108 outlaws
軍師
二
官軍が造船所を設け、新たな戦艦を建造し始めたという。
あくまでも水戦に勝ち、本寨を奪う戦略というわけだ。
情報を得た呉用は、人員を潜入させることにした。
張青、孫二娘と孫新、顧大嫂ふた組の夫婦が、それぞれ人夫と飯炊きとして入りこむ。時遷、段景住が、その連絡役と情報探査にあたる。
急ごしらえにしては、実に巨大な造船所だった。船大工が数千もいるという。一体どこから集めたのやら。
昼どきになると、食堂は芋の子を洗うようになる。だがその雑然とした感じが、都合が良かった。
「どうだい。なにか収穫はあったのかい」
孫二娘から牛肉の炒め物を受け取った張青が饅頭を頬張る。潜入して三日ほどだ。
「普通の大工連中が近づけない場所がある。そこへ行っている大工は別の棟で寝起きして、飯も別らしい」
遅れて孫新がその横に座った。
「そこから先は兵がいつも監視してて、入ることができねえ。周りに聞いても、分からねえとさ」
「なるほど、臭いねぇ」
顧大嫂が吸い物の碗を卓に置いた。
「なんとかしてみようかね。あんた、時遷を呼んでくれないかい」
「わかった。だが無理をするなよ。といっても無駄か」
顧大嫂は笑っただけで、他の卓へ行ってしまった。孫二娘も去りかけたところで、大工のひとりが文句を言ってきた。
肉の量が少ないというのだ。
「まったく、大の男が面倒くさいね。がたがた言うんなら、あんたの肉を入れちまうよ」
孫二娘の剣幕に、大工が青ざめた。
張青が冷や汗をかく。
「孫新、すまねぇ。ばれたらわしらのせいだ」
「はは、そう心配するなって」
すまねぇ、と張青は牛肉に箸を伸ばし、気付いた。張青の皿には、他のよりも肉が多めに入っている気がした。
孫新が嬉しそうに、にやにやとしてそれを見ていた。
時遷からの報告があった。
すぐに水軍が、忠義堂に呼ばれた。
「なんだい、これは」
呉用から見せられた紙を見て、李俊が首を傾げた。
張青らが目星をつけた場所に、時遷が忍び込んだ。紙にはそこで見たものが描かれていた。
「船、なのか」
後から覗きこんだ童威が、童猛の目を見る。童猛も首を傾げた。
船と呼ぶにはあまりにもずんぐりとしており、側面には車輪のようなものが見える。横に描かれた人と比較すると、まるで化け物のような大きさだった。
「孟康、こいつが何か分かるかい」
孟康はその絵を穴が開くほど凝視し、肩を戦慄かせ始めた。おい、と李俊が何度声をかけても、じっと紙を見続けている。
張横が思い切り肩を掴むと、やっと顔を上げた。
だが、その顔は蒼白になっていた。
「こいつが何か知ってるな」
孟康が大きく唾を飲み込んだ。
「知ってるも何も」
しばらく迷った後、静かに言った。
「こいつは、俺が考えた船だ」
孟康はかつて江南の造船所にいた。そこでは主に花石綱に使用する船を造っていた。
ある時、孟康の頭にひとつの船の姿が舞い降りた。まったくの閃きだった。隠れて図面を引きながら、こいつは化け物だと感じていたという。
だがある日の朝、目覚めると図面がなくなっていた。奇しくもその後、間違って監督官を死なせてしまい、現場を逃げだした。それきり図面の事は諦めていた。
呉用は時遷に告げた。
造船所に火を放ち、建造中のその船を燃やすのだ、と。
「ったく簡単に言いますがね、軍師どの。見張りだって厳重で、しかもこっちは全部で六人しかいないんですぜ、って言ってやったんだ」
聞いている張青、段景住の顔が曇る。だが孫新は違った。
「ま、仕方ないだろうな。いつ官軍が攻めてきてもおかしくないんだ」
でも、という段景住に笑ってみせる。
「なあに、俺たちは信じられてるって思えばいいのさ、軍師さまに。いっちょやってやろうじゃねえか」
「羨ましいよ、お前の性格が」
張青が低く笑った。
造船所が騒がしくなった。
例の、誰も入る事のできない作業場で、船大工や人夫たちが突然の腹痛を訴えた。時遷が忍び込み、食事に薬を盛ったのだ。
当然、作業どころではなく、やむなく他から補充することとなった。うまく張青と孫新がそこに紛れこんだ。
「こいつは、確かに化けものだな」
時遷の報告にあった巨大な戦艦だ。こんなものが梁山泊に攻めてきたらと思うと、張青もぞっとした。
「さて、機は今夜っきりだ。頼んだぜ」
