top of page

落草

 ほの暗い部屋に三人の男たちがいた。灯火(ともしび)が揺れるたび彼らの影も揺れた。

 口ひげを生やした男が渋い顔をしていた。視線の先には書類のようなものがあった。

「うむ、食糧の調達が必要だな」

「では兄貴、俺が役人どもから借りてくるとしよう。奴ら、しこたまため込んでやがるからな」

 体格の良い男がからからと笑いながら言った。兄貴と呼ばれた口ひげの男が答える。

「華陰県の役所へ行くには、史家村を通らねばならん。あそことはあまり事を構えたくないのだが」

「なに、心配する事はない。ちょっと敷地を通らせてもらうだけさ」

 色の白い、もう一人の男が言った。

「新しく家長になった九紋竜の史進の噂は、近隣でも有名だ。若いがおそろしく腕が立つそうじゃないか。兄貴には悪いが、俺は遠回りした方が良いと思う」

「なんだと、楊春(ようしゅん)。お前は俺の腕が史進とやらに劣ると言いたいのか」

「やめないか陳達(ちんたつ)。お前の腕は認めているよ。一般人に手は出さぬ、それが我らの矜持ではないか」

「わかったよ、朱武(しゅぶ)の兄貴。そんなに言うなら遠回りで行くさ」

陳達は言うと椅子から立ち、武器掛けから点鋼槍(てんこうそう)を手に取った。

「陳達、気をつけろよ」

「兄貴」

「じゃあ、行ってくる。宴の用意でもしていてくれよな」

 

 日が天頂にさしかかろうとする頃だった。

 小高い丘の上、陳達は馬上から史家村を見下ろしていた。百五十人ほどの手下が後ろに控えていた。

「朱武の兄貴と楊春はああ言っていたが、やっぱり面倒だな。行くぞ」

 部下を連れ、馬で山を下り史家村の入口まで来た。すると武器をもった小作人たちが現われた。統制のとれた動きが見て取れる。

「ほお、自警団か。なかなかの動きをしやがる」

 小作人たちは武器を陳達らに突き出す。彼らにおびえた表情はなかった。

 陳達は片手を上げ一騎、ゆっくりと前に出る。

「待ってくれ。俺たちは少崋山から来た。華陰県の役所へ行くのに通らせてもらいたいだけだ。お前たちに危害を加えるつもりはない」

 陳達の声が朗々と響きわたる。やがて村の奥から馬に乗った若者が現われた。

「たいした胆力(たんりょく)だな、山賊風情が」

 陳達にも負けず劣らず良く通る声。まだ幼さを残す顔立ちながら、何かに飢えているような鋭い眼光。人馬一体となった、堂々とした風貌。

 これが九紋竜の史進か。陳達は、想像をはるかに上回る強さを史進から感じ取った。だが引く訳にはいかない。

「貴殿が史進どのか。俺の名は陳達。少崋山で第二の頭領をしている。役所に用があって行かねばならぬ。すまないが村を通してはくれぬか」

「華陰県の役所を襲うつもりか」

「奴らは、我らやお前らのような者から税と称し、必要以上にとりたてている。それを奪い返しに行くのだ、問題はあるまい」

「それこそ賊の言い分だな。この史家村を通すわけにはいかん」

「そうか、ならば力ずくでも通らせてもらうぞ」

 言うや陳達は馬を駆けさせた。史進もそれに向かって駆けだした。

 陳達が点鋼槍で突きかかれば、史進は三尖(さんせん)両刃刀(りょうじんとう)でそれを防ぐ。また史進の攻撃を巧みにかわし、陳達も反撃をする。お互いの武器が交差するたび、鋭い金属音が響きわたる。

 陳達は史進の強さを実感していた。地主の坊ちゃんのお遊び武芸だと思っていたが、これは本物だ。次第に槍を握る手がしびれてきた。

「どうした山賊」

 史進の勢いは衰えることを知らない。抗しきれぬと悟った陳達は、史進の馬に突きを放った。竿立ちになった馬から後方に飛び、地に降り立った史進。

「山賊め」

 風が駆け抜けた。身体に衝撃が疾(はし)り、史進はよろめいた。

「山賊ではない、俺の名は陳達だ。跳澗虎(ちょうかんこ)の陳達だ」

 鋼の槍を構えた陳達が史進と背中合わせに立っていた。

 

