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重囲

 替天行動の旗が翻っている。

 旗をしっかと棒持した郁保四が目を細め、遠くを見やる。

「童貫たちは、向こうの山の上へと逃げ込んだようです」

「よし、手を休めず追撃を」

 宋江の言葉に、伝令たちがかけてゆく。横で呉用も神妙な顔をしている。童貫軍は残り三分の二といったところか。呉用と朱武が立てた十面埋伏の計も、いよいよ大詰めである。

 童貫のいる山の麓あたりに土埃が見える。官軍の援軍のようだ。

 李明と呉秉彝を先頭に、官軍の一団が駆けている。童貫を援護するため、後方から駆けてきたようだ。

「見ろ、向こうの山だ」

 李明が示す方向の山上に、官軍の一団が固まっているのが見えた。遠目であるがどうやら童貫だと分かった。李明は大きく迂回するように、童貫のいる場所を目指そうとした。呉秉彝もそれに続くが、その視線は戦場のあちこちを彷徨わせていた。

 いない。あの男はどこだ。韓滔はどこだ。斥候の報告によると、呼延灼らしき将をずっと前方で補足したという。韓滔がいるとすれば、そこに違いない。何としても、この戦のどさくさに乗じて、奴の首を叩き落とすのだ。

 梁山泊を倒すためではない、そのためだけに来たのだ。

 李明が何やら叫んでいる。呉秉彝が目をやると、斜め前方に梁山泊軍が待ち構えていた。

 伏兵か。こちらの動きは読まれているようだ。

 梁山泊軍と李明らの軍がぶつかった。

 梁山泊軍は楊志と史進に率いられていた。

 三尖両刃刀を縦横無尽に操り、史進が官軍をなぎ倒しながら突進してくる。史進の目は、呉秉彝を見据えている。

 呉秉彝もそれに気付いた。奴の狙いは自分だと。草むらをかき分けるかのように、あっさりと史進は呉秉彝に辿り着いた。

 呉秉彝は麻扎刀を構える。

「さあ、この九紋竜の史進が相手をしてやる。名前だけは聞いておいてやろう」

「韓滔という男はどこにいる」

「は、韓滔だって」

「そうだ。知っているのだろう。どこにいるのだ」

 史進の顔が赤くなる。

「馬鹿にしやがって。お前の相手は、この俺だ」

 三尖両刃刀が咆哮を上げる。颯々と呉秉彝は刃をかわし、史進に反撃を試みる。だがやはり史進も並ではない。両刃刀を風車のように回し、呉秉彝の攻撃を阻んだ。

 呉秉彝の顔に、苛立ちのようなものが浮かんだ。唾を吐き捨て、目を細めると、史進を睨んだ。

「おい若造。教えないというのなら、邪魔をしないでどこかへ失せろ」

「一体、韓滔に何の恨みがあるんだってんだ」

 呉秉彝はもちろん語らない。史進は微笑んだ。ゆっくりと三尖両刃刀を突きつける。

「まあ、どうでも良いか。だがひとつ言っとくぜ」

 史進が馬を飛ばす。呉秉彝がそれに応じる。

「だぶん、韓滔はあんたのことなんて覚えちゃあいないぜ」

 麻扎刀が宙を舞った。呉秉彝の右肘から先が斬られていた。呉秉彝が痛みを感じるよりも早く、体が袈裟掛けに斬られた。

 刃の血を振るい落し、史進は気付いた。

「しまった、名前聞いてねぇや」

 まあ、仕方あるまい。

「ようし、お前たち、やるぞ」

 史進は部下たちを集め、散り逃げる官軍を追った。

 

