top of page

天啓

 羅天大醮を執り行う。宋江がそう告げた。

 晁蓋の供養のため、そして梁山泊の繁栄を願うための星祀りである。

 公孫勝を含めて四十九人の道士が揃い、七日七晩かけて行われる。

 忠義堂内に祭壇を拵え、幡を立て、香を焚いた。堂内には聖像を設え、堂外には祭壇を守護するための神将像が並べられた。

 日に三度、祈りが捧げられる。

 宋江、盧俊義以下、全ての頭目が順に香を捧げた。李逵などはつまらなさそうに参加していたが、終わった後に宴会があると聞いた途端、張り切りだした。

 陽は穏やかで、吹く風も清々しかった。

 祭祀は続き、滞りなく七日目に入った。

 何事もなく、やがて日が西へ沈んだ。月のない夜だった。

 やがて七日目が終わり、日が変わろうとする頃である。

 突如、天空から絹を引き裂くような、すさまじい音声が響いた。

「何事だ」

 慌てて宋江が忠義堂を飛び出し、天を見る。宋江だけではない、呉用や林冲など他の頭目たちも、外へ飛び出してきた。

「公孫勝どの、何が」

 樊瑞が不安そうに尋ねた。公孫勝は目を細め、ひとつの方角を指し示した。

 あっ、と誰かが叫んだ。それが呼び水となり、忠義堂の前が騒然となった。

 西北、乾の方角である。

 天が割れていた。

 いや、天に門のようなものがあり、それが開いているようであった。そこからまばゆい光が漏れ出しており、

 見ていると、その光が突如真っ赤になった。そして光の中から、何かが勢いよく飛び出してきた。

 真っ赤な炎に包まれた、流れ星のようなそれは梁山泊へと向かって来ていた。

「何だよ、あれは」

 阮小七が、小五と一緒になって喚いている。他の頭目たちも同じだった。

 そうしている間に、みるみる火の塊が近づいてくる。

 そして忠義堂上空まで来た時、ぐるりと円を描いて向きを変えた。流れ星ではありえない動きだ。そして動きを止めたかと思うと轟音と共に、まっすぐ地面へと突っ込んだ。

 真南の方角だ。

 物見高い連中が駆けだす前に、公孫勝がそれを制した。

 道士たちを先導し、その場所へと近づいてゆく。幻などではない。たしかに何かが落ちたのだ。地面に深く穿(うが)たれた穴と、そこから煙のようなものが立ち昇っているのが見えた。

「あれは何なんだよ」

 阮小七が聞くが、公孫勝はじっと穴を見つめていた。やがて煙が収まったころ、陶宗旺の部下たちが、穴を掘りにかかる。

 一同が見守るなか、穴から引き揚げられたのは、一枚の石碑であった。

 人の背丈の倍ほどの大きさだ。石碑にはなにやらびっしりと文字が刻まれているようだった。

 ひとまず、宋江は七日目の祀りを終わらせると、道士たちに斎を配った。

 やがて日が昇り、石碑を照らし出した。刻まれていたのは見た事のないもので、文字かどうかも判然としなかった。

 金大堅が石碑の表面に触れている。何の変哲もない石のようだ。だが刻まれているものが何なのか分からない。

「なんだよこれ。なんて書かれてるんだ。なんだか蝌蚪(おたまじゃくし)みたいだなあ」 

 横にいた李逵が珍しそうにそう言った。その言葉に、金大堅は蕭譲と目を見合わせた。

「おい、聞いたか」

「もしや蝌蚪(かと)文字ですか。私も辛うじて古書で見たことがあるだけでして」

 その時、金大堅と蕭譲の後ろから声がした。

「おっしゃる通り、それは蝌蚪文字で間違いないでしょう」

 振り向くと、ひとりの道士がいた。公孫勝が連れてきた道士のひとりで、名を何玄通といった。

 曰く、蝌蚪文字とは、今は使われなくなって久しい古代の文字であった。何玄通の家には先祖から伝えられた一冊の書があるという。それが蝌蚪文字にまつわる書だというのだ。蕭譲が見たという古書もその一部かもしれない。時間は少しかかるが、訳することもできるという。

「宋江どの、この石碑の両面には、あなた方の名が刻まれております」

 数刻後、にわかに信じ難い言葉を聞いた。蝌蚪文字を読んだ何玄通も戸惑っているようだった。

 馬鹿な。宋江は思った。

 どうして天から降ってきた石碑に、自分たちの名があるというのだ。

 ともあれ蕭譲に書き取らせ、それに目を通した。

 宋江はまだ信じ難い思いだった。

 なんと、宋江から先日加わったばかりの皇甫端まで百八人の名が順に記されており、そしてそれに星の名が冠されていた。

 宋江は天魁星とされていた。

「ほう、やはり宋江どのは、我らを束ねる魁という訳ですな」

 覗きこんだ呉用がそう言った。

 星主さま、という九天玄女の言葉が蘇った。もしやこの事を暗示していたというのか。  

 玄女に手渡された三巻の書。それは天機の星だけに見せても良いと厳命されていた。   

 呉用に冠された星、それは天機星だった。

 そして玄女の書は、たまたまであるが、呉用にしか存在を明かしてはいなかった。もし呉用以外に見せていたら。宋江はほっとするような、うすら寒いような何かを感じた。

 李逵の目が、こちらをじっと見ていた。自分の名前があるのか、という不安そうな目だった。

 咳払いをひとつし、宋江が告げた。

「この石碑には、皆の名が刻んであった。梁山泊に集いしこの百八人で、天に替わって道を行え、という天からの啓示なのかもしれない。七日七晩の羅天大醮も無事に終わり、その締めくくりにふさわしい吉兆である。そこでこの場を借り、新しい役職の割り当てを布告をすることとする。よく聞いてほしい。この宋江、憚りながら頭領を務めてはいるが、入山の時期だとか、席次の高低など関係はない。それぞれが己の職分で、持てる力を存分に発揮してもらいたい」

