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重囲

​二

「これじゃあ、手柄があげられないまま終わっちまいますぜ、李逵の兄貴」

「まったく鮑旭の言う通りだ。敵が来るから隠れてろって言ったけど、まったく来ないじゃないか。他の連中は官軍を斬りまくっているってのによ」

 済州にほど近い山麓である。呉用は、李逵と鮑旭そして項充、李袞に歩兵三千ほどを預け、伏兵としてここに配していたのだ。

 はじめは相手が向こうからやって来ると喜んでいた李逵たちだったが、日が沈み月が昇っても一向にその気配がなく、しびれを切らし始めた。

「まあ、もう少し待ってみよう。他の場所に配置された連中も、同じ気持ちだろうからな」

 項充がなだめるように言う。それでも鮑旭は、殺してえ殺してえと喚いていた。李袞は少し後ろで渋い顔をしている。人見知り故か元々の性格からか、鮑旭にはまだ慣れずにいるようだ。

 うつらうつらする内に斥候の叫びで一同が跳び起きた。ついに童貫軍が現れたのだ。

 李逵は二丁の斧をひっつかみ、鮑旭は刀を握り駆けだした。項充、李袞も団牌兵をまとめ、駆けた。

「なんだ、あれっぽっちかよ」

 李逵の言う通り、童貫軍はかなり数を減らしていた。

「まあ良いじゃねぇか。いくぞ手前ら」

 鮑旭が刀を上げ吼える。それに歩兵が従ってゆく。李逵も両手の斧を振り回しながら突進していった。

 童貫軍は李逵たちと戦おうとはせず、突っ切る構えのようだ。相手は騎兵だ。そうなるとこちらは到底追いつけない。

 先頭で守られるように駆ける体格の良い男に狙いを定め、項充が飛刀を、李袞が標鎗を放った。飛刀と標鎗の軌道に一騎が飛び込んできた。得物を正確に振るい、弾き落としてしまった。

 その騎兵、段鵬挙(だんほうきょ)が向きを変え、こちらに向かってきた。狙いは項充と李袞だ。

 項充が飛刀を放った。段鵬挙が再び飛刀を弾く。そして項充の間近まで迫った。段鵬挙は項充を攻撃せず、馬をぶつけた。

 咄嗟に団牌で防いだものの、項充の体は一丈あまりも吹っ飛んだ。

「項充」

 叫ぶ李袞だったが、駆けつけることはできなかった。今度は李袞に向かって段鵬挙が突っ込んできたからだ。標鎗を放つも焦ったためか狙いが正確ではなかった。項充と同じように、李袞も大きく弾き飛ばされた。

 背を打ち、息が詰まった。動けない。段鵬挙がゆっくりと近づいてくる。李袞が標鎗を探る。

 ぐらりと段鵬挙の体勢が崩れた。乗っていた馬が地に倒れ伏した。馬の前脚が、無残に斬られていた。

「手前(てめえ)が大将だな。俺が相手してやるぜ」

 鮑旭がそこにいた。李袞に向けて顎をしゃくってみせた。向こうで李逵が官軍相手に奮闘している。そっちへ手伝いに行けというのだ。

 躊躇した李袞だったが、項充を助け起こすと李逵の元へと駆けていった。

 地に降りた段鵬挙は目でそれを追った。

「おいおい、手前の相手は俺だぜ。よそ見するんじゃあねぇよ」

 ゆっくりと段鵬挙が視線を戻す。飛び道具を放った二人を狙ったのは、強いと思ったからだ。先に倒しておかなければ、必ず厄介になると思ったからだ。

 だが、刀を無造作に掴み、ぶらぶらとさせている鮑旭を見て思う。どうみても素人の動きだ。これまで戦ってきた梁山泊の将は、どれも一流の兵だった。梁山泊といえど、玉石混淆という訳か。

「来ないなら、こっちから行くぜ」

 鮑旭が危険な笑みを浮かべた。ゆらりと動いた。

 鮑旭の攻撃を、なんなく段鵬挙が防いだ。

「一応、名を聞いておいてやろう」

「は、自分から名乗ったらどうだ」

「鎮鄷都の段鵬挙。冥土の土産に覚えてゆけ」

「俺は鮑旭だ。喪門神って呼ばれてるぜ」

 にたりと笑い、鮑旭が連続で刀を振りまわす。やはり素人刀法だな、と捌きながら思う。しかし渾名が死神とは、笑えない冗談だ。冥府の都を鎮める、鎮鄷都と名乗る段鵬挙は苦笑しながら、喪門神の刀を捌き続けている。

