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葛藤

「おいらに五百ほど兵を分けてくれませんかい」

 李逵が嬉しそうに言ってきた。両手に持った斧を高々と掲げて見せる。

「久しぶりの戦だと聞いて、こいつらも喜んでまさあ。おいらが大名府へ斬り込んで、石秀と盧俊義の旦那を救い出してみせますぜ、兄貴」

「お前の気持ちは嬉しいのだがな、相手は北京大名府軍なのだ。これまでの相手とは訳が違うのだぞ」

 宋江の言葉に、李逵はむっとして言いかえす。

「なんだい、兄貴は敵を持ち上げておいて、おいらの力を信じないのかよう」

「良いでしょう。李逵に五百の兵をつけ、先陣を切ってもらいます」

 呉用が横からそう告げた。李逵は、よっしゃと叫び、外へ飛び出して行った。

 宋江が心配そうな顔になっている。

「大丈夫なのか、呉用」

「李逵だけではちょっと心配ですね。なにしろ、戦になったら前が見えなくなってしまいますから」

「それでは、どうして李逵を」

「彼らを共に行かせますよ」

 軽く微笑むと、呉用は軍議の場を後にした。

 大名府の街に布告文を撒いた。だが梁世傑は盧俊義と石秀を解放はしなかった。どころか軍を二重に布陣させ万全の構えを敷き、徹底抗戦の構えを見せた。

 梁山泊は庾家疃(ゆかたん)へと軍を進めた。だがそこには大名府軍がすでにいた。

 斥候によれば一万五千ほどだという。将は索超と、兵馬都監の李成という男だった。

「行くぞ、お前ら」

 李逵が斧を振り上げ、叫ぶと同時に駆けた。五百の兵もその後を追う。

 敵兵が一列になって待ち構えている。片膝立ちになり、何かを手にしていた。

「あれは。李逵、突っ込むんじゃない」

 宋江が後方から叫ぶが、聞こえる位置ではなかった。

 李逵の隊に向けて矢が放たれた。強弩だった。

 矢が李逵の眼前に迫った。李逵は矢を斧で落そうとしたが、突然目の前に人影が立った。

 それは項充と李袞だった。矢は二人が手にする団牌に弾かれた。

「なんだ、お前たち。どうしてここに」

「李逵を補佐しろと、軍師どのの命でな」

 項充がにやりとした。それを見ていた宋江がほっと胸をなでおろした。

 呉用は朱仝から聞いていた。先の曾頭市戦で項充と李袞が、上手く李逵の楯になっていたのだと。

「敵さんも、おいでなすったぞ」

 李袞が叫ぶ。見ると強弩兵の後ろから、騎馬の一隊が飛び出してきた。

「我が名は北京大名府軍は王定なり。国に仇(あだ)なす逆賊どもよ、我が槍の餌食となるがよい」

 王定が仰々しく呼ばわり、それを聞いた李逵の顔が険しくなる。だが項充が前に出ると、すかさず飛刀を放った。

 飛刀は王定の騎馬の足元すれすれに飛んだ。馬が驚いて竿立ちになり、王定は落ちぬようにするのに必死だった。

「わはは、上手いぞ項充。まあ良い、まずは態勢を立て直すとしよう」

 項充と李袞を従え、李逵の隊が反転してゆく。

 怒りで顔を真っ赤にした王定がそれを追った。

 宋江は戦いの最中、目を見張った。

 あの李逵が、退いたのだ。

 ちらりと呉用を見た。

 驚くことはない、という風に羽扇をくゆらせていた。

 

