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亡国

 船上から、侵入者を見やる。

 童威、童猛らは散開し、いつでも戦闘できる態勢だ。だが敵は静かにこちらを見ているようだ。

 ゆっくりと李俊の船が前に出る。王煥が横に乗っている。

「何の用だ。ここは梁山泊、名くらいは聞いた事があるだろう。迷ったならば速やかに出て行ってもらおう。知っていて、というのならば話は別だが」

 敵の集団の中から、一騎が進み出てきた。

 背を反らし、自然体の騎乗だが、凛と張り詰めた気を纏っている。どこか林冲や呼延灼)のような感じがした。

「気をつけろ。何だか底が知れない」

 王煥もそう呟いた。

 男が馬上で言う。

「我らの仲間になってもらおうと、ここに参った。どうか無礼は許してほしい」

 その言葉に李俊も王煥も、驚いた。驚いたというよりも呆気にとられたという方が正しいか。

 李俊は妙な顔になっていた。

 仲間、だと。寝言を抜かすんじゃあない。

 問答無用。李俊が攻撃の指示を出そうとする。

「おい、お前。混江竜の李俊だろ。ならば、天下の屠竜士どのに叶う訳がないんだ。黙って誘いを受ければ良(い)いんだ」

 男の部下が、怒りに顔を赤くして叫んだ。

 だが屠竜士と呼ばれた男が、それを制する。

「よさないか。それに私は、天下の、と呼ばれるほどの男でもない」

 しかし、と食い下がる部下を下がらせ、屠竜士は非礼を詫びた。

 王煥がごくりと唾を飲み込んだ。

「奴は、屠竜士なのか」

「知っているのか、王煥どの」

「武はもちろん兵法も極め、強力な配下と共に、各地で悪辣な役人どもを懲らしめている男がいるという。その男は修業中に現れた竜を倒したことから、屠竜士と呼ばれているという噂を聞いたことがある」

「それがあの男だというのか」

 二人の会話を聞いていたのか、屠竜士が爽やかな笑みを浮かべた。

「僭越ながら私がその男、孫安と申す者。老風流どの、あなたのお噂もかねがね耳にしておりました。ここで会えるとは光栄です」

 孫安、というのか。

 噂の真偽はともかく、大胆な男には違いない。

 どうするのだ、と王煥の目が囁く。

 どうもこうもあるまい。このまま黙って帰らせる訳には行くまい。

 李俊の右手が上がる。

 水軍が弓を構え、孫安たちを狙う。

「残念だ」

 孫安が本当に残念そうな表情をした。

 李俊の号令と共に矢が放たれた。蝗(いなご)の群れのように、孫安軍に襲いかかる。

 だが孫安軍は慌てずに黒い皮の外套を羽織りながら、すぐに矢の射程外へと移動した。

 速い。戦に慣れている。

「仕方ない。構えっ」

 孫安の指示で、兵たちが一斉に武器を解き放つ。

 しかし、兵たちは李俊ら水軍ではなく、横に向かった。

 そこには駆けつけた李応たちがいた。李応は咄嗟に兵を止めた。奇襲のはずだったが、見破られていたのだ。

 だが退く訳ではない。李応自らが前に出、飛刀を放った。

 狙いは孫安。五本の飛刀が真っ直ぐに飛ぶ。

 孫安の前に部下が飛び出し、飛刀を弾く。

「杜興」

「はっ」

 李応のかけ声と共に、杜興が次の飛刀を投げ渡す。空中でそれを取るやいなや、孫安に向かって飛ばす。

 孫安の部下は対応しきれず、飛刀を打ち漏らした。だが馬上の孫安は身じろぎもしない。

 ふた筋、光が見えた。

 孫安の両手に鑌鉄の剣。

 弾かれた飛刀が地面に突き立っていた。

 李応の顔が歪む。

 だが孫安は剣を納めた。

「いま争うつもりはない。騒がせてしまって申し訳ない」

 孫安の指示で、兵たちが徐々に撤退してゆく。

 童威らが岸に漕ぎ寄せようとするのを、李俊が止めた。

「このまま帰らせるのかよ、兄貴」

「向こうにその気がないなら、それでいい」

 童威、童猛は不満そうだったが、渋々従った。

 ふいに孫安が言った。

「そうだ、私の弟子たちは健勝かね」

 梁山泊の一同が怪訝そうな顔をした。

「そうか、聞いていないようだな。まあ良い、また会う事を楽しみにしているぞ」

 颯爽と馬首を返す孫安。

「おい、待て。誰だ、弟子ってのは。あんたの弟子が、梁山泊にいるのか」

 答えず、孫安は意味ありげな笑みを浮かべ、去って行った。

 李俊が撤収を告げた。

 孫安が消えた方向を見ながら、李俊は動かない。

「何をしておる、李俊。本寨へ戻るぞ」

「いえ、ご迷惑をおかけしました。このままお送りいたします」

「良(い)いから戻れ。わしは帰らんぞ」

 何故だという顔の李俊に、王煥が言う。

「どうも、朱富の酒がまだ飲み足りなくてな。もう少し付き合ってくれ」

 ふふ、と思わず李俊が笑みを浮かべた。

 いま飲みたいのは俺の方なのだ、それを。

 李俊はもう一度、大きく笑った。

 さすが老風流ということか。

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