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仇敵

 じっと待っている。

 床几に腰かけ、左手を腿に、右の手には長柄の武器、開山大斧をしっかりと握っている。

 田虎の出陣準備のため、待機を命じられた卞祥は、冬眠するように目を閉じ、じっと待っていたのだ。

 卞祥は農民だった。

 大きくはない村で生まれ、子供の頃から体は人一倍大きかった。そのためか、周りの子供たちと遊ぶより、早くから田畑を耕す手伝いをしていた。体はますます大きくなった。肥ってはいるのだが、腕も腿もはちきれんばかりの毬のような筋肉で包まれていた。

 ある年、旱魃に見舞われた。卞祥の村も影響は大きく不作が続いた。しかし幸いにも村には蓄えがあり、余所と比べて被害は小さくすんでいた。

 しかしどこからかその噂を聞きつけたのであろうか、山賊の一団が、卞祥の村を襲った。しかしそれは山賊ではなかった。なんとそれは管轄州の兵たちだったのだ。

 卞祥が奮闘するものの、相手は戦い慣れた兵だ。村人たちは次々と蹴散らされてゆく。もう駄目だ。卞祥がそう思った時、新たな一団が乱入してきた。

 それは勢力を拡大しつつあった田虎と鄔梨の率いる軍だった。

 結果、村は救われた。

 田虎が、命乞いをする兵長を討ち、賊軍は壊滅した。

 鄔梨がやってきて、卞祥に向かって言った。

「見ていたがお主、大層な怪力だな。まるで悪来、さしずめ小悪来と言ったところかな」

「おお良いな。よし小悪来、わしらと共に来ないか。こいつらのような腐った連中を倒すために、お主のような者が必要なのだ」

「俺の力が、役に立つのか」

「もちろんだ。これから、わしらの時代を作るのだ」

 卞祥は目を輝かせた。

 卞祥の目には、田虎が英雄に映った。そして田虎のために尽くそう。卞祥はそう思い、田虎の勢力拡大の大いなる一助となったのだ。

「将軍、待たせたな」

 范権が呼びに来た。

 ゆっくりと卞祥が目を開ける。大山開斧を強く握りしめた。

 さあ行こう。田虎さまのために、賊軍梁山泊を蹴散らしてくるのだ。

 その大きな背を、范権が切なそうに見つめていた。

 

 三万もの軍勢が進軍する。まだ健在な領地からかき集めた兵たちである。

 卞祥が配下の八将を率いる。いずれも山賊あがりの物騒な連中だ。

 まずは樊玉明、魚得源、顧愷、馮翊を前軍として、五千を先に進めた。

 沁源県綿山の麓に至り、梁山泊軍と相見えた

「前軍突撃。あいつらをぶっ殺せ」

 樊玉明が叫びを上げて突進すると、残りの三人もそれに続いた。

 梁山泊軍からは董平、林冲そして蓋州から呼び戻された花栄、さらに陵川から戻った史進が馬を飛ばす。

 勝敗は半刻も経たずに決した。

 樊玉明は董平の槍の露と消え、顧愷も林冲に一蹴され、馮翊は花栄が矢を放つまでもなかった。

 ただ史進だけが不満そうな顔をしていた。

 魚得源が刃を交える前に落馬し、そのまま馬に踏まれて果てたからだ。

「圧勝なのだ、喜べよ」

 という董平の言葉にも、納得できない様子。

 一方、報告を受けた卞祥は大きな目をさらに大きく見開いた。

「何だって、それは本当なのか。ぐぬ、お前たちの無念、俺が晴らしてやるぞ」

 ほとんど無傷だという梁山泊。しかし卞祥の戦意にも火がついた。

 梁山泊軍に緊張が走った。

 後続の田虎軍、その先頭にいる卞祥の強さが尋常ではないと知れたからだ。

 「文句は言わせないぜ。あいつは俺が」

 と、史進が飛び出した。

 それを見た卞祥も前に出る。馬が悲鳴を上げていると思われるほどの巨躯だった。

 開山大斧と三尖両刃刀が火花を散らす。

 両者の力は互角か。

「へえ、まだお前みたいな奴がいるとはな。名は何と言う」

「ふん、俺は卞祥。小悪来の卞祥だ。お前こそ名乗ったらどうだ」

「よく言った。俺は史進。九紋竜の史進だ」

 史進が吼え、卞祥が猛る。

 両軍が見守る中、打ち合いが止まらない。史進も卞祥も玉のような汗を浮かべている。

 史進が、息をつくため、少し離れた。体力では卞祥が上のようだ。

「どうした九紋竜。終わりか」

「へっ、これからさ」

 馬を馳せ違いざまに何度か打ち合った。そして馬を止め、再び打ち合いとなる。

「お前の力じゃ俺には勝てないぞ。とっとと降伏しろ」

 卞祥が大斧を振り下ろした。史進は両刃刀の柄で受け止めた。両腕の力瘤が盛り上がる。劣勢のはずの史進が、卞祥をにやりと見た。

 わかってるよ、そんな事。でもよ、そんな奴に真っ向から勝つのが良いんだ。なあ、董平の旦那。

 む、と董平が唸った。史進に見られたような気がしたのだ。

 歯を食いしばる。そして言葉にならない声を発し、なんと史進が大斧を押し返してしまった。

 思わずよろめく卞祥。

「どうだ」

 史進が鼻血を流しながら笑っている。

 まぐれだ、卞祥はそう思い再び打ち込んだ。

 打ち合いながら史進が言った。

「あんた、農家の出だろ」

「なんだ。だとしたら何だ」

 卞祥の眉がぴくりと上がった。怒気を孕んだように見えた。

「筋肉で分かる」

「馬鹿にするのか」

「そうじゃない。お前も、こうなっちまった理由があるんだろ」

 命のやりとりをしている。とてもそうは思えなかった。

「食い物を奪おうと、州兵の連中が俺たちの村を襲った。俺たちを守るはずの、州兵がだぞ。その時、田虎さまに助けられた」

 大山開斧が唸りを上げる。三尖両刃刀が烈風の如き勢いで閃く。

 刃と刃がかち合い、火花を散らした。またも力比べだ。

 花栄が弓に手を伸ばしかけた。だが花栄はその手を止めた。史進が嬉々として戦っている。その卞祥に隠し矢を射つことが、憚られたのだ。その代わり、花栄は右手を上げた。

 両陣営から鉦が鳴らされた。退却の鉦だ。

「もっと戦いたかったが、また今度だ」

「何言ってる。まだ終わってないぞ」

 卞祥が斧を力強く押しこむ。

 鉦がうるさいほどに鳴っている。

 それに気付いた卞祥は、不服そうな顔でやっと力を抜いた。 

 馬首を返しながら、史進が告げた。

「良かったよ」

「なにが良いんだ」

「あんたが悪い奴じゃないって分かって、良かった」

 史進が馬を飛ばし、梁山泊陣営に戻ると頭を下げた。

「すまん。勝てなかった」 

 誰も叱責する者はいなかった。

 そして花栄の横を過ぎる際、

「ありがとうございます」

 と囁いた。

 花栄は史進の背を見つめ、微笑んだ。

 戦場には卞祥が佇んでいた。

 きょとんとした顔をしたまま、撤退する梁山泊軍をじっと見ていた。

 顔に何か当たり、空を見上げた。

 太陽はいつの間にか隠れ、厚い灰色の雲が広がっていた。

 雨が、降り始めた。

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