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才覚

 李俊が難しい顔をして、腕を組んでいる。

 脇には童威、童猛の兄弟。そして張順と阮小二、阮小五の水軍の頭目である。

「こいつは、参ったな」

 李俊がつぶやいた。阮小五が、その顔色を窺うように見た。

 張横(ちょうおう)が捕らえられたと知り、阮三兄弟は救いだすべく敵陣へ乗り込んだ。百ほどの船団を繰り出したが、相手の方が上手(うわて)だった。

 危うく全員捕らえられそうになったところ、報を聞き駆けつけた李俊たちがそれを救いだしたのだ。ただ、末の弟である阮小七が捕らえられてしまった。

「すまない」

 阮小二は静かに謝意を示した。

 李俊は何か考える仕草をしたが、ため息をつくだけだった。

 気持ちは分かる。自分たちの縄張りを荒らされたのだ。李俊も、江州にいた頃はそういう連中と、とことん戦ってきた。ましてや今、梁山泊に主力は水軍しかいないのだ。

 気持ちは分かる。だが、と言おうとして李俊はやめた。

 なんだか自分がえらく年寄りじみたように思えたからだ。

「ともかく張横も小七も、殺されてはいないだけ儲けもんだ。それに宋江どのが、近くまで戻ってきているという報せだ。心配はいるまい」

 それでも一同は暗い表情だった。

 そうだろう。水の上では負けないという自負があったのだ。

 さて、どうするかな。

 李俊は静かなままの湖面を眺めた。

 

