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伏竜

 長い夢を見ていた。

 起き上がろうとしたが、体が悲鳴を上げた。

 それでも孫安は無理やり上体を起こした。

「目が醒めたかい。俺は鄧飛という」

 寝台の側に男がいた。目の赤い、獅子のような印象を受けた。

 思い出した。梁山泊に、玉麒麟に負けたのだ。

 配下たちはどうなった。訪ねる前に鄧飛が言った。

「三人。あんたを取り返そうとした」

「そうか」

 孫安はそれだけ言い、口を閉じた。

 翌日、盧俊義が目を覚ました。

 しばらく安静にという燕青の言葉を退け、孫安を呼んだ。

「一度の勝負で、二度負けるとはな」

「わしも一度負けている」

「慰めはやめてくれ。はじめの負けで勝敗は決まっていたようだな。さあ、首なり何なり獲るが良い」

 爽やかに孫安が言った。

 楊志、欧鵬といった面々が盧俊義を見る。

「聞きたい。何のために田虎の下で戦っていたのかを」

 ふう、と長いため息をついた孫安。

 天井を見上げ、遠くを見つめるような目になった。

「世直しだ。お主たちなら分かるだろう。この国の上に立つ者たちは腐っている。そいつらに虐げられる民のため戦っている」

「そして、田虎軍に」

 孫安が目を少し伏せ、盧俊義を見た。

「田虎の腹心とつながりのある奴がおってな。それを頼って行った」

 それに、と孫安が続ける。

「山東と河北、二つの勢力が民のために戦えば、目的もより早く達せられる。そう考えたからでもあった。しかしお主たちは、梁山泊は招安を受け、敵となった」

「そうだ。しかし目的は変わっておらん。我々は奴らの軍門に下った訳ではない」

 盧俊義は決然とした目で孫安を見据え、続ける。

「しかし田虎は、当初の目的を踏み外し、ただの賊徒と成り果てていった。違うか」

 孫安は奥歯を噛みしめた。

 その通りだ。

 認めたくはなかった。自分の決断は間違っていなかったのだと。

「だから、わしに負けた。わしの腕が上だったのではない。思いの強さが上だったのだ」

 孫安の閉じた目の端から、涙が流れ落ちた。

 そして父母の優しい顔が浮かんだ。

 孫安が、ひとつ提案をした。

「私を昭徳に行かせてくれないだろうか。昭徳では喬道清が戦っている。奴とは同郷で、共に同じ思いで戦ってきたのだ。説得したい」

「できる、のか」

「しなければならんさ」

 そう言って孫安は晋寧を出た。

「奴を信用するんですかい」

「うむ。孫安の目に、嘘は感じられなかった」

 鄧飛の疑念に、盧俊義が答えた。

「まあ、戦った盧俊義どのがそういうなら、信じるしかありませんや」

 不満そうな口調とは裏腹に、鄧飛の顔には笑みが浮かんでいた。

 部下の元に帰還した孫安。

「私は敗れ、梁山泊に降伏した。お前たちとはここで別れる。これまで私に付いてきてくれたことに、本当に感謝する」

 背を向けた孫安だったが、誰ひとり去ろうとはしない。

「ずいぶん冷たい事言うじゃねぇか」

 え、と孫安が顔を上げた。

 姚約が腕を組み、にやにやとしていた。額には包帯が巻かれていた。

「姚約、お前」

「死んだって思ったのかい。生憎、こうしてぴんぴんしてますぜ。ちっと額の皮が破けた程度さ」

 陸清そして秦英の姿もあった。怪我を負っているが、生きていたのだ。

 孫安の胸に熱いものがこみ上げた。眦に涙が浮かぶ。

 確かに、死んだとは聞いていなかった。梁山泊の連中め。

 馮昇が言った。

「という訳です。俺たちはあんたについて行くだけだ。さあて、どこへ行くんですかい」

「すまない。いや、ありがとう」

 孫安の目がいつもの目に戻った。そして一同に向け、檄を飛ばした。

「喬道清の元へ、昭徳府へ向かう」

 おう、と一同が呼応した。

 三日ほど駆けた。

 あれを、と胡邁が空を指差した。

 東の空に、何かが浮かんでいた。それは空中を泳ぐ蛇のようにも見えた。

 陸芳が目を大きくさせている。

「あれは、もしかして」

「そうだ、五竜山の、五匹の竜だ」

 孫安の答えに、金禎が喘ぐように言った。

「竜って、あの時、倒したはずじゃあなかったのかよ」

「喬道清が、呼び出したのだろうな」

 近づくにつれて馬たちも怯え出した。

 竜たちは互いに争っているように、孫安には見えた。

 喬道清が操りきれていないのか。

「急ぐぞ」

 孫安たちは馬の速度を上げた。 

 ふいに天空に巨大な鳥が出現した。空を覆い隠すほどになった大鵬が、竜たちを全て砕いてしまった。

 喬道清は、敗れた。

 孫安はそう悟った。だが奴が負ける事など、あり得るのか。

 気は逸るが、馬はこれ以上走れない。

 孫安は、静かになった空を見つめ、ゆっくりと息を整えた。

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