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蛮勇

 盧俊義は驚いた。

 燕青を送りだしたものの、聞けば李逵が一緒について行ったというではないか。そこで、何かあっては、と急いで兵を伴い、泰山まで来のだ。

 そこで盧俊義は見た。

 手塩にかけて育てた燕青が、擎天柱と呼ばれる無敗の男を投げ飛ばしたのだ。鼠め、と任原は揶揄していたが、盧俊義は華麗に飛びまわる燕を見ていた。

 嬉しく思うのと同時に、もう燕青は自分の下を巣立ってゆくのではないかと、寂しい思いにもとらわれた。

 燕青が勝利し、怒った任原の弟子たちが舞台に押し寄せた。盧俊義が命令を出すまでもなく、焦挺をはじめとした兵たちが既に掛け出していた。

「ご覧になっていたのですね、旦那さま」

「お前の雄姿を、見逃すはずがあるまい」

 にこりと燕青が笑った。盧俊義は陶然とした。そこに小燕子がいる気がした。

「こいつら、梁山泊だ」

 誰かがそう叫び、群衆が逃げだした。そして兵たちが殺到し、泰山が戦場と化した。

 盧俊義と燕青は兵たちを倒しつつ逃げる。

 ようやく追っ手がいなくなったころ、李逵がいない事に気付いた。

 

