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激突

 これが連環馬か。

 韓滔は、自らが率いた連環馬の力を目にして、思わず声に出してしまった。

 呼延灼と韓滔は連環馬を二隊に分け、北と西から梁山泊を攻撃する事にした。それぞれ五十隊ずつ、千五百騎を率いるのだ。歩兵には援護として、周囲の施設などを攻撃させた。

 梁山泊軍がなす術もなく連環馬に蹂躙されてゆく。連環馬は止まる事を知らぬかのように、目の前にある全てを踏み潰してゆく。

 これは戦である。分かってはいる。だが韓滔は胸に、これは違うという思いを抱いていた。

 これは戦ではない、虐殺である。だが軍人である自分が言ってはならぬ事なのだろう。

 相手は山賊である。国に叛いた賊徒である。その討伐のための戦いだ。勝たなければならない。

 この連環馬で確かに勝てるだろう。しかし、という思いを韓滔は拭えなかった。

 軍人であり、戦う事が責務でもあった。そして韓滔は、戦う事が好きだった。

 だが、その好きな戦いというのは、ぎりぎりのところまで互いの力をぶつけ合う、そこに恨みも憎しみもない、純粋な戦いだった。

 昨日、梁山泊の五将と交えたような、そんな戦いだった。

 高俅や童貫ならば、一笑に付すだろう。勝てば良いのだ、どんな手を使ってでも。彼らならばそう言うのだろう。

 そしてそれは間違ってはいない。むしろ負けることが許されない禁軍を率いる者にとって、それは正しいのだ。それが徹底できない呼延灼などは、だから中央から外されているのだろう。しかしそれでも排除しきれないのは、その実力ゆえであるし、呼延灼に頼らざるを得ない禁軍を含めた中央軍の弱さなのだろう。

 韓滔は棗木槊を閃かせ、梁山泊の兵を倒しながら、強く奥歯を噛みしめていた。

「呼延灼どの」

 そう呟く韓滔の顔は、とても苦しそうだった。

 

 連環馬の大隊を指揮する呼延灼が、踢雪烏騅の上で振り返った。

 北の戦場である。

 自分の名が囁かれたような気がした。

 気のせいか。千五百もの騎馬の音で、囁き声など聞こえるはずもなかった。

 あるいは、その声は己の迷いか。

「進め、進むのだ」

 その思いを断ち切るように、呼延灼は叫んだ。負けるわけにはいかないのだ。

 己のためではない、と言えば嘘になる。己を含めた、地方で戦う兵たちのため。彼らも立派に国のために戦っているのだという事を知らしめるためにも、勝たなければならないのだ。

 昨日の、林冲や孫立との戦いを思い出した。どの武将も一流の腕の持ち主だった。呼延灼は彼らと戦っている時、正直嬉しかった。

 梁山泊にはやむを得ず落草した者や、いわれのない罪に問われ、逃れてきた者たちが多く集(つど)っていると聞いた。

 秦明、花栄といった武将たちもそうだ。林冲と高俅の確執も知っている。 並みの軍では勝てる訳がない。呼延灼は、昨日の戦いで実感した。

 心の奥底では、梁山泊と心ゆくまで戦いたかった。

 しかし。呼延灼は決断した。勝つのだ、と。

 眼前に梁山泊軍が陣を敷いていた。迎え討つ構えのようだ。しかし歩兵の姿が見えない。連環馬に騎兵で対抗するというのか。

 呼延灼の鉄鞭が高く掲げられた。

 連環馬が速度を上げた。土煙がさらに捲き上がり、地響きが大きくなる。

 梁山泊軍の騎兵が弓を構えるのが見えた。無数の矢がこちらに向かって飛んできた。しかし連環馬には通じない。羽虫を払い除(の)けるかのように、連環馬は矢を弾きながら突き進む。

