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伏竜

 五竜山は想像以上の有様だった。

 竜だったものが、山道に散乱していた。廟もあちこちが損壊していた。

 ふいに人の気配がして、孫安たちは身構えた。

「孫安どの、ここで会えると思っておりました。待っていて良かった」

「お久しぶりです。梁山泊に来たと聞いてから、お会いしたいと思っておりました」

 その声に、孫安は相好を崩した。

「神火将に聖水将か。成長したようだな。ひと目見てわかったぞ」

 魏定国と単廷珪も顔をほころばせた。だが孫安の配下の剣呑な雰囲気に、気を引き締める。そう、田虎軍とは戦の最中なのだ。

「心配するな。私は梁山泊に降った。詳しくは後で話す」

「えっ」

 魏定国と単廷珪が同時に声を上げた。状況が良く飲み込めない。

「ふふ、そなたほどのお方が味方になってくれるとは、実に頼もしい」

「あなたが関勝どのですか。ぜひお会いしたいと思っていたのです」

 笑いながら関勝が拱手をした。

 返しながら、孫安も嬉しそうな顔だ。

 関勝が宣贊、郝思文を紹介し、孫安が梅玉たち十人と引き合わせた。

「しかし一体何が起きたのです」

 宣贊の問いに、孫安が答える。

 晋寧へ援軍として赴いたが、盧俊義に敗北し、降伏した事。

 昭徳には喬道清が向かったこと。喬道清は竜を呼び起こしたが、状況からおそらく敗れたであろう事。

 孫安と配下たちが五竜山を下りはじめる。喬道清を探すのだ。

 関勝が呼びかけた。

「共に参ろう。わしらがいれば話が早い」

「かたじけない。お願いするとしよう」

 

 悔しい。悔しい。悔しい。

 自分の方が強い。強いはずなのだ。なぜ奴ごときに。

 ぎりぎりと奥歯を噛みしめ、喬道清がぶつぶつと呟いている。

 公孫勝の術に敗れ、この百谷嶺に逃れた。

 神農廟に隠れたが、兵糧もない。護衛の薛燦と費珍も疲れ果てていた。

 だが気配がした。

 薛燦らは得物を手にしたが、相手は一騎だった。

「喬道清に話がある」

「孫安どの、ですか。どうして、ここに」

 薛燦も費珍も困惑した。

 声を聞き、喬道清が廟から姿を現した。孫安が援軍に来てくれたのか。

「負けたのだよ」

 期待は裏切られた。では何故ここに。

「麓にいた公孫勝という者が言っていた。お主には、魔が憑いていると」

「魔だと。ふざけるな、弟弟子のくせに」

 喬道清が目を吊り上げ、唾を飛ばす。

 かつてと変わり果てたその姿に、孫安は思わず顔をしかめた。

「なんだ、その顔は。私はまだ負けていない。そうか孫安。お主は降伏したふりをして、奴らの寝首を掻こうと言うのだな。それでこそだ」

「違う。私は田虎軍から抜ける。お主も気付いていただろう。掲げた大義は、もはや失われてしまっていることに」

「なんだと、裏切り者め。そんな奴だったとはな。裏切り者は」

 伸びた手が、孫安の首をがっしと掴んだ。

「始末せんといかんなあ」

 喬道清よ。孫安が喬道清を見つめる。

 喬道清は鬼のような形相だった。

 孫安が、隠していた小刀を手にした。刺し違えてでも、止めなければ。

 孫安が動こうとした刹那、強烈な光が辺りを包んだ。

 気付くと二人の道士が、喬道清の左右にいた。

 公孫勝そして樊瑞が、喬道清のこめかみに指を当てていた。

「目を覚ましてください、師兄」

「貴様、貴様、貴様」

 二人の指から光が発せられた。

 喬道清の悲鳴が、百谷嶺にこだました。

 孫安は見た。

 喬道清の体から、黒い靄のようなものが抜け出てゆくのを。そして靄は上空に上り、薄れていった。これが、魔なのか。

 くずおれる喬道清を、薛燦と費珍が支えた。

「ありがとうございます。これで、終わりました」

 公孫勝が優しい目で、孫安に微笑んだ。

 そうか、終わったのだな。

 いや、これからが始まりか。

 孫安が晴れ渡る空を見上げた。

 目覚めた喬道清は体が、とりわけ心が軽くなっていることに気付いた。

「面倒をかけたな、一清」

「いいえ。お師さまは、いつも師兄の事を案じておられました」

「そうか。すべて見越していたという訳か」

 聞けば、公孫勝も下山した時には義憤に駆られ、無茶をしたという。

「はは、あの時の生辰綱強奪は、お前が絡んでいたのか」

「お恥ずかしい」

「いやいや、実に痛快だった。よくぞやってくれたと、孫安と快哉を叫んだものだ」

 樊瑞が茶を運んできた。

「お主も、魔に魅入られていたのだな」

「はい。力が欲しいか。そう囁かれ、心の隙を突かれました」

「同じだ。しかし何者なのだ。そもそも、実体として存在しているのか」

 公孫勝は眉根を寄せた。

「わかりません。ですが、これからも魔は囁き続けるでしょう。それを止めるのは、私たちの役目です」

「そうだな。しかしまずは罪滅ぼしだ。田虎の目を覚まさせてやらねばならん。力を貸してくれ。一清、樊瑞」

 自然と口に出していたことに驚いた。

 いままで己の力のみを頼りにしてきた。自分の力こそが全てであると信じてきた。

 憑き物が落ちた、とはまさにこういう事を言うのだろう。

 

「どうやら無事に目的は果たせたようだな」

「ああ、おかげさまでな。ところで壺関では大活躍だったそうじゃないか」

「よく言うぜ。まあ、その通りだがな」

 昭徳府、唐斌と関勝が酒を飲みながら語っている。

 互いに死んだと思っていた同士、話が尽きることはなさそうだ。

 天王と大刀を、郝思文が目を細めて見ている。

「お前は本当に関勝どのが好きなのだな」

 宣贊が冗談ぽく言い、郝思文は顔を赤くした。

 久方ぶりの宴に、皆の声も明るい。

 それを一望する宋江も、実に嬉しそうだった。

 横には呉用がいた。

「流れはこちらに大きく傾いています。唐斌を得、さらに孫安、喬道清までこちらに与するとは嬉しい誤算ですが」

「それでも田虎は、いまだ大きな勢力を誇っている。油断はできん。だが私は彼らとお主を信じているよ、軍師どの」

 はいと静かに言い、呉用は手にした杯をちびちびやった。

 翌日、新たな編成を整えた。

 関勝と唐斌たちが東北方向にある潞城攻略に向かう。

 喬道清は公孫勝と西へ向かい、盧俊義の援軍となる。

 昭徳の城壁から見送り、宋江は威勝の方角、北に目をやった。

 昨夜、孫安が言った言葉が思い出された。

「田虎は梁山泊を目指していたのです」

 なんとも言い難い思いだった。

 もしかしたら、民のため田虎と肩を並べていたのかもしれない。

 だがその大義を、田虎は忘れてしまったのだと、孫安は言う。

 一歩間違えていたら、梁山泊が逆の立場だったのかもしれない。

 ふう、と宋江が小さく息を吐いた。

「迷いはない」

「それで良いのです」

 横に立つ呉用が静かに言った。

 梁山泊軍の行進を助けるように、天には暖かな日が照っていた。

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