
108 outlaws
仇敵
一
霖雨である。
連日の雨に、梁山泊軍も攻撃の機を欠いてしまった。
だがこの雨を喜ぶ者もいる。
太原の守将、望楼塔の張雄は宴を開いていた。
「ざまあないな。この長雨で、すっかり疲弊しているだろうな」
「兵糧も底を突いているでしょうね。まあ、おかげでこっちはしっかりと英気を養えますがね」
副将、黒羅漢の徐岳がそう言うと、
「まったくだ。弱っている今こそ襲ってしまえば、一網打尽にできるのではありませんかな」
と同じ副将である赤面仏の項忠が笑った。
「良い考えだ。よし、やるか。しかし、まあ焦ることはないどうせ疲れ切って動けぬのだから」
「違いありません」
「その通りで」
徐岳と項忠が同時に言い、部下に酒の追加を命じた。
童威がうんざりした表情で呟いた。もう何度目だろう。
「このままじゃあ黴が生えちまいますよ、李俊の兄貴」
童猛が首肯する。
身振りで、攻撃しようと言っている。
李俊も、疲れたような顔をしていた。
「駄目だ。何度も言わせるなよ。じきに機が訪れる」
「機っていつですか」
童威の問いに答えず、李俊は目を閉じた。
脳裏に浮かぶ光景。かつて闇塩を扱っていた時だ。なにも攻撃することばかりが正解ではない。時に、水中に潜むようにじっと耐える事も必要だ。そして機が熟した時に、それを爆発させるのだ。
混江竜と呼ばれ、怖れられた所以でもある。
雨の音は、相変わらず途切れずに聞こえている。
しばらくして、童猛が外を見やった。李俊も続いて目を開けた。
複数の足音、そして武具の擦れる音。
魏定国、単廷珪が濡れた髪もそままに入ってきた。
「すまない、遅くなった。道が悪くて、なかなか進めなかったのだ」
こくりと李俊が頷いた。
「まずは暖を取って、飯でも食ってくれ。陶宗旺、まだあるだろう」
「ああ、でも持ってあと三日って所だ」
鍋を温め直す陶宗旺。
先の騒動のため、この地での石材採掘が終わることとなった。陶宗旺は、部下への労いと現場の撤収のために来た。そしてこの雨に捕まってしまったのだ。
その言葉に、箸を止めた魏定国たち。だが李俊は、心配するなと促した。
二人が落ち着いたところで、軍議を開いた。
「三日だ。その間に太原を陥とすか、のたれ死ぬか。どちらかだ」
「ここへ来る途中、太原城と周りを見てきました」
単廷珪だ。
「この雨を利用できそうな計があります」
一同が身を乗り出した。
よし、やろう。
李俊の鶴の一声で、その計が実行されることになった。
早速飛び出していく魏定国と単廷珪そして陶宗旺。
「童威、童猛」
二人に、李俊が声をかけた。
「機が訪れたぞ」
童威が兵を率い、太原の辺りをうろついていた。
その姿を見た敵兵が飛び出したが、童威らは戦う事もせずに逃げてしまった。そして今度は反対の方角に、童猛が率いる一隊が現れた。
太原の兵は方角を変え、童猛に向かうが同じように見失ってしまう。
敵兵が城に入り、やや経ったところで、また童威が姿を見せる。西門が開き、兵が殺到するが童威はとっとと逃げてしまった。
太原兵の苛立つ顔が見えるようだ。
そしてまた童猛、次は童威、童猛と続けていると、終いには兵が出てこなくなってしまった。
童威が舌打ちをする。
「なんだよ、全然骨のない連中だな」
太原城の反対側にいる童猛も同じ事を思っているのだろう。
石材採掘場から少し離れた森の中、梁山泊兵たちが斧を振るっていた。
手頃な太さの木を斬り倒し、さらに同じ長さに切ってゆく。
「おい、魏定国。無理すると腰を痛めるぞ」
「心配しないでくださいよ。これでも神火将、木を切るくらい」
と言う側から、斧の角度を間違え、腕を痺れさせてしまった。
「ほら見た事か。ああ、孟康がいてくれたらなあ」
雨なのか汗なのか分からないが額を拭い、李俊が腰を伸ばした。
単廷珪と陶宗旺が丘の上から、濁った川を見ていた。
「だいぶ増えてるな」
「ああ、充分気をつけてくれ」
「もちろんだ」
陶宗旺が部下を連れ、丘を下ってゆく。肩に鍬や鋤を担いでいた。
彼らを見送り、単廷珪が川を見る。視線を川下に動かし、そして最後に太原城に至った。
頼んだぞ。祈るように呟いた。
己の策だというのに、手伝う事ができないもどかしさ。むしろ陶宗旺たちの邪魔になってしまうからだ。
眼下では、濁流がごうごうと音を立てていた。
張雄が大きな欠伸をした。
酒臭い息を吐きながら小便に向かう。
外は暗い、まだ夜か。いやまだ雨で日が射さないのだ。
そろそろ打って出るとしようか。そう考えていた時である。
低い、地鳴りのような音が聞こえた気がした。
雷鳴とも違うようだ。
「張雄さま、すぐにお逃げを」
「なんだ、どうしたのだ」
ただ事ではない様子の徐岳。項忠もやって来て、逃げようと喚く。
低い音はだんだん大きくなっているようだ。
身の危険を察知した張雄は二人と逃げた。だが足元が揺れているような気がする。いや、やはり揺れている。
「あれは、何だ」
外を見た張雄が叫んだ。
あれは、水か。雨で川が氾濫したのか。
徐岳と項忠が、必死に急かす。張雄も必死に、一番高い城壁へと逃れた。
その直後、大量の水が太原を襲った。