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軍師

 官軍が造船所を設け、新たな戦艦を建造し始めたという。

 あくまでも水戦に勝ち、本寨を奪う戦略というわけだ。

 情報を得た呉用は、人員を潜入させることにした。

 張青、孫二娘と孫新、顧大嫂ふた組の夫婦が、それぞれ人夫と飯炊きとして入りこむ。時遷、段景住が、その連絡役と情報探査にあたる。

 急ごしらえにしては、実に巨大な造船所だった。船大工が数千もいるという。一体どこから集めたのやら。

 昼どきになると、食堂は芋の子を洗うようになる。だがその雑然とした感じが、都合が良かった。

「どうだい。なにか収穫はあったのかい」

 孫二娘から牛肉の炒め物を受け取った張青が饅頭を頬張る。潜入して三日ほどだ。

「普通の大工連中が近づけない場所がある。そこへ行っている大工は別の棟で寝起きして、飯も別らしい」

 遅れて孫新がその横に座った。

「そこから先は兵がいつも監視してて、入ることができねえ。周りに聞いても、分からねえとさ」

「なるほど、臭いねぇ」

 顧大嫂が吸い物の碗を卓に置いた。

「なんとかしてみようかね。あんた、時遷を呼んでくれないかい」

「わかった。だが無理をするなよ。といっても無駄か」

 顧大嫂は笑っただけで、他の卓へ行ってしまった。孫二娘も去りかけたところで、大工のひとりが文句を言ってきた。

 肉の量が少ないというのだ。

「まったく、大の男が面倒くさいね。がたがた言うんなら、あんたの肉を入れちまうよ」

 孫二娘の剣幕に、大工が青ざめた。

 張青が冷や汗をかく。

「孫新、すまねぇ。ばれたらわしらのせいだ」

「はは、そう心配するなって」

 すまねぇ、と張青は牛肉に箸を伸ばし、気付いた。張青の皿には、他のよりも肉が多めに入っている気がした。

 孫新が嬉しそうに、にやにやとしてそれを見ていた。

 

 時遷からの報告があった。

 すぐに水軍が、忠義堂に呼ばれた。

「なんだい、これは」

 呉用から見せられた紙を見て、李俊が首を傾げた。

 張青らが目星をつけた場所に、時遷が忍び込んだ。紙にはそこで見たものが描かれていた。

「船、なのか」

 後から覗きこんだ童威が、童猛の目を見る。童猛も首を傾げた。

 船と呼ぶにはあまりにもずんぐりとしており、側面には車輪のようなものが見える。横に描かれた人と比較すると、まるで化け物のような大きさだった。

「孟康、こいつが何か分かるかい」

 孟康はその絵を穴が開くほど凝視し、肩を戦慄かせ始めた。おい、と李俊が何度声をかけても、じっと紙を見続けている。

 張横が思い切り肩を掴むと、やっと顔を上げた。

 だが、その顔は蒼白になっていた。

「こいつが何か知ってるな」

 孟康が大きく唾を飲み込んだ。

「知ってるも何も」

 しばらく迷った後、静かに言った。

「こいつは、俺が考えた船だ」

 孟康はかつて江南の造船所にいた。そこでは主に花石綱に使用する船を造っていた。

 ある時、孟康の頭にひとつの船の姿が舞い降りた。まったくの閃きだった。隠れて図面を引きながら、こいつは化け物だと感じていたという。

 だがある日の朝、目覚めると図面がなくなっていた。奇しくもその後、間違って監督官を死なせてしまい、現場を逃げだした。それきり図面の事は諦めていた。

 呉用は時遷に告げた。

 造船所に火を放ち、建造中のその船を燃やすのだ、と。

「ったく簡単に言いますがね、軍師どの。見張りだって厳重で、しかもこっちは全部で六人しかいないんですぜ、って言ってやったんだ」

 聞いている張青、段景住の顔が曇る。だが孫新は違った。

「ま、仕方ないだろうな。いつ官軍が攻めてきてもおかしくないんだ」

 でも、という段景住に笑ってみせる。

「なあに、俺たちは信じられてるって思えばいいのさ、軍師さまに。いっちょやってやろうじゃねえか」

「羨ましいよ、お前の性格が」

 張青が低く笑った。

 

