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玉石

 全羽の活躍で、梁山泊軍は五陰山の向こうにまで撤退した。

 鄔梨は上機嫌で勝利の宴を開いた。

 その席で葉清が奏上した。全羽は、瓊英に似合いの者ではないかと。その言葉に、鄔梨も思い出した。先だって婿を探そうとしていたのだ。

 だが瓊英は、

「私と同じくらい礫のできる人でなければ嫌です」

 と静かに言っていたのだ。

 ああ見えて芯の強い娘だ。そう決めたなら貫き通すのだろう。あの時は、さすがの鄔梨も諦めるしかなかった。

 だが、どうだ。同じように礫を使う、全羽が現れた。

 これが機というものだ。

 かくして全羽と瓊英は夫婦(めおと)となった。

 ひとつの部屋で向かい合って座っていた。

 全羽は気恥ずかしげに、壁や天井と徒に目を走らせている。

 瓊英は顔を真っ赤にして、ただただ俯くのみであった。

 永遠とも思える時が流れたのち、全羽が口を開いた。

「まずは話さなくてはならない事があります。どうかお聞き下さい」

 瓊英の言葉を待たず、全羽は続けた。

「私の本当の名は、張清と申します。梁山泊から、参りました」

 ぴくりと瓊英の眉が上がった。だがその目は続きを促すようであった。

 張清が真相を明かす。

 全霊も安道全という梁山泊の医者であり、葉清が梁山泊陣を訪れたこと。作戦が露見しないように、瓊英にも伏せていたのだということ。

 そして夢の話。

 張清も想いを寄せていたと、はにかみながら告げた。

「隠していて、すみませんでした。それでも私と一緒になってくれますか」

「そうですね。黙っていたのは、少し許せません。でもおじ様の優しさでもあるのでしょう。それに、あなたはどんな名であろうと、あなたです。やっと会えたのですね」

「ああ」

 二人の影がひとつになった。

 睦みあう二人がどんな事を囁き合ったのかは、誰にも分からない。

 

 二日のち。

 鄔梨が突然死んだ。

 全霊こと安道全が駆けつけた時には、すでに脈は止まっていた。

「やはり貴様たちか、毒を盛ったのは。俺は始めから怪しいと睨んでいたんだ」

 叫んだのは金真であった。

「何を馬鹿な事を」

「馬鹿な事だと。馬鹿な事をしたのはお前だろう」

 金真の目が、言葉とは裏腹に笑っていた。

 くくく、いい顔だ。そうだ爺い。言う通り、殺したのはお前じゃない。気に食わなかったんだよ。お前たちが来なければ、瓊英は俺のものになったのだ。鄔梨も鄔梨だ。田虎の威を借る狐のくせに威張りくさりやがって。

 さあ、兵を呼ぶとしよう。今からこの俺が、この城の守将だ。

 叫ぼうとした金真の口が塞がれた。

 背後から伸びた腕に、小刀が握られているのが見えた。それが金真の首を切り裂いた。

「大丈夫ですか、先生」

 全羽こと張清だ。

「薬がほとんど盗まれていたのです。こいつだったのですね」

「そのようだな」

 首から血を溢れさせ、金真は息絶えた。

 この危難に際し、葉清は決断した。

 鄔梨の死、そしてそれは金真の犯行である事を一同に報せ、そしてこれから襄垣は梁山泊に降伏すると宣言した。

 抵抗は、鄔梨に近い者を除けば、ほとんど無かった。

 葉清に対して、その経歴を含め好意的な者が多く、さすがは徹仁番頭と褒めそやす声まで上がった。同時にそれは田虎から兵たちの心が離れていた事の証左ともなった。

 襄垣を瓊英、張清に任せ、葉清は威勝へ赴いた。

 瓊英と全羽の婚儀そして、彼らが昭徳府奪還のために奮戦しており有利な戦況であると報告するためだ。さらに鄔梨は、病気で療養していると報告した。

「そうか頼もしい味方が加わったな。褒美を取らせよう。義兄どのにも、早く良くなるよう伝えてくれ。お前たち、この葉清を見習え。今度、負けの報告を持ってきた者は容赦せんぞ」

 と、田虎は満悦気味だった。

 その夜、葉清は都督の范権と会った。

 元庄屋の范権は、器量良しの娘を田虎に差しだして今の地位を得た。鄔梨と似たような輩である。

 范権の自室。卓の上に輝く金子(きんす)が積まれていた。

「これは何だね」

「お好きだと聞いておりましたが、違いましたか」

 と葉清が片付けようとするが、范権は慌てて止めた。

 庄屋出身なだけに、金は大好物だ。

「まあ、待ちなさい。出しっ放しは危険だと言ったのだ。わしの行李にしまっておこう。良いな」

 葉清は答えず、にやりとだけした。

「お願いがあって参りました。些少ですが、これは口止め料でございます」

「続けてくれ」

「范権さまは機を見るに敏なお方と存じております。そこでお話しするのですが、田虎さまの権威はもはや風前の灯火かと」

「おい、滅多な事を」

 と立ち上がり、人の気配を探る。

「大丈夫ですよ。人払いはしております」

「周到だな。で、どういう事だ」

「実は鄔梨さまは、もう亡くなられております」

 范権がまた立ち上がった。

 葉清は静かに顛末を語った。

「梁山泊軍が破竹の勢いなのはご存じのはず。范権さまのこと、この先、どのような展開になるかは感づいておられるかと」

 范権は冷や汗を流す。

 鈕文忠、山士奇が敗北。さらに唐斌、孫安、喬道清までも裏切ったのだ。そして葉清と瓊英もである。

「わしにどうしろと」

「お話が早い。范権さまにもご協力してほしいのです。田虎軍の情報を、梁山泊に流してくれるよう」

 目を瞑り算段をする。

 確かに残るは、この威勝と周辺だけだ。それに援軍に向かった馬霊(ばれい)が敗れれば、いよいよ負けが濃厚となる。国に叛逆した者は死罪。ならば梁山泊に協力していた事で、恩赦を得られるかもしれぬ。それに万が一、田虎が盛り返したならば、この密談は無かったことにしておけばいいことだ。

「よし、承知した」

「それでは、頼みましたよ」

 葉清が去った。

 誰が呼んだか徹仁番頭か。わしのところにも、あのような者がいたら。

 范権は行李を除き、金子を確かめた。

 今起きた事は、確かに現実であった。

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