108 outlaws
軍師
三
大海鰍船が悠々と進み続けている。
拍子木の音に合わせ、舷側に据えられた二十四もの外輪が水を掻き、激しい水飛沫を上げる。船内では水夫たちが足で踏み板を漕ぎ、外輪を回す仕組みになっている。腕による櫓に比べて、圧倒的な推進力だ。
海鰍船の外側は竹の籠で覆われ、矢を防ぐ楯となっている。甲板中央には弩楼が建てられており、弩弓兵が待ち構えている。
やがて小海鰍船のいくつかが離脱した。大きさは半分ほどだが、船首と船尾に長い釘が打ち込まれており、牙を生やしたようなその姿は大海鰍船よりも凶暴である。
小海鰍船は入り江に近づき、その船体で塞ぐようにした。伏兵を待ち伏せるためである。これまでの水上戦で、どこからともなく湧いて出る梁山泊の舟に苦しめられたのだ。
配置についてゆく小海鰍船を見やり、葉春が斜め後ろを見る。大海鰍船に守られるように進む、高俅と聞煥章の乗る中軍船がそこにあった。
ついに高俅にまで名を知られるようになった。一介の船大工であった自分が、である。さらにこの戦に勝てば、宋水軍お抱えとなることも夢ではない。
早く来い。
早く海鰍船の力を見せつけてやる。
そう思っていた時である。物見の兵が叫んだ。
梁山泊の船が見えたと。
葉春は船首に走り、食い入るように湖面を見つめた。
前方から向かってくるのは中型船が二十隻ほどだろうか。一隻に十四、五人が乗り込んでいるようだ。
そして一団を率いる先頭の三艘には、旗が立てられていた。
そこには、梁山泊阮氏三雄、という文字が厳(いか)めしく風に揺れている。
中央の阮小二が腕を組み、迫りくる海鰍船を不敵な目で見据えている。左右の船には阮小五と阮小七。同じく腕を組み、口の端に笑みを浮かべてさえいた。
「来たぞ。総員、構え」
先頭の大海鰍船を指揮する丘岳が叫ぶ。兵たちが矢をつがえ、阮小二らに狙いをつけた。
怯む様子もなく、阮小二らの船団が漕ぎ寄せてくる。
丘岳の号令で一斉に矢が放たれた。蝗の群れのように、数百もの矢が襲いかかる。
だが阮小二が合図を出すと、梁山泊兵たちはすぐに湖へと飛び込んだ。矢は、空になった船に激しい音を立て、突き刺さるのみだ。
それを見ていた丘岳は鼻を鳴らした。
臆病者め。逃げるのならば、向かって来なければ良いものを。
「進め」
外輪が回り、大きな水飛沫を上げる。残された梁山泊の船を避けようともせず、大海鰍船が湖面を進む。
大海鰍船に当たった梁山泊船が大破した。大海鰍船の船首、喫水から下に衝角が取り付けられていた。鉄製の角のような武装で、敵軍船の船腹を突き破るのである。
まるで海鰍が小魚を飲み込むように、梁山泊戦が次々と粉々になってゆく。
すぐに次の船団が現れたと報告が飛んだ。
今度は快船のようで、みるみる近づいてくる。数は先ほどと同じくらいで、丘岳は慌てずに矢を構えさせた。
快船を率いるのは童威、童猛兄弟そして孟康だった。
童威が口笛を吹き、配下に合図を送る。快船はそれぞれ向きを変え、大海鰍船の側面に回りこもうとした。
大海鰍船の弓兵たちが、またも矢を一斉に放つ。だが梁山泊兵は牛皮をかぶり、防ぎながら近づいてくる。
軍鼓が鳴らされた。小海鰍船が、梁山泊水軍を阻むように向きを変える。
梁山泊の快船は、小海鰍船の間を縫うように進むが、徐々に行き場を失っていく。小海鰍船の兵が弓を構えようとした時、童威が口笛を吹いた。すると、またもや梁山泊兵たちが船を捨て、湖に飛び込んでゆく。
快船は大小海鰍船の間で粉々に砕け散った。
しかし飽くことなく梁山泊の戦船が姿を見せる。またも三艘を先頭にした船団だった。
敵船を次々と打ち壊し、士気の上がる官軍は獲物を見つけた獣のように吼えた。
だがひとり、葉春だけが湖面をじっと見つめていた。
快船を指揮していた三人の男。
その一人は、間違いない。あの姿は確かに孟康だった。
とうに捕らえられたか、死んでいるものだと思っていた。とするならば、梁山泊水軍の強さも頷(うなず)ける。
だが、こちらには海鰍船がある。孟康が海鰍船を建造できなかったのは、図面がないからだろう。あの時、孟康は閃きだけで設計図を描いていたようだった。