 童枢密への攻撃は分散させた。あとはこ奴らを片付けて戻るだけだ。段鵬挙は気合を込め、攻撃を繰り出した。得物が振るわれるたび、鮑旭の戦袍が裂け、血が飛び散る。だがなかなか致命傷となる一撃が決められない。どころか鮑旭はますます愉悦に満ちたような顔で、攻撃を続けてくる。

 こいつ、まことの喪門神か。

 鎮鄷都が怯んだ。だがすぐに怖気づいた心を鼓舞するように叫んだ。

 下段から跳ね上げるように得物を振るう。今度は確かな手ごたえがあった。鮑旭の胸のあたりから、血が大きく噴き出した。

「痛てぇなあ」

 よろめきながらも鮑旭はまだ立っていた。鮑旭は血塗れだった。鮑旭自身の血である。だが段鵬挙は、それが何故か返り血のように思えてしまった。

 ひいっ、と悲鳴に似た叫びをあげ、段鵬挙が斬りつける。しかしそれは空を切った。代わりに、段鵬挙の体に衝撃があった。

 右腹から左肩にかけて、段鵬挙の戦袍が裂けた。続いて、勢いよく血が噴き出す。今度は、確かに悲鳴を上げた。

「泣きわめくなよ。まさか人を殺そうってのに、殺される覚悟はしていなかったのか」

 鮑旭が血の付いた顔を邪悪そうに歪めた。

 段鵬挙の喉が、真横に裂けた。

 やはり、死神か。段鵬挙の思いは、もう声にはならなかった。

 鮑旭は段鵬挙の死を確かめると、李逵たちを探した。

「お、まだ戦ってやがる。よし、俺の分も残しとけよ」

 返り血を浴び、刀から血を拭いもしない鮑旭が、ゆらりと歩きはじめた。

 済州の境にほど近い地である。ここにも梁山泊の伏兵がいた。

 張清が率いる隊である。副将は、東昌府時代と同じ龔旺と丁得孫であった。

 呉用と朱武が講じた十面埋伏の計、その最後の伏兵である。

 龔旺が欠伸をしかけた矢先、遠くから馬蹄の響きが聞こえた。

「へへ、本当に来やがったぜ」

 嬉しそうに龔旺が槍を握る。だが、待てと丁得孫が言った。

「何だよ」

「見ろ」

 馬蹄の音と共に童貫軍が現れた。だがその数はあまりにも少なく、肝心の童貫と思しき姿もなかった。

 張清が笑う。

「ふふ、敵もさる者ということか」

 とはいえ張清軍もそう多い兵数ではない。数ではいい勝負といったところだ。

 官軍の先頭をかけるのは周信だった。

 伏兵の歩兵に段鵬挙が向かった後、この場に至る前、周信は神妙な面持ちで童貫に告げた。

「童枢密、済州へ向かう道に暗澹たる気配が感じられます。どうか道を再考いただくことはできませぬか」

「貴様、二度とわしに意見するなと言ったはずだが」

 童貫が刀の柄に手を掛けた。いつでも止められるよう、畢勝が身構えた。

「さよう。命を賭しての進言でございます。童枢密にもしもの事があれば、死んでいった他の兵馬都監が報われません」

 ぬう、と童貫が唸った。

「童枢密、あの山での事もあります。こ奴の力、本物かもしれません」

「よかろう、畢勝。お主に免じて聞いてやろう。周信、ではどうせよと言うのだ」

「はっ、予定の道へは私が兵を率いて、梁山泊を引きつけます。童枢密は畢勝どのと別の道を」

 畢勝と共に彼方へ去った童貫を見やり、周信の隊はそのままの道を駆けた。そして張清の隊と出くわしたのだ。

「やはり伏兵か。せめて一矢報いてやろうぞ」

 解魔法師、周信が棒を構える。正面に現れた馬上の男が、掌(てのひら)をこちらへ向けていた。

 何をしているのだ。

 突如、周信は顔面に激痛を感じた。目の前が真っ暗になる。鼻と口の奥に、鉄臭い味を感じた。

 間合いに入ったと同時に、張清は礫を放っていた。礫は周信の鼻の下に、突き刺さるように当たった。

