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過信

 青州に山賊の拠点が新たに増えた。白虎山である。

 白虎山の頭は地元の孔家村を治めていた孔兄弟、毛頭星の孔明と独火星の孔亮であった。

 孔明が床几に腰かけ、腕を組み目を閉じていた。

 懸念していた事が起きた。やはり、という感じだった。父である孔太公の死を隠すようにしていた。だがそれも長くはもたなかった。かねてから白虎山麓の土地を狙っていた、青州知府の慕容彦達の知るところとなったのだ。

 父の力はやはり偉大だった、と孔明は改めて思った。父がいたからこそ慕容彦達もうかつに手を出せなかったのだ。父の力を自分たちの力と思い違いをして、何もしてこなかった事を恥じた。

「慕容彦達の野郎、俺たちを見くびってやがるんです、兄者」

 孔亮の言うとおりだった。慕容彦達は我ら兄弟の事など何ほどにも思ってはいなかったのだ。

 

 孔太公の死を知ると、慕容彦達は懇意にしている金持ちに力を貸した。青州兵を貸し出し、強引に土地を奪わせようとしたのだ。元からその金持ちは孔家村を妬んでおり、隙あらば白虎山麓の土地を狙っていたのである。まさに渡りに船であったのだ。

 兵たちが酒屋などでいちゃもんをつけては暴れるという被害が増えた。白虎山麓にある居酒屋を借りていた曹正のところにも、彼らは来た。

「困ります、お客さま。他のお客さまの迷惑になりますので」

 施恩が、あくまでも丁重に対応をしている。その客、兵たちは酔って騒ぎだしては隣席の客に絡んだり、物を投げつけて笑いあったりしていたのだ。

 施恩は眉をひそめた。演技とは思えなかった、これが青州兵の素なのだろう。花栄や秦明、黄信といった名だたる将がこぞって梁山泊に落草したという。彼らがいた頃は軍律も厳しく、清廉な軍であったと聞いている。これもすべて慕容彦達のせいか。

「うるせえ、俺たちは客なんだぜ。もっと大事に扱いな、金なら持ってるんだ、ほら」

 兵のひとりがそう言って卓に銀の粒を放りだした。出所は例の金持ちなのだろう。こうやって店をつぶしていき、乗っ取るつもりなのだ。しかし兵たちも見る目がなかった。ここは楊志、魯智深、武松が率いる二竜山直轄の店なのだから。

 ひ、と兵が短い悲鳴を漏らした。首筋に光る刃があてられていた。

「別にこっちは金に困っている訳じゃないんです。お引き取り願いましょうか」

 施恩の金色(こんじき)を帯びた瞳が鈍く光っているようだった。調理場で構えていた曹正がにやりとした。孟州で快活林を営んでいたころの施恩とは違った。武松と出会い、父の死を乗り越え、ひと皮もふた皮も剥けていた。彪は徐々に虎になりつつあるようだ。

 他の兵たちが一斉に刀を抜き放った。そして乱闘となる。

 飛び出した曹正の太い腕に二、三人がまとめて店の外に放り出される。施恩も軽やかな刀さばきで残りを片付ける。最後に、頭を抱え悲鳴を上げる兵の尻を蹴り上げ、追いだした。

「釣りはいらねぇよな。迷惑料としてもらっとくぜ」

 曹正が大声で言うと兵たちが、わあっと逃げ去った。

 

 同じ事が孔家村近くでも起きていた。もちろんその店の者たちは普通の者たちだ。施恩らのようにできるはずもなかった。

 しかも慕容彦達の息がかかった金持ちが直接、乗り込んできていたのだ。

「汚い店ですね。ふむ、あの壁をぶち抜いて広くしましょうか」

 金持ちの言葉で、兵たちが壁を打ち壊し始める。店の者はうろたえるばかりだ。

「なにやってやがるんだ、貴様」

 だがそこに丁度、孔亮が居合わせた。孔亮が立ち上がり、刀を構える。共に来ていた長王三や矮李四などの手下たちもめいめい武器を手にした。

「おやおや、どこかで見た事のある顔だと思ったら、孔太公どののご子息ではないですか。ええと、名前は何と言ったか。お父上の威名が高すぎて、できそこないのお坊ちゃまたちの名など覚えていないもので」