葉春は一転、笑みを浮かべた。
自分の考えた船に殺されるとは、まったく不憫な男だ。
気付けば三度目の襲来も、海鰍船が蹴散らしてしまった。
葉春は顔を上げ、中軍船を見た。
海鰍船の快進撃に喜色を浮かべる高俅の横で、聞煥章はあくまでも冷静さを保とうとしていた。
ここまでは良い。海鰍船の性能も、思った通りのものだ。
「見ろ。我らの勝ちだな」
高俅が叫んだ。湖面の先に梁山泊の姿がうっすらと見え始めていた。
聞煥章は答えずに、周囲を見回した。
いまのところ、梁山泊水軍が三度攻めてきた。いずれも被害はなく、襲ってきた船はすべて粉砕している。さらに小海鰍船で水路を塞いているため、伏兵も抑えられている。
高俅が勝ちだというのも無理はない。
だが、梁山泊がこれしきの攻撃しかできないとは思えない。
必ず何か仕掛けてくる。
聞煥章は意識を研ぎ澄ますように、目を細めた。
その集中を妨げるように、高俅が叫んだ。
「おい、どうなっている」
前を進んでいた大海鰍船が大きく傾いだ。
聞煥章は駆け出し、船首から身を乗り出すようにした。
するうちに二艘、三艘と次々に大海鰍船が大きく傾き、その動きを止め始めた。巨大な船体が軋む。
またも一艘がその巨体を斜めにした。と同時に何かにぶつかるような音が聞こえた。
砲撃か。
聞煥章は空を見た。次に海鰍船を見たが、そうではないようだ。
「戻れ、聞煥章」
高俅の声で我に返った。目の前に、動きを止めた大海鰍船が迫っていた。
高俅らの乗る中軍船が必死に舵を切り、すれすれのところでそれをかわした。中軍船は大きく傾き、聞煥章は落とされないように必死にしがみついた。
波でずぶ濡れになった聞煥章が兵たちに助けられ、高俅の元へ連れられてきた。
「無茶な男だな、お前も」
苦笑する高俅。聞煥章は息を整えながら、目の前の光景を分析しようとする。
動きを止めた大海鰍船に、後続の船が激突してゆく。中軍船のように避けきれないのだ。
聞煥章、と高俅が吠える。
大海鰍船が動きを止める寸前、まるで何かにぶつかったようになったのを見た。
何かにぶつかったように。
何かにぶつかったのか。
まさか、水中の何かにぶつかったというのか。
だとすれば、何に。
激しい衝撃音が響き、大海鰍船がまた一艘、傾いた。
船体が軋むその音は、まるで大海鰍船の悲鳴のようだった。
ふと単廷珪が顔を上げた。
隣で馬を並べる魏定国が、それを見てにやりとした。
「やりやがったな」
「ん、ああ」
「ああ、じゃないぞ。もっと嬉しそうな顔したらどうだ」
「すまんな。生まれつきこの顔なんだ」
けっ、と言いながら、魏定国の方が嬉しそうだった。
騎兵を率い、梁山湖の西側に布陣していた彼らの耳に、大海鰍船の悲鳴が届いた。
大海鰍船の建造を止めることはできなかった。
呉用と朱武そして孟康が中心となり、幾日も対策を練った。
そして結論が出た。
孟康の言葉がやはり決め手だった。大海鰍船の弱点、それはその巨大さであると。
その弱点を突く策は、とても普通では、思いつかないようなものだった。いや思いついたとしても、それを実行に移すなど考えないであろう策だった。
湖の底を埋め立てる。
大海鰍船が進めないように、岩や土などで暗礁を作り上げる、というのだ。
不意に訪れた沈黙の中、呉用が声を上げた。
「できるかもしれません」
皆の目が呉用に集まる。
呉用は慎重に話し始めた。
「陶宗旺なら、可能ではないでしょうか。もちろん、湖全てを埋め立てる訳にはいきません。本寨に辿り着くまでの、どこかの範囲で良いのです」
なるほど、と李俊があごの不精ひげを捻る。
「その場所へ、俺たち水軍が誘導すればいいって事だな」
「だが、危険です」
「はっ、いまさら戦に危険も安全もあるかよ。そのための水軍だろう。軍師どのらしくないぜ」
呉用は、それでも難しい顔をしている。軍議の場にいる他の者も、それは分かっていた。
たとえ陶宗旺の技を持ってしても、李俊たち水軍がいようと、もう一手、何かが足りないのだ。
はっ、と朱武が何かを閃いた。目だけ動かし、呉用を見る。呉用の目が、朱武を促す。