 戦場を見回し、楊志はもう一人の兵馬都監を探した。

 こちらと同じように、官軍も将を二人ずつ組ませているという報告があった。史進がひとりを討ち取った。

 楊志と史進が姿を見せた時、確かに将らしき者を確認したのだ。乱戦の中で見失ったのか。

 と、単騎の楊志に向かって十騎ほどの兵が向かってきた。先頭には将らしき男。こいつが兵馬都監のようだ。

 十騎に向けて、怯むことなく楊志が駆けた。抜いた刀が、鋭く光る。

 兵馬都監が刀を振り下ろすより早く、楊志の刀が真横に光の軌跡を描いた。胴を一文字(いちもんじ)に斬られ、兵馬都監が馬から落ちた。

 残りの兵が、楊志に斬りこんでくる。一人、二人、三人と楊志は刀を振るう。

 楊志がちらりと刃を見た。四人目と五人目を矢継ぎ早に斬り、楊志は思いだした。

 湯隆のことである。

 楊志が二竜山から参加してやや経った頃である。

「いやいや、驚いたわい。こんな事があるなんてな。御仏のめぐり合わせかのお」

 目を輝かせて魯智深が言ってきた。訊ねると鍛冶屋のことだという。

 魯智深が五台山にいた頃、山の麓の鍛冶屋に特注で禅杖を作らせた。その時の鍛冶屋が、梁山泊の鍛冶職人である湯隆だったというのだ。魯智深や楊志が二竜山にいた頃、李逵と出会い梁山泊に入ったという。

「わしも驚きましたよ。まさかここで再会するなんて」

「いやあ、助かったわい。こいつも結構痛んでたんでな」

 新品のように補修した水磨禅杖を魯智深に渡し、湯隆はそう言って微笑んだ。

「ところで、先ほどの話だが、湯隆よ」

 と魯智深が切りだした。湯隆が改まったように楊志に向きなおった。

 湯隆の言葉に、楊志はやや顔をしかめ、即答した。

「それは、無理だ」

 楊家の宝刀、それに迫る刀を作らせて欲しい。湯隆はそう言ったのだ。

「やってみなければ、分からんでしょう」

 鍛冶職人としてより良い武器を作りだすことは、湯隆の人生そのものなのだろう。

 それならば楊志の許可がなくてもよいのではと思った。違うのだ。湯隆は楊家の刀を再現したいのだ。

 鉄をも断つ威力を持ち、触れただけで毛も切れる鋭さを持ち、その刃に血が残らないという滑らかさを兼ね備える刀をである。だから楊志に頭を下げているのだ。

 湯隆の目は真剣そのものだった。

 やってみなければ分からない。楊志の心に、湯隆のその言葉が深く突き刺さった。

 目を閉じると、梁山泊に至るまでの道程が、瞼の裏に浮かんだ。湯隆の言葉の通りだと思った。

「先ほどは失礼した。こちらこそお願いしたい。ぜひ作ってくれないか」

 湯隆が頬を緩め、そうこなくてはと魯智深が破顔した。

 そして童貫との戦の直前、湯隆から刀を渡された。まずは使ってみて欲しい、というのだ。 その時の湯隆の真剣な顔が思い出される。

 七人まで斬り伏せた。刃こぼれどころか、血もほとんど付いてはいなかった。

 楊志は雄叫びを上げ、駆ける。楊志の姿に気圧されたのか、残りの兵が逃げだし始めた。

 楊志は手綱を引き、それを見送った。逃げる相手を、しかもただの兵を、追うのは性分ではない。

 楊志が改めて刀を見やる。楊家の宝刀までとはいかなくとも、充分に迫る刀ではないか。

 楊志は童貫が拠ったという山を見た。二竜山での戦いを思い出した。

 あの時とは立場が逆だ。そして楊家の宝刀を持つ畢勝がそこにいる。だが楊志はそれ以上の感情を覚えない自分自身に驚いた。

 楊志は気を引き締めると、史進と合流するために駆けた。

 楊志から逃げた兵のひとりが、ずる賢そうな笑みを浮かべていた。それは兵馬都監の李明だった。

 転がる兵の骸を横目に、馬を飛ばす。

 李明は乱戦の中、配下の兵の衣服をはぎ取り、身にまとった。そして兵馬都監の格好をさせた配下を突撃させた。

 楊志を騙し討ちするつもり、ではない。最初から逃げるつもりだった。

 この李明、滑狸猫というふたつ名を持っていた。狡猾な山猫、というような意味だ。

 冗談じゃあない。もうこの戦、負けが決まったようなものではないか。呉秉彝も梁山泊軍に討たれた。とにかくこの場を切り抜け、やむなく敗走という体で童貫の元へ向かい、共に逃げなくては。