「手前、若さまに向かって」

 長王三と矮李四が飛び出そうとするが、兵たちが瞬時に金持ちの前に出て刀を出した。

「聞くところによると、慕容彦達などと手を組んでいるそうじゃないか。しかしここは我らの土地だ、誰にも渡さん。怪我をしたくなかったらおとなしく出て行ってもらおうか」

「これはこれは、私を脅そうというのですか。おお、白虎山の店は怖い怖い」

 金持ちはわざとらしく驚いた顔をしていたが、兵たちに囲まれているからなのか、あくまでも余裕が見てとれた。

 脅しじゃないんだぜ、と孔亮が金持ちに近づく。手下たちもそれにならう。

 金持ちの前の兵たちも刀を上げ、迎え討つ態勢になる。

 空気が張り詰めた。

「ごらんなさい。すぐに暴力で解決しようとする。これだから嫌なんですよ。これでは孔太公の方も噂ほどではなかったかも知れませんね。なにせこんなぼんくらどもを育ててしまったのですから」

「やめろ。父は関係ないだろうが。俺たちの事ならいくら言っても構わない、だが父の悪口は許さんぞ」

 孔亮が歯を食いしばり、叫んだ。これまでならすでに突っかかって行っていただろう。耐えているのだ。父亡き後の孔家村を守ろうと兄、孔明と約束し合ったのだ。

「許さぬだと。許さぬのはわしの方だ。もうすぐ孔家村も白虎山の土地もわしの物だ。わしにはあの慕容知府がついているからのう。その暁には、お前の親父の墓を暴いて、骨を犬の餌にしてくれるわ」

 孔亮は我慢できなかった。父の事を悪(あ)しざまに言われ、耐えろと言う方が無理だった。

 金持ちの首が、孔亮の刀で斬られていた。首から血が噴き出し、金持ちの口からはただ、ひゅうひゅうという音が出るばかりだった。

 そこへ孔亮の配下たちが兵たちを襲った。隙を突かれた兵たちは、命までは落とさなかったものの、武器を放り投げ逃げ去ってしまった。

 首から血を流した金持ちの亡骸だけが、そこに残された。

 兄に怒られると思った。

 しかし孔明はゆっくりと息を吐き、力を抜くと嬉しそうに孔亮を見つめた。

「父の事を言われ何もしないでいた方が、私は怒っていただろう」

 孔明がそう言った。孔亮も嬉しそうに笑った。

「しかし、すみません、兄者。あの金持ちの後ろには慕容彦達がいるんです。すぐに青州から大軍を送りこんで孔家村をつぶしてしまうでしょう。孔家村を守る、と誓っていたのに」

「仕方あるまい、起きてしまった事だ。毒を食らわば皿までと言う。こうなれば道はひとつだ」

 白虎山、そこで孔明と孔亮が寨を構える事になったのだ。手下達や孔家村の者を集め七、八百の規模を擁する寨が、一瞬にして出来上がることとなった。

 孔明と孔亮は、かねてより交流を持っていた二竜山と桃花山のもとに手紙を認(したた)めた。山賊として、今度は孔兄弟が新参者の立場となったのだ。あらためて挨拶のため、宴を開いたのだ。

 楊志が笑って言った。

「経緯は伺った。しかし孔兄弟がいたからこそ我らは青州で再起を果たせたのだ。堅苦しい事は抜きで、今まで通り協力しようではないか」

「ふむ、孔家村がまるごと白虎山に移ったようなものだな。という事は、奇抜な方法だが立派に孔家村を守っているという事ではないか。孔太公どのもあの世で鼻が高いだろうて」

 魯智深が大笑し、大碗を呷った。その横で張青が腕を組んでいる。

「しかし慕容彦達に宣戦布告したようなものだ。これから白虎山はもちろん、わしらも油断はしておれぬぞ」

「このごろ、暴れたりなくて体が鈍(なま)っていたのだ。このままではこの刀も錆びついてしまうところだ。今の青州軍は大したことはないが、良い運動にはなるだろう」

「そうさ、武松もこう言っているんだ。弱気になってどうするんだい、あんた。これで、あたしの仕事も増えるってもんさ」

 張青は、あえてそれに答えず李忠に視線を送った。李忠も、どちらかといえば慎重な性質(たち)だった。酒をひと口飲み、伏せていた目を上げた。

「私も、二竜山と同じく元の山を追われた身。そして孔兄弟の好意がなければ周通ともども果てていた身だ。微力ながら、共に戦う所存だ。今日はその周通は来られなかったが、実は北の方に馬の買い付けに行ってもらっているのだ。必要になるだろうと思ってな」