 嬉しそうに、鮑旭が笑っている。

「いやあ、もっと暴れたかったが、任原の野郎を討ち取ったから、まあ良しとするか」

 並んで歩く李逵も、鼻息を荒くして同じようなことを言っている。焦挺はただ黙々とふたりについて行っていた。

 焦挺と一緒に鮑旭も来ていた。奮闘している李逵を助けに入った時、地面に転がる 任原を見つけた。そして有無を言わさず、その首を掻き切ってしまったのだ。

 泰山を脱出した時には、すでに盧俊義たちの姿はなかった。

 梁山泊まではそう遠くはない。三人は急ぐでもなく、旅でもするような気持ちで道を進んだ。

 一行は西へ遠回りをして、寿張県までやってきた。そしてそのまま県役所へと足を向けた。

「おう、黒旋風さまが来たぞ。誰かおらんのか」

 鈁旭が大声で叫ぶ。役所の者たちは黒旋風という言葉に、飛びあがるほど驚いた。梁山泊の黒旋風といえば、泣く子も黙るほどだ。

 李逵はずかずかと部屋に入ると、知県の椅子にどかりと座ってしまった。

「別に騒がせにきたのではない。通りかかったので、遊びに寄ったのだ。知県はどこだ」

 ちょうど昼どきで、知県は不在だった。役所の者たちは、逃げてしまったと言ったが、李逵は信じない。

 行李を抱えた焦挺が入ってきた。鮑旭とあちこち物色していたらしい。開けると知県の服が一式入っていた。

 興が乗った李逵が、それを着こむ。似合ってるぜと、鮑旭と焦挺が手を叩いて笑う。

「ならば、代わりにおいらが知県だ。なにか訴えはないかね」

 役人どころか、まるで鍾馗のような姿の李逵に、役所の者たちは震えるばかりだ。そこへ鮑旭が脅すように言った。

「おい、真似ごとで良いんだ。早くしないと李逵の兄貴が怒っちまうぞ。そうなったら俺たちでも止められるかどうか」

 命に代える訳にはいかない。仕方なく二人の者が進み出た。

 李逵が途端に笑顔になる。

「おお、お前たちは何を訴えるのだ。言ってみろ」

「どうかお憐れみを。この男が、私を殴ったのです」

 とひとりが言う。

「それは、この男が私を罵ったからです」

 ともう一方も訴える。李逵が身を乗り出す。

「それで、どっちが先に殴ったのだ」

「こいつが罵ったので、私が先に殴りました」

 李逵が手を叩き、勢いよく立ちあがると、先に殴った方を指した。

「よし。こいつは好漢だ、放免としよう。そっちの意気地なしは、枷をはめてさらし者にするのだ」

 言われた男はたまったものではない。真似事ではなかったのかと言うも、李逵には通じない。集まった町の州の前で、泣く泣くされるがままにするしかなかった。

 李逵たちは陽気に笑い、役所から出ていった。着物はそのままである。

 さらに李逵は小さな塾に足を向ける。ぬっと恐ろしい顔を見せた途端に教師は逃げだし、子供たちは泣きわめく始末。

 寿張の者たちが困り果てている所、その李逵を呼ぶ声がした。

 没遮攔の穆弘であった。

「こんなところにいたのか、鉄牛。鮑旭も、焦挺も早く帰るぞ」

 せっかく楽しんでいたところに水を差された李逵だったが、おとなしく従うしかない。相手は、膂力では李逵に引けを取らない穆弘なのだ。

「また来るからな」

 と言って、李逵たちは寿張県を後にした。

 寿張県の人々は、やっと災難が去ったと肩を抱き合って喜んでいたという。

 火事騒ぎなどなかったかのように、店は元通りに修復されていた。

 むしろ前よりも大きく、豪華になったようである。帝の力が、密かに働いたという証左なのだろう。

 その広い部屋で、李師師がひとり佇んでいた。ほんの少しの休息のとき、李師師は何もせずにこうしているのが好きだった。

 だがそれも老女将の声で終わりを告げる。

「いつものお方だよ。ちゃんとお礼を言っておくれよ。それじゃ、通すからね」

 人目をはばかるように帝が入ってきた。あの火事以来だった。

「お久しゅうございます」

「すまぬな。あの騒ぎがあってから、なかなか難しくてな」

「いいえ、お気にかけていただけるだけで、嬉しゅうございます」

 帝のための酒と食事でもてなし、李師師が唄を披露する。帝が惜しみない賞賛を送り、李師師が酒を注ぐ。

「どうした李師師。何か悩みでもあるのか」

 ぴたりと李師師の手が止まる。表に出さないようにしていたつもりではあった。だが帝には露見してしまったようだ。李師師はしばしうつむき加減で思案する。そして決心したように口を開いた。

「あの時、失火騒ぎの直前に来ていたお客がいるのですが」

 机の引き出しから、李師師が一通の紙を取り出し、帝に渡した。そして、田舎から出てきたという金持ちの話をする。

 帝はじっと書かれた詞に目を落としている。しばしそうした後、帝がやおら酒で唇を湿らせた。そしてその金持ちたちの風体を李師師に尋ねる。

 なるほど、と帝が顎を擦った。

 火事騒ぎの翌日、賊を追った高俅が梁山泊軍と一触即発の状態だったという。高俅からは報告を受けてはいない。宿元景から、帝はそれを聞いていたのだ。

「その金持ちとやらは、梁山泊の者とみて間違いあるまい」

「申し訳ございません。危ないところだったのですね。私が軽々しく店に入れてしまったために」

「いや、女将だろう、そ奴らを入れたのは。お主は悪くない」

 優しく杯を差し出す帝。李師師はゆっくりと酒を満たした。

 そしてもう一度、詞に目を落とす。

 先の朝議では、梁山泊は危険な存在だと聞いていた。だから討伐の準備を進めよ、と命じていた。だがこの文を読むと、どうも田虎や王慶そして方臘などといった類とは違うような気がする。

 六六の雁行八九を列ねて、只等つ金鶏の消息を、か。

 宿元景の情報によると、梁山泊の主だった頭領は百八人いるという。六六、三十六に八九で七十二、合わせて百と八。自分たちを雁になぞらえ、金鶏である帝の言葉を待つという。

