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異心

 もう少しのところで術を破られた。

 あれが梁山泊の道士、公孫勝か。九宮県二仙山に住む羅真人。術の道に入ったものならば、聞かぬ者はない名だ。その弟子か。

 賀重宝は唇を噛んだ。

 術は破られはしたが目的は果たした。

 次、会う時は充分対策をすればいい話だ。

 配下が慌てて報告に来た。梁山泊が青石峪に向かっているという。

 なぜ青石峪の事が露見したのか。いや、どうせ当てずっぽうだろう。

「飛んで火にいる、だ。返り討ちにしてくれるわ」

 賀重宝は弟二人を呼び、燕京へ使者を走らせた。

 すでに梁山泊軍が、谷の入り口である二本の大柏へと殺到していた。

「くそう、どうしてばれたのだ」

「考えても仕方あるまい、雲。どのみち殺し尽すのみだ」

 賀拆と賀雲が競うように襲いかかる。

 賀拆に向かって林冲が一騎で駆けてきた。

 喰らえっ、と賀拆が槍を繰り出す。

 林冲は馬を止める事なく、それを受け流した。すぐに反転し、蛇矛を突き込む。

 何とか防いだ賀拆の眼前に、次の一撃が迫っていた。

 それに反応することができず、賀拆は蛇矛に貫かれた。

「兄上」

 吼える賀雲が林冲に馬を向ける。だが林冲は一瞥すらせずに、宋江の部隊へ合流してしまった。

「待て、許さんぞ」

 叫んだ賀雲だったが、突如地に投げ出された。

 何とか頭をかばうように転がり、状況を把握する。

 乗馬の前脚が斬られていた。

「へへ、お前はおいらの獲物だぜ」

 二丁の斧を手にした李逵が、賀雲の横に立っていた。斧からは血が滴っている。

 この男か、と思った時にはすでに賀雲の首が飛んでいた。

 梁山泊の歩兵が谷を塞ぐ大石に群がり、懸命に動かしてゆく。

 弟二人を討ち取られた賀重宝は髪を逆立てた。

「貴様ら、絶対に生きて返さんぞ」

 狂風が巻き起こり、黒雲があたりを覆い始めた。遼兵が怒涛の如く押し寄せる。

 しかしその黒雲を穿つように一条の光が射した。

 梁山泊の陣で公孫勝が宝剣を天に向け、文言を唱えていた。

 公孫勝の視線が樊瑞を捕らえた。こくりと頷き、樊瑞も剣を掲げる。

 樊瑞が一喝すると、遼軍が業火に包まれた。

 悲鳴を上げ、逃げ惑う遼の兵たち。

 賀重宝は目を見張った。公孫勝だけではなかったのか。

「怖れるな、まやかしだ」

 叫ぶ賀重宝だったが、兵たちには届かない。幻と言われても熱さを感じるのだ。

 そこへ李逵率いる歩兵が突っ込んでゆく。項充、李袞が武器を飛ばし、李逵が斧で斬りまくる。たちまち阿鼻叫喚の場と化す。

 黒雲は、公孫勝の術によりほぼ消え去った。

「退けい、退けい」

 賀重宝は残った兵をまとめ、撤退した。

 戦場には累々と遼兵の骸が残されていた。

 ようやく歩兵たちが石をすべて取り除き、宋江、白勝が駆けこむ。

 盧俊義が笑みを浮かべた。

 やや憔悴しているようだが、命に別状はないようだ。 

「白勝、良くやってくれた。信じていたぞ」

「盧俊義の旦那」

 鼻をすする白勝。

「申し開きのしようもない、宋江どの。わしが強行を主張したばかりに、皆を危険にさらしてしまった」

「いえ、私もそれを認めたのですから。とにかく無事だったのですから、それ以上何も言いますまい」

「かたじけない」

「ひとまず薊州で休養を取ってください。燕京を攻めるには、あなたの力が不可欠なのです、盧俊義どの」

 頭を下げる盧俊義に、竹筒が差し出された。

 燕青が微笑みを浮かべていた。

「ゆっくりと飲んでください。焦ると喉を痛めます」

「心配かけたな、小乙」

「いえ、心配など。旦那さまを信じておりますから」

 盧俊義が大笑した。燕青も随分と言うようになったものだ。

 水が喉を潤す。

 美味い。

 なぜか目の端に、涙が浮かんでいた。

 

