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亡国

 ここのところ目を覚ますと、心地よい高揚感に満ちている。

 掌には礫を握った感触が残っている。

 張清は顔を洗い、首筋に手をやった。少し張っているが、傷の具合はだいぶ良くなっている。素早く対応してくれた石秀たちに礼を言わねばならない。

 まだ誰もいない修練場に行き、的に向かって礫を放つ。怪我も影響はしていない。

 昨日、孫安という男が兵を率い、梁山泊に来た。自分も出て行こうとしたが、安道全に止められた。まだ戦に行く許可は出せないというのだ。

 いくら懇願しても駄目だの一点張りだった。小競り合い程度で済んだから良かったものの、張清は山上で見ながら歯嚙みしていたのだ。

 しかし李応の飛刀をも落とす腕前の孫安という男。自分の礫ならばどうだったのか、と思う。

 またひとつ礫を放つ。少し指を引っ掛けるようにした。

 礫は真っ直ぐ飛んだが、的のやや手前で右に向きを変えた。

 もう少し、左からか。同じ指の動きで、もう一度放つ。

 礫はあらぬ方向に飛んでいるように思えたが、的を見つけたかのように、ふいに右に曲った。

 礫が当たり、乾いた音が響いた。

「ほう、なんだそれは」

 安道全が見ていた。

 張清は答えずに、はにかんだ。

 二人で朝食を共にすることになった。

 話題はやはり孫安だ。張清は浮かない顔でそれを聞いていた。

「どうした。まだ止めた事を怒っているのか。わしは医者としてだな」

「いえ、そうじゃないんです」

 安道全が箸を止めた。

 張清は周りを気にするように声をひそめた。

「夢って、何か、その、意味があるんですかね」

「どういうことだ。不吉な夢でも見たのか」

 張清がぽつりぽつりと語る。

 最近、同じ夢を見るという。

 場所はぼんやりとしており分からない。ただ、いつも月が照っている夜のようだ。

 いつも出てくるのは見知らぬ少女。顔は風景と同じようにぼんやりとしており、分からない。

 夢は前に見た場面の続きから始まるという。つまりずっと繋がっているのだ。

 夢の中で張清は、その少女に武芸を教えている。そして礫も、である。

 今朝、安道全が見たのはが、少女が投げ損じたものだという。

 夢の中で、張清は驚いた。これは使えるのではないかと閃いたのだ。少女はやはり力が弱い。張清のような威力が、どうしても出ないのだ。

 だが真っ直ぐ飛ばすだけが礫ではないとしたら。

 それをまず自分が習得し、夢で少女に教えようというのだ。

 安道全は箸を置き、腕を組んだ。

「ううむ。夢についての診断は詳しくないが、そこまで同じ夢を見るというからには、何か意味があるのだろうな」

 思いついたように安道全がにやりとした。

「そうか、そろそろ嫁が欲しいのかもな。それが夢に反映されているのではないのか」

 え、いや、と言いながらも、張清も否定しきれないでいた。

 安道全は一人合点し、そうかそうかと頷いている。そして安道全まで囁くように話し始めた。

「誰か気になる女子(おなご)でもいるのか」

「いや、特に、おりませんが」

「本当か。ううむ、まあ良い。また気になる事があれば、遠慮なく話してくれ。もしや怪我との関連もあるかもしれん。わしにはそっちの方が問題じゃて」

 粥をそそくさとかき込み、安道全は食堂を出て行った。忙しいのだ。残された張清は、食事を終えると裏山へと足を向けた。

 もう兵たちの修練が始まっている。

 礫の新しい技を、まだ見られたくはなかった。

 感触を思い出すように、礫を何度か握り直す。

 指を決め、木立に向かって構える。

 狙いを定め、礫を放った。風を切る音とともに礫が飛ぶ。

 礫が意思を持ったように曲がった。

 狙い通りの木に当たった。近くで見ると、木の表皮が抉れている。

 張清は六分ほどの力で放った。これならば少女の力でも、十分に武器となり得る。

 その後も、さまざまな投げ方を工夫した。右から、左から、上から下へ落ちるようなものも試したりした。

 やがて日が暮れ、張清は思わず笑ってしまった。

 何を、夢に本気になっているのだろうか。

 所詮、夢だ。顔も分からぬ、名も知らぬ少女に、惹かれているというのか。

 龔旺や丁得孫に笑われるだろうな。

「おい大将、怪我でおかしくなっちまったんじゃないのか」

 そう言うに決まっている。

 自分でもおかしいとは思う。

 だが何故か、たんなる夢ではない、という思いも強く感じるのだ。

 夢というにはあまりにも、現実的なのだ。

 今夜も会えるだろうか。

 いつしか張清は、楽しみになっていることに気がついた。

 張清は、夜空を見上げた。

 夢の中と同じような月が、煌々と照っていた。

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