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密会

 まったく分からない。

 何故、あの冴えない男がこうも持ち上げられるかが分からない。

 張文遠は色街にある酒屋で取り巻きと酒を飲みながら考えていた。

「さすがは宋江さまの部下でいらっしゃる張さまですなぁ」

「ええい、もう良い。今日は帰るぞ」

 杯を投げ捨て、店を後にする。

 面白くもない。ふた言目には宋江さま、だ。

 いつも仕事を俺に押しつけやがって。俺がいなければ、奴など大した仕事もできぬ男だというのに。

「なんだ、今日に限って空(あ)いているのは一人もおらぬのか」

「申し訳ございません、張さま。折悪しく、先ほど埋まってしまいまして」

 むしゃくしゃする気持ちを晴らそうと入った妓楼だったが、なおさらいらいらが募るばかりだった。

 妓楼の二階から楽しそうな男女の声が漏れてくる。

「ええい、くそ面白くもない。何故に宋江の野郎にあんな美しい妾がおるのだ」

 張文遠は、はじめて閻婆惜を見た夜の事を思い出した。

 もともと東京で唄などをうたっていたと聞いたが、やはりこの鄆城の女どもとは格が違う。宋江ごときがあの女を抱いているというのか。

 歌舞音曲にも明るく、遊びにも通じており、色男であると自他ともに認める張文遠にとって、野暮で若くもなく、他人の世話ばかりしている宋江の評判が高い事は理解の外であった。

 そしてここへ来て、閻婆惜という美しく若い妾まで手に入れたのだ。

 大方、金の力だけなのだろう。俺の方が、よっぽどあの女に釣り合うのだ。

 酔いの勢いに任せ、張文遠は閻婆惜の家へと向かった。

 息を整え、戸を叩く。

「こんな夜分に申し訳ありません。宋江さまがこちらに来ているかと思いまして」

「いえ、今日はこちらへは」

 張文遠は見逃さなかった。戸を開けた閻婆惜の表情が、自分を見た瞬間に落胆の色に変わるのを、見逃さなかった。

 それほどに宋江を待ちわびていたのか。煮えたぎる思いを隠しながら、張文遠は演技を続けた。

「そうですか。自宅にもいらっしゃらないのでこちらかと。緊急の言伝(ことづて)がありまして、少しこちらで待たせていただいてもよろしいですか」

「言伝ならば、私が」

「いえ、大変ありがたいのですが。これは国の機密にかかわる事なので」

 困った閻婆惜だったが、少しならばと客間へと案内した。

 灯りは少ししかついておらず、閻婆さんはすでに床(とこ)に入っているようだった。

 茶を飲みながら、他愛もない世間話を続けた。

 東京の様子、得意な唄の話などを閻婆惜に語らせ、感心を装いながら張文遠は自分がいかに有能で粋な男かを。返す言葉の端々にさりげなくのせてゆく。

 徐々に笑顔が見えはじめ、警戒心が緩んだと見た張文遠は手を滑らせたふりをして、湯呑みを倒した。

 あっ、と声を上げ、手を伸ばすと二人の指先が触れあった。

 慌てて手を引く閻婆惜。

「新しいのをお持ちいたします」

 そう言って奥へ下がっていった。

 残された張文遠はにやりと笑っていた。

 満更でもない顔だった。やはり、宋江などよりもこの俺の方が良いに決まっているのだ。

 その後、一刻ほど経ったが宋江が来る様子はなかった。

「仕方ありません、おいとまします」

 張文遠を見送ろうと、立ち上がった閻婆惜がふらふらとよろめいた。

「あっ、大丈夫ですか」

 張文遠の手が優しく体を支える。

 びくんと体を震わせ、あえぐ様に婆惜が答える。

「大丈夫、です」

 熱かった。少し前から身体が火照ってきていたのだ。

 風邪を引いた時のように、ぼうっと熱でうかされたような感じが続いて、目元も潤んでいた。

 張文遠がいつの間にか、手を握っていた。

 熱い。

「大丈夫ではないでしょう」

「やめてください」

「素直になりなさい。あの男のどこが良いのだ。私の方がお前を楽しませる事ができるのだ」

 抗(あらが)えない。体の芯がじんじんと燻ぶっていて、力が入らない。

 そのまま張文遠が閻婆惜に覆いかぶさった。

 効いた。

 先日、妓楼で手に入れた薬だった。

 いつか使う事もあろう、と懐に忍ばせていたものだった。陽穀県(ようこくけん)の生薬屋から手に入れた媚薬だと聞いていた。

 婆惜が席を立った隙に、彼女の茶に溶かし込んでおいたのだ。

 半信半疑だったが、高い金を出した甲斐があったというものだ。ここまで効果てきめんだとは。

 張文遠は慣れた手つきで閻婆惜の帯を解きはじめた

 

日が昇り始めた通りを、ぶつぶつと一人の男が歩いていた。

「昨日はまったくついてなかったなぁ」

 粕(かす)漬け売りの唐二哥(とうじか)である。ここでは唐牛児(とうぎゅうじ)という通り名の方が知られている。

 博打が好きで、いつも誰かに金をたかっており、特に宋江には大きな借りがあった。そのため何か事があるとすぐに注進に現われ、宋江のためならばたとえ火の中水の中という気概の持ち主でもあった。

 唐牛児は昨晩有り金をすってしまい、またぞろ宋江に普請しようとしていたところだった。

 閻婆惜の家から誰か出てきたようだ。上手い具合に宋江に会えたようだ。

しめた、と駆けだそうとした牛児だったが、慌てて物陰に体を潜めた。

 宋江ではない。背の高さが遠目でも違うのが分かった。

 足音が近づいてくる。

 その男は、唐牛児に気付く事なく通りを過ぎて行った。

 見覚えがあった。宋江と一緒にいるのを見た事がある。確か宋江の下役の書記だったか、名前は失念したが。

 宋江の妾の家で何をしていたというのか。

 宋江に報告すべきか。悩む唐牛児は、ひとまずその場を去った。

 

 人の口に戸は立てられぬ、という。

 張文遠と閻婆惜の一件、見ていたのは唐牛児だけではなかったようだ。

 噂はたちまちに広まり、もはや知らぬは宋江ばかりなり、という状況だ。

 閻婆惜も自責の念から、宋江の顔をまともに見る事さえできなくなってしまった。

「何か、気に障る事でもしたかな」

 心配そうに尋ねる宋江に、いいえ何も、と顔をそむける婆惜。

 悪いのは自分なのだ。あの晩、張文遠と関係を持ってしまった。

 媚薬を盛られた事とは知らない閻婆惜は、宋江の優しい態度にますます呵責に苛まれる事になってしまうのであった。

 するうち宋江も役所の仕事も忙しくなり、自然と足が遠のいてゆく。

 彼の庇護を受けられなくなると焦る閻婆さんから催促されるものの、顔を出す暇もないのだ。

 張文遠は宋江の目を盗んでは婆惜の元を訪れていた。しかしあの日以来、にべもない対応だった。

 まあ良い、宋江と閻婆惜の関係もぎくしゃくしているようだ。いくらでもつけいる隙はある。絶対に俺のものにしてやる。

 いや、すでに俺のものか。

「宋江さま、顔色が優れませんが体調でも」

「いや、何でもない。心配かけてすまぬな」

「ならば良いのですが」

 我ながら役者だ、と張文遠はほくそ笑み書類に目を戻した。

 

                            

 

                            

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