 一考の余地はあるかもしれない。そう思った時、部屋の外から声がかけられた。

「お料理をお持ちいたしました」

「うむ。頼む」

 梁山泊のことはあとで考えることにしよう。今は、李師師と楽しまねば。

 湯気と共に食欲をそそる香りが漂ってきた。

 帝は手紙を懐へと収めると、竜顔をほころばせた。

 朝議の間、一同が面を下げ静まり返ったところに、帝が入ってくる。

 侍従官が高らかに呼ばわる。

「奏上の儀あらば、早々に申し出られますよう。なければお開きといたします」

「おそれながら」

 とひとりの役人が進み出た。

 役人の元に届く上申書には、梁山泊の宋江が府や州役所を襲い、倉から食料などを掠め取り軍民を殺害し、飽くことなき貪婪さであるという内容が数え切れぬほどあるのだという。

「早く討伐してしまわねば、必ずや後顧の憂いとなりましょう」

 役人は苦悶の表情でそう告げた。

 帝は目を細め、ふむと唸る。

「過日、この都に梁山泊の者たちが入りこみ、騒ぎを巻き起こしたと聞いた。高太尉、そなたからの報告はまだ上がっておらぬようだが、間違いないか」

 びくりと高俅が、座したまま飛び上がりそうになる。どっと顔中に玉の汗が浮かんだ。

「おっしゃる通り、梁山泊の賊どもがこの都を侵しました。あと一歩で敵の首を獲れるところだったのですが、いかんせん多勢に無勢で捕り逃してしまいました。一連の件は、すぐに報告書を出しましたが、誰かの怠慢で届かずにいたのでしょう。私としたことが、大変失礼をいたしました」

 高俅の弁明に、蔡京は冷ややかな目をしていた。自分の非を瞬時に他人のせいにしてしまいおった。まったく口の達者な男だ。

「それと梁山泊討伐の件は、枢密院に早急に対処せよと言っていたと思うが」

 今度は童貫がびくりとする。梁山泊討伐に関して準備は進めてはいた。だがまだ整いきれていないのが現状だった。

「いま少しなのですが、田虎などといった他の賊どもや、北の遼がまた辺境で騒がしいために、そちらにも兵を回さねばならぬのが実情でして。もちろん、梁山泊討伐のための軍も整えつつはありますが」

 と苦し紛れの弁明をする。童貫が言い淀んでいると、横合いから別の声がした。御史大夫の崔靖(さいせい)という者だ。

「おそれながら、童枢密のお言葉ももっともかと」

「ならばどうすれば良い」

「毒をもって毒を制す。梁山泊を帰順させ、彼らをもって賊や夷狄を倒さしめてはいかがかと。それならば我が国の兵も損ずることなく、梁山泊を手の内に入れられれば強力な戦力となりましょう」

 ぱんと膝を打つ音が聞こえた。

「よくぞ申した。さっそくそのように手配せよ」

 帝が喜色を浮かべているようだ。宿元景に聞いていたように、梁山泊にはおそらく帰順の意志がある。それは李師師に届けられた手紙からも明らかだ。それならば望み通りにしてやろうではないか。

 穏やかでないのは高俅だった。馬鹿な。あれほどまでの賊どもを許すというのか。従兄弟である高廉を殺されているのだ。その恨みを晴らせぬというのか。

 だが、歯を軋らせ唸る高俅を尻目に朝議は散会となった。役人たちが退出していく中、拳を床に押し付けるような恰好のまま、高俅はそこにいた。

「悔しいだろうな」

 蔡京が側に立っていた。

「おそらく宿元景あたりの入れ知恵だろうて。だが安心しろ。必ず、宋江とやらの首は獲ってみせる」

 蔡京の、深い皺の奥の目が笑ったように見えた。

 それは高俅さえもぞくりとするような冷たいものだった。

 

