108 outlaws
道標
三
梁山泊軍が、演習から戻った。
関勝指導の下で、二隊による演習だった。それぞれ郝思文、宣贊の隊と魏定国、単廷珪の隊だ。攻め手と守り手に分かれての攻防を交代で行うもので、関勝の下で郝思文は何度も行っていた。
結果は魏定国、単廷珪隊の敗北。
かつて凌州では魏定国らが勝利した。今日の模擬戦では、その時のような冴えが見られなかった。
魏定国が宿営に戻るなり、単廷珪に向かって吐き捨てるように言った。
「まったく、なんてざまだ。なんだ今日の動きは。まったく兵を動かせていないではないか」
「悪いが、お前もだろう。心の乱れが兵にまで伝わってるぞ」
珍しく単廷珪が意見した。
「乱れてなんてねぇよ。お前だろうが、ますます暗い顔しやがって」
「なんだと」
「なんだよ」
二人に間に、険悪な雰囲気が漂い出した。ふいに両者が動き、互いの胸ぐらを掴み合った。そのまま睨みあう魏定国と単廷珪。
「ふん、くだらん」
と魏定国が、振り払うように手を放した。
単廷珪は横目で魏定国を見る。
「どうするんだ」
「何がだよ」
「とぼけるんじゃない、分かってるだろう」
「ああ、分かってるさ」
大きなため息が二つ。
「なんだ、まだ着替えてないのか」
そこへ突然、郝思文が現れた。
飛び退るようにして魏定国が叫ぶ。
「な、おい、驚かすんじゃねぇ」
「すまない。何度か声をかけたのだが」
対して単廷珪はやや冷静だった。
「何かありましたか、郝思文どの」
「関勝どのが、二人を呼んでいる。来てくれるか」
「今日の事ですか」
「分からない。それもあるかもしれんな」
向かったのは関勝の自室だった。
大きめの卓に酒や肴が並んでいた。宣贊もすでに来ていた。
関勝が二人を見て、手招きをする。
「おお、呼びだててすまなかった。朱富が酒を試してくれ、と持ってきてな。わしだけでは飲みきれぬのだ」
魏定国と単廷珪は拍子抜けした。今日の演習での失態を詰問されるのだと思っていたのだ。
二人が席に着くと酒が回された。朱富の造る酒はやはり美味い。
酒が回るほどに、先の遼との戦話に花が咲く。
兀顔光が駆使した太乙混天象の陣の話題となり、俄然熱を帯びてきた。
陣を破る秘策とはいえ、単廷珪が紅衣となったことを魏定国が思い出し、笑った。不満げな顔を隠そうとしない単廷珪。
聖水将の名が示すように、単廷珪は黒の甲を纏っている。水は北を現し、色は黒で象徴されるからだ。ちなみに神火将の魏定国が纏うのは赤である。
「まったく、生まれた時から聖水将だった訳じゃあるまいし」
と言ってから、しまったという顔を魏定国がした。単廷珪も、酔いが醒めたような目で魏定国を見た。
だがそれ以上、掘り下げられることもなく、別の話に転じた。
「すみません、ちょっと飲みすぎたようです」
照れたように笑い、宣贊が場を辞した。しばらくして、妻から早く帰るように言われていた、と郝思文が席を立った。
残された魏定国と単廷珪は、互いの目を見た。同時に頷くと、意を決して魏定国が口を開いた。
「あの、実は」
「実はな」
同時に関勝が言った。
関勝が大笑し、魏定国を制するように言葉を続けた。
「今宵呼んだのは、ほかでもない。実は二人に頼みがあるのだ」
頼みとはなんだ。じっと関勝を見つめる二人。肩がこわばる。
「お主たちの師に興味がある。ぜひ会わせて欲しいのだ、孫安どのに」
二人の目が大きくなり、頬に汗が伝った。
梁山泊軍が遼と戦をしている最中のことである。
孫安という男が一団を率いて現れ、李俊ら水軍と衝突した。本格的な戦いには至らずに済んだが、その孫安が去り際に言った言葉が波紋を呼んでいた。
弟子は健勝かね。
確かにそう言っていたという。
その場にいた王煥によれば、孫安という男は強いという。あの時は、あえて孫安の方から戦いを避けたような節があった。戦っていれば、もしやと思わせるものが孫安にはあるというというのだ。
その弟子が梁山泊にいる。それは一体誰なのか。しかも、弟子たち、というからには複数である。
遼から戻った魏定国と単廷珪は、孫安という名を聞き、身を硬くした。
二人が、その弟子であったからだ。
「どうして、孫安どのが」
「さあ。言葉通り、私たちに合いに来たんじゃないのか」
「確かに、そんな人だな。あの人は」
しかし、と魏定国がため息をつく。
梁山泊の者に話していないいのだ。世話になった関勝にも、頭領である宋江にもだ。隠す訳ではなかったが、話すほどの事でもないと思っていた。
しかししばらくすると、名乗りでることができなくなってしまった。
孫安が、河北で猛威を振るっている田虎に協力しているらしいと判明したからだ。
そして今日まで打ち明けることができずにいた矢先、関勝の口から孫安の名が飛び出したのである。
椅子から腰を浮かし、魏定国が漏らした。
「どうして、俺達だと」
得たりという顔を、関勝がした。
魏定国、単廷珪は、かつて関勝の部下であった時期がある。
その時分、二人に今の渾名は無かった。渾名は持っていないが、充分に可能性を秘めた若者だった。
その後関勝は、二人の名を神火将、聖水将という渾名と共に聞くことになる。
嬉しい驚きと共に、ささやかな疑問が浮かび上がる。陣形や計略は一朝一夕で習得し得るものではない。あるとすれば、すでに会得している誰かから教わることである。
きっと良い人物に巡り合ったのだろう。関勝はそう考えた。
凌州で敵として再会した時、その成長ぶりに目を見張った。そしてかつての考えがおそらく間違いないと確信したが、二人に確かめることはしなかった。
話すべき時が来たならば、本人たちの口から聞けるだろう。そう考えたのだ。
そしてそれが、今だった。
「どうして私たちが、孫安どのの弟子だと」
単廷珪が、魏定国と同じ事を聞いた。
微笑みを湛えたまま、関勝が自分の考えを述べた。結果、孫安がその男だという考えに思い至ったのだと。
魏定国と単廷珪は、関勝の明敏さに改めて舌を巻いた。
「お主たちをそこまでに育てた男に会ってみたいのだ。素直にな」
魏定国と単廷珪は嬉しいのだが、複雑な心境だった。
「大丈夫だ。宋江どのに許可は得ておる」
関勝が真っ直ぐに二人を見た。