 梁山泊軍の先陣を切った斧を持った男、どこかで見たような気がする。

 索超はそう思ったが、考える間もなく脇から王定が飛びだして行った。

「索超どの、一番槍はそれがしがもらいますよ」

 などと不敵なことを言い捨てて行った。小癪な男だ。

 だが梁山泊の先鋒隊は本格的なぶつかり合いを避け、反転してしまった。

 索超は馬を駆った。王定に先を越されてはと思ったのと、なによりあの男の正体を知りたかったからだ。

 索超が逃げる隊の殿を視界に捕らえた時、左右から別の部隊が飛び出してきた。ざっと見、右に五百、左に五百ほどか。

 梁山泊の第二陣である。右から孔明と孔亮、左からは解珍と解宝が率いる隊であった。

 索超は金蘸斧を閃かせ、梁山泊兵を寄せ付けない。だがやはり単騎では、次第に追い詰められてゆく。目の前に虎の毛皮を着た二人が立ちふさがった。

 解珍が縄を飛ばし、索超の騎馬の首に巻きつけた。そこへ解宝が杈を振り回し、突っ込んでゆく。

 斧の男が遠ざかってゆく。

 くそっ、とひと声吠えると、索超は金蘸斧で縄を断ち切った。索超はそのまま馬を反転させ、自陣へと戻った。後ろから王定もついてきた。

「少々、気負いすぎました。次こそは必ず」

 王定がそう言ったが、索超は取り合わなかった。この王定、腕は立つ方だが、こういう物言いがあまり好きではなかった。

 今回は、周謹は聞達の元にいる。できれば周謹と戦いたかったと思った。

 索超は暗い表情のまま、李成の元へ帰参した。

「何をしておる、お前たち。一人も敵将を討たずに戻るとは。私が出る、お前たちはついて来い」

 李成が怒鳴った。李成が憤慨するのもうなずけた。索超は唇を噛みしめた。

 李成は堂々たる姿で馬に揺られていた。さすがは天王と呼ばれるだけのことはある、と王定がつぶやいた。索超は、李成を見てそれには同意した。

 しばらく進むと、梁山泊軍から一団が進み出てきた。

「はは、ご覧ください。奴ら、すでに手駒が切れたと見えます」

 王定が指さす先に、三将が並んでいた。

 李成も口の端を歪めた。索超は、かっとなりかけた。

 その隊の先頭に並んで立っているのは、女の姿であったからだ。

 梁山泊の第三陣は扈三娘を筆頭とし、左右に孫二娘、顧大嫂を従えていた。

 扈三娘は馬上で黙って敵を見つめている。

 孫二娘と顧大嫂は嬉しそうに笑っている。

「ふふ、あいつら、戸惑っているみたいだねぇ」

「まあ、後で吠え面かくのを見てやろうじゃないのさ」

 扈三娘はそのやりとりを聞いて微笑んだ。まったく面白い二人だ。扈家荘にいた時には、女中や小間使いしか知らなかった。だが梁山泊に来て、こういう女性もいるのだと驚いた。

