108 outlaws
亡国
二
船上から、侵入者を見やる。
童威、童猛らは散開し、いつでも戦闘できる態勢だ。だが敵は静かにこちらを見ているようだ。
ゆっくりと李俊の船が前に出る。王煥が横に乗っている。
「何の用だ。ここは梁山泊、名くらいは聞いた事があるだろう。迷ったならば速やかに出て行ってもらおう。知っていて、というのならば話は別だが」
敵の集団の中から、一騎が進み出てきた。
背を反らし、自然体の騎乗だが、凛と張り詰めた気を纏っている。どこか林冲や呼延灼)のような感じがした。
「気をつけろ。何だか底が知れない」
王煥もそう呟いた。
男が馬上で言う。
「我らの仲間になってもらおうと、ここに参った。どうか無礼は許してほしい」
その言葉に李俊も王煥も、驚いた。驚いたというよりも呆気にとられたという方が正しいか。
李俊は妙な顔になっていた。
仲間、だと。寝言を抜かすんじゃあない。
問答無用。李俊が攻撃の指示を出そうとする。
「おい、お前。混江竜の李俊だろ。ならば、天下の屠竜士どのに叶う訳がないんだ。黙って誘いを受ければ良(い)いんだ」
男の部下が、怒りに顔を赤くして叫んだ。
だが屠竜士と呼ばれた男が、それを制する。
「よさないか。それに私は、天下の、と呼ばれるほどの男でもない」
しかし、と食い下がる部下を下がらせ、屠竜士は非礼を詫びた。
王煥がごくりと唾を飲み込んだ。
「奴は、屠竜士なのか」
「知っているのか、王煥どの」
「武はもちろん兵法も極め、強力な配下と共に、各地で悪辣な役人どもを懲らしめている男がいるという。その男は修業中に現れた竜を倒したことから、屠竜士と呼ばれているという噂を聞いたことがある」
「それがあの男だというのか」
二人の会話を聞いていたのか、屠竜士が爽やかな笑みを浮かべた。
「僭越ながら私がその男、孫安と申す者。老風流どの、あなたのお噂もかねがね耳にしておりました。ここで会えるとは光栄です」
孫安、というのか。
噂の真偽はともかく、大胆な男には違いない。
どうするのだ、と王煥の目が囁く。
どうもこうもあるまい。このまま黙って帰らせる訳には行くまい。
李俊の右手が上がる。
水軍が弓を構え、孫安たちを狙う。
「残念だ」
孫安が本当に残念そうな表情をした。
李俊の号令と共に矢が放たれた。蝗(いなご)の群れのように、孫安軍に襲いかかる。
だが孫安軍は慌てずに黒い皮の外套を羽織りながら、すぐに矢の射程外へと移動した。
速い。戦に慣れている。
「仕方ない。構えっ」
孫安の指示で、兵たちが一斉に武器を解き放つ。
しかし、兵たちは李俊ら水軍ではなく、横に向かった。
そこには駆けつけた李応たちがいた。李応は咄嗟に兵を止めた。奇襲のはずだったが、見破られていたのだ。
だが退く訳ではない。李応自らが前に出、飛刀を放った。
狙いは孫安。五本の飛刀が真っ直ぐに飛ぶ。
孫安の前に部下が飛び出し、飛刀を弾く。
「杜興」
「はっ」
李応のかけ声と共に、杜興が次の飛刀を投げ渡す。空中でそれを取るやいなや、孫安に向かって飛ばす。
孫安の部下は対応しきれず、飛刀を打ち漏らした。だが馬上の孫安は身じろぎもしない。
ふた筋、光が見えた。
孫安の両手に鑌鉄の剣。
弾かれた飛刀が地面に突き立っていた。
李応の顔が歪む。
だが孫安は剣を納めた。
「いま争うつもりはない。騒がせてしまって申し訳ない」
孫安の指示で、兵たちが徐々に撤退してゆく。
童威らが岸に漕ぎ寄せようとするのを、李俊が止めた。
「このまま帰らせるのかよ、兄貴」
「向こうにその気がないなら、それでいい」
童威、童猛は不満そうだったが、渋々従った。
ふいに孫安が言った。
「そうだ、私の弟子たちは健勝かね」
梁山泊の一同が怪訝そうな顔をした。
「そうか、聞いていないようだな。まあ良い、また会う事を楽しみにしているぞ」
颯爽と馬首を返す孫安。
「おい、待て。誰だ、弟子ってのは。あんたの弟子が、梁山泊にいるのか」
答えず、孫安は意味ありげな笑みを浮かべ、去って行った。
李俊が撤収を告げた。
孫安が消えた方向を見ながら、李俊は動かない。
「何をしておる、李俊。本寨へ戻るぞ」
「いえ、ご迷惑をおかけしました。このままお送りいたします」
「良(い)いから戻れ。わしは帰らんぞ」
何故だという顔の李俊に、王煥が言う。
「どうも、朱富の酒がまだ飲み足りなくてな。もう少し付き合ってくれ」
ふふ、と思わず李俊が笑みを浮かべた。
いま飲みたいのは俺の方なのだ、それを。
李俊はもう一度、大きく笑った。
さすが老風流ということか。