 造船所が騒がしくなった。

 例の、誰も入る事のできない作業場で、船大工や人夫たちが突然の腹痛を訴えた。時遷が忍び込み、食事に薬を盛ったのだ。

 当然、作業どころではなく、やむなく他から補充することとなった。うまく張青と孫新がそこに紛れこんだ。

「こいつは、確かに化けものだな」

 時遷の報告にあった巨大な戦艦だ。こんなものが梁山泊に攻めてきたらと思うと、張青もぞっとした。

「さて、機は今夜っきりだ。頼んだぜ」

「ああ」

 二人は仕事の傍ら、火薬などを仕掛けてゆく。ひと目につかない場所は。時遷が調べ上げていた。

 月が出た。

 本当は雲が欲しかったが仕方あるまい。

 時遷も合流した。闇に紛れ、警備兵を次々仕留めてゆく。

 三手に別れ、ほぼ同時に火を付けた。まるで昼のように明るくなった。

 異変に気づいた外の兵が、開けろと門を叩く。もう消しても間に合わないというところまで待ち、やっと開けた。

 張青と孫新は炭を顔に塗り、大工たちと一緒に外へ出た。

 兵たちは消火に必死で、作業場から孫新らの姿がなくなっていることになど、気が回らなかった。

 ほど近い林に、馬が用意されていた。段景住が手配した足の速い馬だ。いつの間にか消えていた時遷も、そこにいた。

「へへへ、軍師どのにたんまり褒賞もらおうや」

「無事に戻ってからだよ」

 顧大嫂がぴしゃりと言い、馬が駆けだした。

 造船所から兵たちが喚(おめ)きながら追ってきたようだ。だがさすがは段景住の馬。ぐんぐんと兵たちを引き離し、ついには逃亡に成功した。

 造船所の火はまだ消えずに、夜を明るく照らしていた。

 聞煥章は、梁山泊に関する報告書に目を通していた。そこへ新たな報がもたらされた。

 新型戦艦のための造船所が放火され、灰塵に帰した、と。

「たったの六人か。驚いたな」

 だが聞煥章は動じている様子はなかった。そして目を瞑り、何かを口の中で呟き出した。やおら目を開けると、口元だけを歪めた。 

 造船所の存在はあえて漏らしていたのだ。新型の戦艦となれば、必ず建造を阻止するに違いない。そしてそれは見事に達成された。

 聞煥章は梁山泊の能力を測っていた。情報がどのくらいの速さで伝わり、どのような対策を講じるのか。

 すぐに実行されることは想定していた。これまでの戦を調べると、梁山泊側が精緻な情報網を持っていることが分かったからだ。

 だが驚いたのは、たったの六人であの規模の造船所を燃やしてしまったという事だ。実のところ、梁山泊は大軍を動かし力づくで破壊してくると考えていたからだ。

 おそらくその者たちは兵ではないが、潜入やこういった工作活動に長けた者たちだったのだろう。

「少しだけ、甘く考えていたようだ」

 自分に言い聞かせるように、聞煥章が呟いた。

 そして思う。それを指示した、梁山泊の軍師の存在を。

 梁山泊には二人の軍師がいるという。

 智多星の呉用そして神機軍師の朱武。

 今回の件は呉用の策だろう。

 かつて東渓村で塾の教師をしていたという。安仁村にいた自分と、重なって見えた。

「そうこなくては、な」

 聞煥章は、知らず笑みを浮かべていた。

 翌日、造船所に向かった。焼かれた所とは別の場所である。

「これは軍師どの」

 手を揉みながら男が近づいてきた。男の名は葉春、船大工である。

 梁山泊と戦いを続けるに当たり、新たな戦船が必要だった。その招集をかけた中に、この男がいた。

 牛邦喜を頼ってきたというが、すでにいない。どうしても話したい事があるというから、会ってみた。

「これを見てください。こいつがあれば勝てますぜ」

 そう言って葉春は一枚の図面を広げた。

 見た事もない船だった。

「これはお前が考えたのか」

「もちろんで。考えたはいいんですが、造る場所がなかったんで。で、船大工を探してるって聞いて、これはと思いまして」

「なるほど」

 形といい、大きさといい、まるで海鰍(くじら)だ。海鰍船(かいしゅうせん)か。これは面白い戦略が練られそうだ。

 聞煥章は己の勘を信じ、葉春を採用することにした。

 聞煥章が完成されつつある海鰍船を見上げる。

 梁山泊が造船所を焼いた。いや、あえて焼かせた。その時、記録を取っていた。

 現状で海鰍船がどの程度の火に耐えられるのか。また着火した時、航行不能になるまでどれくらいかかるのか。船員の脱出経路、消火方法などあらゆる記録をである。

「こいつがその記録ですか。役に立ててみせます」

 報告書を手に、葉春が胸を叩き、自室へと飛んでいった。

 聞煥章は、葉春の過去を徹底的に調べさせた。確かに江州で、花石綱の船造りに関わっていた。

 気になったのは、その江州の造船所に孟康という男がいたという点だ。

 玉旛竿の孟康。いまは梁山泊の造船を一手に束ねている男だ。当時も、葉春などよりよっぽど腕が良かったという。

 もし。もしもだ。

 海鰍船が、葉春が考えたものではなかったとしたら。仕事ぶりを見るに、海鰍船を思いつくような者には到底思えないのだ。だが梁山泊にも、海鰍船らしき船はない。思い違いなのだろうか。 