 充分に離れたようだ。しかし方向を変えようとした馬が石に躓き、体勢を崩した。

 李明は馬から放り出され、頭から地面に落ちたあと動かなくなった。

 李明の目は見開かれたまま、息をしていなかった。

 首がおかしな方向に捻じれていた。

 援軍が、目の前で散々に蹴散らされてしまった。

 思わず童貫は手にしていた矢をへし折った。

「他におらんのか。まだ残っている兵馬都監は誰だ」

 畢勝が険しい顔になる。

 すると南に土煙が見えた。官軍が円陣を組んで、梁山泊軍の攻撃を耐えているようだ。陣の中に見えるのは周の旗と段の旗。

 周信と段鵬挙だ。

「私が」

 鄷美が馬腹を蹴り、山を下ってゆく。麓に集結しつつある梁山泊軍を青竜偃月刀で蹴散らし、包囲網を突破した。畢勝は思わず拳を握った。

 周信、段鵬挙の円陣へとたどり着き、梁山泊軍を斬り倒し、その中へと入った。

 段鵬挙が馬を寄せた。

「鄷美どの、童枢密は、戦況はどうなっておるのです」

「お主らの方から、報告を」

「失礼しました。童枢密の後方に迫ったところ、梁山泊軍に襲われました。敵の将により馬万里が討たれ、私は何とか敵を退け、枢密の元へ馳せ参じた次第」

「こ奴が駆けてきたところ、右翼にいた小生と合流し申した」

 周信がそう続けた。うむ、と鄷美が頷く。

 初戦で陳翥が敗れた。そして長蛇の陣を敷いたが、敵の策略で陣を乱された。撤退途中で合流した王義、韓天麟、殿軍から駆け付けた呉秉彝は死んだ。李明は行方が分からないが、おそらく生きてはいまい。そして馬万里も討たれたという。残された兵馬都監はこの周信と段鵬挙のみだ。

「我に続け」

 鄷美が円陣を開き、飛びだした。偃月刀を振るい梁山泊軍を割ってゆく。周信、段鵬挙がそれに続き、官軍が一丸となり童貫のいる山を目指した。決死の勢いに、さしもの梁山泊軍も追いきれなかった。

 残された味方はもう少ない。童貫は思案した。手を拱いていると、ここも梁山泊軍に囲まれてしまう。そうなれば脱出することは不可能に近くなるだろう。ならば山を下る勢いに乗じ、突破するか。

「お待ちください、童枢密」

 童貫が動こうとした矢先、周信が言った。不機嫌そうな顔を隠そうともしない童貫に、周信は構わず続けた。

「いま我らは劣勢にて陰の相。今飛び出しては好ましくないと申し上げまする。小生の見るところ月の出るのを待ち、月光の陰の気を味方にすべきかと」

「陰の相だと」

 童貫が吼えるように言う。畢勝が耳元で囁く。

「この周信という男、どうやら解魔法師と呼ばれておるようで。そういう吉凶を読む力に長けているとか」

 殺されるぞ、と段鵬挙は思った。だが周信の目は真剣に童貫に向いていた。

「ふん、疲れている中、山を下りても窮地は脱するまい。鄷美、兵糧を準備するように伝えよ」

 はっ、と鄷美が応じる。

「周信とか言ったな、いいだろう。迷信じみた事など信じはせぬが、こたびは言う事を聞こう。だが二度と、わしに命令をするな」

「ありがとうございます」

 深々と頭を下げ、周信が離れる。段鵬挙が苦笑しつつ、兵糧を手渡した。

 しかし段鵬挙も心配ではあった。勢いに乗じて突破した方が良いのではないか。そう思っていた。周信のことは良くは知らない。普段の童貫ならば、あの場で斬られていてもおかしくはなかった。

