108 outlaws
交戦
五
「歯をくいしばれ」
晁蓋はそう言うと、白勝の横っ面を殴りつけた。
「あんた」
駆け寄る女房を白勝が手で制した。
「女房のためとはいえ、お前はわしらの事をしゃべってしまった」
「すまねぇ」
手をつき、深々と頭を下げる白勝。
「だが、お前がいなければ生辰綱の作戦も成功はしなかっただろう。これで貸し借りは無しだ」
晁蓋が白勝を抱き寄せる。
「ようこそ梁山泊へ。よく耐えたな、白勝」
「晁蓋どの、すまねぇ。いや、ありがとうございます」
すぐに白勝は治療のために宿舎へと運ばれ、女房もそれについて行った。
これから官軍との戦いも多くなり、負傷者も増えるだろう。今は簡易的な療養所しかなく、本物の医者もいないのだ。
戦いには勝利した。圧勝だった。だが、いつもこのようにゆくとは限らない。
呉用は見えてきた課題を頭に刻みながら、自室へと足を向けた。
捕虜二百人、奪った軍馬は六百頭あまりという戦果報告に晁蓋は皆をねぎらうための酒宴を開いた。
縄をかけられたまま黄安が引き出されてきた。
「殺すならば、さっさと殺すが良い、賊め」
率いてきた軍はほぼ全滅し、自らも捕虜の身となってしまった黄安。
こうなれば覚悟を決めるしかない。黄安は精一杯の虚勢を張っていた。
「黄安よ」
ずい、と晁蓋が近づく。
こいつが生辰綱を奪い、梁山泊の頭領となった男か。目が大きく眉も太く、筋骨隆々とした偉丈夫だ。
他の頭目たち、己を捕えた劉唐とかいう男をはじめ、元禁軍教頭の林冲、水上で刃を交えた阮三兄弟、そして巨漢の杜遷、宋万などどれもひと目で一筋縄ではいかない者たちと知れた。
勝てるはずがない。黄安は今さらながらにそう実感していた。
「生辰綱は不義の財だ。世の人々の怒りの声を、わしらが代弁したまでだ」
ぐ、と言葉に詰まる黄安。
「今後も攻撃されれば、応戦せざるを得まい。わしが頭領となったからには、ここにいる者たちはすべて家族同然と思っておるからな」
そうして少し悲しそうな目をして言った。
「黄安よ、お前の耳にも届いてはいないか、民草の苦しみの声が」
黙るしかなかった。
黄安の耳にも、それは充分すぎるほど届いていたからだ。
宴の準備が整い、黄安は裏手にある牢に入れられた。部下たちも殺されず、労役をさせられるようだ。
静かな牢内で黄安はじっとしていた。本寨から離れたここにいても情報は聞こえてくる。
呉用たちに救出された白勝という男も何とか回復したという。
近ごろ通りかかった商人の一団から、反物などを大量に奪ったという。だが梁山泊の者たちには、一般人を殺してはならないという命が出ていたという。
違う。
聞いていた話では、梁山泊は女子供をもためらわず殺す、悪逆非道の連中だと聞いていた。
あるいはそれは晁蓋が頭領となってからなのか。
こうして見ると、彼を頂点とした梁山泊は、まるで小さな国だった。
外の国、宋と異なるのは、ここには貧する者がいない事だった。
誰もが働いた分に見合ったものを得られる。林冲や劉唐など頭目たちに分配される分は彼らより多いが、それだけの能力があるからだ。
黄安は目を閉じてみる。
宋では、今や金が全てだった。高い官職でさえ、金があれば得る事ができる。その職務をこなす能力がなくても、だ。
本当に能力や才能がある者は、かえってそれが足枷となっているように思える。
上官に疎まれるのを嫌って、あえて辺境の任務を志願しているという将軍がいるとも、風の噂で聞いた事がある。
時おり面会に来る部下たちが笑顔になっている事が多かった。彼らのそんな姿を、ついぞ見た事があっただろうか。
