108 outlaws
受難
二
塩の値が、また上がった。
塩は国が専売しており、その価格は自由に操作できる。しかも塩は人々の生活に無くてはならない物であり、どんなに高くても買わざるを得ないのだ。
原因は花石綱であった。
徽宗(きそう)帝のために珍石奇木を都へと運ぶため、莫大な費用がかかる。その費用を捻出するために塩の値が上がったのだという。
「手前(てめえ)の道楽で、俺たちの首を絞めるんじゃねぇよ、まったく」
だん、と大きな音をたて李俊が杯を置いた。
盧州(ろしゅう)、李俊の生まれ故郷である。
船頭の仕事を終えた李俊は、小さな居酒屋にいた。
「李俊、お上に聞こえたらお前もとっ捕まるぜ」
と顔見知りがたしなめるが、李俊はどこ吹く風だ。かえって、捕まえられるもんなら捕まえてみやがれ、と息巻いていた。
皿に箸を伸ばし、肴を口に入れる。韮(にら)とあさりの炒め物だ。
む、と李俊が顔をしかめる。
「おい、味が薄いんじゃねぇか」
店の亭主に文句を言うが、これも塩の値が上がったためだという。料理の値を上げたくないため、やむなく使う塩の量を減らしているのだ、と弁明した。
店を出てもむしゃくしゃしたままの李俊は小石を蹴とばした。
「ちっ、お上に一泡吹かしてやりてぇなぁ」
帰って一杯やるか、と路地を曲がり裏道へ入った時である。
陰に隠れるようにして、二人の男がうずくまっていた。
一人は倒れており、首のあたりから血を流していた。もう一人の男がその首を手で押さえているが、血は流れ続けていた。
その男と目があった。今にも噛みつきそうな狂犬のそれだった。
男は素早く立ち上がり李俊に向かって刀を突き出した。
李俊は紙一重でかわした。しかし頬が切れたようだ。
男はその一撃を外すと、力なくまた蹲(うずくま)ってしまった。
「おい、そいつ怪我してるじゃねぇか」
「俺たちに構うな」
男はそう言い放った。だが李俊も食い下がる。
「構わない訳にいかないだろうが。死んじまうぞ、早く手当てしないと」
李俊は自分の家へと男たちを連れて行った。
首に包帯を巻き、何とか止血する。やるべき事はやった。あとはこの男の生命力次第だろう。
「なぜ、助けた。お前を殺そうとしたのだぞ」
血に染まった手を拭いながら、男が聞いてきた。
「なぜ、ってお前」
李俊は答えるのも面倒だった。怪我人を救う事など当たり前のことだろう、と心でつぶやいていた。
男は童威と名乗った。首を怪我した男は弟の童猛だという。
李俊は二人の素性を聞こうとはしなかったが、童威からそれを明かしはじめた。
童兄弟は塩の密売をしていた。
国が扱う塩よりも安価で、大きな儲けとなった。そして必然的に人々も闇塩を選んだ。しかしそのため密売者は厳しく罰せられる事になる。
童兄弟は役人に見つかり、ここまで逃げて来たのだという。捕り手と乱闘になった際、童猛は首に大きな怪我をしたという訳だ。
傷が化膿しないか心配だったが、それもなく童猛は一命を取り留めた。だがその代償は大きかった。
童猛は声を失った。喉の深い所まで傷つけられていたためだ。
礼を言い、去ろうとする童兄弟に李俊は言った。
「俺にもやらせてくれないか。塩の密売を」
これだ、と童威の話を聞いた時から考えていた。
お上に一泡吹かせ、庶民のためになる事。それが塩の密売だった。
「見ただろう。いつ命を落とすかもしれんのだぞ」
しかし李俊は笑みを浮かべていた。
童威と童猛は、その顔に何故か安心感を覚えていた。
混江竜の李俊、その名はすぐに広まった。
もともと船頭をしており、泳ぎも達者な李俊は潯陽江をかき回す竜として怖れられた。
闇の塩を運ぶだけではなく、時には公の塩を運ぶ船を襲い、それを奪った。
李俊はもちろん、童兄弟もその道で名を知らぬ者はいなくなった。
洞穴から出てきた蛟(みずち)、出洞蛟(しゅつどうこう)の童威。潯陽江を荒らす竜の一種である蜃(しん)、翻江蜃(ほんこうしん)の童猛。
童兄弟はそう並び称された。
庶民は彼らを讃え、お上にとっては頭の痛い存在となった。
「すっかり暗くなっちまったな。とりあえず酒をくれ。あと適当につまみも頼むよ」
掲陽嶺の麓にある小さな酒屋。童威はそこへ入るなり亭主にそう言った。
はい、と愛想のない亭主が言って奥へ消えた。
李俊ら三人の他に、店には先客がひと組いるだけだった。
その客は四人組で、何やらこちらをちらちらと見ているようだったが、気にするな、と李俊が言い酒を飲んだ。
何杯か酒を飲んだが、落ち着かなかった。先客の視線が気になって仕方ないのだ。
童威が童猛と目を合わせる。こくりと童猛が頷いた。
「何ださっきからお前らこっちを窺いやがって。言いたい事があるならはっきり言いやがれ」
朴刀の柄に手をかけ、童威と童猛が立ち上がる。
その途端、四人の男たちが次々と椅子から転げ落ちた。白目をむき、口をだらしなく開け、よだれを垂らしている。
李俊も素早く立ちあがると構えを取った。何が起きているのだ。
「お客さまはご心配なさらぬよう。さ、こんなものしかありませんが」
奥から戻った亭主が牛肉の炒め物を運んできた。
「これは、どういう事だ」
李俊は刀の柄に手を置いたまま訊ねた。この男、俺たちにも何かしているのか。童猛が酒の匂いを嗅ぎ、首を横に振る。
「そいつらはあんたらを追っていた捕り手たちさ。ここ何日か、この辺りをうろうろしていてね、李俊どの」
一瞬で店内に殺気が満ちる。この亭主、俺の名を、素性を知っているのか。
しかし亭主は意に介する様子もなく、転がった捕り手たちを奥へと引きずってゆく。
「こいつらは罪人を捕え裁くかもしれんが、こいつらを裁くのはこの崔命判官なのさ」
店の亭主、李立は酷薄な笑みを、李俊らに向けた。
「李俊どのたちは俺たちのために戦ってくれている。感謝していますよ」
童猛が牛肉を一切れ口に入れた。目を見開き、親指を立てて見せた。
つられて李俊と童威も箸を伸ばした。
なるほど塩味が効いていて、とても美味(うま)かった。