108 outlaws
異心
三
賀重宝は覇州と薊州に兵を進軍させた。
覇州を攻めるのは賀拆(かたく)、薊州は賀雲(かうん)。ともに賀重宝の弟で一万ずつを率いている。
報告を受け、宋江軍と盧俊義軍が進発した。
それぞれがほどなくして遼軍とぶつかった。そして賀拆も賀雲も、少し戦っただけで退却してしまった。
両州の間辺りに陣を敷き、軍議を開いた。
盧俊義は、追撃してそのまま幽州を攻めよという意見だ。
「これだけで退却するとは、おそらく罠でしょう。我らを誘い込もうとしているのです」
呉用は静かにそう言った。朱武も同意見だった。
あくまでも盧俊義は追撃を主張する。
「宋江どのは、どう思う」
ややうつむき、宋江は眉間に皺を深く刻む。
「二人の言う通り、誘っていることも考えられる。しかし覇州を取られ、向こうも焦ってはいるはずだ」
呉用と朱武は仕方なく妥協案を探った。
遼軍を追撃する。ただし深追いはしない。危険だと察したならばすぐに引き上げること。
盧俊義は燕青を呼び、さっそく出陣の準備に向かう。
「これは罠です。宋江どのも分かっていると思いましたが」
呉用が再度告げる。
宋江は振り返ったが、何も言わず出て行った。
盧俊義が急いているように思えた。この戦が、自分が発端になっている事が関係しているのだろうか。
だが宋江も、攻めるならば今だという思いがあった。機を逃してはならぬと踏んだのだ。
梁山泊は軍を大小三軍に分け、進んだ。
斥候から報告が届く。前方に敵軍が待ち構えていた。呉用の視線を感じた。しかし撃破すれば問題ではない。
前軍にまで進み、敵を見やる。後方に丘を背負い、黒い旗を押し立てている。さながら黒雲のようだ。
梁山泊軍の到着を見て、敵が動きだした。黒雲の中から湧き出るように、一人の将が進み出た。
旗には大遼国副統軍、賀重宝の文字。三尖両刃刀を手にした、どこか目の鋭い男だった。
副統軍が出張ってくるとは。だがそれは敵に余裕がないという証でもある。
命令を出す前に関勝が前に出た。
宋江と盧俊義を向き、在るか無きかの微笑をたたえると赤兎馬を疾走させた。
賀重宝と関勝が激突する。
賀重宝が三尖両刃刀を閃かせ、関勝の青竜偃月刀が唸りを上げる。
打ち合いはすでに三十合。
賀重宝の動きに疲れが見え始めた。一方、関勝の技は衰えることを知らぬ勢いだ。
堪らず、賀重宝が離れて逃げだした。
それを機として、両軍が乱戦を始めた。
遼軍が賀重宝を守るように、丘に沿って駆ける。関勝は、追いついた宋江と共にそれを追う。
突如、軍鼓が鳴り響き、丘の向こうから伏兵が現れた。
「宋江どの、盧俊義どのと合流を」
襲いくる遼兵を斬り伏せながら、関勝が血路を開く。
だがそこへ賀重宝が軍を戻してきた。さらに伏兵の突撃で、後方と分断されてしまった。
呂方、郭盛が必死に宋江を守る。
「くそっ、ふざけやがって」
「おい、あれはなんだ、郭盛」
宋江と郭盛が見ると、中空の一点に黒雲が出現していた。見る間に黒雲は大きくなり、梁山泊軍めがけて勢い良く落ちてきた。
何も見えない。
あの黒雲は何なのだ。
暗闇の中、なんとか進む梁山泊軍。
「宋江どの、ご無事ですか」
「公孫勝か。この闇は一体」
「おそらく妖術。あの賀重宝という男の仕業のようです。しばしお待ちを」
公孫勝が背の宝剣を抜いた。
そして呪いを唱え、見えない天に向かって一喝した。
闇に穴が開いたように、ひと筋の光が指した。
そしてその穴が広がり、闇が四散した。
「退くぞ」
宋江軍は包囲を抜け、窮地を脱した。
賀重宝はそれ以上、追ってはこなかった。
山裾に陣を敷いた。
人員を点検し、宋江は悲痛な面持ちになった。
盧俊義はじめ十数名の頭領と、五千もの兵が忽然と姿を消していた。
前軍が、突如不気味な黒い雲に覆われ始めた。盧俊義は駆けつけようとしたが伏兵に分断された。
さらに黒雲は広がった。闇の中を、必死に突き進んだ。
どれくらい駆けたのだろうか。
黒雲が晴れたのもしばらく気がつかなかった。すでに夜だったのだ。
「盧俊義どの、ご無事ですか」
白勝である。火を灯して見ると、周囲が断崖に囲まれているようだ。
人員を確認する。十数名の頭目と五千ほどの兵が、この地に閉じ込められてしまった。
「こいつは参りましたね。出口らしきところが、塞がれちまってます。どうやらまんまとここに追い込まれちまった、ってことですかね」
鄒潤が頭の瘤を掻きながら報告した。余計なことを、と鄒淵が叱るが、その通りだった。
やはり罠だったのだ。
盧俊義は星の無い夜空を見上げ、ため息を漏らした。
わしのせいだ。呉用と朱武の言葉を退け、ここにいる者たちを危難に陥れてしまった。
目を瞑る盧俊義。憤然たる思いだったのかもしれない。
敵の招安を受けるなど、たとえ嘘であっても許せなかった。友であった晁蓋が作り上げた梁山泊なのだ。
宋江も良くやっているとは思う。だが宋江は国を倒すための戦をするのではなく、梁山泊を存続させる道を選んだ。
分からなくはない。宋江も晁蓋を慕っており、梁山泊を失いたくないのだ。
どちらが正しいのか、それは誰にも分かるまい。おそらくどちらも正しいのだ。
それに史文恭を討った自分が頭領になる道もあったのだ。だがそれをしなかった。ならば今さらどうこういっても仕方ない。
盧俊義は首を振り、目を開けた。
徐寧や索超らが兵の間に入り、元気づけているようだ。
自分がこれでは示しがつかんな。
「心配するな。いまごろ宋江どのがわしらのことを必死に探してくれている。いま少しだけ辛抱してくれ」
盧俊義の言葉に、兵たちは目を輝かせ強く頷いた。
盧俊義どの、と白勝が囁いた。
「宋江どのを待つのもいいんですが、あっしにひとつ考えがあります」
「わかった。頼んだぞ」
「へ。どんな事か聞かないんですかい」
「お主のことを信用しているよ」
白勝は何度も北京大名府を訪れていた。
晁蓋が使いに送るくらい信頼していた男なのだ。
白勝は誇らしげに笑みを浮かべた。