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鳳雛

 一清、だと。

 この白髪、年は経ているがこの顔、間違えるはずもない。

 公孫勝、一清だ。

 喬冽だった時分に戻った気がした。同時に、胸の奥底から燃え上がるもどかしい想いも噴き出してきた。

 こいつのせいだ。お前が来なければ、師は私だけを。

 す、と喬道清が顔から感情を消した。

 法術が飛び交っていた戦場が嘘のように静まり返った。公孫勝と喬道清が馬上で対峙している。

「ああ、どれくらいぶりかな、一清」

「ずっと、師が気にかけておられました」

 気にかけていた、だと。よくも言えるものだ。

「お前も山を下りたのか」

「はい」

「ならば私が戻らなかった訳もわかるだろう。お前ほどの者なら」

「はい。義憤に駆られ民のためと思い、生辰綱を奪いました」

「どうだった。気が晴れただろう。私たちの力はこのためにあるのだと感じただろう」

「思わなかった、と言えば嘘になります。師兄の気持ちが、分かったような気がしました」

 ですが、と公孫勝が続ける。

「師は、師兄を信じていたからこそ下山させたのです。力に溺れず、戻ってくると信じて」

「私が、力に溺れたと」

「だから師は、私に命じておりました。あなたに出会ったら、その目を覚まさせてやるのだと」

 喬道清が豹変した。

「思いあがりおって。弟弟子だからと思って聞いておれば、口まで達者になったようだな。他に言い残すことはないか、一清」

 宝剣を抜く喬道清。

 寂しそうに眉を曇らせる公孫勝。

「戻る気は無い、という事ですね」

 毛頭ない、と喬道清が宝剣を掲げた。

 黒雲が湧き、中から金甲兵が無数に飛び出してきた。

 公孫勝も古定剣を掲げ、天を示す。頭上に黒雲が現れ、中から飛び出してきたのは黄袍の将だった。

 空中で金甲兵と黄袍将が激突した。

 梁山泊軍と昭徳府軍の頭上、到る所で火花が散る。双方の兵が、この世のものとは思えぬ戦いに、呆けたように口を開ける。

 その中で喬道清の配下、穿心鎗の費珍が飛びだした。それを察した秦明が駆けた。

 喬道清と公孫勝が同時に、二人を指してひゅっと息を吐いた。

 駆ける二人の手からそれぞれの得物が、狼牙棒と槍が、もぎ取られるように離れ、宙を舞った。

 奇妙な光景だった。中空で狼牙棒と槍が、意思を持ったように打ち合っている。

 喬道清が力を込めれば槍が優勢になり、公孫勝が気合を発すれば狼牙棒が勢いを増した。

 公孫勝が強く指を振った。狼牙棒が猛り、費珍の槍を弾き飛ばした。槍は真っ直ぐ、昭徳府軍の戦鼓を貫いた。間の抜けた音が響いた。

 喬道清が動揺し、術も乱れた。

 金甲兵が次々と黄袍の将に討ち取られ、地へと落ちてゆく。

 それを見た昭徳府軍が怖れをなし、逃げ始めた。薛燦(せつさん)や雷震(らいしん)が必死に止めるが、兵たちは止まらない。

 舌打ちし、喬道清もその場を離れ、馬首を返した。

 公孫勝は追わず、その姿をじっと見つめるだけだった。

「助かりました」

 樊瑞が言い、公孫勝は黙って頷く。

 そこへ宋江が駆け寄る。

 公孫勝は呼延灼と共に衛州にいたはずだ。どうしてここへ。

「あの喬道清は、私の兄弟子なのです。だから私がけじめをつけなくてはならないのです」

 なんだと。ならば樊瑞も敵わぬ力も納得ができる。

 しかし兄弟子に勝てるのか。

 そう言いさした宋江に、

「勝ちます。喬道清を追いましょう」

 と、公孫勝が決然と言った。

 宋江は、その顔に覚悟を見てとった。

 そうだ。勝てるのか、ではない。勝たねばならぬのだ。自分も、梁山泊もだ。

 五竜山まで、喬道清は退却していた。