 宋江が一同の顔を見渡した。

 どの顔も、星のように輝いていた。

 

 謎の石碑の落下という珍事があったものの羅天大醮も無事に終わり、宴席は盛大に催された。決められた、頭領たちの役職に大きな変化はない。

 ただ董平が、

「新参者の私などが、よいのでしょうか」

 と困惑していたという。

 騎兵軍に五虎将というものを据えた。他が林冲、秦明、呼延灼、関勝といった文句のつけようがない顔ぶれだったからかもしれない。

 呉用や盧俊義らが考え抜いて選んだのだ、宋江はそこに口を出したりしなかった。

 五虎将の他に八虎将、小彪将と続くが、そこにも取り立てて問題はなかった。適材適所である。

 戴宗が酒を注ぎにやってきた。

「これからが大変になりますな、宋江どの」

 そう言いながらも、どこか嬉しそうだ。

「これまで以上に駆け回ってもらう事になりそうですな」

「まあ体力と甲馬が尽きぬ間は、頑張らせてもらいますよ」

「そうか。ん、待ってくれ。甲馬が尽きることなど」

 宋江の言葉の途中で、戴宗は李逵の元へと向かった。少し振り返り、にやりとして見せた。からかわれたのだろうか。

 四方を敵に囲まれている梁山泊にとって、情報をいち早くつかむことがやはり課題となっている。帝の行動や官軍の動き、さらにははびこる賊たちの動静も掴んでおくにこしたことはない。魯智深や武松、燕青などの顔ぶれが各地に散って情報を集める。それを統括するのが戴宗だった。

 東平府と東昌府を攻撃したという事で、開封府では梁山泊討伐の気運が高まると思われた。

 朱武は呉用と協力して、さまざまな陣形の調練を始めているという。そのための戦袍作りに、侯健の工房が大忙しだと聞いた。今も、侯健はこの場にいない。宴の初めに少しだけ顔を出していたようだが、すぐに工房へと戻ってしまったようだ。

 にわかに外が騒がしくなった。なんだなんだと、飛びだして行く連中もいる。賑やかな様子に興味を持った宋江も行ってみることにした。

 そこに侯健がいた。

「これは宋江どの、丁度良いところに。見ていてください」

 工房ではなかったのか、と尋ねる前にそう言ってきた。

 広場に大きな布が敷かれていた。誰かが松明を近づけた。

 その布は、大きな旗だった。赤い生地に金の文字で、雄々しく梁山泊と縫いつけられていた。

「あれより大きいんです。いやあ、運ぶのに苦労しましたよ」

 侯健が笑って、忠義堂に掲げられている旗を見た。そんなに大きな旗をどうするのだ。架け替えるのだろうか。

 のそりと大きな影がその旗に近づいた。郁保四であった。侯健の顔を覗き込むようにした。それに侯健は満面の笑みで応えた。

 阮小七や白勝らが野次を飛ばしている。何が始まるというのだ。

 郁保四の太い腕が旗に伸びた。見ると旗竿が付いていた。これもまた、通常の倍以上の太さだ。

 帥旗か、と宋江は気付いた。しかし無茶な大きさだ。

 郁保四ががしりと旗竿を掴み、低い唸り声を発した。さすがの郁保四でも無理だと、誰もが思っていた。

 だがゆっくりと旗の先が地面から離れだすと、わあっと喚声が上がった。

「おいおい、持ちあがるんじゃねぇのか」

 時遷が呆れたように目を丸くしている。

「揚げられなくてどうする。わしを散々に打ちのめした男だぞ」

 その横で索超が、当然だとばかりに腕を組んで見守る。

 揚がった。

 星明かりの下、巨大な帥旗が勇壮にはためいている。

「どうだ、侯健」

 帥旗を掲げたまま、郁保四が笑みを浮かべた。

「まいったね、こりゃ」

 両手を広げ、肩をすくめた後、侯健が喝采を送った。皆もそれに続いた。宋江も思わず手を叩いていた。

 裴宣だけが渋い顔をしていた。

「あれでは重すぎて実用性に欠けるでしょう。戦場では使えません。それを分かっていて侯健はわざわざ作ったんですな。きちんと使える物を作ってもらわねば困るのです。貴重な布や糸を無駄遣いして」

 鉄面孔目らしい言い分だった。それが可笑しかった。だが、何か可笑しいことでもと裴宣に言われ、宋江は口元を引き締めた。

 梁山泊にはものすごい連中が集まったものだ。宋江は改めて思った。そして百八人の名が刻まれていた石碑を思い返す。

 あの石碑ですが、と李雲が話しかけてきた。

「私の先祖が住んでいた西の国にも、同じような言い伝えがあるのです」

 神の言葉を聞くことができる者が、とある山の上で石板を授かる。その石板には戒めが記されており、それは神が直接刻んだものだというのだ。

 なるほど。神が刻んだ、か。やはり九天玄女なのか。

 宋江は月の出ている夜空を仰ぎ見た。

 気付くと、頭目たちはすでに室内へと戻っていた。

 戻り際、忠義堂を振りかえった。旗が翻っている。

 替天行動。

 忠義双全。

 そして満天の星が煌いていた。

「よし。決めたぞ」

 宋江は誰に言うでもなく、そう呟いた。

 宴の場から、宋江を呼ぶ声が聞こえた。

bottom of page