 頬から血が流れている。史進は振り向きざま、刀をなぎ払った。手ごたえがなかった。

 どこだ。一瞬、日の光が遮られた。

 上か。頭上から襲いかかる槍を、史進は紙一重でかわした。

「たいした若造だ。朱武の兄貴が怖れるのもわかるぜ」

 陳達と史進は徒歩(かち)で向き合っていた。

 史進が上着を脱ぎ捨て、武器を構える。

「さあ来い、陳達」

 たいした若造だ。陳達は改めて思った。

 陳達は短く気合いを発し、駆けだした。間合いはまだ遠い。陳達は槍の穂先を斜め前方の地面に突き立てた。しなる槍の柄の反動をつかい、人ではあり得ないほど中空へと跳躍した。

「なるほど跳澗虎とはよく言ったものだ」

 陳達の槍が唸りを上げ、頭上から史進に襲いかかる。史進は深く息を吸い込み、裂帛(れっぱく)の気合を発した。互いの得物が交差する。激しい火花が生じた。

 飛ばされた槍が地面に突きささる。陳達はかろうじて着地した。両の腕が痺れている。そして膝をつき、史進を見上げた。

「これが九紋竜の史進か」

 陳達は思わず口に出していた。

「悪いが縄をかけさせてもらうぞ」

 史進の上半身に宿る九匹の竜が、陳達を睨みつけているようだった。

 

 朱武は腕を組み、渋い顔をしていた。

 陳達が史家村で捕えられたと、先ほど配下の者が伝えてきたのだ。

 楊春が卓の向かいに座っている。

「兄貴、どうする。こうなったら我ら総出で陳達の兄貴を救い出そうではないか」

 待て、と言い朱武は目を閉じた。しばらく思案すると、やがて薄く眼を開けた。

「まったく陳達もお前も、あの頃と変わっておらんな。あの頃と」

そう言う朱武の顔は、どこか誇らしげでもあった。

 

 少崋山の頭領二人が、配下も連れずに史家村に来た。その報せを受け史進は村の入口へと向かった。

「賊め、わざわざやられに来たか」

 史進が姿を見せると、二人は馬から飛び降りその場で土下座をした。

 史進は馬を下り、怒鳴った。

「何のつもりだ」

「この度は弟分の陳達が無礼を働き、大変申し訳ございません」

 史進はいぶかしみ、その場を動かない。二人はその姿勢のまま続けた。

「この朱武と楊春そして陳達の三人、悪徳役人どもに追われやむなく賊となった身。その時、義兄弟の契(ちぎ)りをかわし、死ぬ時は共に死のうと誓いを立てました。関羽、張飛、劉備ではありませんが我らも同じ志。命乞いをするつもりはございません。陳達と共に我らも役所へ突き出していただきたく参上いたしました」

 楊春も続けて声を上げる。

「史進どのの手にかかって死ぬならば本望。決して恨みはしません」

 見ると二人の目には涙が浮かんでいるようだ。

 陳達を奪い返しに来たのならばいざ知らず、まさか自ら捕まりに来るとは。こんな漢(おとこ)たちがいたのか。史進は、知らず笑みを浮かべていた。

「二人とも頭を上げてくれ。これほどの義侠の士を捕えるなどできん。この史進、末代までの笑いものにされるわ」

 二人は顔もあげず、その場で土下座を続けている。

 史進は王四に命じ、陳達を連れてこさせた。

「朱武の兄貴、楊春、俺のために頭など下げないでくれ」

 後ろ手に縛られたままの陳達が叫ぶ。その声に二人は顔をやっと上げた。額には土がこびりついている。

 史進は陳達の縄を解くよう命じた。

「九紋竜、お前」

「さっきも言ったが、お前らを捕えることなどできん。ぜひ酒をふるまわせてくれないか」

 史進のその言葉に、少崋山の三人は目を丸くして顔を見合わせるばかりだった。

 

bottom of page