「ああ」
二人は仕事の傍ら、火薬などを仕掛けてゆく。ひと目につかない場所は。時遷が調べ上げていた。
月が出た。
本当は雲が欲しかったが仕方あるまい。
時遷も合流した。闇に紛れ、警備兵を次々仕留めてゆく。
三手に別れ、ほぼ同時に火を付けた。まるで昼のように明るくなった。
異変に気づいた外の兵が、開けろと門を叩く。もう消しても間に合わないというところまで待ち、やっと開けた。
張青と孫新は炭を顔に塗り、大工たちと一緒に外へ出た。
兵たちは消火に必死で、作業場から孫新らの姿がなくなっていることになど、気が回らなかった。
ほど近い林に、馬が用意されていた。段景住が手配した足の速い馬だ。いつの間にか消えていた時遷も、そこにいた。
「へへへ、軍師どのにたんまり褒賞もらおうや」
「無事に戻ってからだよ」
顧大嫂がぴしゃりと言い、馬が駆けだした。
造船所から兵たちが喚(おめ)きながら追ってきたようだ。だがさすがは段景住の馬。ぐんぐんと兵たちを引き離し、ついには逃亡に成功した。
造船所の火はまだ消えずに、夜を明るく照らしていた。
聞煥章は、梁山泊に関する報告書に目を通していた。そこへ新たな報がもたらされた。
新型戦艦のための造船所が放火され、灰塵に帰した、と。
「たったの六人か。驚いたな」
だが聞煥章は動じている様子はなかった。そして目を瞑り、何かを口の中で呟き出した。やおら目を開けると、口元だけを歪めた。
造船所の存在はあえて漏らしていたのだ。新型の戦艦となれば、必ず建造を阻止するに違いない。そしてそれは見事に達成された。
聞煥章は梁山泊の能力を測っていた。情報がどのくらいの速さで伝わり、どのような対策を講じるのか。
すぐに実行されることは想定していた。これまでの戦を調べると、梁山泊側が精緻な情報網を持っていることが分かったからだ。
だが驚いたのは、たったの六人であの規模の造船所を燃やしてしまったという事だ。実のところ、梁山泊は大軍を動かし力づくで破壊してくると考えていたからだ。
おそらくその者たちは兵ではないが、潜入やこういった工作活動に長けた者たちだったのだろう。
「少しだけ、甘く考えていたようだ」
自分に言い聞かせるように、聞煥章が呟いた。
そして思う。それを指示した、梁山泊の軍師の存在を。
梁山泊には二人の軍師がいるという。
智多星の呉用そして神機軍師の朱武。
今回の件は呉用の策だろう。
かつて東渓村で塾の教師をしていたという。安仁村にいた自分と、重なって見えた。
「そうこなくては、な」
聞煥章は、知らず笑みを浮かべていた。
翌日、造船所に向かった。焼かれた所とは別の場所である。
「これは軍師どの」
手を揉みながら男が近づいてきた。男の名は葉春、船大工である。
梁山泊と戦いを続けるに当たり、新たな戦船が必要だった。その招集をかけた中に、この男がいた。
牛邦喜を頼ってきたというが、すでにいない。どうしても話したい事があるというから、会ってみた。
「これを見てください。こいつがあれば勝てますぜ」
そう言って葉春は一枚の図面を広げた。
見た事もない船だった。
「これはお前が考えたのか」
「もちろんで。考えたはいいんですが、造る場所がなかったんで。で、船大工を探してるって聞いて、これはと思いまして」
「なるほど」
形といい、大きさといい、まるで海鰍(くじら)だ。海鰍船(かいしゅうせん)か。これは面白い戦略が練られそうだ。
聞煥章は己の勘を信じ、葉春を採用することにした。
聞煥章が完成されつつある海鰍船を見上げる。
梁山泊が造船所を焼いた。いや、あえて焼かせた。その時、記録を取っていた。
現状で海鰍船がどの程度の火に耐えられるのか。また着火した時、航行不能になるまでどれくらいかかるのか。船員の脱出経路、消火方法などあらゆる記録をである。
「こいつがその記録ですか。役に立ててみせます」
報告書を手に、葉春が胸を叩き、自室へと飛んでいった。
聞煥章は、葉春の過去を徹底的に調べさせた。確かに江州で、花石綱の船造りに関わっていた。
気になったのは、その江州の造船所に孟康という男がいたという点だ。
玉旛竿の孟康。いまは梁山泊の造船を一手に束ねている男だ。当時も、葉春などよりよっぽど腕が良かったという。
もし。もしもだ。