 関勝が本を置き、幕屋を出た。

 さきほどから騒がしく、いささか集中できなかった。それに北京大名府を攻めていた梁山泊が近くまで戻ってきたということもある。

 ぎゃあぎゃあと騒いでいるのは、捕えられた阮小七だった。

「出しやがれ、この野郎。おいお前、俺と一騎打ちしろ。その首、たたっ斬ってやるからよ」

 陥車の側にいる郝思文に向かって、そう喚いている。郝思文は少し困ったような顔をしていた。

 阮小二たち水軍を一網打尽にしたのも郝思文だった。

「関勝どの」

「威勢の良い若造だな」

 阮小七が関勝を睨みつける。

「何、笑ってんだよ」

「いや、すまんな。お主のような者を見ると嬉しくなってな」

「何言ってやがる。お前たちなんか、すぐに兄貴たちにやられるんだからな」

 関勝はそれでも嬉しそうに微笑んでいた。

 伝令が来た。宣贊の隊が、梁山泊とぶつかったと。

「若造、お主の相手は後だ。ゆくぞ、郝思文」

「若造じゃねぇぞ。阮小七だ、活閻羅の阮小七だ」

 わかった阮小七、と言い関勝が背を向けた。陣内の兵に指示を出し、すぐに郝思文も後を追う。

 残された阮小七を乗せた陥車が、張横の側へと運ばれてゆく。

 小七は、いつまでも鼻息を荒くしていた。 

 宋江が率いる梁山泊軍が、目の前にいる。

 だが宣贊は臆することなく、彼らの前に立ちはだかっていた。剛刀を握り、堂々と馬にまたがっている。背後の兵たちも整然と並んでいた。

 宋江が指示を出そうとする前に、花栄が飛び出していた。そしてそれを見て、宣贊も駆けた。

 すぐに二騎がぶつかる。花栄の銀槍が流星のように繰り出される。宣贊は刀で真っ向から受けて立つ。火花が何度か散り、一度馬が離れた。

 手綱を握る宋江の手に力が入る。あの敵将、相当の使い手だ。

 花栄と宣贊がほぼ同時に馬を返し、再び駆けた。

 やはり宣贊は刀で打ち合う。愚直なまでに、己の戦いを貫いていた。

 渾身の一撃を放ち、花栄が離れた。そしてそのまま自陣へと馬を駆けさせる。

「逃げるか」

 宣贊は花栄を追った。だが、花栄が振り向いたと思った途端、矢が飛んできた。

 どうする。思うよりも先に体が反応した。間一髪、宣賛の刀が矢を弾いた。

「驚いたな」

 花栄は誰に言うともなく呟いた。過信していた訳ではないが、あの矢を弾くとは。

 しかし花栄は焦ることなく、瞬(まばた)きをさせる間も与えぬほどすぐに二の矢を放った。だが矢の向かった先に、宣賛の姿がなかった。

「何だと」

 宋江が唸った。花栄の矢が外れたことなど、見たことがなかった。

 軍中の林冲も、呼延灼も目を見張った。

 宣贊は、馬の胴の左側面にしがみついていた。左足だけ鐙に残し、馬の首にしがみつくようにして矢をかわしたのだ。

 さすがの花栄も驚かざるを得ない。あの体躯で、あの芸当をこなすとは。 

 体を鞍の上に戻した宣贊は、それ以上追う事をやめ、馬首を速やかに返した。

 そこへ花栄が三の矢を放つ。だが宣賛の動きを見て、矢をつがえるのに一瞬だけ遅れができていた。

 矢は宣賛の背の護身鏡に当たった。自陣へと戻った宣贊は、どっと冷や汗をかいた。肌が粟立っている。

 あれが青州軍にいた神箭将軍とも呼ばれる花栄か。背に刺さった矢を抜いた途端、護身鏡が砕け散った。

 運良くかわす事ができたが、護身鏡がなければ、と宣贊が改めて震えた。

 梁山泊陣営に花栄が戻った。言葉には出さないが、その表情が悔しさを物語っていた。

「敵の腕を褒めようではないか、花栄」

「そうだな」

 宋江の言葉に、花栄もやっと肩の力を抜いた。

 その時、敵軍が沸き立った。まるで戦に勝ったかのようであった。敵の本隊が来たようだ。

 宣贊が、大将格のあご髯を伸ばした男に駆け寄った。

 男は軽く頷き、馬を進めた。

 青竜偃月刀を脇に抱え、あご髯が風に揺れている。八尺ほどの背だろうか。胸板が厚く、凛とした目つきは、かの関羽を思わせるのに充分だった。

 騎乗するのは、やはり関羽と同じ赤兎馬であった。

 関勝は、梁山泊軍を見て目を細め、薄く微笑んだ。

 宋江は、その様子を見てぞくりとした。

 恐怖ではない。林冲や秦明、呼延灼を目にした時のような、強い者に会った時の心の高ぶりであった。

 宋江は自分の武芸がどれほどのものかを知っている。だからであろうか。男として、人間として強い者に憧れた。軍人だけではない。燕順や李俊、武松などもそうだ。

 それを今、目の前にいる関勝に対して感じたのだ。

 赤兎馬の上で、関勝が高らかに言った。

「水泊の盗っ人どもよ。何故に国に弓を引く真似などするのだ。首領の宋江とかいう者よ。いるのだろう、出てきてわしと勝負してもらおうか」

「好き勝手なことを」

 宋江の前に、林冲が進み出た。蛇矛の先を地面すれすれに垂らし、関勝を睨みつける。それを受ける関勝はまだ微笑んだままだ。

「林冲、待ってくれ」

 宋江が林冲を止めた。

「私に用があるらしい」

 宋江が馬を進める。林冲が何か言いかけようとしたが、宋江はそれを手で制した。

 宋江と関勝の距離が詰まる。

 梁山泊と官軍、どちらにもただならぬ緊張が走る。花栄はすぐに対応できるよう、弓に矢をつがえる。郝思文と宣贊も、いつでも指示を飛ばせるように待つ。

 やがて二人は顔が分かるほどまでに近付いた。

 関勝の笑みが大きくなる。

「私が宋江です。将軍のお名前を伺っても」

「蒲東巡検、関勝と申す。この度、梁山泊討伐の指揮史に任ぜられた。国に背く事をやめ、おとなしく縛についてもらおう」

「そういう訳にはまいりません。我らは苦しむ民のために、国を救うために、天に替って道を行うために戦っているのです」

「天に替って、だと」

 関勝は思わず聞き返してしまう。

 梁山泊の噂は聞いていた。その噂は二種類あった。

 曰く、梁山泊は極悪非道な賊徒である。彼らは罪のない民を襲っては殺し、通った後には草の根も残らない。

 曰く、梁山泊は賊徒でありながら、弱き民のために戦う大義を持った軍である。悪辣な役人連中のみを標的とし、民草からは髪の毛一本さえ盗ることはしない。