 そして同時に嬉しかった。周りが言うように、自分が女らしくする必要は決してないのだと。

 扈三娘が日月の双刀を抜き放った。

「行きます」

 梁山泊軍が駆けた。

 大名府軍も同時に駆けた。すぐに先頭がぶつかる。

 扈三娘、孫二娘、顧大嫂があっという間に十騎ほどを蹴散らした。

 索超が驚きで身を乗り出した。李成も王定も同じ顔をしていた。

 戦場に女など、と誰もが嘲笑していた。

 だがこの一瞬で、それが吹き飛ばされた。

 この三人、間違いなく強い。先ほどまでそうは思っていなかった自分を殴り飛ばしたい気持ちだった。索超が得物を握り直し、口を一文字(いちもんじ)に結んだ。

 王定が飛び出し、それを顧大嫂が迎え討つ。王定がすれ違いざまに槍を放つ。顧大嫂の軍服が裂けた。

 二騎が反転し、再びぶつかる。

「見たか、女め。俺の名は北京大名府軍の」

 そこまで名乗ったところで、王定の体が持ち上がった。顧大嫂が襟首をむんずと捕まえていたのだ。

「あんたの名前なんて、どうでもいいんだよ。ふん、得物を使うまでもないねぇ」

 顧大嫂が言い捨て、王定を放り捨てた。

 背中をしたたかに打ちつけた王定が悶絶している。そこへ梁山泊兵が殺到するが、運よく大名府軍が王定を守った。

 孫二娘は刀を閃かせ、もう何人斬り捨てたか分からなかった。まさに母夜叉のような彼女に、近づく者も恐ろしさのあまり逃げだす始末だ。

「おや、強そうなのが出てきたじゃないか」

 それには答えず李成が向かって行った。李成が手にするのも刀だ。李成は馬を止め、斬り合う戦いを選んだ。

 李成の刀は力強く、孫二娘の攻撃を弾き返す。だが飽くことなく、孫二娘は刀を払い、時には突き刺すように李成を狙い続ける。

 李成が慌てて首を反らした。首に薄い血の筋ができた。

「ちっ、惜しいね」

 孫二娘の顔が夜叉のように見え、李成はぞっとした。

 その太刀筋もそうだった。孫二娘が狙ってくるのは首や目といった急所、あるいは手首や太腿(ふともも)の付け根あたりという、切られれば大量に血を流す箇所ばかりだった。

 しかも自身がどうなろうとも構わない攻撃であった。少しも怯むことのない孫二娘に、李成の方が怖気づきはじめた。

 李成は顔に風を感じた。目玉すれすれのところを刃が横薙ぎに通ったのだ。

 汗が噴き出した。李成が大きく刀で孫二娘を突き放すと、馬を駆った。

「何だい、もう少しだったのに」

 どれ、と孫二娘は次の獲物を求めるように舌なめずりをした。

 離れた場所で扈三娘が奮戦していた。

 扈三娘に近づく者は、その二刀の前に次々に斬られてゆく。

 ぴくり、と扈三娘が手を止め視線を素早く動かした。

 そこに索超がいた。手には鈍く光る金蘸斧。扈三娘をしっかりと見据えていた。

 索超は踏み込めなかった。まだ間合いではない、頭では分かっているのだが、それ以上踏み込めないでいた。

 目の前にいる扈三娘からひしひしと感じるもの。かつて楊志(ようし)と対峙した時にも似るそれを、索超は信じることにした。

 扈三娘は悠然と、待っているようでもあった。

 索超が馬を一歩ずつ進める。扈三娘に近づく毎(ごと)に肌がひりついた。扈三娘は二刀を軽く構え、涼しげな目をしている。

 ふいに青い光が走ったように見えた。

 衝撃と共に索超の肩口辺りが裂けた。

 この距離から届くというのか。そう思った矢先、扈三娘の剣戟が次々と飛んできた。索超は金蘸斧の柄でなんとか防ぐので精いっぱいだった。

 攻撃が止んだ時、新品のようだった索超の鎧がすっかり傷だらけになっていた。

 だが索超は怖気づくどころか、鼻息を荒くした。

 そうこなくては、面白くない。

 索超は愛馬の首を撫でた。

「少し我慢してくれ」

 そう囁くと、馬に鞭をくれ、一気に駆けた。

 しかし扈三娘が再び剣を舞わせる。索超の鎧が、さらに皮膚が血に染まる。

 だが索超は止まらない。おおお、と雄叫びをあげながら真っ直ぐ突っ込んでゆく。

 ついに索超が己の間合いに到達した。がばっと起き上がり、金蘸斧を勢いよく振るった。

 刀で防ごうとした扈三娘だったが、寸前でそれをやめ、攻撃を避けた。金蘸斧が通った後に、風が唸るように吹いた。

 危ないところだった。当たれば、刀が折られていただろう。

 扈三娘は端正な顔を少し歪めると、馬首を返した。

「そうはさせるか」

 索超はぴたりと扈三娘と追う。扈三娘は馬を巧みに操り引き離そうとするが、索超も食らいついてくる。そして隙を見ては金蘸斧の一撃を叩きこんでくる。

 扈三娘に、やや疲れが見え始めた。

 索超が一気に踏み込み、金蘸斧を振り上げた。

 だが次の瞬間、突如目の前が白に覆われた。

「なんだ、これは」

 濃い、まとわりつくような霧であった。

 索超は扈三娘を見失った。見ると馬の足元まで霧が立ち込めている。いま己がどこにいるのかさえ、分からなくなってしまうほどである。

 四方から喚声が聞こえてきた。梁山泊軍だ。

 これは逃げるしかないか。

 索超は、できるだけ声から離れる方向へと馬を走らせた。

 もう一度振り返った。

 やはり辺りは霧で覆われ、扈三娘の姿はついに見つけることができなかった。

 

 突然の濃霧に、北京大名府軍が乱れた。

 その隙をつき、孔兄弟と解兄弟の隊が再び攻撃を開始した。

 大名府軍は大きな打撃を受け、自陣へと逃げた。 

 小高い丘の上から李逵たちがその様子を見ていた。

「お、敵の大将がいたぞ。おい、項充、李袞」

「よし、追い打ちをかけるなら今だな」

 項充が兵に合図を出し、雄叫びを上げながら丘を転がるように駆けおり始めた。

 李袞が駆けながら反対側の丘を見た。姿は見えないが、そこに樊瑞がいる。この霧は樊瑞が起こしたものであった。

 樊瑞の力は幻術に近いものである。そして梁山泊に加入して、公孫勝に師事することによってその効果の範囲を大きく広げることができるようになったのだ。

 李袞は視線を敵に戻し、丘を駆けた。

 李逵が一層雄叫びを大きく上げた。李逵の目には李成が見えていた。馬上の李成の斜め上から、李逵が飛んだ。

 右手の斧が不吉な音を立て、迫った。李成は突然の襲撃に対応できていない。

 激しい音が響いた。項充も李袞も、仕留めたと思った。

 だが李逵の斧は、索超の金蘸斧に阻まれていた。

 力任せに金蘸斧を弾き、李逵がそのまま地面に降りた。

「すまない、索超」

「ここは私が。李成どのは戻り、陣の立て直しを」

 うむ、と李成は駆け去った。

「邪魔するなよな、この野郎」

 じりっと李逵が索超に向きなおる。斧を握る索超の手がぴくりと震えた。

「お前は、もしかしてあの時の」

 だがそこに、十本ほどの飛び道具が襲ってきた。辛うじて金蘸斧を回転させ、それを弾く。

「待て、お前」

 索超はそう叫ぶが、李逵は項充と李袞に前を走らせ、どこかへ行ってしまった。

 背後からは敗走した大名府軍がやってきていた。どの顔も疲れ切っている。いまは生き延びた連中を陣に帰す方が先だと判断した。

「怪我の軽い者は、重い者に馬を貸してやれ。もうじき陣だ。わしが殿を守る、速やかに戻るのだ」

 索超の言葉に鼓舞され、兵たちが傷ついた体に鞭打ち、最後の力を振り絞った。

 それで良い。索超は大名府軍を背に、金蘸斧を構えると仁王立ちになった。

 鉦の音が聞こえてきた。梁山泊軍の追撃も終わったようだ。

 索超は最後のひとりが自陣に着くころを見計らい、やっとその場を離れた。

 霧はまだかかっていたが、先ほどよりも薄れてきたようだ。

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