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疾駆

​四

 田虎のこめかみ辺り、青い筋がぴくぴくと痙攣している。

 頼みの綱、馬霊が負けた。しかも報告によると孫安、喬道清まで梁山泊軍に加わっているという。

 この田虎のために華々しく散ったものだと思っていたが。とんだ恩知らずどもだ。

「お前もだ、豹。どうしてのこのこと舞い戻って来た」

 田豹がびくりとして、肩をすくめる。そして田彪に、助け舟を求めるように視線を送った。だが田彪も部屋の端で気配を消していた。何かできるはずもない。

 軍議でも卞祥だけが徹底抗戦を主張するが、他は皆、後ろ向きな意見ばかりだった。その中で、北方の金国に投降してはどうかと誰かが言った時、卞祥の怒りが爆発した。

「何を弱気な事を。梁山泊軍はたった三万だ。こっちはまだ五万以上もの兵をかき集められるんだ。それに糧秣だって、たっぷり二年は持つ。向こうはそんなに耐えられんだろうさ。投降なんて事言ってると、ぶっとばすぞ」

 軍議の場が騒然とする。

 范権はここを機と見た。

「畏れながら、卞祥将軍のおっしゃる通りかと。奴らの勝利は、孫安たちの裏切りが原因です。いま襄垣では葉清将軍が有利に戦を進めています。ここで田虎さま自ら陣頭に立たれるならば、兵たちの士気は俄然上がり、勝利も間違いございません」

 満足げな表情の田虎。

 卞祥に将軍十名と兵三万を与え、西の盧俊義軍に向かわせる。

 さらに太尉の房学度にも同じ編成で、楡社へ赴かせる。

 そして田虎自らが十万の精兵を率い、宋江軍に当たる。

 田豹、田彪は、留守役として威勝に残すことにした。

「力の差を見せつけてやる。梁山泊め、髪の毛ひとつ残すものか」

 田虎が獲物を狙う猟師のの目となった。

 

 衛州を出、北へ進軍せよ。

 呼延灼の元に、宋江からの軍令が届けられた。

 奇妙な風体をした馬霊という者が、伝令役であった。

「そうか、公孫勝が」

 梁山泊を狙う黒い気に対抗するため、衛州を出た公孫勝。その後の状況を知りたかったのだ。

 気の正体は兄弟子の喬道清。さらに目の前の馬霊も、公孫勝に敗れたという。

「盧俊義どのは汾陽から東へ渡河し、介休へ進軍。宋江どのの軍は昭徳、潞城を陥とし、襄垣の手前に布陣しております」

 そしてその襄垣には、張清と安道全が間諜として潜りこんでいるという。

 残るは威勝、いよいよ総攻撃だ。

「わかった。すぐに準備を整える」

 踢雪烏騅に跨り、呼延灼は背筋を伸ばした。

 遥か北を見つめ、高揚した。

 やはり軍人である。つくづくそう思った。

 途中で関勝、索超らと合流し、楡社を目指した。威勝の北に位置する楡社を獲れば、包囲網が完成に近づく。

 しかし斥候の報告によると、すでに田虎軍が布陣しているという。その数、三万ほど。こちらはその半数と言ったところだ。

 進軍を止め、軍議を開く。

「どうする、関勝」

 と言い、許貫忠の地図の写しを広げた。楡社は左右を山に挟まれているため、至る道は一本で狭い。

 関勝が左右の山を示した。

「挟撃だろう。この策を取るだろうことは、敵も警戒しているはずだがな」

 呼延灼もそれしかないと考えた。だが正面から当たる兵が囮となってしまうことだ。死地に送り込むようなものである。

 ならば、と呼延灼が名乗り出ようとした時だ。

「俺が正面から行こう」

 腕を組んで地図を見ていた唐斌が、言った。

「おっと、手柄を取られてしまっては敵わぬ。先鋒は、わしが行かせてもらう」

 索超だった。

「面白い。ならば勝負と行こうじゃないか。まあ、負けはしないがな」

「望むところだ。受けて立とう」

 と索超が鼻息を荒くする。

「という事だ。正面からは俺と索超が行く。後は頼んだぜ」

 そう言って二人は準備のために隊へ戻って行った。

 微笑する関勝に、覗きこむようにする呼延灼。

「なんだか潞城の戦から気が合うようでな」

「いや、それよりいいのか。唐斌を行かせて」

「言い出したら聞かない男だ。それに」

「信頼しているのだな」

「ああ、やると言ったらやる男だ。そして索超もいる。それよりも、わしらの方こそ負けていられないぞ」

「そうだな。さあ、行こう」

 唐斌という男。関勝と旧知の間柄で、天王と呼ばれているという。

 かつて大刀の関勝と並び称されたその実力を、その目で見てみたいと思った。

 やはり兵が潜んでいた。挟撃は想定済みだったのだ。

 慣れない山間での戦いに、呼延灼も苦戦した。

 しかし、助けなどいらないかのような、唐斌と索超の活躍ぶりだった。

 守将の房学度を索超が討ち取ると、楡社軍が崩れた。

 さらに左右から、関勝と呼延灼が奇襲をかけると、戦いは数刻も経たずに終わった。

「さすが、ですよね」

 索超が言う。

 関勝と楽しげに話している唐斌を見ていた、呼延灼にである。

「唐斌どのがいなければ、危なかったかもしれません。敵将を討ち取れたのも、唐斌どのが他の兵たちを一手に引き受けてくれたからです」

「確かに。わしが攻撃に加わった時には、戦の終わりが見えていたからな」

「ですが、本人は認めないんですよ。手柄を横取りしやがって、なんて怒鳴られましたよ」

「ふふふ、面白い男だな」

 楡社に入城し、住民を宣撫した。

 兵と馬にとってはしばしの休息。

 関勝と呼延灼は、城壁から南を眺望していた。賑やかに酒を酌み交わしている唐斌と索超の声が聞こえてくる。

「いよいよ決戦だな」

「うむ。単廷珪が太原に向かっている。そこで李俊らと合流する手筈だ。そこを獲れば後は威勝の田虎のみ」

 頷き合い、手にした杯を軽く合わせる。

 む、と関勝が天を仰ぎ見た。

 太陽はいつの間にか隠れ、厚い灰色の雲が広がっていた。

 雨が、降り始めた。

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