「解魔法師か」

 誰にとも呟くと、段鵬挙が周信を見た。

 周信は空を見上げ、雲の動きを見ているようであった。

 西の空が紅く染まった。

 

 日中の戦いが嘘だったかのように、静かに月が浮かんでいた。

 篝火の爆ぜる音だけが聞こえる。

 山を囲む梁山泊軍に油断があった。月光を照り返す童貫軍の甲を見た時、誰もがそう思った。

 童貫軍は鄷美と畢勝を先頭に、段鵬挙と周信を左右に配し、童貫を守るように逆落としをかけた。

 乾坤一擲。浮足立つ梁山泊軍を童貫軍が蹴散らし、ついには包囲を突破した。童貫軍はそのまま南へ、済州を目指した。

 日が変わって久しい刻である。ようやく追っ手の姿も消えた。ここまで来れば、という思いを誰もが抱いた。

 しかし前方に松明が灯り、喊声が上がった。三千人ほどだろうか。兵を率いる三人の将らしき者が馬に乗っている。

 すっ、と鄷美が前に出た。

「ここは私が食い止める。童枢密をお守りして済州へ。畢勝、頼んだぞ」

 畢勝は何も言わず兵をまとめ、闇の中へと消えた。残されたのは鄷美とわずかな手勢。

 梁山泊軍が迫った。

 中央の盧俊義が、槍を鄷美に突きつける。

「見ていたぞ。童貫を逃し独りで残るとは、大した好漢ではないか。気に入ったぞ。命まで取ろうとは言わん 。おとなしく縛につくのだ」

「せっかくの申し出だが、断らせてもらう」

「ますます惜しい男だ」

「ぬかせ」

 槍と偃月刀がぶつかる。刃と刃が軋り、火花まではっきりと見えた。何度も何度も、火花が散った。

 二十合ほど打ち合った。そして鄷美の追撃で盧俊義が体勢を崩し、危うく馬から落ちそうになった。

 盧俊義に同行していた楊雄と石秀が思わず駆け寄ろうとする。

「大丈夫だ」

 言う盧俊義を、じっと鄷美が見ていた。

「いま押せば勝てたものを。年寄りだからと手加減するというのか」

「そうではない。ただ、二度はない」

 にやりと笑い盧俊義が突っ込んだ。再び打ち合いになる。数を重ねるにつれて盧俊義の息が上がり始める。やはり若さで勝る鄷美の有利と見えた。

 だがそこは盧俊義である。最小限の槍さばきで、鄷美の攻撃をうまくいなす。そして鄷美がやや手を乱した隙に、必殺の一撃を繰り出した。

 ぞくりと盧俊義に悪寒がした。これは誘いだ。

 読み切っていたように、鄷美が槍の軌道から外れ、偃月刀を繰り出した。

 だが今度は鄷美が嫌な汗をかいた。刃の先にあったはずの盧俊義の体が、目の前にあった。

 誘い、なのか。まさか先ほどよろめいたのも。

 偃月刀が標的を失った。伸びきった鄷美の体に、盧俊義の腕が巻きついた。脇を締め、がっしと抱きかかえると、鄷美の馬を蹴って引き剥がしてしまった。その勢いを利用し、盧俊義は鄷美を地面へと投げ落とした。

「楊雄、石秀」

 その合図があるかないかの内に、既に二人は縄を手に走っていた。息を詰まらせた鄷美はたやすく捕らえられてしまった。

「山寨に送るのだ。くれぐれも丁重に頼む」

 鄷美は天を仰いだ。

 負けた。だが悔いはなかった。

 童枢密は逃げ切れただろうか。

 白み始めた空に、月がまだ浮かんでいた。

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