
108 outlaws
疾駆
四
田虎のこめかみ辺り、青い筋がぴくぴくと痙攣している。
頼みの綱、馬霊が負けた。しかも報告によると孫安、喬道清まで梁山泊軍に加わっているという。
この田虎のために華々しく散ったものだと思っていたが。とんだ恩知らずどもだ。
「お前もだ、豹。どうしてのこのこと舞い戻って来た」
田豹がびくりとして、肩をすくめる。そして田彪に、助け舟を求めるように視線を送った。だが田彪も部屋の端で気配を消していた。何かできるはずもない。
軍議でも卞祥だけが徹底抗戦を主張するが、他は皆、後ろ向きな意見ばかりだった。その中で、北方の金国に投降してはどうかと誰かが言った時、卞祥の怒りが爆発した。
「何を弱気な事を。梁山泊軍はたった三万だ。こっちはまだ五万以上もの兵をかき集められるんだ。それに糧秣だって、たっぷり二年は持つ。向こうはそんなに耐えられんだろうさ。投降なんて事言ってると、ぶっとばすぞ」
軍議の場が騒然とする。
范権はここを機と見た。
「畏れながら、卞祥将軍のおっしゃる通りかと。奴らの勝利は、孫安たちの裏切りが原因です。いま襄垣では葉清将軍が有利に戦を進めています。ここで田虎さま自ら陣頭に立たれるならば、兵たちの士気は俄然上がり、勝利も間違いございません」
満足げな表情の田虎。
卞祥に将軍十名と兵三万を与え、西の盧俊義軍に向かわせる。
さらに太尉の房学度にも同じ編成で、楡社へ赴かせる。
そして田虎自らが十万の精兵を率い、宋江軍に当たる。
田豹、田彪は、留守役として威勝に残すことにした。
「力の差を見せつけてやる。梁山泊め、髪の毛ひとつ残すものか」
田虎が獲物を狙う猟師のの目となった。
衛州を出、北へ進軍せよ。
呼延灼の元に、宋江からの軍令が届けられた。
奇妙な風体をした馬霊という者が、伝令役であった。
「そうか、公孫勝が」
梁山泊を狙う黒い気に対抗するため、衛州を出た公孫勝。その後の状況を知りたかったのだ。
気の正体は兄弟子の喬道清。さらに目の前の馬霊も、公孫勝に敗れたという。
「盧俊義どのは汾陽から東へ渡河し、介休へ進軍。宋江どのの軍は昭徳、潞城を陥とし、襄垣の手前に布陣しております」
そしてその襄垣には、張清と安道全が間諜として潜りこんでいるという。
残るは威勝、いよいよ総攻撃だ。
「わかった。すぐに準備を整える」
踢雪烏騅に跨り、呼延灼は背筋を伸ばした。
遥か北を見つめ、高揚した。
やはり軍人である。つくづくそう思った。
途中で関勝、索超らと合流し、楡社を目指した。威勝の北に位置する楡社を獲れば、包囲網が完成に近づく。
しかし斥候の報告によると、すでに田虎軍が布陣しているという。その数、三万ほど。こちらはその半数と言ったところだ。
進軍を止め、軍議を開く。
「どうする、関勝」
と言い、許貫忠の地図の写しを広げた。楡社は左右を山に挟まれているため、至る道は一本で狭い。
関勝が左右の山を示した。
「挟撃だろう。この策を取るだろうことは、敵も警戒しているはずだがな」
呼延灼もそれしかないと考えた。だが正面から当たる兵が囮となってしまうことだ。死地に送り込むようなものである。
ならば、と呼延灼が名乗り出ようとした時だ。
「俺が正面から行こう」
腕を組んで地図を見ていた唐斌が、言った。
「おっと、手柄を取られてしまっては敵わぬ。先鋒は、わしが行かせてもらう」
索超だった。
「面白い。ならば勝負と行こうじゃないか。まあ、負けはしないがな」
「望むところだ。受けて立とう」
と索超が鼻息を荒くする。
「という事だ。正面からは俺と索超が行く。後は頼んだぜ」
そう言って二人は準備のために隊へ戻って行った。
微笑する関勝に、覗きこむようにする呼延灼。
「なんだか潞城の戦から気が合うようでな」
「いや、それよりいいのか。唐斌を行かせて」
「言い出したら聞かない男だ。それに」
「信頼しているのだな」
「ああ、やると言ったらやる男だ。そして索超もいる。それよりも、わしらの方こそ負けていられないぞ」
「そうだな。さあ、行こう」
唐斌という男。関勝と旧知の間柄で、天王と呼ばれているという。
かつて大刀の関勝と並び称されたその実力を、その目で見てみたいと思った。
やはり兵が潜んでいた。挟撃は想定済みだったのだ。
慣れない山間での戦いに、呼延灼も苦戦した。
しかし、助けなどいらないかのような、唐斌と索超の活躍ぶりだった。
守将の房学度を索超が討ち取ると、楡社軍が崩れた。
さらに左右から、関勝と呼延灼が奇襲をかけると、戦いは数刻も経たずに終わった。
「さすが、ですよね」
索超が言う。
関勝と楽しげに話している唐斌を見ていた、呼延灼にである。
「唐斌どのがいなければ、危なかったかもしれません。敵将を討ち取れたのも、唐斌どのが他の兵たちを一手に引き受けてくれたからです」
「確かに。わしが攻撃に加わった時には、戦の終わりが見えていたからな」
「ですが、本人は認めないんですよ。手柄を横取りしやがって、なんて怒鳴られましたよ」
「ふふふ、面白い男だな」
楡社に入城し、住民を宣撫した。
兵と馬にとってはしばしの休息。
関勝と呼延灼は、城壁から南を眺望していた。賑やかに酒を酌み交わしている唐斌と索超の声が聞こえてくる。
「いよいよ決戦だな」
「うむ。単廷珪が太原に向かっている。そこで李俊らと合流する手筈だ。そこを獲れば後は威勝の田虎のみ」
頷き合い、手にした杯を軽く合わせる。
む、と関勝が天を仰ぎ見た。
太陽はいつの間にか隠れ、厚い灰色の雲が広がっていた。
雨が、降り始めた。