「単廷珪を呼んでもらえぬか」
ややしばらくして単廷珪が現れた。自分に何の用だ、という表情だった。
しかし朱武の策を聞き、単廷珪がやや興奮したように見えた。
「やります。いや、やってみせます」
単廷珪は水計の達人で、聖水将と呼ばれている。凌州での戦いでは、地面を凍らせる奇策で宣贊、郝思文を捕らえたほどである。
朱武は考えた。水を熟知する単廷珪ならば、もしやできるのではないかと。この梁山泊に流れ込む水の量を変えてしまう事をである。
つまり一時的に川の向きを変えるなり、堰き止めるなりして、湖の水量を減らしてしまうのだ。そうすれば先の策が、より現実味を帯びてくる。
そして単廷珪の指示の元、それは行われた。
ここでまたも陶宗旺の技が活きることとなる。湖底と湖周辺とまさに体が二つあっても足りないほど飛び回っていたが、当の本人は、
「おらより、人工(にんく)たちの方が大変だ。仕事が終わったら、うんと褒美をあげて欲しいだ」
と言っていたという。
こういうところが陶宗旺が好かれる所以なのだろう。
時間との勝負だった。
大海鰍船完成の報とほぼ同時に、作業も何とか終えることができた。
かくして官軍は罠の中に、まんまと飛び込んできたという訳だ。
梁山湖の水位が普段よりも下がっていることなど、知る由もないのだから。
また大きな衝撃音が聞こえた。魏定国が大げさに喜んでみせる。
「しかしお前の水計を、こんな風に使うなんてな。陶宗旺の土と、お前の水か。おい、これってもしかしたら」
「待て。おしゃべりは終わりのようだ」
単廷珪の視線の先に旗が見えた。
項と張の文字。項元鎮と張開がやってきたようだ。
「へへ、じゃあ行くとするか」
魏定国が言うなり、馬を飛ばした。
呆れたような顔をして、単廷珪が号令を飛ばした。
梁山泊の小船が、わらわらと現れた。
その一艘に、水から上がった李俊が乗り込んだ。濡れた髪を撫でつけ、動きを止めつつある海鰍船を睨む。
官兵たちが慌てふためいていた。それもそのはずだ。
小海鰍船が抑えている水路とは違う場所から、船が出現したのだから。葦の中に、それは巧妙に隠されていたのだ。
李俊に引き続き、張横も船に上がってきた。
「くそ。やっぱり冷てえな、こんな季節じゃあよ」
梁山泊水軍の三度目の襲撃。
それを率いていたのは、李俊と張横そして張順(ちょうじゅん)だった。
「はは、あんたはいつも船頭の役目だったからな」
李俊が視線をそらさずに笑った。
張横がにやりとした。李俊の言う通り、追い剝ぎ船頭をしていた頃、水に落とされる役をしていたのは弟の張順だった。
その張順はまだ水中にいた。張順が訓練した潜水に長けた兵たちも共にいた。
大海鰍船が、湖底に積み上げられた岩に座礁してゆく。阮三兄弟そして童兄弟らの襲撃は、この場所へ誘導するためのものだったのだ。
鉄の鑿と銅の鎚を持った兵たちが、船底めがけて泳いでゆく。やがて船底に張り付くと、板の隙間めがけ鑿を打ちこむ。
さすがに海鰍船の板は厚く、何度も打ちこまねばならなかった。大きく揺れた勢いで、海鰍船の破片と共に沈んで行く兵も少なからずいた。また息が持たずに脱落する兵もいた。
だが張順は必死に船底を穿った。やがて一艘を破ったのを皮切りに、他の海鰍船の底も破れだした。
張順が合図を出し、兵たちが引き揚げてゆく。
やりましたね、という表情をして許義が張順を見た。
突如、許義を暗い影が覆った。沈む大海鰍船が許義に襲いかかるようにしていた。
まさに魚のようだった。許義の側へ張順が瞬く間に泳ぎ着き、そのまま腰を抱えて海鰍船の下から救い出した。
ごぼごぼと水泡を吐き、許義がやっと何事か悟った。大海鰍船がすぐ目の前を沈んでゆき、湖底で大量の泥を捲き上げた。
張順と許義、二人同時に湖面で息を吸う。
梁山泊船が漕ぎ寄せてきた。許義が乗り込み、張順に手を伸ばす。
「ありがとうございました」
「先に帰っていてくれ」
張順は微笑むと、再び水中へと消えた。
「やっぱり、敵わねぇよ、あの人には」
許義は両手を広げ、大の字になった。
またひとつ、大海鰍船が沈みはじめた。