この梁山泊の内情を知ったならば、入山希望者が殺到するだろう。たとえ賊となっても、今の宋で暮らすよりはよっぽどましだと思えるからだ。
少崋山、二竜山、桃花山の賊も、そうした類(たぐい)のものなのだろう。
しばらくして黄安は病にかかり、あっけなく息を引き取った。
牢の中から、晁蓋に宛てた手紙が見つかった。それは部下を解放して欲しいという嘆願書だった。
晁蓋らは黄安を丁重に葬り、彼の最後の願いを聞き入れる事にした。
だが誰一人として、梁山泊から出たいという者はいなかったという。
眩しいほどの月夜だった。
ほんの少し欠け始めた月を見ながら、林冲は酒を飲んでいた。
卓の上にはすでに二十近くも酒瓶が転がっていた。
林冲は月を見ながら、ひたすらに酒を飲み続けていた。
「酔えぬのだな、林冲」
戸口に晁蓋が立っていた。
「勝手に入らせてもらうよ」
晁蓋の手にも酒瓶が握られていた。栓を抜き、空いた林冲の杯に注いでゆく。
「東渓村、わしのいた村の地酒でな」
ぐい、と林冲がそれを飲み干す。
辛みが強いが、口の中に残る香りが心地よい。
晁蓋も手酌でそれを飲むと、さらにもう一杯注いだ。
「心配していたよ」
窓の外を見ている林冲に向かって言う。
「もっと激昂すると思っていたんだがね」
林冲が杯を干し、かすれた声で言った。
「もう存分にしましたよ。梅雪は、妻は私のそんな所をいつもたしなめていました」
「そうか」
再び林冲が目を外へ向けた。
妻が死んだ。
その報告を今朝ほど受け取った。
晁蓋が頭領となり、妻を呼ぼうと決めた。離縁状を渡してはいたが、やはり事あるごとに、林冲の頭からは妻の顔が消えなかったのだ。
妻への手紙を託し、ふた月ほどして朱貴の部下が戻って来て、そう告げたのだ。
妻は、梅雪はみずから首を括って死んだのだという。
高俅は息子の花花太歳と無理矢理に縁組を決めたのだという。義父の張教頭も必死に抵抗はしたのだが、太尉である高俅の権力には敵うはずもなかった。
そして貞節を守るため、梅雪は己の命を断つ決意をした。
それを気に病み、張教頭も間もなくこの世を去った。残された女中の錦児だけが、婿を取り無事に暮らしているという。
すまぬ、梅雪。
固く目を閉じ、歯茎から血の滲むほど奥歯を噛みしめ、林冲は暴れ叫び出したい衝動を抑えた。
高俅だ。すべての元凶は高俅だ。必ず、必ず復讐を遂げてみせる。
林冲は気合と共に、近くの木に槍を突き立てた。
大人でふた抱えほどもある太い木にもかかわらず、槍の穂先が反対側から顔を出していた。
木を貫いた槍を抜き取るのに、四人がかりで一刻はかかったという。
「林冲よ、必ずその時が来る。それまで逸(はや)らないで欲しい」
晁蓋の言葉に、林冲は目を戻した。
「わしらはすでに国と戦を始めてしまった。だが地方の軍には勝てても、国が総力を挙げてしまえば、いかな弱体化した官軍とて、一網打尽だ」
晁蓋が渇いた喉を酒で潤す。
「まずは力を蓄えなければならないだろう。そしていずれは都である開封府と戦をする時が必ず来るだろう。その時、わしらもあなたの復讐に助力したい」
林冲は思わず目を見開いた。
国と戦だと。
攻撃してきた官軍を退けた、身に降りかかる火の粉を払った、としか林冲は考えていなかった。
この国の広大な版図からみれば、小さな水たまりにすぎない梁山泊が国と戦をしているというのか。蟻が水牛に噛みつくようなものではないか。
だが晁蓋は言った。
蟻も大群になれば、水牛を倒せるのだ、と。
その目は恐れを知らない子供のように無邪気に、そして獲物を前にした狼のように爛々と輝いていた。