 梁山泊軍が馬首を返し、逃げだした。それを連環馬が追う。

 呼延灼の体が突如、浮いた。

 何が起きた。踢雪烏騅が跳んでいた。何故、どうして。

 大きく跳躍した踢雪烏騅は着地した後、すぐに駆けだした。梁山泊軍を追うのではなく、蛇行しながら離れるように駆けた。

 背後で悲鳴と怒号が聞こえた。振り向いた呼延灼は、叫びそうになった。

 真後ろにいた連環馬の隊が、地に倒れ伏していたのだ。

 呼延灼は見た。

 もう一隊の連環馬が、つんのめるようにして倒れた。まるで足元を掬(すく)われたかのように倒れたのだ。

「足元を、掬われた、だと」

 呼延灼は声に出して言った。

 連環馬の弱点は分かっている。馬同士が鎖で繋がれているため一頭が倒れると、他の馬も引きずられるように倒れてしまうという事だ。

 対応されぬよう、連環馬の計は一気に決めなくてはならない。

 同じ相手に二度や三度と使える計ではないのだ。もちろん二度目を使う事は、これまでになかった。一度の攻撃で、敵を殲滅してきたからだ。

 そしてまた一隊が、倒れた両脇の馬に引っ張られ、隊列ごと地面に突っ伏した。

 ふいに足元が光った気がした。

 そう思った時、踢雪烏騅が棹立ちになった。

 なにかが、前脚のあった位置を通り抜けた。

 足元に兵がいた。

 土の中から上半身だけを出していたその兵は、槍とも鎌ともつかぬような、奇妙な得物を手にしていた。

 突如、轟いた大音声に、呉用までも聚義庁の外に飛び出した。

「何だ、今の音は」

「鴨嘴灘の方角です」

 裴宣の言葉に、晁蓋が駆けだした。物見櫓にかけ上り、目を凝らした。

「何だ、あれは」

 晁蓋は鴨嘴灘の対岸に、見慣れぬ物が並んでいるのを見た。

 それは黒く巨大な筒のようで、それが梁山泊に向かって口を向けて、斜めに据え付けられていた。

 全部で四つ。その筒の周りには呼延灼軍の兵たちが居並んでおり、何やら忙しく動き回っていた。

「よし、命中。次だ」

 その筒の横に立っていた、がっしりとした体格の男が言った。

「やりましたね、凌振どの」

「さわぐな。次の準備をするのだ」

 凌振と呼ばれた男は、兵の言葉に喜びもせずに、そう命じた。

 兵が袋のようなものを筒に入れ、さらに二人がかりで鉄の弾を運び、その筒にゆっくりと入れる。そして筒の向きを慎重に変える。

 筒の後ろにいる兵が火のついた棒を持っていた。その兵が、凌振の方をじっと見ている。凌振は兵を見ず、梁山泊を睨んだまま言った。

「撃てい」

 号令と共に兵が火を筒の底に近づけ、備え付けられた縄に点火した。火は縄を伝い、筒の底へと消えた。

 一瞬の静寂。そしてその直後、爆音が轟いた。

 筒から鉄の弾が飛びだした。

 それは先ほどと同じ軌道を描き、鴨嘴灘に向かって飛んだ。

 弾は再び、鴨嘴灘の寨に命中した。

 兵たちの歓声の中、やはり凌振だけは口を真一文字に結び、腕を組んだままだった。

 だがその目は、少し潤んでいるようにも見えた。

 

「わしを使ってくれるというのですか」

 呼延灼の梁山泊討伐に参加せよ。凌振はその命令を受け、そう叫んだ。

 武器などを管理する甲仗庫に属していた凌振は、火器の可能性を信じていた。

 爆発させるだけではなく、その力を使った兵器ができないか。凌振は職務の傍ら、その課題に没頭するようになった。

 一意専心といえば聞こえはいいが、凌振は周りの事も目に入らない頑固者、変わり者として次第に周りからも距離を置かれる存在となっていった。

 それでも凌振の熱は冷める事がなかった。

 火薬を使った武器としては、火槍や火箭などが実戦でもいくらか使用されていた。だが凌振は、対人ではなく攻城のための兵器として、それを考えていた。

 はじめは竹の筒の底に火薬を詰め、上から大きな石などを入れた。そして底の導火線に着火させ、爆発力で弾を発射しようという試みだった。

 いわゆる砲である。凌振は、投石機に代わる砲として、火薬の力でもっと大きく重い物を飛ばす事ができるはずだ、と考えたのだ。

 もちろん、初めからうまく行くなどと考えてはいない。案の定、竹筒は見事に爆発四散し、凌振自身も、周りの人間も負傷する事になる。

 普段から鼻つまみ者であった凌振を、上官たちはここぞとばかりに非難した。

 この件で、凌振は職を解かれそうになった。しかし思わぬところから救いの手が差しのべられた。

「奴の、凌振という男の火薬に関する知識や経験は並みのものではない。こたびの事は確かに失態とはいえ、国のためになれば、という熱意の裏返しでもあろう。いま彼を失えば、跋扈する賊や侵略を狙う外敵に対する備えを失う事になりましょう。どうかお考え直しを」

 そう奏上したのは、神火将と渾名される、火計を得意とする将軍だった。凌振も、その名をもちろん知っており、火薬や爆薬に関していつか語り合いたいと思っていたのだ。 

 その後、神火将は凌州に配属される事になり、礼をする事ができないままとなった。そして、神火将に報いるためにも、凌振は一層、砲の製作に専心する事になる。

 凌振の努力は実を結び、砲は一応の完成を見た。

 砲身には青銅を使い、それを木の櫓で支えたものだった。実際に砲を見た者たちは、その威力に驚き、凌振を轟天雷と呼ぶのであった。

 当人は、まだまだ未完成だと言っているが、それでもその力は十二分なほどだった。

 しかし童貫は、

「確かに威力はあるようだが、そんな重いもの、どうやって戦場に持ち運ぶというのだ。しかも撃つまでに相当の時間がかかるし、砲自身も数回で使えなくなるというではないか。そんなもの戦では使えん。まあ、せいぜい敵を驚かすぐらいだろうな」

 と、にべもなかった。

 しかし凌振は言葉を飲み込むしかなかった。童貫の言う通りだったからである。

 かくして火砲は実戦で採用される事もなく、轟天雷の名も埋もれていくかに思われた。

「お主が轟天雷の凌振か。ぜひ、お主の力と、砲の力を借りたいのだ。上の連中はあまり評価していないらしいが、砲はこれからの戦のありようを変えるものだと、わしは思っておるのだ」

 梁山泊へ出陣する半月前、呼延灼が甲仗庫に来た。武器や鎧などを下賜され、それを拝領しに来た。

 その時に、そう言ったのだ。

 凌振は少しの間、何を言われたのか理解できなかった。

 自分を、使うというのか。砲を、戦で使うというのか。

 凌振に否も応もなかった。呼延灼が直々に砲を認めてくれたのだ。

 そしてついに梁山泊戦で、万感の思いで砲を放った。

 砲弾は、凌振の思いを乗せ、大きく飛んだ。

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