 合流した孫琪、戴美を右翼に、聶新、馮玘を左翼に配置し、鳳凰が羽を広げたような陣形で待ち構える。

 鳳凰の嘴、梁山泊を喰らう位置にいるのは、もちろん喬道清だ。

 あのでかぶつの言葉が、何故か耳に残っている。煩わしい。

 私を燕か雀などと抜かしおった。だが宋江こそ、雛鳥ではないか。まったく大口を叩きおって。

 彼方に梁山泊軍が見えた。

 来い、公孫勝。

 喬道清が宝剣を抜いた。剣先が天を指す。喬道清が口の中で文言(もんごん)を唱える。

 喝。喬道清の気合が轟く。

 突如、地鳴りが起きた。

 馬たちが棹立ちになり、梁山泊軍が停止を余儀なくされる。

 これは、と宋江が構えた。公孫勝はじっと喬道清を見ている。

 地鳴りが大きくなった。

 喬道清の背後にある山が、黒い靄に包まれた。

 山が揺れているように見えた。いや、実際に揺れているようだ。

「あれは」

 宋江が叫んだ。

 山から何か飛び出した。それは黒く、長い巨大な蛇のように見えた。

 それは真っ直ぐに天に駆け上ると、ぐるぐると渦を巻きながら浮遊した。

「竜だ」

 樊瑞が固唾を飲んだ。

 また山が鳴動した。そしてさらに竜が飛びだしてきた。それぞれ色が違う五匹の竜が、天から梁山泊軍を狙う。

 驚く宋江に、耿恭が告げる。

「奴らの背後の山、あれは五竜山といいます。しかしだからと言って」

 耿恭は恐怖を振り切るように、刀を構えた。

 どうするのだ。宋江は団牌兵に守られながら、公孫勝の背を見つめる。

 初めに黒竜が襲ってきた。口中に恐ろしい牙が並んでいる。

 公孫勝は揺るがずに、古定剣を竜に向けた。

 黒竜ではない、黄竜にである。

 黄竜はびくりと震え、黒竜の方を向いた。威嚇するように咆哮すると、突風のように黒竜めがけて飛んだ。

 黄竜が黒竜の喉に噛みついた。うろたえた黒竜は、そのまま黄竜と絡みあうように空中で戦いだした。

 驚いたのは喬道清だ。

「私が呼びだした竜だぞ。ええいっ」

 喬道清が青竜に命じる。だがそれを白竜が押さえこむ。そこに、喬道清は赤竜を仕かける。

 五匹の竜が渦を巻き、死闘を演じている。梁山泊軍も、昭徳府軍もその戦いを唖然として見上げるのみだ。

 黄竜と白竜が押され始めると、公孫勝は払子を取り出した。

 さっと払子を振り、文言と共に空中に放り上げた。

 払子が回転し、鳥に変わった。その鳥は、竜に近づくにつれてどんどん大きさを増してゆく。その大きさは天を覆うほどにまでなり、一帯を暗くしてしまうほどだ。

 鳥はついに大鵬と化し、五匹の竜を巨大な嘴で打ち砕いてしまった。両陣営の上に、竜の鱗が降り注ぐ。

 これは。

 宋江が手にしたそれは、鱗ではなく土くれだった。

「まだ私の力は尽きておらぬぞ」 

 自らを鼓舞するように喬道清が宝剣を振るう。

 対する公孫勝も古定剣を天に向ける。

 天が一瞬、明滅した。その直後に雷鳴の轟き。

 公孫勝の真上に、雷を纏った金甲の神人が顕現していた。

「五雷正法、か」

 喬道清が歯噛みする。羅真人からはついに伝授されずにいた法術だ。

 それを、それを。

 弟弟子の方に教えただと。

 喬道清の瞳が妖しく光る。

「私の方が、私の方が」

 金甲神人に向け法術をかけるが、効果はない。

 喘ぐ喬道清に向かって、神人の手が伸びる。掌に雷が纏わりつく。

「帰りましょう、師兄」

 なす術がない。お終いだ。負けたのだ。

 そう思ったが、公孫勝への嫉妬心は、それを良しとしなかった。

 力の限り手綱を引き、馬首を返した。 

 孫琪、聶新たちが守るように側で駆ける。

 兄弟子を見る公孫勝の目は、どこか悲しそうだった。

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