 梁山泊に吹く風に、花の匂いを感じる季節になった。

 忠義堂へ戴宗が入ってきた。

 それを待っていたかのように、宋江が勢いよく床几から立ち上がる。

 しかし戴宗は、

「違いますよ、宋江どの」

 となだめるように言う。そして宋江は静かに腰を下ろす。

 開封府で李師師に手紙を託してから、すでに数月(すうつき)。報告がある度に、よもやの期待を込めて待ち続けていた。だがそれらしき報はいまだ届けられていない。

 だが梁山泊へ討伐軍を出す気配も、いまだ無い。元宵節にあれだけ開封府を騒がせたのだ、すぐにあるものだと思っていたのだ。

「いずれにせよ、準備はできています。待つしかないでしょう」

 呉用が言うように、この間に迎え討つ体勢は整った。

 忠義堂を取り囲むように築かれた宛子城には、砲台が十余り据えられた。凌振が鍛冶職人の湯隆と工夫を重ね、より耐久性のある、より弾を遠くに飛ばすことのできる砲台を開発したのだ。また神火将と呼ばれる魏定国もそれに協力したという。

 さらに要となる水軍だ。孟康の設計により、これまで漁船程度だったものが軍船へと変貌を遂げた。本格的な戦はまだだが阮小五、阮小七などは早くもうずうずしているようだ。

 その船が並ぶ梁山湖のほとりを、張清が歩いていた。

 時おり腰をかがめて何かを拾う仕草をしている。石だった。

 没羽箭という渾名は、張清が得意とする石礫に由来する。それに使う石を集めていたのだ。

 じゃりっと石を踏む足音が、もうひとつ聞こえた。

 張清が顔を上げると、そこに董平がいた。

「よう」

 とだけ言い、董平は黙って湖を見た。張清も何を言うでもなく、同じようにしていた。

 やがて思いついたように張清がつぶてを取り出した。平手打ちをするように、張清が礫を放った。

 礫は湖面ぎりぎりを飛び、やがて着水した。だがそれで沈まず、湖面に弾かれたように再び飛んだ。石が蝗(いなご)のように何度も湖の上を跳ねた。二十回ほどだろうか。その後、やっと石は水中へと消えた。

 董平が同じように石を飛ばした。三回跳ねただけで、水に沈んだ。

「くそっ」

 と叫ぶ董平だが、その顔はさして悔しそうではなかった。

「やはり、官軍と戦うのかな」

 もう一度、張清が礫を飛ばした。先ほどとほぼ同じ軌跡を描き、礫が跳ねてゆく。石を手にしていた董平は、それを見て投げるのをやめた。

「嫌か」

「というより、複雑な思いさ」

 董平と張清は、この梁山泊で新参者である。つい先日まで、ふたりとも兵馬都監を務めていたのだ。

 梁山泊の面々は、張清に散々打ちのめされたにも拘らず、気持ちいいほど胸襟を開いてくれる者ばかりだった。梁山泊に降った今、やはり官軍は敵という立場になるのだ。

 まだ割り切れていない様子の張清に対し、董平は少し違うようだった。

 どうも己の悲劇に酔っているようなところもあるようだ。張清は、この男のいう風流とやらが理解できない時がある。

「そうは言っても、やるしかないのだがな」

 張清がつぶやくように言い、三度礫を放った。

 それは先ほどよりも勢いよく遠くへ飛んだ。だが礫の跳ねてゆく先に、船があった。

「危ない」

 叫ぶ張清だったが、どうすることもできない。董平も身を乗り出すようにする。

 船の上の男が身をかがめるようにした。礫は辛うじて、船をかすめただけだった。

 乗っていたのは王定六だった。

 大丈夫かという前に、王定六は船から飛び降り、そのまま駆けだした。顔だけ向けて叫んだ。

「びっくりしたけど、大丈夫です。それよりも、急がなきゃ」

 あっという間に王定六の姿が山門の方へ消えた。活閃婆と呼ばれるほどの健脚であった。

 忠義堂にたどり着いた王定六が告げた。

「来ました」

 盧俊義が拳を握った。

「ついに来たか。して敵の数は」

「いえ、それが違うのです」

「どういうことだ、違うとは」

 王定六は、自分でも信じられぬという顔をして言った。

「来たのは、軍ではないのです」

 宋江が、床几を倒すほどの勢いで立ち上がった。

 唾を飲んだ。頬にひと筋の汗が流れた。

 宋江が待っていたものだ。

 それは帝から遣わされた、招安の使者だった。

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