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亡国

 最後の一兵になるまで、戦ってみせる。

 耶律輝は、その覚悟を貫こうとした。幽西孛瑾が駆けこんでくるまでは。

 褚堅が死んでいる。いや、殺されていたのだ。

「梁山泊の連中の仕業だ。褚堅も可哀想に、あんたを随分と支えたのにな」

 耶律輝の背筋が凍った。服を剥がれ、雪の中に突っ込まれたような感覚だった。

 玉座の背後に何者かがいた。

 違う、と直感した。

 梁山泊ではない、この男が褚堅を殺したのだ。いままで味わったことのない不快さが、背筋を駆け抜ける。

 言伝だ、とその男が言う。

「褚堅と我らは一切、係わりがない。良いな」

 男の主人、つまり褚堅を操っていた者からの有無を言わさぬ脅迫だ。こちらに選択の余地はない。

 微かに頷くと、背後の気配は霧のように消えた。

 耶律輝の戦おうという気が、ここで失せた。

 

 褚堅は、梁山泊を潰すための調査の中で浮かび上がってきた、盧俊義の配下だった。

 金に目がなく出世欲はあるが、懸命に働く気はない。主人には良い顔をするが、下には厳しい。話しを持ちかけると、一も二もなく応じた。盧俊義への恩義などこれっぽっちも感じていないような、とても使いやすい男だった。

 蔡京の目的は、遼を混乱させ国力を削ぐことであった。

 耶律輝という王族に連なるものを選んだ。

 耶律輝は現国王に不満を持っているという噂だった。政治も風習も宋のものを多く取り入れ、田舎者が都に憧れるように、宋の真似ごとが目立ってきた。耶律輝は常々、大遼が宋に毒されていると憤慨しているという。

 そこで褚堅を通じ、耶律輝に話を持ちかけた。

 王にならないか、と。

 多少の戸惑いはみせたものの、耶律輝は首を縦に振ることになる。

 それもそのはずだ。耶律輝の叛乱を支持するための資金を、十二分に提供するというのだから。

 もちろん蔡京の金ではない。宋の国庫など、蔡京の手にかかればどうとでもなる。さらに、宋朝から遼への贈物まで強奪する始末。

 そうして耶律輝軍は薊州から南一帯を力で奪い取り、燕京を都とした。

 王として君臨した耶律輝は、その見返りとして褚堅を右丞相の位に付けた。そして褚堅が燕京に入る税の一部を、蔡京に横流ししていたのである。

 やがて蔡京の計画に綻びが生じた。梁山泊が遼の地に入ったからだ。

 しかし蔡京は慌てずにこれを利用することにした。

 梁山泊が戦をするつもりならば都合が良い。原因が何であれ、やはり梁山泊は山賊でしかないと騒ぎ立てることができるからだ。

 すんでのところで帝と宿元景が救った形となった。

 梁山泊はやはり解体すべきだという連中が増えたし、これを機に押してゆけば、優柔不断なあの帝ならば必ずや折れると踏んだのだ。

 蔡京は、まあ良い結果だと考えていた。

 

 宋からの勅書が届いた。

 梁山泊には戦から手を引くように命じるとあった。その代わり自分たちも戦を止めろという内容だ。

 耶律輝は、城外に陣を敷く梁山泊の姿を見た。

 破れていった兀顔光や、弟の得重を思った。

 最後まで戦う。そう誓った先ほどまでの想いが薄れていた。

 初めから間違っていたという事か。

 契丹人の力だけで事を為さねばならなかったのだ。

 褚堅という人間を、その裏にいる宋を利用しているつもりだった。だがその実、したたかに利用されていたのは自分だったのだ。

 臨潢府から使者が来たという。

「どうなされますか」

 幽西孛瑾が心配そうに見つめる。

 終わりだ。

 すべて終わったのだ。

「すまぬ」

 幽西孛瑾が口を固く結び、拳を振るわせた。

「無念です」

 王の間へ、使者が入ってくる。耶律輝に対しても、あくまでも丁重な態度だった。

「臨潢府へご同行願います」

「待ってくれ。兵たちは解放してくれんか。彼らに罪は無い。わしの言葉に唆されただけだ」

 しばし沈黙する使者。

 そして、良いでしょう、と言った。

 耶律輝は、幽西孛瑾に軍の解散を命じた。

 だが耶律輝はもちろん、幽西孛瑾をはじめとする燕京の高官は逃げることはできない。同行と柔らかく言ったが、実際は連行である。

 燕京の城を出る。

 あくまでも耶律輝は、王として振舞った。

 使者に先導されながら、馬上で堂々と胸を張った。

 梁山泊の横を過ぎる。

 梁山泊の頭領、宋江がこちらを見ている。

 耶律輝はその視線を受け止め、目を細めた。

 風の音と、蹄の音。

 時おり隼の声が聞こえていた。

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