴散らしてゆく。

 兵数では青州軍が上だ。だが鬼気迫る山賊たちの猛攻に、青州軍は怯みはじめていた。

 しかし、そこはやはり呼延灼である。自ら先頭に立ち、兵たちを鼓舞しながら双鞭を振るっている。

 突っ込んでくる楊志たちに対し、呼延灼は両翼を前に出した。楊志たちを囲んでしまおうというのだ。だが楊志たちは退がることなはなかった。

 その両翼は、もがれた。左右から桃花山軍、李忠と周通が翼を両断するように駆けてきたのだ。

「桃花山もだな。負けられねぇぞ、俺たち白虎山も」

 長王三と矮李四が駆けだした。

 白虎山軍は頭目である孔兄弟を欠いていた。だが曹正と施恩が指揮をとる形で、戦場を縦横にかき乱していた。

 戦はすでに三日。

 楊志や魯智深、武松の力を持ってしても、守りを固める青州軍を攻めきることができずにいた。

 一旦、退き時か。楊志がそう考えた時である。呼延灼が一気に前に出てきた。

 楊志は少しだけ冷やりとした。まるでこの機を待っていたかのような動きだった。

 呼延灼の隊は二竜山軍へは向かわず右へ駆けて行った。馬を駆る周通は視線を感じ、思わず振り向いた。

 この距離で、そんなはずはない。だが、呼延灼と目が合った気がした。

 俺を狙っているのか。周通も馬も、射すくめられたように動けなくなった。呼延灼の姿が少しずつ大きくなってくる。

 動け、腕よ。何を怖がっている。槍を上げろ。周通は自らを必死に鼓舞した。

「周通」

 その声で、周通は弾かれたように駆けだした。李忠の声だった。

 手にした槍に力を込める。振り下ろされた鉄鞭を、周通は辛うじて受け止めた。とてつもない重さが腕にのしかかる。歯を食いしばり、周通はそれに耐えた。びりびりと腕が痺れているようだ。

「わしの馬を、踢雪烏騅を返してもらおうか」

「馬、だって」

 呼延灼の言葉に周通は思わず手を止めた。あの、桃花山の麓の店で奪った、あの烏騅馬のことか。あの馬は呼延灼の馬だったというのか。

「なるほど。確かに名馬だな、あれは。だが、はいそうですかと返す訳ないだろう」

 周通は槍を回し、呼延灼に突きかかった。槍が鉄鞭に阻まれる。

 呼延灼の眼光がさらに鋭くなった。

 槍を弾き、攻め込もうとした時、横からの軍勢が呼延灼隊を押し包もうとした。施恩が率いる隊であった。

 長王三と矮李四が、周通の前で刀を構える。

「へへ、怖えぇ顔してんな」

「まったく、とんでもねぇ悪人面だな」

 呼延灼が馬上から、二人を睨みつけた。悪人面だと。わしが悪人だというのか。

 呼延灼が鉄鞭を上げた。長王三と矮李四は逃げだしたい気持ちを必死に抑え、足を踏ん張った。

 その時、二人の背後から突風が吹き抜けた。

 その風は呼延灼めがけて吹いた。その風に鉄鞭が止められた。

「後は任せろ」

 鉄鞭を止めた騎馬の将が、二人の前に出る。

 その将の得物は、狼の牙のような棘が無数についた、物騒なものだった。

 助かった、のか。

 長王三と矮李四の二人は足の力が抜け、尻もちをついてしまった。

 新手の軍勢が、そこにいた。

 呼延灼が眉間に皺を寄せた。

 青州城を取り囲むように、梁山泊の旗が翻っていた。

bottom of page