「また公孫勝か」

 賀重宝が苛立ちを抑えきれずに、杯を投げ捨てた。

 弟を亡くし、おめおめと逃げ帰ったのだ。酒も喉を通らぬ。

 さらに悪い報せが重なる。梁山泊軍が幽州に向かっているのと。

 すでに一万近い軍が迫っているのだという。

「何をしている。とっとと守備につかんか」

 うろたえるばかりの配下を怒鳴り飛ばし、自らが城壁に上がる。

「おい、門を開けろ」

「は、いま何と」

「門を開けろと言ったのだ。耳はついているのか」

「し、しかし、副統軍さま」

「目はついているのか。あれは味方の旗だ、馬鹿者が」

 はい、と配下が飛ぶように駆けて行った。

 使えぬ者ばかりだ。吐き捨てるように賀重宝が言った。

 紅旗の軍は国王の女婿である駙馬、太真胥慶のものだ。

 青旗の軍が天子警護たる金吾職の李集である。ともに雄州を守護していた。

「国王さまの命により加勢に参った」

「これは太真駙馬さま、李金吾さま。わざわざご足労いただき、誠に感謝しております。申し訳ありません、突然のお出ましのため、何の用意もできておりませんが」

「そんなものは良い。お主、大口を叩いた割に戦果は出ていないとか」

 李集が睨む。

 賀重宝は内心で舌打ちしながらも、強張った笑顔を作る。

「あと一歩のところだったのです。梁山泊にも術を使う者がいて」

「言い訳は良い。まあ、わしらが来たのだ。国王さまに朗報を持って帰らねばな」

 一方の太真胥慶は柔和な笑みを浮かべている。

 太真胥慶と李集は、幽州の背後で伏兵となる。梁山泊が攻めてきたら、左右から襲いかかるという策だ。

 これで梁山泊は終わりだ。こちらが増援した事など知る由もないだろう。

 先ほどとは打って変わった態度で、床几に腰を下ろす。

「酒をもって来い」

 賀重宝は配下から酒瓶を奪うと、ぐびぐびと流しこんだ。

 酒臭い息を吐き、邪悪そうな笑みを浮かべた。

 

「このまま幽州を攻めるべきです」

 呉用がきっぱりと言った。

 幽州を攻め取る。宋江もそう決断をした。

 朱武が各隊の配置を決め、幽州に向かって進軍する。

 城門が開き、賀重宝が軍を率いて出てきた。

 宋江が馬を進め、呼びかける。

「おとなしく降伏すれば命までは取らない。どうする、賀重宝」

「ふざけるな。弟たちの命は貴様らの血をもって償ってもらう」

 進め、と賀重宝が剣を振る。

 林冲、花栄が率いる騎兵隊が真っ向からぶつかった。騎兵の後から、李逵らの歩兵もぶつかり合う。

 林冲の馬が賀重宝に迫る。蛇矛が賀重宝を襲うが、わずかに届かない。

 賀重宝が背の剣に手をかけた。

 妖術だ。

 林冲が馬を寄せ、呪言を唱えさせまいとする。

 しかし賀重宝は馬首を返し、幽州城へと駆け戻ろうとする。

 賀重宝の合図で軍鼓が鳴らされた。

 にわかに城の周囲から地響きが起こった。左右の山から土煙と共に、伏兵が姿を見せたのだ。

 耳元まで裂けるのではないかというほどに、賀重宝が笑った。

「かかりおったな。愚か者どもめ」

 すぐに馬首を返し、宋江めがけて駆けた。

 だが宋江は焦らずに賀重宝を見据えていた。横に控える呉用も同じだった。

「思った通りです」

「うむ。さすがだな、呉用」

 呉用はそれに答えずに、やや目を細めた。

 左右で激しい衝撃音が起こった。

 梁山泊を挟撃するはずの太真胥慶と李集が、梁山泊軍に止められていた。

「何だと、奴ら」

 呉用は見抜いていた。

 賀重宝が籠城するならば、敵にもはや策は無い。だが攻めてくるようであれば、必ずや伏兵を潜ませていると。

 まさに予想通りであった。

 太真胥慶には関勝が、そして李集には呼延灼が当たっている。

「進め、賀重宝を討つのだ」

 宋江の号令で中軍が突撃を始めた。

 賀重宝は算を乱した。将が乱れれば兵も乱れる。

 梁山泊軍の攻撃に、幽州軍はほぼ壊滅の憂き目にあった。

 旗色悪しと見た太真胥慶、李集は鉦と共に逃げ去ってしまった。

 幽州の門前に梁山泊軍が立ちふさがっている。

 残った兵と退路を求め、賀重宝が駆ける。しかし梁山泊の歩兵軍に囲まれてしまった。

「覚悟してもらうぞ」

 楊雄と石秀が雄叫びをあげる。

 遼兵が次々と斬り伏せられ、賀重宝も馬から引きずり降ろされた。

「ま、待て。降伏する。幽州は空け渡すから、い、命だけは」

「反吐が出るな」

「ぐっ」

 杈で首を押さえつけた解宝が、唾を吐き捨てた。

 解珍が刀を抜いた。

「同じように命乞いする民を、貴様はどうしたのだ。劉二と劉三の父親のような民を、どうしたのだ」

 杈から逃れようとする賀重宝だが、それはできない。目に血の筋が浮かぶほど、解珍を睨みつける。

 解珍の刀が、深々と賀重宝の胸に突き刺さった。

 幽州の城壁に梁山泊の旗が掲げられているのを、賀重宝は今際の際に見た。

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