 李忠の目が力強く光っているようだった。魯智深が微笑んでいた。

 孔明と孔亮が一同に拱手をし、感謝の言葉を述べた。その時である、背の高い長王(ちょうおう)三(さん)が駆けこんできた。

「だ、旦那、若さま、大変です。青州軍が」

「来たか、思ったよりも速かったな」

 楊志がすぐに立ち上がり、腰に剣を佩いたが魯智深が慌てて、それを引きとめた。

「まてまて、景気づけの乾杯といこうではないか」

 大きな手で杯を持ち、にこりと笑う。

 楊志も魯智深も武松もどの顔も、これから戦だという表情にはとても見えなかった。

  

 童貫が不機嫌そうな顔で座っていた。

 宮城にある一室である。蔡京、高俅、楊戩もいつもの席にいた。

 蔡京が皺だらけの手を組み、一同を見まわした。

「楊戩、梁山泊はどうなっておる」

「はい、奴らは祝家荘を打ち破り、帰還したようです。祝家荘だけが狙いだったようで、役所などに被害は出ておりませんが、これ以上のさばらせては、と思います。討伐軍を出してはいかがかと」

 横から高俅が割り込むようにした。

「楊戩の言う通りです。祝家荘側にも非があるとはいえ、民が襲われたのです、蔡京さま」

 高俅の心に林冲の、あの目が甦ってくる。梁山泊の名を聞くたびに、そうなのだ。

「やつらめ、各地から犯罪者などを集めて、次第に勢力を増している様子。叛乱の芽は早めに摘んでおくのが得策かと。このまま放置しては、何もしない我らに民の矛先が向けられるやもしれません」

「我が何もしていないと申すのか。梁山泊の件は心にとめておこう、しかしあまり私怨に捕らわれるでないぞ、高俅」

 蔡京の言葉に、高俅は言葉を詰まらせる。しかし高俅の言う通り、梁山泊の力が大きくなっているようだ。江州で処刑するはずだった宋江という男も救出され、入山したという。そして奴の名声を慕って、人が集まっているという。その男にどんな魅力があるというのか、蔡京も気になってはいた。

「私は梁山泊などよりも、河北と淮西の賊徒どもの方が、危急の案件だと思いますがね」

 童貫がさらに不機嫌そうな顔で告げた。

「お主の方こそ私怨ではないか、童貫」

 高俅の言葉に童貫は、ふんと鼻を鳴らすのみであった。

 淮西で蜂起した王慶という賊徒の事である。聞くところによると、王慶は童貫の養女に手を出し、それが露見して流刑になったのだという。しかし流刑先の陝州から脱走し行方不明になっていた。それがどういう訳か兵を集めており、房州を中心に淮西地方で挙兵したというのだ。

 童貫は王慶の件で、ひどく恥をかかされたのだ。行方不明になり忘れかけていたが、再びその名を聞き、童貫は腸(はらわた)が煮えくりかえる思いだったのだ。すぐにでも軍を率い、叩き潰してやりたい思いを何とか抑えていたのである。

 それは蔡京も同じはずであった。その娘は蔡京の孫に嫁ぐはずだったからだ。しかし蔡京は落ち着いた風に見えた。

「淮西の王慶に、河北の田虎か。さらに北の遼も最近、国境を騒がしているという。また江南にいる朱勔からも、賊徒の報告が上がってきておる。規模の大きさや危険度からも、それらの方が先だな」

 童貫はその言葉に口元を歪めさせた。高俅と楊戩が顔を見合わせた。

「だが、まだ帝の耳に入れてはならんぞ。帝に余計な心配をさせず政(まつりごと)を行っていただくのも、我らの務めだ。機が来れば、わしの方から帝には報告いたそう」

 蔡京が言い、三人が頷いた。

 朝議の時刻である。いつものように蔡京だけが、この部屋に残った。

 目を瞑るとそれが深い皺に隠れた。賊徒どもの蜂起が増えている。河北、淮西、江南そして山東の梁山泊。東京開封府を取り囲むように蜂起の輪が広がっている。

 蔡京は何かを目まぐるしく考えているようだった。

 蔡京はやがて目を開けると部屋を出た。

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