 関勝は梁山泊に対する二つの噂に興味を持った。どうして相反する噂があるのか。

 調べると、その出どころが二つある事が分かった。ひとつは役人側からのもの、もうひとつが市井の民からのものである。

 なるほど、だとすれば答えは一つだ。民から流れてくる話が本当だろう。

 だから関勝は興味を持っていた。そこまで言わしめる梁山泊とはどんな連中なのか。そしてそれを束ねる晁蓋、宋江という者はどんな人間なのか、と。

 梁山泊は賊徒なのだ。黙って討伐すればいいのだ。大抵の軍人ならばそう言うだろう。まあ、だから中央に居場所がないのだが、と関勝は自嘲気味に笑った。

 目の前の宋江が、民のためと言い切った。そしてその後の言葉が気にかかった。国を救うと確かに言ったのだ。

 宋江はじっと関勝を見つめていた。

 宣贊とぶつかる前に、梁山泊から報告が来ていた。張横と阮小七が捕らえられていると。

 二人の命はこの男の手の中だ。下手な真似はできない。逆上させ、二人が殺されてしまうようなことがあってはならない。

「大それたことを言う男だ。だが死んでも、その大義を貫くことができるのかな」

 す、と関勝が偃月刀を宋江に向けた。思わず、宋江は腰の刀に手を添えた。

 関勝と宋江、英雄の子孫と名高い軍人と武芸など人並な元胥吏、誰の目にも勝敗は明らかだった。

 万事休す、か。宋江が刀を抜き、関勝に向けた。

 そこへ林冲と秦明が飛び込んできた。宋江を越え、そのまま関勝にぶつかった。

 初撃はこらえた。だが関勝も、蛇矛と狼牙棒の猛攻には防戦一方となってしまう。

 郝思文と宣贊が助けに行こうとする。だが関勝の目は、来るな、と言っていた。

 関勝は巧みに攻撃を捌くが、林冲と秦明が同時に上段から打ち込んできた。関勝は偃月刀を横に倒し、両の腕で支え、それを受け止めた。

 関勝の体が沈んでゆく。だが、関勝を乗せる赤兎馬が踏ん張り、しっかりと支えていた。

 額に汗をにじませながらも関勝は笑みを浮かべた。

 鉦が激しく鳴った。梁山泊軍の退却の鉦だ。

 林冲も秦明も躊躇した。敵軍の鉦かと思ったのだ。

 鉦は鳴り続ける。

 林冲が歯噛みしながら、蛇矛を弾くようにして離れた。秦明もそれに続く。

 関勝はほっとした顔で、ゆっくりと自陣へと戻った。

「危ないところだったが、よく耐えたな、赤兎」

 そう言って赤兎馬の首を叩き、笑った。

 梁山泊軍は数里退却した。

 陣内には重苦しい空気が立ち込めている。林冲と秦明の顔が曇っている。

「鉦を鳴らさせたことに不服なのだな。しかし」

 林冲は目を閉じ、軽く唇を噛んだ。

「しかし、何だというのですか。二対一が卑怯だというのですか。宋江どの、あなたの命が危なかったのですよ」

 林冲が叩きつけるように言って、幕屋から出て行った。

 宋江は林冲の剣幕に気圧された。秦明さえも気圧されるほどだった。

「林冲の気持ちを察してやってくれないか」

 花栄がそっと話しかけてきた。

 添えるように呉用(ごよう)が言う。

「晁蓋どのを失った。そして今の頭領である宋江どのを、目の前で失う訳にはいかなかったのですよ」

「私は、仮の立場なだけだ」

「仮に、でもです。私も迂闊でしたが、宋江どのもどうかご理解していただきたい」

 宋江は地面に目を落とし、囁くように分かったと言った。

 鉦を鳴らさせた理由は、関勝という将軍を死なせたくないと思ったからでもあった。

 これから戦いを続けるにあたって、さらに人材が必要になると宋江は考えている。情報によると、関勝という男は、林冲や呼延灼に匹敵する実力を持ちながら、中央に対して決して良い感情を持ってはいないという。

 だとすれば、話し合う余地はあるのではないか。そう思ったからこそ宋江は独り、馬を進めたのである。

 だが関勝が、思ったような人間ではなかったら、確かに林冲の言う通りになっていたかもしれない。

 今更ながら、手が震えてきた。

 何だかすごく疲れた気がする。

「すまんが、軍議まで少し休ませてもらう」

 宋江は震える手を握り、幕屋を出た。

 

 陥車の中の張横と阮小七がにやにやとしている。

 それを前に、関勝は腕を組み渋い顔をしている。

「何故だ。何故、お前たちはあの男につき従う」

 そう問う関勝だったが、二人は笑みを浮かべたままだ。

 宋江と話している最中、林冲と秦明が襲ってきた。関勝が得物を向けたため、危ないと判断したのだろう。

 さすがは禁軍教頭と青州統制だった彼らだ。郝思文らに加勢するなと伝えたが、二対一ではさしもの関勝も危うかった。

 だが宋江は退却の鉦を鳴らした。

 助かったが、どういうつもりだ。

 そのまま戦っていれば関勝を討ち取り、梁山泊を救えたかもしれないのだ。二対一は卑怯だと判断したからなのか。

 関勝は再び張横と阮小七を見る。それとも、この二人が人質になっているからか。はたまた、その両方なのか。梁山泊は噂通りの連中だという訳か。

「お前たちには分からねぇだろうな。なあ、小七よ」

「まったくだ」

 替天(たいてん)行動(こうどう)か。宋江の言葉を思い出す。

 信念を持った賊ほど厄介なものはない。それはこれまでの歴史が証明している。

 そこへ部下が注進に来た。いかにも武人という者が、密かに関勝に会いたいと来ているというのだ。一体何者だ。

 相手はひとりきりだという。警戒はするべきだろうが、関勝は会ってみることにした。そんな大胆なことをする者に惹かれたからだ。

 関勝の幕屋に、その男が入ってきた。

「これは久しいな、呼延灼どの。いったいどういう風の吹きまわしですかな」

 まさか呼延灼が来るとは。梁山泊に敗れ、そのまま入山したと聞いていたが。

「お主に味方するために来た。やむなく梁山泊に入ったのだが、わしは官軍に戻りたいのだ。ぜひ、梁山泊を倒す手助けをしたい」

 関勝は驚き、そして笑った。

 呼延灼は神妙な面持ちのままだった。

 松明の爆ぜる音が、一度大きく聞こえた。

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