108 outlaws
異心
二
侯健が顔も上げずに叫ぶ。
長い手を忙しく動かし、その度に針が生き物のように布を縫い付けてゆく。
「もう少しだから、待ってくれ。もう少しでできるから」
「もう何度も聞いたよ。分かった、だから急いでくれよ」
「突然、使うなんてどういう事だ。他の仕事を差し置いてやってるんだ。こっちの身にもなってくれよ」
「分かったよ。できたら教えてくれ、すぐに出発する」
侯健は掌を揺らし、あっちへ行けという仕草をする。
追いだされるように工房を出た戴宗がため息をついた。
気付くと足元で、女の子が戴宗を見上げていた。
「どうしたの、おじさん」
「あ、ああ、何でもないよ」
たしか、蕭譲の娘だったか。針仕事を気に入って、侯健に懐いていると聞いていた。
おや。
娘の手に旗が握られていた。替天行動と縫いつけられた、小さな旗だ。
「侯健にもらったのかい」
娘が首を横に振る。
「やっぱりここにいたのか。おや、戴宗どのまで」
蕭譲がすまなさそうに頭を下げた。
「ほら、侯健どのは忙しいのだ。私の仕事場に行こう。ご本がたくさんあるぞ」
「ええ、つまんないもん。ここがいいの」
蕭譲が苦笑いを浮かべる。戴宗も口を歪めた。
子供は正直だ。だから時に大人を傷つけたりもするものだ。
何とか説得し、蕭譲が娘を抱きかかえた。
「蕭譲どの、この旗は侯健が作ったのではないのか」
「ええ、実はこの子が作ったのです。まあ侯健どのが手伝ったのでしょうがね」
これは驚いた。
小さいが造りはしっかりしていて、装飾まで凝っている。大きさが違うだけの本物のようだ。
褒められたのが嬉しいらしく、娘が旗を振った。
そして、
「みて、みて。きれいでしょ、このもじ。おとうさんのもじなんだよ」
と言って、にっこりと笑った。
「まだ文字も読めないくせに、生意気でしょう」
そう言った蕭譲は、目が潤んでいた。
子供は正直だ。
「こっちは準備できたぜ。あとは積みこむだけだ」
「すまんな急がせて、二人とも」
戴宗が頭を下げる。
湯隆の鍛冶場である。
朱武が、かねてから依頼していた武具一式を取りに来ていた。
手伝いに駆り出されていた雷横が汗を拭いている。
「いよいよ、こいつらを使うのかい」
「いや、まだ分からん。使うかもしれないし、使わんかもしれん」
鍛冶場の人夫たちが武具を積み込むのを、湯隆が見ていた。
「梁山泊ってのは、鈎鎌鎗だとか、今回のだとか、変わったもんばかり造らされるな」
「嫌なのか」
「いや。面白い」
湯隆が真顔で言ったので、戴宗と雷横が弾けるように笑った。
翌日、侯健から荷物を受け取った。
侯健は二、三日は何にもしないからな、と言って戻って行った。
杜興が怒鳴るように、積み込みを指揮している。凌振隊の砲を何台か運ぶのだ。
出発の数刻前、李応が現れた。
「雪がないと聞いて少し安心したよ」
「少し遠いですが、頼みます」
「遼の地か。実は初めてでね」
「意外です」
「若い頃は別として、李家荘からほとんど出ることはなかったからな」
ふふ、と李応が自嘲気味に笑った。
「しかし、連中は何と言うかな」
帝や蔡京の事だ。遼と同盟を結んでいる宋としては、梁山泊の行動は好もしくない。どう見ても軍事行動だ。
いや、そもそも本当に戦に行くのだ。
「相手は本当の国王ではない。むしろ遼にとっての敵と戦うのだと言っても、信じてはくれませんよね」
「だろうな。まあ、その辺りは呉用どのが上手く考えるだろうさ」
「そう願いたいですがね」
戴宗は呉用のしたり顔を思い浮かべた。
準備ができたようだ。
呼延灼、孫立、秦明、黄信ら騎兵が先頭に立つ。
魯智深、武松、樊瑞ら歩兵がそれに続く。
李応が手を上げ、荷駄部隊が進みだす。
「では、先に戻っております。お気をつけて」
李応が首肯した。
甲馬を足に付けた戴宗が、神行法を使った。梁山泊を振り返る。
替天行動の旗が、一瞬だけ見えた。