 そのまま周信は馬から転げ落ちた。龔旺と丁得孫が駆け寄り、槍と杈をかざした。抵抗する間もなく、二人の得物が周信の喉に突き立った。

 それを見た官軍が悲鳴を上げ、逃げだした。龔旺が追撃しようとするが、張清が止めた。

「どうしてだよ」

「宋江どのの命令だ。逃げる者はあえて追う必要はない、と」

 張清が兵をまとめ、戻る準備を始める。舌打ちをし、龔旺が肩を落とした。そこに丁得孫の手が置かれた。

「仕方ないさ。それに大将も、こないだまで兵馬都監だったのだ」

「そんな事知ってるわい。だがいまは梁山泊の将軍だ。官軍は敵なんだぜ」

「俺たちは山賊だった。分からんさ、俺たちには」

「ふん、分かったような口を聞きやがって」

 そう言いながらも龔旺も武器を納め、馬をゆっくりと進めた。それに丁得孫が並ぶ。

「大将」

 龔旺が声を張り上げた。なんだ、という顔で張清が見つめ返す。

「今の手柄は、誰のもんになるんですかい」

 張清が弾けるように笑った。

「もちろん、お前たち二人のものだ」

「まあ、それで良しとしますかね」

 横にいた丁得孫も微笑んでいた。

 

 童貫と畢勝が必死に馬を駆っている。

 もはや梁山泊は遥か彼方となった。遠目に見ることもできない。

 馬がつぶれる寸前で、やっと休憩を入れた。竹筒の水を飲み、干し肉を奥歯で引きちぎるようにした。

 こんな風にするはずだった。梁山泊の奴らの肉を、食いちぎってやるはずだった。

 だが結果は全くの逆だった。完全な敗北である。

 くそっ、と童貫が竹筒を投げ捨てる。険悪な雰囲気に、残されたわずかな兵も気が気ではなかった。

「童枢密、民家を手配します。今夜はそこでお身体を休めてください」

 開封府まではまだ二日ほどある。畢勝が気を利かせてそう言った。

「いらぬ。全員野宿だ」

 意外そうな表情を、畢勝がした。

 瞬く間に陽が落ち、星が満ちた。

 見張り以外、兵は寝息を立てていた。童貫は床几に腰かけたまま、夜空を見ていた。

「少しは横になった方が」

 畢勝だ。そういうこの男も眠れないのだろう。

 畢勝は、鄷美の名を出そうとしたがやめた。鄷美ほどの軍人が敗れるとは考えにくいし、なにより考えたくなかった。鄷美や兵馬都監たちが道を切り開き、やっとここまで逃れられたのだ。童貫を開封府へ連れ帰ること、それだけに専心すればよいのだと思った。

「そうだな」

 童貫は素直にその言葉を聞き入れた。自分と鄷美の言葉だけには耳を傾けてくれる。それは童貫からの信頼の証でもあり、それが誇らしかった。

 童貫が寝息を立てるのを見届ける。見張りを呼び、注意を怠らないよう言いつけた。

 自分も少し目を瞑ろう。

 そう考えたが、鄷美の事がいつまでも頭から離れずに結局朝を迎えた。

 開封府へ戻ると、童貫がすぐに呼ばれていった。負けの責任を取らされるのだろうか。

 畢勝は失った兵の補充や、慣れない報告書の作成にひと月近く忙殺された。鄷美がいなくなり、その存在の大きさに、今更ながら気付かされた。

 畢勝が毒づき、筆を放り捨てた。

「くそう、あいつがいてくれれば」

「あいつとは、誰だね」

 その言葉の主を見て、畢勝は口をあんぐりと開けたまま固まった。

「梁山泊から戻ってきたというのに、誰も迎えに来なかったものでな」

「ほ、鄷美。生きていたのか」

「今日は酒でも飲もう、畢勝」

「飲むのは構わん。望むところだ。だが一体、梁山泊で何があったのだ」

「まあ、まずは飲んでくれ。美味いぞ、こいつは」

 微笑む鄷美の手に酒徳利があった。笑面虎の朱富の酒だった。

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