 この造船所は、開封府から派遣されてきた、周昂(しゅうこう)と丘岳(きゅうがく)の二将が率いてきた七千もの兵に守らせている。造船を阻止したと安心している梁山泊が気付いた時には、すでに遅いという訳だ。

 ずらりと並んだ海鰍船を見やる。

 大小百余りの海鰍船が、出撃の時を待ちわびていた。

 

 軍師など必要ない。

 そう言っていた高俅も認めざるを得なかった。

 徴発した兵を二十日余りで水夫に仕立て上げたのだ。水上戦の経験などない、ほとんど素人をである。

「軍師か」

 高俅はひとりごちた。

 やおら立ち上がり、配下に甲を持ってこさせた。それを着込み、側の卓に置いてあった紙を手にした。

 書かれた言葉を読み、青筋を立てた。

 幇間であった高俅を揶揄し、たとえ三軍を率い戦艦を一万隻有していても、梁山泊が一網打尽にする、という内容であった。済州の神廟に貼り付けられていたという。

 かっとなった高俅を、聞煥章が諌めた。

 これは単なる張り紙にすぎない。怒らせて判断を鈍らせようとしているだけである。むしろ梁山泊側が焦っている証左である、と。

 いま一度軍の編成を確認し、高俅が言う。

「わしも海鰍船に乗る」

「お待ちください。太尉は騎馬にて陸路をお進みください」

「何故だ」

「水上は陸路よりも危険です」

「だから何だ。陸も水も変わらぬ。これは戦なのだ、違うか」

 高俅の目が光る。官軍総大将の顔になっている。

「これは最終決戦だ。国が勝つか、奴らが勝つかの要の戦だ。わしが後ろでこそこそ隠れるような真似などできん」

 節度使たちの背が伸びた。聞煥章も考えを改めた。

 大海鰍船を丘岳、徐京、梅展が指揮をする。小海鰍船は楊温そして葉春である。

 高らかに出陣の号令がかかった。

 高俅と聞煥章は中軍船に乗り込み、全体の指揮を取る。

 高俅が腕を組み、まだ見えぬ梁山泊を見ていた。

「いままでは指揮官が良くなかったのだ。こたびはお主がおるではないか、なあ軍師どの」

 負ければ聞煥章の責任でもあるという事だ。

 だがこの重責の中、聞煥章は鼓動の高鳴りを覚えてもいた。

 

 湖面の彼方に影がぼんやりと見えた。

 大小百余りの海鰍船がついに姿を現した。

「間違いない。俺の船だ」

 孟康が歯嚙みをし、震えた。頬に汗が伝う。不思議な感覚だった。海鰍船を閃いた時と同じような胸の高鳴りを感じてもいたからだ。

「おい、孟康」

 阮小五が何度も呼んで、やっと気が付いた。

「大丈夫かよ」

「違う」

「何だって」

「違うんだ」

 孟康の声が大きくなる。小五だけではなく小二や張順らも、孟康に注目した。

「確かに俺が考えた船みたいだ。だけど、同じじゃないんだ」

「何事かと思ったら。そりゃあ当然だろうよ。元がお前の考えたものだとして、そいつをそのまま造るのか。そうじゃねぇだろう」

 張横の言う通りだ。自分が図面に起こしたものは、まだ素案に過ぎないものだった。腕のある船大工ならば、改良を加えるのが当り前だ。

 海鰍船は徐々に近づいてくる。まるで小山が動いているようだ。

 一同の目が孟康に注がれる。そして決意を込めた目で、李俊を見た。

「行きましょう。戦いながらになりますが、必ず弱点を見つけ出してみせます」

「よし、進め」

 李俊の号令で軍鼓が鳴らされた。

 梁山泊水軍の船たちが一斉に動き出した。

 本寨から呉用がそれを見ていた。いつものように表情は変わらないが、心中穏やかでないことは確かだ。

 大型船建造の情報を掴み、焼き打ちをした。だがそれは敵が流した囮の情報だった。それを知った時には遅かった。本当の造船所で着々と海鰍船が建造されていたのだ。もう忍び込むことさえできなかった。

 向こうに軍師がいる。それもかなりの。

 呉用は思い出した。済州の城壁。高俅の横にいた痩せた男を。役人かと思っていたが、あの男が軍師なのだ。

 名はすぐに分かった。聞煥章という男らしい。

 知らなかった。だがそれが悔しかった。名も知らぬ男の策略に嵌ったというのか。

 ただただ悔しかった。

 そしてこの日が来た。

 悠々と進む海鰍船を、梁山泊水軍が迎え討つ。

 祈るような目で、呉用がそれを見つめていた。

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