海鰍船が、葉春が考えたものではなかったとしたら。仕事ぶりを見るに、海鰍船を思いつくような者には到底思えないのだ。だが梁山泊にも、海鰍船らしき船はない。思い違いなのだろうか。
この造船所は、開封府から派遣されてきた、周昂(しゅうこう)と丘岳(きゅうがく)の二将が率いてきた七千もの兵に守らせている。造船を阻止したと安心している梁山泊が気付いた時には、すでに遅いという訳だ。
ずらりと並んだ海鰍船を見やる。
大小百余りの海鰍船が、出撃の時を待ちわびていた。
軍師など必要ない。
そう言っていた高俅も認めざるを得なかった。
徴発した兵を二十日余りで水夫に仕立て上げたのだ。水上戦の経験などない、ほとんど素人をである。
「軍師か」
高俅はひとりごちた。
やおら立ち上がり、配下に甲を持ってこさせた。それを着込み、側の卓に置いてあった紙を手にした。
書かれた言葉を読み、青筋を立てた。
幇間であった高俅を揶揄し、たとえ三軍を率い戦艦を一万隻有していても、梁山泊が一網打尽にする、という内容であった。済州の神廟に貼り付けられていたという。
かっとなった高俅を、聞煥章が諌めた。
これは単なる張り紙にすぎない。怒らせて判断を鈍らせようとしているだけである。むしろ梁山泊側が焦っている証左である、と。
いま一度軍の編成を確認し、高俅が言う。
「わしも海鰍船に乗る」
「お待ちください。太尉は騎馬にて陸路をお進みください」
「何故だ」
「水上は陸路よりも危険です」
「だから何だ。陸も水も変わらぬ。これは戦なのだ、違うか」
高俅の目が光る。官軍総大将の顔になっている。
「これは最終決戦だ。国が勝つか、奴らが勝つかの要の戦だ。わしが後ろでこそこそ隠れるような真似などできん」
節度使たちの背が伸びた。聞煥章も考えを改めた。
大海鰍船を丘岳、徐京、梅展が指揮をする。小海鰍船は楊温そして葉春である。
高らかに出陣の号令がかかった。
高俅と聞煥章は中軍船に乗り込み、全体の指揮を取る。
高俅が腕を組み、まだ見えぬ梁山泊を見ていた。
「いままでは指揮官が良くなかったのだ。こたびはお主がおるではないか、なあ軍師どの」
負ければ聞煥章の責任でもあるという事だ。
だがこの重責の中、聞煥章は鼓動の高鳴りを覚えてもいた。
湖面の彼方に影がぼんやりと見えた。
大小百余りの海鰍船がついに姿を現した。
「間違いない。俺の船だ」
孟康が歯嚙みをし、震えた。頬に汗が伝う。不思議な感覚だった。海鰍船を閃いた時と同じような胸の高鳴りを感じてもいたからだ。
「おい、孟康」
阮小五が何度も呼んで、やっと気が付いた。
「大丈夫かよ」
「違う」
「何だって」
「違うんだ」
孟康の声が大きくなる。小五だけではなく小二や張順らも、孟康に注目した。
「確かに俺が考えた船みたいだ。だけど、同じじゃないんだ」
「何事かと思ったら。そりゃあ当然だろうよ。元がお前の考えたものだとして、そいつをそのまま造るのか。そうじゃねぇだろう」
張横の言う通りだ。自分が図面に起こしたものは、まだ素案に過ぎないものだった。腕のある船大工ならば、改良を加えるのが当り前だ。
海鰍船は徐々に近づいてくる。まるで小山が動いているようだ。
一同の目が孟康に注がれる。そして決意を込めた目で、李俊を見た。
「行きましょう。戦いながらになりますが、必ず弱点を見つけ出してみせます」
「よし、進め」
李俊の号令で軍鼓が鳴らされた。
梁山泊水軍の船たちが一斉に動き出した。
本寨から呉用がそれを見ていた。いつものように表情は変わらないが、心中穏やかでないことは確かだ。
大型船建造の情報を掴み、焼き打ちをした。だがそれは敵が流した囮の情報だった。それを知った時には遅かった。本当の造船所で着々と海鰍船が建造されていたのだ。もう忍び込むことさえできなかった。
向こうに軍師がいる。それもかなりの。
呉用は思い出した。済州の城壁。高俅の横にいた痩せた男を。役人かと思っていたが、あの男が軍師なのだ。
名はすぐに分かった。聞煥章という男らしい。
知らなかった。だがそれが悔しかった。名も知らぬ男の策略に嵌ったというのか。
ただただ悔しかった。
そしてこの日が来た。
悠々と進む海鰍船を、梁山泊水軍が迎え討つ。
祈るような目で、呉用がそれを見つめていた。